ハーナの推測

 それからハーナはデータを見漁り、「なるほど」と感慨深くいった。


「……以前にいっていた単為生殖じゃないんですか? 交尾をせず、自ら生命を作り出すって」

「仮にそうだとしても、いままでこのような胎児は前例がない。卵みたいだ」

「あ」とひらめいたようにハーナが声をあげた。「それですよ。ハーナは、胎内で卵を精製し、出産するように産卵する、という生き物かもしれません」


 実に短絡的な発想でものを言う。ハーナは意気揚々と続けた。


「卵が先か、鶏が先か、かなんて言葉があるじゃないですか。その両方なんてのは、どうです?」

「軽率な発言だな、ハーナ。産卵と出産は似ているようで違う」


 なんと呆れた言葉だろうか。冗談をいっているのはわかったが、ラボで口にする無神経さにはうんざりする。研究員のほとんどは冗談を交わすことはあるが、候補生のうちにはやらない。


〈どっちが先ですか? どっちが後ですか?〉


「どういう意味です、教授?」とハーナ。

「なんだい?」

「さっきの言葉ですよ」

「鶏と卵のジレンマのことかい?」

「いえ、いや」と珍しく言葉を濁すハーナ。「なんでもないです。それより、真面目なはなしをしても?」

 急に畏まった声音を出す。アバター越しでも確信に近づいてるかのような雰囲気を出していた。

「ずっと前から不思議に思ってました。レネイはここ来てもう一年なる。なのに、ストレスを感じないし、それどころか慣れ親しんだように思えるんです」


 それは僕も思っていたことだ。順応能力の高さには驚きすら覚える。大概の生物は見知らぬ環境に運ばれた時、攻撃的になるか、慎重的になる。だが、レネイに関してはそれらしい兆候は見られず、無菌室を見回したあと、終始落ち着いた様子で無菌室の床に腰を降ろした。また、長期にわたる軟禁生活の場合、自傷行為などに走るが、そういった様子も一切見せなかった。

 やはり、レネイは特殊だ。


「たしかに。だが、それはラボが外の世界と比べて快適な空間であるからともいえる」

「そうかもしれません。でも、そうだとしてもですよ。レネイの妊娠などといった経過をみると異常です。いろんなことをひっくるめて、レネイは生命のシンギュラリティじゃないでしょうか?」

「なんだって?」

「レネイはビッグバンのように無から有が創出されるんですよ。これまでの科学は自然界に特異点はない、というのが通説で、蓋然性がとにかく高かった。だが、レネイはそれをすべて覆す生き物だとしたら?」


 ハーナが言いたいことはわかる。だが、あまりにも唐突で、荒唐無稽な推測にすぎないが。口にするのを躊躇うが、僕は言った。


「つまりレネイは、人間よりも知性が高く、人間の能力を凌駕する、次世代の生物、と」

「もしくは、そのプロトタイプとなりうる存在。あるいは、産みの親である、という可能性です」


 ハーナの推測はこうだ。ゴイムという生き物は、新たな生命の始祖となるIDイド。自然科学における、狭義的問題を一蹴するものとなる。有神論者が聞けば、激昂するに違いない。特にガバリャンなんかは。


「ハーナ、君の言いたいことはわかる。だが、推測の範囲を凌駕している馬鹿げた話ではある」

「そうですね」


 急に熱が冷めたようで、ハーナは「ま、僕のくだらない話です」と補足をいれた。


「いいや、ハーナ。君は実にいいところを突いている。たしかにゴイムの中で、レネイは特別だ。彼女をもっと調べる必要がある」


 研究に限りのない世界で、僕はもっともらしい道標を見つけた気分だった。


〈正しい道を見つけましたか?〉


「……まだ完全に理解しきれませんが、ゴイムは今後の生物化学を変えるのは間違いなさそうですね」


 ハーナは苦情しながらも、満足そうな笑みを浮かべた。


「データは《マザー》と各管理者に転送します。ガバリャン卿の息のかかっている人は抜いて」

「そんなことができるのか?」


 僕の問いかけにハーナは力強く頷いた。


「できますよ。なぜなら、こんな会話をしても、すぐに管理者たちが乗り込んで来ないのですから。僕はずっと、そこを気にしてました。だからこそ、オニオンサーバーなんていうアンダーグラウンドがあるんです。きっと、《マザー》は僕たちみんなに寛容的なんでしょうね」


 なんとも頼もしいやつだ。僕はハーナの評価シートに好印象をつけてやろうと思った。


「僕はこれから各データをまとめる作業をします。教授もそのほうが後々の仕事がやりやすいでしょう」


 ハーナが媚びていたのはわかった。こういう人間は好きだ。ハーナは、誰かに取り入るのがうまい。また、自分のプラスになる人間を見極める審美眼を持っている。ガバリャンのような凝り固まった思想の持ち主には近寄らないのだ。自分の嗜好を通すのに、長いものに巻かれる主義。

 ハーナがログアウトすると僕はレネイを見た。

 レネイは絵本から目を離し、カメラに向かって指を伸ばした。まるで、僕を見つけてくれたかのように。


「レネイ。君はいったいどこからきたんだ」


 思わず問いかけてしまう。レネイの大きな瞳を見つめると、僕はこれまでの人生を追憶してしまう。昔近所で飼われていたシェパードのマックスであったり。初夜のベッドの中、シーツに埋もれるリザであったり。産まれて間もない頃のアレックスだったり。真っ黒な瞳孔から、僕はの記憶を思い出させた。


〈ただ、ここに来ただけ。あなたはどうですか?〉


 声が聞こえてきたような気がして、僕はいった。


「レネイ、君を見つけた気がするよ」


 それから、僕は自分の話をした。僕が生まれて、ここに来るまでの短い物語を。それには思いのほか長い時間が掛かったが。

 なんだか、話さなければいけない気がしたのだ。

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