罪を愛する
鈴ノ木 鈴ノ子
つみをあいする
人殺しは日本国の法律においては刑法199条あたりの殺人罪に該当します。刑期は無期懲役から懲役5年、場合によっては死刑。
大学の講義を聞きながらふと田辺亨は自らの罪と向き合ってみた。大学は学び直しで入れたり、普通にも入れたりする誰でもが出入りでき、学びを得るための場で、私は幸運にもこのような機会を得た。手に持つものを杖代わりのようにして顎を乗せ、ふと近くの真っ白な壁を眺めた。映画を映すスクリーンに見立てて自らを振り返ってみることにする。
人生において、いや、生きるために初めて手に掛けたのは、自らの父であった。絵に描いたような屑で、ギャンブル、酒、女、借金、続く言葉はパートで命と身を削り稼ぐ母を殴りつけ、金を奪い、犯し、それを幼い息子に見せつけて喜ぶ頭が哀れな屑であった。酒を飲み殴られて犯され気絶した母の隣に寝ているソレを私は始末した。
あの時は、非力な子供であったから、刃物は使わず、物置にあった大型の金槌を椅子に登りテコの原理で頑張って振り下ろし、頭を粉々に砕いた。
幸い母は起きることはなく、私自らが警察を呼び、私と母は保護されたのだった。
不審者が父を殴打して殺害し、幼い息子が金槌を持たされて待つように言われた。と言う筋書きで。これは因みに現場にいた警察官の会話から漏れ聞こえた話をそのまま使わせて頂いた。
人を殺めると動揺して狼狽したりするそうだが、やはりクズの息子だからだろう、そのようなことは一切なかった。私は憔悴し切った母と父の葬儀を行い、両手で屑の遺影を拝みながら、天国にも地獄にもいけず存在すら消えてしまいますようにと祈った。
2人目は小学生の時だ。
不審者か現れてクラスの同級生が被害を受けた。
その子は私を気遣ってくれる優しい女の子で、こんな私と一緒に遊んでくれて、いつも一緒にいてくれる心優しく笑顔が素敵な子だった。被害によって自宅に引きこもり2度とその笑顔も会うこともできなくなってしまったことが、どうしても許せなかった。
屑のせいで酷い目に遭うのは心優しい人ばかりだ。
不審者の出る時間帯に街をエコバッグを手に持ちお使い帰りを装いながらぶらついていると、やがて、コートを羽織る変な男を見つけることができた。暫く追った後にわざと横を通り過ぎてやると、前を開き裸体を露わにしてきた。あたりは高い塀に囲まれていて人通りもまったくない。叫んだとしても近くの塀の裏は国道で車の走行音が喧しかった。
下卑た笑に汚らしいモノ、私はエコバッグから素早くナイフを取り出して、悦に浸る屑の股間へと渾身の力でソレに突き立てた。汚らしい物が半分切れ落ちて下腹部深くまで突き刺さすと、屑は絶叫して倒れ込んだ。
お使いで頼まれたと言い訳をして購入したウォッカの封を切り、只管にまたに手を当てて叫んでいる屑の口の中へと注ぎ口を突っ込み更に力一杯足蹴りにして喉の奥へと詰め込むようにして押し込んでやる。
急所と言うのは文字通りで、さして抵抗されることもなく、やがて男は酔いが回って動きが緩慢になってきた。
母が父に度数の高い酒を注ぎ、早めに酔い潰していたのが良いヒントとなってくれた。
喉の奥にまで更に蹴り飛ばして差し込んだそれは息を吸い込むと同時に勢いよく流れ込んで、咽せては飲みを繰り返した。突き刺さったナイフを渾身の力で引き抜き回収すると、だくだくと血を流しながらアルコールで立ち上がることすらできない男をそのままにして、口の瓶を無理矢理に取り去り悠然とその場を後にした。
帰りの道すがら空に向かって両手を合わせて父の時と同じことを願い、そして翌日の新聞に通り魔殺人事件として結果が載っていた。
女の子の家には足繁く通った。
