第19話 鞘師
佐久島藩主
実力主義の佐久島藩で頂点に君臨する男だ。
謁見は明日の夕刻、それから酒宴に招かれている。百地と同行する事になった。
百地の居室を出て、酒井と会話をしながら後を歩く。紹介された鞘師は柊家御用達らしい。紹介状も得た、早速行ってみることにした。
町屋が建ち並ぶ通りを進む。昼前の賑やかな時間帯だ。
着いた工房の店構えは、藩主御用達とはいえ豪華な訳ではない。開きっぱなしの入口をくぐると、二十代半ば程の若い男が出迎えた。
「いらっしゃい!」
「町奉行の百地様からの紹介で来たんだが」
にこやかな表情の元気な男は、紹介状を手に取ると奥に下がって行った。
少しすると、紺色の作務衣の様な服を着た五十代位の男が奥から出てきた。白髪混じりの坊主頭で、目は細く口髭を蓄えている。
「百地様からの紹介だって? あの人の家臣か何かか?」
「いや、家臣ではないが剣術指南役として奉行所に身を寄せている」
「あぁ、聞いたな。例の辻斬りを殺ったって男か。んで? 要件は?」
細い目を剣弥に向け、表情を変えることなく淡々と話を進める。若い男と足して調度良い位の無愛想だ。
「この打刀と脇差の鞘を作って欲しい」
白波左門と月丹の脇差を手渡した。
主人は刀を手に取り、細い目を更に細めて舐めまわすように観察を始めた。
「へぇ、良い刀だ。二週間だな」
「……二週間?」
何を言われたのか分からなかったが、作成期間の事だろう。
「あっ、あぁ、分かった。二週間後に来よう」
「悪いな、この所注文が多くてな。奉行所からの上客だ、優先的に作らせてもらう。詳しい事はこいつと打ち合わせてくれ」
そう言って若い男を顎でしゃくり、奥へ下がって行った。男に促され、畳の小上がりに腰掛ける。
「どうも、喜助と言います。早速お話しましょうか。うちは鞘だけじゃなく刀装具全般を扱ってますので、何なりとお申し付けくださいね」
喜助と名乗った男は、爽やかな笑顔で真っ直ぐに剣弥と目を合わせた。
まずはどのような鞘にするかだ。
鞘には大きく『
白波左門の鞘は黒の塗鞘、月丹の鞘は朱色の塗鞘だ。
「塗鞘が好みだな。見慣れた黒漆塗がありがたい」
着せ鞘とは、動物の皮などを巻いて装飾された鞘だ。ザラザラとした鮫皮等が知られているが、正直剣弥の好みではない。
「お次は
柄とは刀の持ち手の事で、一般的には
糸の巻き方も様々で、そのまま巻き付けたり、クロスさせたり捻って巻いたりと装飾の側面もあるが、柄の補強と滑り止めが主な目的だ。使い慣れた平巻きをお願いした。
「脇差の銘を確認したいんだが。元は友人の刀なんだ、知っておきたい」
一般的には、
剣弥の刀の茎には『左門』の銘が刻まれている。白波は
喜助は脇差の目釘と言われる固定具を抜き取り、柄を取り外した。
「えっーと、真改と刻まれてますね」
二代国貞『
志垣に聞いた事がある名だった。剣弥に刀匠の知識は無い。志垣との会話で有名どころの名を聞いたくらいのものだ。
刃に沿って真っ直ぐに入った刃紋が美しい。
「サチの刀はどうする?」
「このままでいいよ。割と気に入っている」
サチは月丹の刀をそのまま使う事を選んだ。確かに、鮮やかな朱色の鞘はサチに良く似合う。打刀も脇差と同じく、真改の銘が入っていた。
「では、二週間後に。よろしく頼むよ」
喜助に見送られ工房を後にした。
一時的に河上彦斎の刀を腰に差している。艶のある茶色の鞘だ。ついでに確認したところ、茎には
同田貫は肥後国、現熊本県の刀工だ。刀が戻ってきたら売り払おう。
昼食にはまだまだ早い。
明日の謁見まで特に用事はない。当てもなく二人で通りを歩いている。強い陽射しがジリジリと肌に刺さる夏の陽気だ。
「なぁ、海を見に行かないか?」
「あぁ、遠目に見ただけだったな。行きたいなら好きにすればいいよ」
まだ午前中、耐えられないほど暑い訳ではないが、涼を取りたくなった。潮の香りも久しく感じていない。地図によれば、佐久島から南東へ行くと漁村があるようだ。小一時間も歩けば着くだろう。栄えた町とは違う、新たな発見があるかもしれない。
町外れまで移動し、この世界に来て以来の自然の中を歩く。田は苗が育ち、一面を緑色に染めている。木造の集落が点在し始めた。
海が近くなり、潮の香りを乗せた風が鼻孔をくすぐる。ぽっかりと浮かぶ夏らしい綿雲が、空と海の青さを見事に引き立てている。
海に近づくにつれて民家も増える。その間から白い砂浜が覗いた。
「ヨォーィショ! ヨォーィショ!」
男達が威勢のいい掛け声を上げて、地引網漁をしている。サチは初めて見る光景に目を輝かせた。
「オレ達も混ざるか!」
サチは笑顔で大きく頷く。
刀をサチに手渡し、二人で砂浜へ走った。
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