第17話 対峙
次の日は朝から雨だった。
夏の雨は憂鬱だ。湿気を含んだ空気が不快にまとわりつく。沈んだ気持ちが更に重みを増すようだ。
今晩から毎日巡回に向かう。剣術指南は三日に一度という事になった。皆には習得した事を反復する様に伝えている。
皆が剣術稽古を終えた昼下がり、剣弥とサチは道場に来ている。
「おい、また半日座って過ごすのか?」
そう言うサチの声には苛立ちが垣間見えた。剣弥は何も答えない。
サチは本赤樫の木刀を剣弥に投げ渡すと、自らも切先を剣弥に向け、正眼に構えた。サチの目から放たれる凄まじい殺気に、剣弥は一瞬たじろいだ。
「今のお前からは何の気魄も感じないよ。月丹から何を教わった? お前の本質は、嫌な事があったらすぐにメソメソする様な、女々しいクソ野郎だったらしいね」
サチがそう言い終えると、剣弥はキッとサチを睨み付けた。
「図星を突かれると苛立ちを向ける。女々しいうえに幼稚だ、よくそんなヤツが人に剣術を教えられたもんだね」
様々な角度から雑言を浴びせる、いつものサチとは様子が違った。沈んだ主人を引き上げようという従者の気遣いだと剣弥は気づいた。
剣弥は目線をサチから外し右手で制止すると、道場の真ん中に胡座をかいた。
生前、九十余年の人生で数々の友人を見送ってきた。戦争で理不尽に奪われた戦友達の命。蓄積された怒りが、父の死を引金に爆発した。剣弥の狂気が表に出た瞬間だった。
戦争が終わって数十年、平和な日本で過ごすうちに剣弥の牙は抜けていった。寿命で先に逝ってしまう友人達を見送る度に、心にぽっかりと穴が空いた様に感じた。何も手に着かない喪失感、今の剣弥はこの状態にいる。
心のザワつきがスーッと消えていった。自身を客観視し、言い様の無い気持ちの理由が分かったからだ。
「ありがとなサチ。老衰で死ぬ前のジジイに戻ってたよ。月丹は寿命で果てたんじゃない、殺されたんだ」
事実を言葉にすると、剣弥の中に言い様の無い怒りが込み上げてきた。ただ、心は穏やかに。息を細く吐き、狂気を内に留める。
大きく目を見開き立ち上がった。
「もう大丈夫だ、目が覚めた」
「ふん、手のかかるバカ野郎だ」
憎まれ口を叩くサチの口元は緩んでいる。それを見た剣弥の表情も和らいだ。
◇◇◇
三日連続でサチと二人、例の辻に赴くが異常はない。辻斬りの噂は佐久島中を駆け回り、夕暮れを境に朝まで出歩く人は一人もいなくなった。
次の日は、午前中から蝉が忙しく鳴く暑い日だった。西の空が赤く染まり始めると、蝉の大合唱は収まり、耳心地のよいひぐらしの声が響き始めた。
剣弥は夕日よりも赤い羽織に袖を通し、刀を腰に差した。防具はしない、動きを阻害する物は極力着けたくはない。
橋を渡りきり、十字路の中心に立つ。
サチと背を合わせ、人影を探す。
辺りはまだ人の顔がはっきり識別できるほどに明るい。そんな折だった、剣弥の目に二人の男が写った。
――キィィィーン
前を歩く小柄な人物と目が合った瞬間、脳内に響き渡る例の共鳴音。
やはり同類だった。しかし、後ろを歩くのは細身で長身の男。二人の男は剣弥達の6~7メートルほど前で立ち止まった。刀を抜く様子は無い。
「へぇ、二回連続で同類が来るとはねぇ。今度はよか男や、楽しみばい」
小柄な男は意外にも低い声でそう言った後、不気味な笑みを浮かべながら剣弥の目を真っ直ぐに覗き込んでいる。
背は150cm程だろうか。色白で細身、切れ長の目とスッと通った鼻筋の下の口は、怪しく歪んでいる。声を聞かなければ女と見紛う容姿だ。
「前原 剣弥と言う、佐久島藩に身を置いている」
「こらご丁寧に。おいは『
河上 彦斎。
幕末の四大人斬りに数えられる剣豪だ。
幕末から明治にかけて活躍した尊皇攘夷派の熊本藩士。尊皇攘夷を簡単に言えば、天皇を尊び外敵を排除する思想だ。剣弥にはその程度の知識しかなく、それ以上の詳しい事は知らない。
ただ、天誅を繰り返す無慈悲な人斬りというイメージ通りの冷徹な目を剣弥に向けている。
「何故遺体を切り刻む」
彦斎は、良くぞ聞いてくれたと言わんばかりに両手を広げ、笑顔で説明を始めた。
「おいは筋肉を斬り刻む、あん感触が好きったい。よか男なら尚更ね。こん前の
良い男の顔を眺めながら、身体中の筋肉を刀で斬り刻むのが好きらしい。剣術修行もあるだろうが、自分の性癖の為に人を斬っている節がある。
――異常者だ……。
後ろの男は細面の男前だ。彦斎はゲイなのだろう。近代日本での偏見は無くなったとは言わないが、かなり減った。剣弥もそれを聞いて思う事は特にない。
「お前の言うダルマの様な男の刀は、もう売り払ったのか?」
「刀? いや、まだ売っとらんよ」
「オレがお前に勝ったら、その刀を渡して欲しい」
首を傾げた彦斎が後ろの男に目配せすると、背の高い男は月丹の打刀と脇差を取り出し、右側に投げ捨てた。
「恩に着る」
「おかしか男や」
彦斎は直立したまま、鞘に左手を掛けて言葉を続けた。
「この世界にお
彦斎はそう言い終えて、更に口を怪しく歪めた。
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