第21話 一刀流


 シズを残して廻国修行に出た一刀斎は、善鬼ぜんきと出会い彼を弟子とし、各地を廻った。


「善鬼は弟子であり親友だった。十余年の歳月を廻国修行に費やせたのは、旅の共が善鬼だったからだ。共に剣術天下一を目指し、相応の実力と名声を得た。徳川の世になり、江戸に足を伸ばした折に出会ったのが、典膳と弥寿彦だった」


 神子上みこがみ 典膳てんぜんは一刀斎の弟子で、後の徳川将軍家の剣術指南役『小野おの 忠明ただあき』だ。


「何故あの二人が旅を共にしていたのかは知らない。俺達二人の名を聞きつけ、二人で木刀勝負を挑んで来た。齢四十をとうに超えていたが、剣術天下一を名乗っていた俺達には断る理由も無かった。相手にはならなかったが、若い二人は天賦の才を備えていた。廻国修行に区切りをつけていた俺達は、旅の締めに二人を鍛える事を選んだ」


 更に東国を廻り、若い二人を鍛えた。

 二人は、一刀斎の技を真綿のように吸収した。一刀斎は次第に老いを感じながらも、二人に全てを叩き込んだ。


 その旅も、唐突に終わりを告げる。

  

「善鬼と典膳は、俺に内緒で決闘をした。俺の後継者の座をかけてな。馬鹿な奴らだ……」

 

 一刀斎は当時を思い出し、俯き加減に目を伏せた。拳は固く握られ、小刻みに震えている。


「典膳が泣きながら善鬼の刀を俺の元に持ってきた時は、何事かと思った。そして震える手で、血の着いた手紙を俺に差し出した」


 善鬼は病魔に侵されていたらしい。

 病で死ぬくらいなら、若い剣士の糧になりたい。実に善鬼らしいと一刀斎は軽く笑った。


「親友を失った悲しみと喪失感は相当なものだった。俺は愛刀の『瓶割刀かめわりとう』を典膳に授け、俺の全てを奴に委ねる事を宣言し、西国に身を潜めた。伊藤一刀斎の名を捨て、前原弥五郎としてな」


 瓶割刀とは元々三島大社の宝刀で、賊が押し入った際、賊を瓶ごと斬り伏せた事から付いた名らしい。それを一刀斎が拝領し、廻国修行中に帯刀していたようだ。


「弥寿彦は、典膳に比べまだ若かった。その後、奴がどう過ごしたのかは知らない」

 

 一刀斎が話し終えると、剣弥は記憶を探りながら話を始めた。


「記録によれば、弥寿彦は父の名を知らされてはいたが、シズさんの母方の姓を名乗っていたようです。一刀斎様の元で修行した後、父の名、前原弥五郎が伊藤一刀斎である事を知り、姓を前原と改めたとの事でした。その後、江戸の外れで道場を開き、オレの孫の代まで続いています。ただ、前原一刀流を興したのは、弥寿彦の息子だと伝わっています」


 聞き終えると一刀斎は、そうか……と腕を組んで軽く頷いた。


「俺は一度も一刀流を名乗った事は無い。ただ、廻国修行中に典膳が一度その名を出した事があったな。小野派一刀流の名が俺の耳に入ってきたのは、かなり後の話だったが」


 剣弥は、自分の生涯を捧げた一刀流の祖と話をしている事に喜びを感じていた。

 もっと話をしたい、もっと色々聞いてみたい。ただ不思議なことに、何を喋れば良いものか、全く言葉が出てこなかった。

 

 剣弥にとって不本意な沈黙が続く。それを破る様に、一刀斎が顔を上げ喋り始めた。


「俺は人生を全うし果てた……はずだった。目を開けると、あの頃と全く変わらないシズが目の前にいた。歴史上の剣客達が一堂に会する世界で、もう一度剣を振るってみないかと。だが、俺はそんな事はどうでも良かった。もう一度生を受けるなら、シズと笑って暮らしてみたいと返事をした。今は俺が望む生活が出来ている。幼少の頃から親しんだ海でな。まさか、子孫を名乗る者が現れるとは思わなかったけどな」


 一刀斎は剣弥に苦笑いを向けた。


「もう、刀は振るわないんですか?」

「あぁ、少なくとも自分の為にはな」

「……自分の為には?」


 一刀斎は意味深な言葉を吐きながら、前方に目をやった。目線の遙か先には、雲を被った霞富士。


「俺は、富士の頂きに立ったつもりだ。天下に一刀斎の名を轟かせた。ただそれは、善鬼と共に育てた名だ。あいつ有りきの伊藤一刀斎景久だ。今の俺は三島に流れ着いたあの頃の、ただの前原弥五郎だよ」


 伊藤一刀斎。

 剣弥の思い描いていた人物像が音を立てて崩れた。前原弥五郎は、心ある繊細な男だった。


「伊藤一刀斎景久の名を聞きつけて挑んできた男には、断じて負ける訳にはいかない。俺一人の名じゃないからな。その時は斬り伏せるまでだ。ただ、お前が言い触らさない限りそれは無いだろうけどな」


 フフっと笑いながら、一刀斎は剣弥に目を向けた。


「勿論、そんな気はありませんよ」


 そう言って剣弥も笑顔を向ける。

 そして直ぐに顔を強ばらせて立ち上がり、一刀斎の前に膝をついた。


「弥五郎さん、お願いがあります。一刀流はオレの人生そのものです。その一刀流の祖を目の前にして、タダで帰りたくない。オレを……弟子にして貰えませんか!」


 剣弥は更に、砂に埋まる程に手をついて懇願した。

 一刀斎は、突然の平伏に言葉を発せないでいる。そして、頭を下げ続ける剣弥に向けて、ゆっくり口を開いた。


「頭をあげてくれよ」


 静かにそう言われた剣弥は、ゆっくりと頭を上げた。


「俺は、典膳と弥寿彦に稽古をつけた時に思った。どうやら人に教えるのは嫌いじゃないらしい」


「……なら?」

「あぁ、いいよ。いつでも来な」


 そう言われて、剣弥の顔は頭上の空の様に晴れた。


「本当ですか!? ありがとうございます!」

「ただ、俺の本職は漁師だ。毎日は無理だぞ?」

「勿論です。今オレは佐久島の町奉行所に身を寄せてます。近々この漁村に越してきます」

「おいおい……御奉行様の所からこんな辺鄙な所に越すのか?」

 

 一刀斎は呆れたように、眉尻を下げて言った。


「空き家があったら抑えておいて欲しいんですが……」

「ハッ、図々しい弟子も居たもんだ。分かったよ」


 剣弥は深く礼をし、二人で小屋に戻って行った。

 

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