アクセス:研究室

 一か月の時間が経った。

 レネイの腹部はどんどん膨れ上がっていく。妊娠の経過からして順調だ。だが、おかしなことが起きた。

 スキャンされたレネイの腹部の人の形のようなしこりは、心臓や臓器といったものは確認できず、白と黒の塊だけであった。まさか、子宮内で胎児が死亡したのか? 僕はひどい不安に駆られた。


 そしてついさっき、超音波調査をしたのだが、しこり自体に鼓動を感じる。生命体であるのは間違いなかった。だが、臓器や四肢、頭部といったものが存在しない胎児などありえるのだろうか?

 肝心のレネイはといえば、検査が終わるなり絵本に夢中になっている。特にここ最近はクレヨンで絵を描くことにも夢中で、絵本を眺めては、床や壁にクレヨンを走らせるのだ。グルグルと円を描いてみたり、記号のようなものを書いてみたり。そこでアルファベッドをはじめとした基礎言語を教えてみたが、彼女は関心を示さなかった。そもそも彼女の声道は人間とは違い、発声言語での意思疎通もできないのだから。

 しばらくレネイを眺めていると、ハーナがアクセスしてきた。


「失礼します、フォスター教授」


 ハーナは自分の意識量子コードを変換しており、男性アバターとして僕の前に現れた。


「こんにちはフォスター教授、そして、レネイも」


 ハーナがスピーカー・マイクで問い掛ける。レネイは動きを止め、周囲を見回したあとまたクレヨンを動かしはじめた。直線と直角を繰り返し、ダビデの星に似たなにかを描いている。


「またアバターを変えたのかい」

「アバターだけではありません、教授。メンタル・コードも男性のものに変換しています。女性のメンタルはどうしてもハードウェアの容量が大きく、思考データの処理が難しいもので」


 ハーナのこだわりはよくわからないが、いまの彼の方が話はしやすいだろう。


「教授、どうですか? ニューヨーク島の調査許可は下りたので?」

「それがどうにも」


 ハーナはうんざり、といった態度を示した。だが、こうもいう。


「実はオニオンサーバーで外部調査班のひとりと密通したのですが、なんでも足跡はピッツバーグでも確認されたそうです」

「なんだって?」


 そんな情報はこちらにはない。彼がハッカーまがいのことをしていることに驚いたが、それよりもゴイムの情報に驚かされた。おそらく、ガバリャンが意図的に情報を留めたのだろう。


「それも足跡はかなり前です。ニューヨークで発見したのが一年前ほど。そして、今回のピッツバーグでは半年前になるそうで。足跡の方向からして、こちらに向かっている可能性があるともいってました。そして、調査班のドローンに火器携行を許可したとも」


 なるほど、と僕は頷いてみせた。やはり、ガバリャンはゴイムを脅威だと認識している。それは攻撃されるという恐怖からの自衛的というより、未知数のものが自分のそばに来られるという恐れからだと確信した。ガバリャンは気の小さい男だから。


「しかし、どうして今日に至るまでに発見できなかったんでしょう」

「ここしばらく調査班は南極の《データセンター》に回っていた。それに、ガバリャンはゴイムの研究に熱心じゃないし」


 ガバリャンがゴイムに気をかけた出したのは、僕が原因だ。きっと、《マザー》にゴイムの研究データの照会をしたことで目に触れ、気に召さなかったのだろう。

 僕は切り出す。


「それよりもハーナ。レネイの胎児がおかしいんだ」


 ハーナは怪訝な態度を示した。


「おかしいというのは?」

「言葉の意味どおりさ」

「はあ。スキャンデータを見ても?」


「ああ」と、スキャンデータと先ほど検査した音波検査のデータをともに共有した。ハーナのアバターの首が下を向いた。それから、すぐに僕に向いた。


「これ、なんだか人間に似ていて、すっごくいいですね」


 意外な返答だった。


「人間だって?」


 自分がガバリャンと同じような反応をしていることに気付いた。だが、ハーナはそんなこと気にもせずに「はい、人間です」とはっきりと言い切る。呆気に取られる僕に、ハーナは続けた。


「以前から思うのですが、ゴイムという生物は人間のそれだと思います。彼らの主となる根源はわかりませんが、適応進化を繰り返すうちに、二足歩行で道具を扱う人間になることが、進化の頂点だと思った、なんて」


 ハーナは冗談をいうかのようにスラスラという。

だから僕は「君はレネイをどう思う?」、と率直に訊ねた。ハーナは返答に困った様子。


「どうって? ゴイムはゴイムだと思います。人間に近い類人猿か、霊長類。あるいは、それに近づいたなにかの生命。いま回答できて、適切な言葉はそれだけです」


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