第25話 将軍
剣弥とサチが提灯で前方を照らし、百地と酒井が後ろに続く。ほろ酔いの火照った顔をすり抜けていく夜風が心地よい。
「今日は常光様の機嫌が良くて助かったな」
「え? そんなに気分屋な御方には感じませんでしたが。百地様も冗談言ってましたし」
剣弥がそう言うと、百地はとんでもないと言わんばかりに首を振った。
「あの方が眉を真っ直ぐに、口を
「そこまでですか……」
それで藩主が出てくるまでピリピリしていたのかと納得する。百地は何かを思い出したのか、身震いをした。
「でも、加賀美さんは柊様に容赦なく意見なさいますよね」
「……おいおい、加賀美
剣弥はそれを聞いて肝を冷やした。
かなり若く見えたその容姿は、背が低く丸顔で、眉辺りで切り揃えた前髪が可愛らしい女性だった。秘書の様な存在なのかと思ったが、とんでもないお偉いさんだった。会話をする機会が無くて本当に良かったと、剣弥は胸を撫で下ろした。
「酒宴の席で、常光様の左右に座られた四人が家老だ。向かって右側に居られた方が、筆頭家老の『
よく覚えている、常に柊の横に侍っていた。
伏し目がちで手足は長く、スラリと背の高い男性だった。
そんな話をしているうちに、奉行所に着いた。表門の門番が深々と礼をし、四人を通す。
「なぁ、もう少し飲まないか? いい機会だ、少し話をしよう」
「えぇ、私は構いません。お話したいこともありますし」
サチと目を見合わせた後、剣弥はそう返事をした。
酒井が先に、
すぐに女性が駆け付け、十畳程の部屋に案内された。
簡単なツマミと、徳利が運ばれてきた。四人で注ぎ合い、一献傾ける。
「んー、やっぱりお偉い方が飲む酒は美味いな」
「ここの酒も、町の居酒屋よりよっぽど美味しいですよ」
スルメをかじりながら、百地が剣弥に向け話しかけた。
「まさかお前が常光様と手合わせする事になるとはね。強かっただろ、あの方は」
「はい、全て捌こうと思い守りに徹しましたが、危うかったですね」
一つ気になったことが……と、剣弥は百地に問いかけた。
「柊様も百地様も、
「あぁ、そうだなぁ」
百地は一言声を発してから、お猪口を一献飲み干した。
「一神流ってのは、基本の形と技を習得した後は、自分で昇華させてこその流派だ。一神流同士で研鑽し合うこともあれば、他流派の剣から学ぶ事もある。だから、一人一人太刀筋が違って当然の流派なんだ」
本来どの流派も元はそうだった。
誰かに師事し、その後廻国修行を経て流派を興す者。或いは我流から剣を極める者。
剣術だけでなく、武術とはそう在るべき物なのかもしれない。
「成程、深いですね……だから百地様はオレなんかを与力達の剣術指南役にしたんですね」
「まぁ、そうだなぁ。人から盗むのが一番手っ取り早いから。あとは、奴らの目を覚まさせる為だね」
彼らは、剣弥にコテンパンにやられた事により、剣術への熱意が再燃した。百地の目論見は当たったらしい。百地への恐怖も勿論あるだろうが。
「剣術指南の話なのですが、あと半月ほどで任を解いては頂けませんでしょうか」
「へぇ、もう出ていくのか?」
「はい、三ヶ月後の御前試合には戻ってきます。良い状態で出場したいもので」
百地はスルメを噛みちぎって咀嚼し、飲み込んでから返事をした。
「分かった。あと半月よろしく頼むよ、世話になったね。坂松に行くのか?」
「ありがとうございます。まだ決めていませんが、ここを出る時に決めようと思います」
「そうか、廻国修行は気ままが一番だ」
行くとこは勿論決まっているが、明言するのは避けた。
「御前試合に出場でもしないと、将軍様を見ることも叶わないからな」
「お二人はお会いしたことがあるんですか?」
「俺は前回の佐久島御前試合でお会いした。その一度だけだね」
「私はその時の出場者だった。その一度だけだな」
この二人ですら一度しか会った事が無いという。将軍とはそれ程までに遠い存在らしい。どうしても会ってみたくなった。
「この国は将軍様の威光で統治されてはいるけど、それぞれの藩は違う国だと思った方がいい。勿論同じ国だから出入りは自由だけどね」
「……違う国?」
「交流が殆ど無いんだ。まぁ、あんまり仲が良くないって事だね」
「柊様は、家紋入りの羽織を着ていれば無下にはされないだろうと……」
「あぁ、他藩の武士に手を出せば、どんな揉め事に発展するか分からないからね。そういう意味だよ。厚遇されるなんて事はないから、期待しない方がいい。御守り感覚だね」
あまり歴史に詳しくはないが、江戸幕府もそうだったんだろう。将軍家の威光と工夫で各大名家の争いを押さえ、250年以上の平和を築いた。この国の将軍も相当なやり手なのだろう。
「将軍様のお名前は?」
「三代将軍『
三ヶ月後、御前試合本戦に勝ち進めば将軍に謁見する事が許される。
目的はそれだけではない。将軍御前試合ともなれば、褒美はかなりのものだろう。同類達も多く集まるはずだ。
百地が目を擦り始め、会はお開きとなった。酒井も
百地に礼を言い、二人自室に戻る。
かなり酒を飲んだ。着替える事もできずに床に就くと、そのまま深い眠りについた。
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