第2話 魔王とアレクシア聖教と可哀想なサーシャちゃん
アレックス大陸に『魔王』が現れる理由は実はあまり良く分かっていない。アレックス大陸の南のアレックス海で生まれる『瘴気』と呼ばれる物体が発達したものが実体化して『魔王』となることは知られているが、なぜ『魔王』となるかは諸説があり、アレックス海亜熱帯気候のせいとか、南から北に吹く季節風の影響とか、はたまた北海に眠る自身の片割れを探すためなどのトンデモ説まである。
何はともあれ、原因は不明であるもアレックス大陸に『魔王』が発生するのは事実だ。が、この『魔王』という存在、実体化しているものの、実はさして害があるものではない。いや、害こそあるにはあるが、立ち向かってくる人間以外を攻撃してきたりするような事はなく、ただ自身の進路の前に立ち塞がるものを全てなぎ倒してただ北に向かって進み、いずれはただの瘴気に戻るだけなのである。適切な距離を取って見送れば少なくとも人命に影響することはあまりない。『あまり』と書いたのは、それでも『ちょっと田んぼの様子を見てくる』とか『ローンが、家のローンが!!』とか『最後に死ぬ場所は住み慣れたこの街がええでな』みたいな理由で魔王の進路から避難しないからである。
さて、そんな『魔王』であるが、それでも好き勝手して貰うのは人間的には困る。そんな人間サイドの英雄として、女神アレクシアがアレクシア聖教を通じて『神託』を下すのが『勇者』と呼ばれる存在である。
――魔王を倒すことの出来る唯一の存在、『勇者』
過去、幾人もの勇者が現れ、過去、幾度となく現れた魔王と対峙してきた。あるものは勝利し、あるものは敗れ、中には命を落としたものもいる。そんな戦いの歴史の中で、人類は気付くのだ。
……これ、戦わなくてもよくね? と。
確かに、魔王を倒すことによるメリットはある。街が破壊されないのも重要だし、魔王を倒すと魔王を形成していた瘴気は『魔石』という、今の一般生活を送るうえで欠かせない燃料となるのだ。魔王を倒した勇者だって、その功績として一代限りではあるも大陸貴族に列せられる。これは一国の貴族ではなく、アレックス大陸に存在する各国の貴族位として扱われるもので、実際、魔王を倒して勇者になってこの立場になって、その立場を利用して財を成したものもいるのだ。いるのだけども。
命と釣り合うかというと、まあ微妙である。
だって、放っておけば消えて無くなる魔王だ。まあ、多少家や田畑は壊されるけども、復興を頑張るのは人であり、なにより家や田畑で人の命は買えないし。魔石も、確かに魔王を倒せば良質な魔石は手に入るけど、未来はともかく、今現在は後何年で枯渇するとかいう状況でも無いし……な訳で、アレクシア聖教教皇庁、並びに各国による大聖堂を通じて魔王が生まれるたびに勇者の『神託』が降りるが……まあ、誰も本気で魔王を倒しに行こうなんて思わないのだ。
そう、アリス・ワンダーランドを除いて。
◆◇◆
アリス・ワンダーランドに神託を授けたアレクシア聖教サルバドール大司教区で『巫女』を務めるサーシャ・リングバードはサルバドール大司教区の本部といっても良いサルバドール大聖堂に与えられた自室でブルブルと震えていた。アレクシア聖教は崇める神が女神という事もあり、役職も女性が多い。そんな中でサーシャは僅か十六歳にして大聖堂のトップである『聖女』、二人しかいない『聖巫女』の次に位置する序列三位である巫女職についている俊英である。腰まで伸ばした金髪に、常に微笑を称えるその表情は今は見る影もなく、胸元に十字架を握って一心に祈りを捧げている。
「あ……ああああああああ!! アレクシア様!! なんで!! なんで!? なんであんな神託を私に授けるんですかぁ!! アリスが勇者なんてなった日には、あの『くろいあくま』が襲撃してくるに決まってるじゃないですか!! 神よ! 私を救いたま――」
「悪魔は黒いと相場が決まっていないか、巫女殿?」
「――え、ええええええええ!!!!!! くろいあくま――じゃなくて、え、エリオット様!? ど、どうしてここに!?」
一心不乱に神に祈りを捧げるサーシャの後ろから声が掛かる。慌ててそちらに視線を向けると、そこには扉に背を預けてこちらに視線を向ける悪魔――じゃなかった、エリオの姿があった。
「な、何か御用でしょうか、エリオット様!? わ、私の様な下々の者に、公爵で宰相閣下であるエリオット様が訪ねてくるなんて……な、何かありましたか?」
「ん? 黒い悪魔じゃなかったのか?」
