第27話 引越し


 荷物を全てサチに預け、事務方に挨拶をし玄関で草鞋を締める。門番とも顔見知りだ。互いに挨拶を交わし、門を出た。 

 町民は朝から精力的に活動している。すっかり歩き慣れた賑やかな通りを進む。時折町民に声を掛けられた。辻番としての二人を覚えている人も多くいるらしい。

 佐久島の町を後にした。


 半月前より稲は育ち、緑色の穂を付け始めてた。蝉の大合唱が更に激しく響いている。

 真っ直ぐに弥五郎の住む漁村へ向け、時折見える海を目指し歩みを進めた。


 水平線でくっきりと分けられた青い空と海。今日は雲ひとつない晴天だ。

 弥五郎の小屋の入口は変わらず開け広げられている。中を覗くと、二人は小上がりに腰掛けて茶をすすっていた。


「おぉ、剣弥! やっと来たか」

「二人とも、いらっしゃい」


 二人はにこやかに剣弥達を招き入れた。

 シズの淹れた茶で、乾いた喉を潤した。


「引き網が浜に見えましたね。今日も昼前に揚げるんですか?」

「あぁ、お前も手伝うか?」

「ええ、是非!」


 弥五郎は立ち上がり、二人についてくるように促した。シズもニコニコと後に続く。

 弥五郎の小屋より、二十メートル程離れた隣の小屋の前で足を止めた。


「ここがお前らの家だ。ある程度掃除はしといたけど、ボロ小屋なのは我慢しろよ?」

「おぉ、用意してくれたんですね。しかも掃除まで……ありがとうございます! で、家賃は?」

「あぁ、金は要らないってよ。住み続けるも出て行くも、好きにすれば良い。建てた本人が行方知れずらしいからな」

「そうですか……いい物件をありがとうございます!」


 深々と弥五郎に礼をした。


「じゃ、荷解きもあるだろ。後でな」


 そう言って二人は、にこやかにすぐ隣の自宅に帰って行った。

 確かにボロいが、住むには全く問題ない。サチもその辺に頓着は無さそうだ。佐久島で良い布団を買ってきている。板敷きでも寝るには問題ない。

 荷解きと言っても、元々荷物の少ない二人だ。数分で終え、小上がりの板敷きに腰をかけた。


「新しい生活が始まるな。オレは弥五郎さんの元で更に強くなる」

「あぁ、アタシも見とくよ。あと、家の事は任せな」


 サチは自信満々に胸を叩き、そう言った。


「……ん? ご飯も作ってくれるのか?」

「あ? 家の事は任せろって言ったんだ。当たり前だろ」


 剣弥は言い様の無い不安を覚えたが、それを顔に出すほど野暮ではない。隣にはシズが居る。ここはサチに任せよう。



 開け広げた入口からは、青い海と空が見える。波の音が聞こえるほどに近くはないが、寄せては返す波を見ているだけで、癒しの効果は抜群だ。

 ゾロゾロと男達が浜辺に集まり始めた。


「おっ、じゃあ網引きに行ってくる」

「アタシはシズの所に行ってくるよ」


 意外にもコミュニケーション能力が高いサチは、わずか数時間でシズと良好な関係を築いている。

 これから二ヶ月半近く世話になる。更に関係は深まるだろう。


 浜辺に出ると、色黒の男達は剣弥に気付いた。


「おぉ、剣弥じゃねぇか! 漁師になりたくて越してきたんだって?」


 漁師になりたいとは一言も言っていないのだが、そう伝わっていたのならトレーニングがてら網を引こう。


 剣弥を含む二十五人の男達が、掛け声と共に一斉に網を引く。二度目だが慣れていない剣弥は、疲れで声を出すことが出来ない。


「あと少しだ! 頑張れ!」


 その声にやる気が戻る。

 しかし、引けども引けども終わりは見えない。


 ――あと少しとは……?


「よぉし、皆おつかれさん。今日もまぁまぁじゃねぇか?」


 やっとの事で浜に上がった網の中で、ピチピチと大小の魚達が跳ねている。籠に移した魚達を岩場の生簀に放り込み、捌いた魚を家に持ち帰る。


「剣弥、サチはうちにいるんだろ? 一緒に昼を済まそう」

「はい、お邪魔します」


 ヘトヘトの剣弥は、砂に足を取られて上手く歩けない。必死に弥五郎について行く。


「おう、帰ったぞ。刺身だ、食おう」


 新鮮な刺身を見たサチの顔がパァっと晴れた。


「晩飯は生簀に行って、必要なだけ網で取ってくるといい。夜もうちで食うか?」

「えぇ、そうね。是非ご一緒しましょ」


 シズも笑顔でそう言った。

 サチは笑顔で刺身を頬張っている。


「昼もお邪魔してるのに、夜までいいんですか?」

「気にするな。俺の弟子になるんだろ? 尚更だ」

「すみません。では酒をいっぱい買っているので一緒に飲みましょう」


 そう言うと、弥五郎とシズの顔が晴れた。


「良いのか? 酒なんかたまにしか飲めないからな」

「もちろん。これからお世話になるんです、いくらでも」


 弥五郎は何となく分かるが、シズも反応を見る限り酒が好きそうだ。

 サチと白飯の入った椀を片手に、笑顔で刺身を食べている。


 剣弥と弥五郎も塩の効いた握り飯を食べながら、二人と食を共にした。

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