第20話 地引網漁


 色黒の男達の後ろに伸びる引き網を握り、声を掛ける。

 

「オレ達も手伝わせてくれ!」

「おう! しっかり引けよォ!」


「ヨォーィショ! ヨォーィショ!」


 ズシリと重い引き網を、掛け声に合わせて力一杯引く。サチの事は言えない、剣弥にも初めての経験だ。


 皆が汗だくになり、網を引ききった。慣れない労働で脚と背中がパンパンだ。その甲斐あって、網の中には大漁の魚がピチピチと跳ねている。


「おぉ、こりゃ大漁だな! 兄ちゃん、姉ちゃん、ありがとよ!」

「ハッハ! これしきで疲れるたぁだらしねぇなぁ!」


 疲れて尻餅をついている二人に、男達が声を掛ける。

 その中の一人と目が合った瞬間。


 ――キィィィーン


 男達の中でも頭一つ抜けている大柄な男は、周りの男達と変わらない笑顔を剣弥に向けている。

 剣弥は差し伸べられた手を取り、腰を上げた。


「さぁ、魚は触れるか? カゴに入れるぞ!」


 同類の男に言われるがままに、網に掛かった魚達に手を伸ばした。 

 

 たいあじきす太刀魚たちうお、大小様々な魚をカゴに入れていく。サチも初めて触る魚に大興奮、剣弥は可愛い横顔を楽しんだ。


「お前ら昼飯食っていくか?」

「良いのか? 新鮮な魚が食えるなんて思ってもいなかった。是非頂きたい」


 サチも大きく頷いている、ご馳走になる事にした。皆で魚の入った籠を、岩場に網を掛けて作った生簀いけすに運ぶ。午後から佐久島に卸しに行くようだ。

 汗だくの身体に小袖がへばりいて気持ちが悪い。近くの建屋に入ると、諸肌もろはだを脱いだ。


「おぉ、いい体してるじゃねぇか兄ちゃん! 上背もあるし、弥五郎といい勝負なんじゃねぇか?」


 ――弥五郎やごろう……?


 弥五郎と呼ばれたのは同類の男だ。

 見たところ、二十代半ばか少し上くらいか。立って並ぶと、背は剣弥とさほど変わらず、185cmは無いだろうか。前腕は太く、浴衣の上からでも広く分厚い広背筋が見て取れる。

 色黒でキリッと上がった太い眉に、一重の目。しっかりとした鷲鼻の下には無精髭を生やし、頭は総髪を束ねている。


 皆で器用に魚を捌き始めた。

 皿に盛る事なく、それぞれが醤油をつけて口に運ぶ。剣弥とサチも刺身を頬張った。


「これは美味いな……」

「だろ? 漁師でもないと、こんなに新鮮な魚は食えないからな」


 弥五郎は、刺身を口に運びながらそう言った。

 佐久島で食べた物も新鮮だと思ったが、別格だ。こんなに美味い刺身を食べたのは、生前を含めて初めてかもしれない。


 二十数人のうちの三分の一程が、佐久島へ魚を売る為に生簀の方に歩いて行った。漁を終えた後、日毎に交代で売りに行くようだ。

 その場で昼食を終え、余った刺身を各自が持ち帰り、この日の漁は終わった。


「弥五郎さん、少し話をしませんか?」

「あぁ、俺もそのつもりだ。家に来るか? ボロ小屋だけどな」

「是非」


 浜辺に程近い一件の小屋に案内された。


「シズ、帰ったぞ」

「あら、お帰りなさい」


 風を通す為か、開け広げた入口をくぐると、広い土間に小上がりの板敷が二部屋。土間で家事仕事をしながら出迎えたのは、弥五郎の肩ほどの背丈の女性だった。

 声色はおしとやかで、細い下がり眉の下には二重の目。女性らしい丸みを帯びた身体が、柔和な表情を一層引き立てている。


「お客様? ちょっと待ってね、お茶を淹れるから」

「皆で昼飯は済ませてきた。ほら、刺身だ」

「あら、こんなに食べ切れるかしら」


 うふふと上品に笑いながら、シズと呼ばれた女性は湯呑みを用意し始めた。サチも手伝おうとシズに近寄る。ボタンと接するうちに、彼女の中で何かが変わったのかもしれない。


「オレは前原剣弥と言います」

 

 板敷の上で胡座をかいたまま弥五郎に向き直り、自己紹介をした。名を聞いて弥五郎の眉が上がった。


「前原……」

「一刀斎様、オレは貴方の子孫です」


 更にポカンと口を開けた。

 彼の名は前原 弥五郎。一刀流の祖、伊藤一刀斎景久かげひさその人だ。


「おいおい、ちょっと待て。俺に子は無い、子孫が居るわけないだろう」

「いえ、オレの流派は前原一刀流といいます。それを興した『前原 弥寿彦やすひこ』は貴方の息子です」


 剣弥がそう言い終えた後、シズとサチが茶を持ってきた。一刀斎は神妙な面持ちで茶を啜り、ゆっくりと飲み干した。


「少し二人で話してくる」

「そうですか、行ってらっしゃい」


 シズはにこやかに送り出した。

 剣弥も茶を飲み干し、礼を言ってから一刀斎の後に続く。


 浜辺に戻り、砂浜から突き出た岩に腰掛けた。すっかり汗も引き、潮の香りを運ぶ浜風が心地よい。寄せては返す波の音も耳を楽しませてくれる。


「……俺は前原弥五郎だ、他の何者でもない」


 静かにそう言うと、言葉を続けた。


「故郷の大島を出て、三島に辿り着いた。縁あって剣にも出会えた。生涯を賭けるに値すると、剣に夢中になった。廻国修行の妨げにならぬ様にと、生涯で唯一愛した女も捨てた。それが……シズだ」


 伊藤一刀斎は謎の多い剣豪だ、殆ど記録が残されていない。伊豆諸島の大島の出身で、現静岡県の三島に流れ着いた、という定説は正しかったらしい。

 剣弥の先祖が残した書物は定期的に書き写され、綺麗な状態で現存していた。剣術に関する事が殆どだが、弥寿彦の記録も書き残されていた。


「貴方の息子、弥寿彦は書物を残していました。母親の名はシズだと」

「そうか……シズは小田原に残して旅に出た。俺は……その弥寿彦を知っている。まさか実の息子だったとはな。奴が俺の前で名乗った姓は、前原じゃなかった」


 一刀斎は自分の過去を話し始めた。

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