「い、いいいいいい嫌ですね! ジョークです、ジョーク! アレクシアンジョークですよ!! そ、それよりも! こんな夜更けに乙女の、しかも聖職者である私の部屋に訪ねてくるなんて、紳士としてちょっとどうかな~って、このサーシャは愚考するので――」
「――――アリスに聞いた」
「――――本当に、すみませんでした。命だけは勘弁してください」
余りにも綺麗な土下座を決めて見せるサーシャ。普段は大聖堂を訪れる信者達に暖かい微笑を浮かべる姿は何処にもなく、ただただ命乞いをする少女の姿がそこにあった。
「……人聞きの悪い事を言うな、『サーシャ』。別にお前を責めに来たわけじゃない」
「……へ? エリオ兄、私を責めに来たんじゃないの?」
「……言葉遣い、昔に戻っているぞ?」
「へ? ……はわわ! コホン……ええっと、エリオット様?」
居住まいを正すサーシャにため息を一つ。
「此処には私たち以外誰も居ないから構わないが。話を戻す。サーシャ、お前を責めるつもりはない。そもそも『神託』は巫女に与えられた『お務め』だろう? 神託が降った以上、それを勇者に伝えるのは巫女の大事な仕事だ。アリスと幼馴染のお前に神託が降ったのも……運命なのだろう。神も酷な事を為される」
そう言ってもう一度大きくため息を吐くエリオ。そんな姿に、サーシャは遠慮がちに口を開いた。
「ええっと……エリオ兄はアリスが魔王を倒しに行くのってはんた――ひぅ!!」
エリオの人を射殺せそうな視線に思わずサーシャが声にならない悲鳴を上げる。なまじ、顔が整っているだけにひじょーに怖い。
「反対か、だと……?」
「え、エリオ兄! お、おちつい――」
「反対に決まってるだろう!! 魔王だぞ!? あんな化け物相手になぜあんな可憐なアリスが立ち向かわなければならないんだ!! アリスの柔肌に傷が付いたらどうする!! サーシャ、責任が取れるのか、お前は!?」
「ひぃん!! ご、ごめんエリオ兄! 私が悪かったから!! お、落ち着いて!!」
「はぁ……はぁ……」
「……相変わらずだよ、エリオ兄。アリス大好き過ぎだよね?」
「義妹の心配をして何が悪い」
「いや、悪くはないけど……でも、じゃあなんで此処に来たの? 私に恨み言の一つでも言いに来たのかと思ったんだけど……」
実際は恨み言どころの話では無かったのだが。タマ、取られるかと思ったのだが。良かった、幼馴染で、とサーシャは神に感謝した。
「今更サーシャに恨み言を言っても仕方ないだろう。そんな事よりもっと建設的な話だ」
「建設的?」
「アリスが『勇者』をするのを止めてくれないだろうか?」
「……それは、私に神託に嘘をつけって言ってる? それならお断りだよ。エリオ兄には感謝してるし、アリスだって大好きだけど……それでも私は、神託を裏切る訳には――」
「違う」
「――……え? ち、違うの?」
「当たり前だろう。サーシャがこの仕事に誇りを感じているのを知っている。それを曲げることなど出来んだろうし……敬虔な信者であるサーシャが女神アレクシアに嘘を吐くなど出来ないと思っているさ」
「……エリオ兄」
サーシャの胸が少しだけ暖かくなる。そうだ! この人は結構無茶苦茶もするし、悪辣宰相なんて言われているけど、心の奥底は優しい人なんだ!! なんで私はそんな事を忘れていたのだろうか、と自身を恥じていると、エリオは小さく頭を下げた。
「だから……サーシャ、頼む。どうかアリスに『友人』として勇者を辞退することを勧めて貰えないだろうか? 魔王退治は危険な事をお前の口からアリスに伝えて諦めさせて欲しいんだ。それくらいは、巫女のポリシーに反しないだろう? 女神アレクシアも勇者を選定はしても無理強いはしていない筈だ」
「そりゃ、そうだけど……でもさ? それならエリオ兄から言った方がよくない? アリス、エリオ兄の言う事なら聞く――え、エリオ兄? どうしたの、この世の終わりの様な顔をして」
「……もう言った」
「はい?」
「もう言った。勇者なんてやめておけって。そしたら……『なんで応援して下さらないんですか! お兄様なんて、お兄様なんて……大嫌い!!』と……」
「……」
「……」
「……こんなに……こんなに神を恨んだ日は無い。私の全権力を使ってアレクシア聖教を滅ぼしてやろうかと思った」
「マジでやめて!!」
慌ててエリオを止めながら、サーシャは思いだした。この人は、やると言ったらやる人だ、と。
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