第23話 藩主謁見


 次の日の朝を迎えたが、二日酔いはない。

 側頭部の寝癖を後ろに束ね、無かったことにする。


 毎朝のストレッチは欠かさない。何をするにも柔軟性は大切だ。関節の可動域を広げれば、技の幅も広がる。怪我の防止にも繋がるし、いい事づくめだ。


 朝食を済ませ、サチと二人道場へと足を運ぶ。皆は既に整列していた。


「「「おはようございます!」」」


 もう剣弥を見下している者は一人もいない。皆が二人に頭を下げる。剣弥とサチも頭を下げ、挨拶を返した。

 

 剣弥は、剣術に限らず武道は礼儀を重んじる事が大切だと考えている。礼に始まり礼に終わる。それが人格を形成し、人との関わりを潤滑にする。

 横柄な態度を取る者は一人もいない。技の善し悪しは二の次だ、与力衆の心持ちは、以前と比べ物にならない程に醸成されている。

 

 今日も袋竹刀のぶつかる音が道場内に響き渡る。元々実力がある者達だ、教える事はそう多くない。むしろ、一神流いちがみりゅうの太刀筋を見学出来るいい機会となっている。


「では、今日の稽古は終わりにしましょう。お疲れ様でした」

 

「「「ありがとうございました!」」」

 

 自室に戻り、濡らした手拭いで全身の汗を拭く。酒井から正装を預かっているが、まだ着替えるには早い。浴衣に袖を通し、昼食後の微睡まどろみを楽しんだ。



 緩やかな時間を過ごし、正装に着替える。

 いつもの黒い小袖に、濃灰色の肩衣かたぎぬはかまを着用し、足袋を履く。髪を束ねて、サチに髷を結ってもらった。サチは小袖に袴姿だ。

 剣弥は彦斎の大小を腰に差し、サチは月丹の真改国貞を腰に差した。


 奉行所の門で暫し待つと、百地が酒井を伴って出てきた。


「じゃ、行こうか」

「はい」


 日は西に傾いているが、まだまだ明るい。二人の後に続いて歩を進める。

 目指す場所は既に見えている。周りに立つ武家屋敷が霞んで見える程に、立派に聳える四層の天守だ。


「前原、お前が指南し始めてから、与力衆の態度が変わったよ。部下達にもしっかり指導してるみたいだしな。上手いことやってくれてるみたいで助かる」

「いえいえ、私は何も。百地様のが効いたのでは?」

「ハッハッ! 脅しなんて人聞きの悪いこと言うなよ」


 立派すぎる大手門をくぐり抜け、天守へと伸びる道を歩く。多少入り組んではいるが、敵の侵入を想定して建てられた城ではない印象を受けた。この国は将軍を頂点に、上手く統制が取れているのだろう。


 立派な石垣を割くように作られた石段を上り、入口で草履を脱いだ。身なりの良い武士に刀を預け、後ろに付いて歩く。

 広い板敷の廊下を進むと、豪華絢爛な襖が見えた。目に眩しい金色の襖には、松の木が美しく描かれている。梅の木だろうか、桃色の花を付けた木々に止まる美しい鳥など、客の目を楽しませるには十分すぎる。


 二人の武士により襖が開け放たれると、途轍もない広さの大広間が現れた。何畳あるのか見当もつかない。西日が差し込み、室内を明るく照らしている。

 正面奥の小上がりの前には、数人の武士が立っている。袴を着た女性もいた。大広間の中程まで進んだ百地が一礼し腰を下ろしたのを確認すると、酒井と剣弥、サチも胡座をかいた。


 暫しの沈黙が重苦しい。百地の表情にも緊張の色が見える。


 唐突に奥の襖が開け放たれ、家紋入りの赤黒い小袖を着流した男が現れた。大量の返り血を浴びたかの様な出で立ちに、あっけに取られた。

 胸元は開け放ち、帯の位置は低い。片眉を吊り上げ目つきは鋭く、ボサボサの長髪をそのまま垂らしている。歳の頃は三十前後ほどだろうか、剣弥よりも背は低い。しかし、チラリと見える胸板は厚い。


 場違いな格好だが、つまみ出されないところを見ると、この男が藩主『ひいらぎ 常光つねみつ』その人なのだろう。

 豪華な座布団に勢い良く腰を下ろすと、皆が頭を垂れた。急いで剣弥も頭を下げる。


「そんなにかしこまった格好しなくていいって言ってるのによォ、肩が凝っちまう」


 柊は片膝を立てて座るやいなや、舌打ちをしつつそう言い放った。


「お言葉ですが、常光様は将軍様の前でもその格好で謁見なさるので?」


 百地が笑みを浮かべながらそう問うと、柊は片眉を下げて口を尖らせた。


「んな訳ねぇだろうよ。そう言われりゃ返す言葉もねぇわ」


 柊がそう言って笑うと、周りにもドッと笑いが起きた。一瞬で重苦しい空気が和んだ。


 鋭い目つきから一転、ヤンチャな少年の様な笑顔を剣弥に向けた。


「おう、お前が例の辻斬りを殺ったんだって? 必要以上に被害が出なくて助かったよ。何か欲しいもんあるか?」


 不意に声を掛けられた剣弥は、緊張の面持ちで言葉を選ぶように返した。


「いえ、友を殺されたので仇を取ったまでです。百地様の下で給金は頂いておりますので、褒美など……」


「へぇ、百地の下って言ってるけど、こいつの誘い断ったんだろ?」


 今度は両方の眉尻を下げて喋りかけた。コロコロと変わる、表情豊かな男だ。


「はい、廻国修行の身ですので、他の地にも足を伸ばしたいと思っています」

「そうかそうか、まぁいいわ。とりあえずこれ、受け取ってくれ」


 そう言って手を招くと、横に侍った部下が剣弥の前に膝をつき、紫色の包みを置いた。

 包みを開くと、家紋入りの黒い布地の上に、金色に輝く大判が三枚乗っていた。


 剣弥は、驚きの表情を柊に向けた。


「うちの家紋が入った羽織だ。他の藩に行っても、それ着てりゃ無下にはされねぇだろ。心配すんな、俺の下に付けなんて言わねぇからよ」


「いや……しかし、この様な大金まで……」

「お前がいなけりゃ、うちの奴らが何人殺されてたか分からねぇんだ。そう思やぁ安いもんだよ。それとな……」


 言い終えて立ち上がり、部下から木刀を受け取った。


「百地ばっかりズルいじゃねぇかよ。俺とも手合わせしてくれよ」


 黒に近い濃い茶色の木刀を右手に、肩をトントン打ちながら小上がりを降りてくる。佐久島藩のトップの挑発だ、願ってもない。


 剣弥はニヤけそうになる顔を必死に繕った。

 

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