暫くは扉の前で一方的に話をする日々だったが、やがて、扉越しに会話ができるまでに発展した。2年後には女の子、いや、少女になり始めた真琴と再会を果たして、そして自らを汚いと蔑んだ真琴の頬を打ち精一杯にそれを否定する。
一番汚いモノを私は知っている。
人を手に掛けた自分自身だ。
中学生、高校生では真面目に努めてそのようなことは無かった。内向きな性格となり引っ込み思案になってしまった真琴に寄り添い、真琴を護るため、そして自らを鍛える為に道場にも通い、後ろを常に着いて歩く真琴に見つめてもらいながら、鍛錬と研鑽を積んだ。もちろん、同級生や先輩と喧嘩にもなったこともあるが、それは真琴のことを揶揄われたり、真琴にちょっかいを出されたからであって、いつしか真琴は私の彼女だと認識されるようになった。
「私みたいのが、彼女なんて…ごめんなさい、嫌だよね」
「いや、彼女にするなら真琴でないと嫌だ」
帰り道に自転車の荷台でそう呟いた真琴に、あたりに聞こえるような大声で答える。あとには背中に額をすりつけ腰に回した手の力がさらに強くなると、やがて啜り泣く声が聞こえてくる。
その嗚咽が私には嬉しかった。
屑の血がそうさせるのか、もう真琴と言う女しか興味も愛情も抱くことができなくなっていた。
私と真琴は大学生となり、そして私の実家で同棲を始めて穏やかな日々を過ごす。私の母を1人にすることを真琴は嫌がり一緒に住むことを逆に勧めてくれた。母と真琴は姉妹のように仲良いことが嬉しい。
武道の道はかなりの域を極めるようになり、大会で優勝をする度に盛大に喜んでくれる真琴の笑顔が最大のご褒美で、こんな私を見つめ続けてくれることに感謝しながら、毎回、抱きしめ合って喜びを分かち合った。
大学三年の夏休みにアメリカで行われた遠征の折に、皆で行ったBARで人種差別から絡まれて殺されそうになった。拳銃を向けられ激しい敵意をむき出しにした青年は、汚い英語で私達を罵倒した、そして自分がいかに優秀な人種と人間であるかを聞いてもいない能書きを垂れ、私達に跪いて許しを乞うように迫ってきた。
皆が拳銃に屈して膝を降り首を垂れる中でも、身勝手だが私は膝を折り屈服することなど到底できるものではなかった。人を2人も殺した私が貶されるのならば仕方がないが、周りの人々は立派に暮らして生きている。それを簡単で安易な言葉で言い切る青年が心底許すことができなかったのだ。
やがて足元で蹲り恐怖に震える真琴を見て、体が芯から熱を持つと手足は勝手に動いていた。引き金の指は小刻みに震えていて、銃口は少なくとも命中したとしても誰かが死ぬことはない位置であること、ましてや真琴にあたることは絶対にないと確信すると素早く青年との間合いにまで入り込み、拳銃を跳ね上げて手首を捻りながらに思いっきり更にひねりを入れてへし折る。あまりの激痛に青年が悶絶して倒れ込むと、私は奪い取った拳銃を構えて迷わずに引き金を引いた。
発砲音に辺りが騒然となる。
私は狙いを定めて引き金を引いたが、直前に見慣れた白い手が私の腕へと絡みついて僅かながらに引っ張られると、発射された弾は青年の近くを掠めて地面から細い糸のような煙を上げていた。
「もう、人殺しはしないで…」
耳元で呟くように真琴がそう呟く。私はその言葉に唖然として、ただただじっと真琴を見つめていた。警察署での取調べを受けてタクシーで帰宅する道すがら、私と真琴は互いに手を握り合いながら無言のままでホテルへの帰路についたのだった。
フロントで鍵を受け取りながら、事件の噂を聞いていたアジア系のホテルマンは労いの言葉と共に、良い夜をと部屋の鍵を渡してくれる。同室の私達は鍵を開けて入った真琴に離されない手を引かれ、そのままに窓際のソファーへと2人で腰掛を下ろした。
「聞かないの?」
「聞いたほうがいい?」
