第16話 犠牲者
午前は与力達の剣術指南。夕暮れ前に二人一組で巡回を開始し、完全に日が沈む頃に奉行所に戻る。他の時間帯は通常通り辻番や自身番が巡回を担当する。
数日後、すぐに犠牲者が出てしまった。
与力二人の遺体が奉行所に運ばれてきた。遺体に被せた
わざわざ革の防具を取られたうえに胸、肩、腕や太腿などを執拗に切り刻まれている。一人の顔は目も当てられなかったが、もう一人の顔は綺麗なものだった。凛々しい眉の下の目は静かに閉じられ、精悍な顔は青白く変わり果てている。
「なぁ、顔を斬られてねぇこいつ、なかなかの腕だったぞ? 辻斬りの二人ってなぁかなりの腕なんだろうな」
剣弥達の稽古には少し物足りないが、月丹の言う通り与力衆には一人として弱い者はいない。百地が言うには佐久島藩は実力主義、相応の能力が無い者は与力にはなれない。
町中で噂の二人組は、大小を腰に帯びた武士しか狙わない。奴らの目的は剣術修行に間違いなく、しかもかなりの手練れだ。剣弥が辻番になったのも剣術修行の為だ。しかも真剣勝負で人を斬り殺す為。
善悪は多数決で決まる。町民に不安を与える辻斬りは悪、その辻斬りを成敗する者は善。ただ、どちらも人を殺めている事に違いはない。
今の剣弥は藩の人間だ。自分の正義の為に剣を振るう、それが仕事だ。
剣術指南の傍ら、月丹との稽古も欠かさない。
「もう俺ぁお前に一本も入れられなくなったな……まぁ、友として嬉しい事ではあるがよ、剣士としては悔しいわな。でも、代わりに俺の切り落としもかなり上達したがな」
そう言って月丹はガハハと笑った。
「月丹には本当に感謝している。ワシがここまで成長出来たのは、間違いなくお前のおかげだ。ワシは月丹の弟子だと言っても良いかもしれんな」
「おいおい、よせやい。だとしたら弟子に負け越してるって事じゃねぇか、勘弁してくれよ!」
月丹は手を振りながらそう言った。
その日の会話が、月丹との最期になるとは思いもしなかった。
◇◇◇
与力衆最初の犠牲者が出てから四日後の朝。
曇天の今にも雨が降りそうな日だった。
「また例の辻斬りにやられたらしいぞ」
奉行所内の話題は一色に染まっていた。
昨晩の巡回には月丹と牡丹が参加していた。見渡す限り姿は無い、剣弥の心臓が早鐘を打っている。
筵を被った遺体は一体だけだった。顔を確認してみると、ズタズタに切り刻まれていた。ただ、見慣れた太眉と坊主頭、横たわっている遺体は月丹に違いなかった。
「なぁ、サチ。ボタンはどこだ」
「月丹が死ねば消えて無くなる。この世界の皆の記憶からもな。それはアタシも一緒だよ」
一蓮托生。自分の分身として、この世界を共に生き抜いていく存在。
あの二人が負ける様な男達がこの町にいる。必ず月丹の仇を取ってやる……しかし、剣弥は穏やかだった。心にぽっかりと穴が空いたような喪失感を覚えた。
遺体を運んできた赤い羽織を着た男に声を掛ける。
「この遺体はどこに?」
「はい、四日前の方々と同じ場所でした」
今まで同じ場所で連続して被害が出た事は無かった。明らかに見廻りの腕が上がったことを察したのかもしれない。だとすれば、数日以内に同じ場所に出没する可能性は大いにある。
遺体発見場所を地図で確認する。何度も巡回した広い橋を渡ったすぐの、周りに何も無い十字路だった。
明日の夕暮れから剣弥がその付近を担当する様、事務方に割振りの変更を願い出た。周りから反対が出ることは無かった。
剣弥の仕事だ、剣術指南を中止する訳にはいかない。
あの月丹が殺られた。与力達の表情は更に引き締まった。元々腕に自信のある連中だ、竹刀を振るう腕にも気合いが入る。
「やってるね。でも、あまり疲れを残すと巡回出来なくなるよ」
百地が酒井を連れ、道場を訪れた。
いつもの柔和な表情ではなく、目には険しさが見て取れる。皆の顔が強ばり、背筋が伸びている。
「前原、辻は残念だった。まさか彼が負ける程の相手とはね、今日から夕暮れ時の巡回を止めさせるよ」
百地の言い分も理解出来る。月丹が斬られる様な相手に、巡回を強行して与力衆を無駄に死なせるのは愚策だ。
ただ、剣弥の心はそれでは落ち着かない。
「百地様、被害は二度続けて同じ場所で出ました。今までこんな事は無かった。恐らく、その場所に更に強い男を回すのを待っている。ワシに行かせてください。明日の夕暮れ時からそこで待ち伏せます」
百地の口元が緩んだ。目には険しさを残したままだ。
「死ぬなよ」
「はい」
そう一言だけ言い残して、百地は道場を出ていった。
剣術指南を終え昼食を取った後、一人道場の真ん中で座禅を組んでいる。剣弥に宗教的な知識もなければ興味もない。ただ、この何とも言えない、ザワついた心を沈める為に選んだ手段だ。
月丹を相手に奴等は無傷だったのか。一太刀浴びせているのであれば、数日内に出てくる事は無いだろう。どちらにせよ、明日からは例の辻で待ち伏せる。
何故、奴等は顔を切り刻むのか。
最初は手応えの無かった者の顔を切り刻み、腕のある者はそのままの状態で敬意を表しているのではと推測していた。
月丹の顔が切り刻まれた事で、その可能性は限りなく低くなった。あの月丹が何も出来ず負けたとは考えられない。そうであれば、剣弥は自ら死地に赴こうとしているに等しい。
どれくらい座っていただろうか。
雑念を払うどころか考える事が増えた。剣弥の心が晴れる事は無かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます