第26話 改竄
与力衆の剣術指南は午前中に終わる。
彼等は日々の業務に追われており、割ける時間はそう多くないが、毎日順番に道場に足を運ぶ。部下である同心と呼ばれる武士達への指導にも熱が入っている様だ。
一神流の基本の形は、上段の構えから出る技の派生である事が多かった。速さと手数で圧倒する攻撃的な流派。柊は特にそれを体現しているように思えた。
約束の半月を明日に控え、今日は午後から鞘師の工房へ刀を受け取りに行く。
軽く昼食を済ませ、町に繰り出した。
「藩主から三十両も貰ったし、貯えはかなりあるよな?」
「あぁ、当分働かなくても良いくらいはあるな」
「いくらある?」
「言わん。知るとお前は働かなくなる」
「なんだよそれ……人をニートの様に……」
鞘の代金を支払ってもかなり余るだろう。これからは住処のお金も必要だ、余裕はあるに越したことはない。
相変わらず開け広げられた鞘師の工房の入口には、ホウキで掃除をしている喜助の姿があった。
「あっ、おはようございます!」
喜助はこちらに気付き、爽やかな笑顔を向けた。
「いいのできてますよ! こちらへどうぞ!」
二人を招き入れ、喜助は奥に下がっていった。主人の喜平が二本の刀を手に持ち現れた。
「待たせたな。ほらよ」
艶のある鏡面の様な黒の
全体的に地味だが、剣弥の注文通りに仕上がった。
「完璧だ。刀の収まりも素晴らしい」
地味だからこそ、どんな服装にも合う。今日は深緑色の小袖を着流しているが、腰に差すと艶のある黒い大小が映える。
「腕のある鞘師と出会えて良かった。また頼むよ」
そう言うと、無愛想な喜平の眉尻が少し下がった。
「あぁ、いつでも来な」
代金を聞いて驚いたが、完全オーダーメイドの品だ。仕方ないと言い聞かせ、金を支払い工房を後にした。
次は刀剣商を目指して歩いている。河上彦斎の同田貫を売りに行く為だ。
立派な平屋建てに刀剣商の看板。入口をくぐると、多くの刀がズラリと並んでいた。
小上がりの畳敷きで机に向かい、帳簿の管理をしている男に声を掛け、刀を二本手渡した。
終始にこやかな男は、鞘から抜いた刀身を観察した後、二本の刀の目釘を外し、
「ほぉ、同田貫宗廣ですか」
「……知っているのか?」
「勿論ですとも。有名な刀工ですからな」
――何故知っている……?
彦斎と共にこの世界に来た二本の刀を、彼らが知っているはずがない。首を傾げる剣弥を他所に、主人は金額を提示した。
「打刀が十両、脇差が七両ですね」
二本で十七両。
ナマクラとは訳が違った。
「それでいい、買い取ってくれ」
「まいど、またご贔屓に」
金を受け取り、主人の笑顔に見送られ刀剣商を後にした。
「なぁ……」
「あぁ、聞きたい事は分かってる」
サチは剣弥の言葉を遮り、歩きながら説明を始めた。
「剣弥がいた地球の話で、ある事象が起きたら、その後の時間軸にはその事実が刻まれると話したのを覚えているか?」
「あぁ、刀匠が刀を打てば、その時間軸から先はその刀が存在するよう
サチはその通りと大きく頷いた。
「お前の白波左門で話をしよう。その刀がこの世界に存在する為には何が必要だ?」
「そりゃ、こいつを打った志垣さんが……」
そう言って剣弥は気がついた。
大きく見開いた目をサチに向ける。
「おい……まさか……?」
「あぁ、志垣はこの世界の何処かで生きている。若しくは、生きていた」
各時代に生きた剣豪達が生前愛用し、この世界に持ち込んだ刀。それをこの世界に存在させる為には、それを打った刀匠が生きた過去を作らなければならない。
「この世界の未来を知るものは居ない。だが、何かを存在させる為には、過去を改竄すればいい」
「誰がそんな事を……?」
「さぁな。それはアタシも知らん」
サチの話が推測ではなく事実である事は、刀剣商の主人が同田貫を知っていた事で証明された。
サチが分からない事を、剣弥が考えて分かるはずも無い。そういう世界なのだと理解する他なかった。
全ての用事を終え奉行所に戻ると、事務方の忙しない小男が、お待ちしておりましたと急かす様に二人を部屋に案内した。
胡座をかき、すぐに出ていく小男の背中を見送ると、数分後に三人の与力と酒井、百地が部屋に入ってきた。
剣弥とサチが急いで立ち上がろうとするのを、百地が制する。
「いいよ、座ったままで」
百地が胡座をかいたのを確認し、皆がそれぞれ円を描く様に座った。
「まさか夕食は済ませてないよね?」
「えぇ、まだ食べておりませんが……」
言い終える前に襖が開き、女性達が膳と酒を運んできた。
「前原、サチ、世話になったね。最後の晩は酒でも振る舞わせてくれよ」
「お心遣い、ありがとうございます。有難く頂戴致します」
注がれた酒を恭しく両手で掲げ、一献飲み干した。
「御前試合の前にはここに来な。部屋はいつでも用意しよう」
「何から何まで……恐れ入ります」
にこやかな今の百地、与力衆ら部下達にたまに見せる高圧的な百地。
彼の二面性を目の当たりにしているが、剣弥に対してはいつも穏やかだ。一目置かれているのかもしれない。
送別会は終始笑いが絶えなかった。
思えば、町奉行所にはこの世界に来てから世話になっている。百地の部下になる事は無いが、彼に信頼は置いている。
身体を百地に向け、手を着いて頭を下げる。
「百地様、大変お世話になりました。この御恩は忘れません」
「いや、礼を言うのは俺の方だ。水野を筆頭に、彼らの鼻を折ってくれて感謝してる。酒井がその役目を担うのは簡単だけど、部外の人間が請け負ってくれて、結果的に上手く回ったよ」
それを聞いて、道場で突っかかってきた水野が俯き頭を搔いた。
「もっと強くなって戻ってきます」
百地は笑みでそれに応えた。
町奉行所最後の夜。
剣術談義に花が咲き、二人の送別会は夜遅くまで続いた。
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