そう切り出した真琴に対して、私はそのようにしか答えられなかった。どんな時も揺るがなかった心臓が今は激しく鼓動して波打つように荒々しく動いている。話をしてしまえば真琴が離れていってしまう、失ってしまうと言った不安な気持ちが心中に渦巻く。やがて、真琴が静かに口を開いた。
「私、見ていたの…。アイツに脅されて呼び出されて、酷い地獄が終わって去っていった後に亨の姿が見えて…何かされてしまう前に、私がアイツを呼び止めなきゃって体を引きずって慌てて追いかけたの…」
あれを見られていたとは思いもしなかった。
更に聞けば去った後に真琴はアイツの生き絶えるまでをじっと見つめ、やがて警察へと通報をして通り魔と自らが再び被害を受けたことを証言していた。
「あの頃は自らが犯した短絡的な行動に悩まされて毎日が本当に怖かった。でも1番怖かったことはなんだと思う?」
「警察に捕まることかな?」
「それも確かにあるけど、毎日来てくれる亨がいなくなってしまうことよ」
「私?」
「そうよ、幼い私は怖さから引きこもって小さな世界で生きていた。外との繋がりは毎日尋ねに来てくれる亨だけ、その貴方を失うことが何よりも怖かったの…。扉越しに聞く貴方の声が私をどれほど癒し安堵させてくれたことか…。アイツが死なずにあのままで居たとしたら、弱い私は酷いことの積み重ねできっと生きていないに違いないわ。そう考えるようになれた時、私は亨と一緒に生きていくって心に決めて扉を開けたの」
真琴の繋いでいない手が私の頬へと温もりを与えてくれる。その心地よさは言い表しようのないほどの温かさだ。
「真琴、私は屑の子だよ…」
「屑…父親の事なら知ってるわ、亨のお母さんから本当のこと聞いてる」
「ほ、本当のこと?」
「高校の時に亨のお母さんに挨拶に行ったことがあったでしょ、その時に互いに何かこう通じるものがあったの。女の感とでも言えばいいのかな…。亨が食材の買い出しを頼まれた間にね、私達は秘密を打ち明けて共有したの」
「屑のことは誰にも言って…」
「お母さんがこっそりと口裏を合わせていたそうよ。だから、事件にはならなかったの」
「そんなこと…知らなかった…」
「自らが立ち向かえなかった恐怖に対して、命懸けで立ち向かってくれた愛しい我が子を護るのは当然の行為、私だって愛しい人を護ることは当然の行為だもの」
そう言って真琴は微笑みながら、私の唇へと自らの唇を合わせると長い口付けをして両手を回してしっかりと抱きしめた。
「ずっと一緒にいて屑の子とか、ダメな奴とか亨は時より言うけれど、貴方はそんな事ない、誰がなんと言おうと、貴方のお母さんと私を救ってくれた立派な人、だから、これ以上はそんな事をしないでいいの」
「うん…」
応えるようにしっかりと真琴を抱きしめる。
互いに痛いくらいに抱きしめ合いながら、私達は長い時間を過ごして、やがてゆっくりと眠りへとついた。
翌日、近くの教会へと足を運んだ私達2人は2度と離れないこと、そして互いに許されざる事を2度としないという誓いを交わしたのであった。
「ねえ、講義終わったよ?」
「え?」
辺りを見渡せば既に他の学生の姿はなく、席に座ったまま壁に向いている私とその前に立つ真琴だけとなっている。どれくらいの時間そうしていたのだろうかと自らに呆れ果てた。
「帰ろ、亨」
「そうだね、帰ろう、真琴」
卓上の物を全て鞄に詰め込んで、互いに手を握りながら講義室を出てゆく。罪深い私達は互いに寄り添いながら、一つ屋根の下で静かに暮らしている。
罪を愛する 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki
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