第24話 柊常光
「いいですか! この後に酒宴を用意してるんです! 前原さんに怪我させない様に、殿も怪我のない様にですよ!?」
「あぁ……うるせぇなぁ……分かってるって」
金切り声の女性に釘を刺され、柊は耳を塞ぎながら返事をした。剣弥も肩衣を脱ぎ捨て、サチから本赤樫の木刀を受け取り立ち上がった。
百地といい、好戦的な男が多いのだろうか。周りの男達は羨ましそうに剣弥を見ている。
「お前が行かなけりゃ、あの辻斬り討伐は俺が行く予定だったのにな」
「はぁ!? 行かせる訳ないでしょ! 馬鹿なんですか!?」
またも金切り声が飛ぶ。柊は顔を歪めて耳を塞いだ。何とも強い女性だ。
大広間の中央で向かい合う。
柊は木刀を両手に持つと、ゆっくりと頭上に上げ、上段に構えた。
口元を怪しく歪め、吊り上げた眉の下の鋭い視線を剣弥に投げつける。背は剣弥より10cm程低いだろうか、しかし途轍もない気魄により、かなり大きく見える。
気圧されないように柊を睨みつけ、剣弥も正眼に構えた。
一神流の真髄は
百地とは一太刀しか手合わせていない、一神流の高みを知見できる良い機会だ。
正眼から右足を引き、八相の構えに移行する。そして、そのまま切っ先を下げて構えた。
前原一刀流 中段
木刀を斜に構え、上段からの攻撃に備える。
柊のニヤけた口元が引き締まった。
柊は上段の構えのまま微動だにしない。既に間合いには入っている。剣弥の唾を飲み込む回数が増える。
突如、柊が前進し、大上段から思いっきり木刀を振り下ろした。
――速い。
ただ、既に上段からの攻撃に備えている。木刀を少し上げ、頭を護りつつ後方に下がり、柊の真向斬りが空を斬る。……はずだった。
木刀同士がぶつかり合う乾いた音が、大広間に響き渡った。
――何だ……? 避けたはずが……。
間髪入れずに袈裟、左袈裟と、柊の連撃が容赦なく襲う。一合、二合と木刀を合わせるのに精一杯だ。守りに徹すると決めたが、違う。守る事
柊の手が止まる頃には、剣弥の息は切れていた。それを相手に悟られる訳にはいかない。涼しい顔を装い、一つ深呼吸をする。中段霞の構えは崩さない。
「へぇ、流石だなぁ前原ァ! 俺の連撃を涼しい顔で捌きやがった」
そう言って、柊は木刀で肩をトントンと叩き始めた。それを見て剣弥も木刀を下ろす。決して涼しい顔で捌いた訳では無いが、平常心を装った。
「恐れ入りました……守りで手一杯でした」
「よく言うぜ。最初っから手ぇ出す気なんか無かったくせによォ」
柊は腰を折り、髪をかきあげつつニヤけた顔で剣弥の顔を覗き込んだ。
「まぁ楽しかったから良いわ。この辺で終わらせねぇと、
柊はそう言って眉尻を下げ、キンキン声の女性に目を向けた。加賀美と呼ばれた女性は、腕を組んで頬を膨らませている。
「あと、これやるよ。それ、使いもんにならねぇだろ」
手に持った木刀を見ると、中程にヒビが入っていた。柊は自分の木刀を剣弥に投げ渡した。
木刀にヒビが入ったということは、相手の力をいなす事が出来なかったという事だ。材質の差はあれど、自身の未熟さを噛み締める。
渡された木刀は、最高級の
「この様な品……よろしいのですか?」
「あぁ、構わねぇ。無いと困るだろ?」
「有難く頂戴いたします」
剣弥は二本の木刀を右手に束ねて持つと、深々と頭を下げた。
「じゃ、飲むか!」
柊はそう叫んで、手を振りながら小上がりの奥の襖に消えていった。
酒宴は同じ階層の別室に準備されているらしい。襖を出て板敷の廊下を一度左に折れ、真っ直ぐに歩き、これも豪華な襖の前に立った。
案内の男が襖を開くと、先程の大広間よりは狭いが、かなり広い畳敷きの広間に御膳が並んでいる。
柊に続いて皆がゾロゾロと入室する。奥正面の真ん中の膳に柊が胡座をかくと、加賀美と呼ばれた女性を含む四人が、左右二人づつ横並びに座った。
それを確認し、皆がバラバラと膳の前に腰を下ろすと、着物の女性達が
綺麗な文様があしらわれた陶器や、漆塗りの椀に、豪華な料理が盛り付けられている。これも漆塗りの
「まぁ、ただの飲み会だからよ、楽しんでくれや!」
そう言って柊が盃を高く掲げると、皆は両手で盃を上げ、礼をした。剣弥とサチもそれを真似、そっと口をつけた。
居酒屋の酒とは全く違う、芳醇な香りが鼻から抜けた。奉行所で飲んだ酒よりも明らかに美味い。やはり、庶民に出回る酒は薄めてあるのだとハッキリ分かった。
柊の言った、ただの飲み会という言葉に偽りは無かったようだ。本当に皆、ガヤガヤと喋りながら酒を飲んでいるだけに見える。
「酒井さん、こういう会はよく開かれるんですか?」
剣弥は、静かに盃を傾けている隣の酒井に声を掛けた。
「百地様は良く招かれるな。我々の様な者迄となると中々あるものではない。特にお前等の様な藩の人間以外となると、かなり稀な事だな」
酒も回り、広間の喧騒が大きくなってきた頃、それを遮るように柊の声が響いた。
「そういや、前原よぉ! お前、秋の御前試合に出る気はねぇか?」
喧騒がピタッと止まり、皆の顔に驚きの表情が浮かんだ。
「殿……それは藩の推薦枠を使うって事ですか……?」
横の加賀美がそう問うと、柊は大きく手を振って答えた。
「あぁいや、違う違う。一般枠から参加しねぇかって事だ。もちろん予選から戦ってもらう」
柊の部下達は、ホッとした表情で盃を傾け始めた。
「あの……御前試合っていうのは……?」
剣弥の質問に、加賀美が答える。
「毎年秋に、各藩持ち回りで『
御前試合か。
様々な腕自慢が集まるだろう。しかもさっき、藩の推薦枠と言った。この中の誰かが、柊の推薦で出る枠があるのだろう。予選からでも問題ない、絶対に出たい。
「その様な催しがあるのなら、是非とも出たいです」
「そうか、そう言うと思ったぜ。また詳細は百地に聞きな」
夕刻に始まった酒宴は大盛り上がり。
辺りはすっかり暗くなり、
会はお開きになり、百地と酒井に従い天守を後にした。
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