第5話 アンナの酒場
サルバドール王立職業斡旋所、という組織がある。王国内の各地にその支部が結成されており、雇用者と被雇用者をマッチングさせる役割を担っている。
王立、という名前がついているが、純粋に国によって運営されている訳ではない。無論、スポンサーの一つに王国があるのはあるが、そもそも『国』とは超優良就職先であり、別に無理に斡旋所を頼らずとも就職希望者は後を絶たず、各地の商工業者が運営費を出しあって運営しているのが実態だ。
そんな王立斡旋所、設立時からのルールとして所長は『アンナ』と名乗り、女性が就任することになっている。これは設立当初の所長がアンナという女性であった事にちなみ決められたルールであり、能力的な所とは別の所に位置する伝統だ。初代『アンナ』が斡旋所の隣に酒場を併設していたこともあり――今でも酒場はあるが――この王立職業斡旋所は通称、『アンナの酒場』と呼ばれていた。
◆◇◆
「いらっしゃ――ひぃ!!」
カランカランとカウベルの鳴る音に、『アンナの酒場』の当代である二十六代目アンナは陽気な声を上げかけ、そのままその声を悲鳴に変える。
「邪魔をする」
「さ、宰相閣下!? な、なぜこの様な場所に!?」
「所用だ」
いきなり入って来たこの国最高権力者の一人に、思わずアンナもビビる。王立、という名前がついておりスポンサーである以上、節季の挨拶は欠かさず面識程度はあるものの、この王国政治の最高権力者が『アンナの酒場』を訪れた事はない。あまりといえばあまりの事態に目を白黒させるアンナを他所に、最高権力者――エリオはアンナの目の前のスツールに腰を降ろす。
「久しぶりだな、アンナ」
「ご、ご無沙汰しております! エリオット宰相閣下におかれましては、ご機嫌麗しゅう――」
「挨拶は良い。そもそも、その時間もあまりない」
「――は、はい!! い、一体どのような御用でしょうか!?」
アンナもアンナの酒場に奉職してから既に二十年以上が経つ。当年三十五、『四捨五入したら四十っすね!!』なんていう馬鹿弟子を殴り飛ばしてはいるも、それでもこの酒場で酸いも甘いも経験してきたのだ。
「どうした? 顔色が悪いが?」
「い、いえ! どうもしていません!!」
酸いも甘いも経験してきたが……流石にこんな経験はない。幾ら荒くれものがやってこようが、ビビることなんてないアンナだが、流石に指先一つの動きでアンナの酒場を崩壊させる様な事が出来る人物となるとアンナも分が悪い。ちなみに純粋な武力ではない。エリオが斡旋業の許可取り消しの書類にサインすれば、アンナの酒場は消えて無くなるからだ。
「そ、その……何か不手際がありましたでしょうか? 私どもが何か罪を犯しているとか、そういう……」
「うん? 罪? ……ああ、そう言う事か。そういう訳ではない。アンナを吊るし上げようとか、そう言った意図はなく……ただ」
仲間が欲しいんだ、と。
「……仲間、ですか?」
「ああ、仲間だ」
「ええっと……仲間と申されると……」
「実は……私の義理の妹が『勇者』に選ばれた」
「え! 勇者に選定されたのですか! それはおめでと――ひぃ!! え、エリオット様!? な、なぜ! なぜ睨まれるのです!?」
「……めでたいことなど何もない。アリスは十六歳だぞ? そんな子が魔王討伐などと……正気の沙汰では無いと思わないか?」
「え、ええっと……」
実際問題、勇者に下限の年齢も上限の年齢もない。下は七歳の子供から、上は八十六のおじいちゃんまで勇者に選ばれたことがあるのだ。そんな中で『十六歳』となるとまあ、妥当な線だとは思うが。
「……そ、そうですね! 義妹様には早すぎますね!!」
でも、言わない。だって怖いもん。
「……本音を言えば私もアリスに魔王討伐などさせたくはない。だが、本人がやる気満々なのだ。『この戦いで私は成長したいんです』なんて、可愛い事を言うんだ……」
そういって遠い目をするエリオ。実態は婚活勇者なアリスだが、知らぬが仏である。成長だって、まあ拡大解釈であることに目をつむれば間違いじゃないし。
「それならば……涙を呑んで討伐の旅に出すのも兄としての務めだ。可愛い子には旅をさせろとも言うしな」
「……そうですね」
「だが、やはり不安は不安だ。だから、少しばかりは手を貸してやろうと思ってな。このアンナの酒場には冒険者やそれに近い職業の者もいるのだろう? 或いは、市井で腕に覚えのある人材だとか」
「……まあ。いるにはいますが」
魔王なんて規格外が存在する世界だ。文明レベルも決して高くはなく、街から街への移動に際しての護衛などの職業者もいる。というか、ぶっちゃけ登録者の四割ぐらいはそういう職業である。ギルドみたいなもんだ。
「……ですが、宰相閣下? 正直言って、そこまで力のある人間はウチにはいませんよ? そもそも、そこまで力がある人間なら別にウチに登録なんかしなくても国に勤務も出来ますし……もっと言えば、そんな人材、ウチとしても欲してないですし」
ギルドみたいなもんで、ある程度腕の立つ奴はいるが……少なくとも魔王なんて天災と戦えるほどの力がある人間はいない。そういう人間は国が根こそぎ雇っていくし、そもそも街から街の護衛で魔王と戦えるほどの強者なんて雇う必要はない。要は、需要と供給である。
「分かっている」
「そもそも閣下? 閣下のお力を持ってすれば、国家から一人や二人は護衛として雇えるのでは無いでしょうか? 別にこんな場末の職業斡旋所に頼まないでも――」
「それではダメなのだ」
「――ダメ?」
「ああ。それではダメなのだ」
何が駄目なのだろうか? アンナは考え込み――閃く。ああ、そうか、と。これは完全なる宰相閣下の私事。そんな私事に国家の戦力を注ぐなど、職権乱用もいい所、この宰相閣下は公私の区別をしっかりつける――
「国家の人材は強『すぎる』。あいつらが仲間になったら……アリスの活躍の場がなくなるだろう!! アリスは成長したいんだぞ!? 決して強くない仲間たちと力を合わせ、魔王を打ち倒す……その過程がアリスを成長させるんだ!! 最初から強い仲間におんぶにだっこなど、アリスの成長にならん!!」
――おもっくそ、私情だった。
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