第29話 耳が痛い話
「まず、俺がお前の剣をとやかく言うつもりは無い」
そう前置きして、一言。
「気負い過ぎだ」
弥五郎は剣弥の目を真っ直ぐに見つめ、話を進めた。
「お前は相手に対し、格上なのかそうではないのかを考えながら対峙しているだろ? だから相手の強さが予想を超えてくれば、若しくは最初から格上だと思って立ち合えば、気負って肩が上がる。肩が上がれば力が入る。力が入れば息が上がる。耳が痛くはないか?」
「今のオレは……肩が上がっていましたか……?」
「あぁ、そうだな」
生前、散々道場生に指導してきた事だ。
剣弥という強者に対して意気込み、肩を上げて
自分より強い者と立ち会う事が殆ど無かった生前。そんな初歩的な事を忘れる程に、この世界には強者が溢れていた。
藩主の柊と立ち会った時もそうだった。
受けに徹すると決め、避けたと思った真向切りが剣弥の木刀を鳴らした瞬間、確かに
河上彦斎もそうだ。
剣弥に逆袈裟斬りを躱された後の彦斎は酷く狼狽え、肩が上下する程に息を乱した。
「耳が……痛いです」
剣弥は膝の上で拳を強く握り、俯いた。
「相手を打つ前に己の心を平常に置くこと。それが出来ないうちは、刀を抜かない方がいい。命が幾つあっても足りんぞ」
「……はい」
どんどん頭が沈む剣弥を見て、慌てて弥五郎が手を振る。
「いやいや待て待て! 俺は怒ってる訳じゃないぞ? 顔を上げろって!」
「いえ、自分が情けなくて……今言われた事は、生前弟子達に口酸っぱく言ってきた事です……ただ、この世界には自分を超える剣客達が多くいる。それを忘れて気負っていたのは確かです……耳が痛い」
経験したことの無いような高い山に登るには、装備は勿論だが、考えを改めなければならない。それまでの常識は通用しない、心持ちを改めろという事だ。教わる人のレベルも高くなければならない。
だとすれば、今剣弥が教えを乞うている人物は、その道のエキスパートだ。
暫しの沈黙が続き、剣弥が
「俺もそうだったよ。師匠の前で気負い、全身に力を入れて毎日
宮本武蔵には偽物と言われた。
天下の伊藤一刀斎に本物だと言われ、剣弥の心は少し晴れた。
「弥五郎さん、二ヶ月半後に佐久島で将軍御前試合が開かれるそうです。オレはそれに出たい」
「へぇ、将軍が来るのか。任せとけ、誰の前に立っても平常心で居られる様、お前の心を鍛えてやる。もちろん技もな」
「よろしくお願いします!」
今日も一つ収穫を得た剣弥は、西に傾いた太陽を横目に弥五郎の後を歩く。
思えばこの世界に来て人に恵まれた。剣弥を正しい方向に導いてくれる人に出会った事により、命を繋いでいる様な物だ。
弥五郎との出会いで、更に強くなれる事は間違いない。
「あら、おかえりなさい」
「おう、ただいま!」
弥五郎は家に着くなり、シズに木刀を手渡し外に出た。シズは首を傾げながら後に続く。
「剣弥、木刀貸してくれ」
受け取った黒檀の木刀を顔の右横に構え、右足を引くと、シズに向けて叫んだ。
「一ツ勝!」
弥五郎の袈裟斬りがシズを襲う。
シズはにこやかな表情のままそれを切り落とし、弥五郎の肩辺りで木刀を寸止めした。
「もう、突然どうなさったの?」
弥五郎はまさか切り落とされるとは思っていなかったのだろう。思いっきり体勢を崩した。
「見事……シズが剣を使うとは。剣弥の言った事は本当だったのか……」
「ふふっ、家を空けても安心でしょ?」
弥五郎は余程信じられなかったのだろう。数分呆然と立ちすくんだ。
しかし流石は女一刀斎、シズの切り落としは見事な物だった。
西の空が赤みを帯び始め、女二人は火を起こし、男二人は生簀まで魚を調達に行く。
「鯛を食おう。活きの良いのがいるぞ」
昼と同じように網ですくった魚を締める。今度はゆっくりと弥五郎に方法を教わった。そこまで難しい事では無いが、慣れが必要だ。
魚を持ち帰り、火起こしを交代する。
次はサチがシズに魚の捌き方を教わっている。自分で刺身を食べるには必須の技術だ、剣弥も教わらなくてならない。
小上がりに女二人が座り、丸太を輪切りにした椅子に男二人が腰掛ける。
七輪で魚を焼きながら刺身を頬張り、四人で酒を煽る。新鮮すぎる刺身が、安い酒の味を引き上げているように感じるから不思議だ。
「カァー! 美味い!」
「本当、美味しいわ」
弥五郎とシズは、本当に美味しそうにお猪口に口をつけている。
「何から何までお世話になって、また色々お世話になると思いますが……よろしくお願いします」
「おいおい、気を使うなって。俺達も有難いんだ、隣に二人が越してきてくれてな」
「そう言って貰えると有難い。さぁ、どんどん飲んでくださいよ!」
徳利を弥五郎に勧めると、ズイッとお猪口を差し出す。一杯に注ぐと一気に飲み干す。新たに楽しい飲み仲間が出来て、剣弥とサチも心から笑い酒宴を楽しんだ。
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