第14話 剣術指南


 町奉行所勤務初日。

 五つ半頃に来いと言われた。およそ九時頃だが、今は日の長い夏、正確な時計に換算すれば七時くらいではなかろうか。

 日の出と日暮れを基準に生活するこの世界の生活にもさすがに慣れた。特に違和感は感じない。


 長屋を引き払うにも特に荷物は無い。四人で長屋を出て奉行所に向かう。

 まずは事務方に奉行所内の案内をしてもらう様に言われている。立派な門を潜り玄関で声を掛けると、女性が姿を見せた。今日はあのせっかちな男では無いらしい。


「お待ちしておりました。まずは皆様のお部屋からご案内させて頂きます」

 

 百地の書斎までの廊下しか通った事は無かったが、かなり広い屋敷でまるで迷路のようだ。

 剣弥達が通った表門と表玄関とは別に家来や使用人が利用する裏門も備えられ、内玄関や奥玄関から出入りする。

 剣弥達は家来の長屋を一部屋づつあてがわれた。酒井ら家臣達の長屋もある。今案内してくれている女性も、ここに住み込みで奉公しているとの事だ。

 少ない荷物を下ろし表門まで戻る。門をくぐって右側には与力や同心の番所。左側へ進むと、お白洲しらすがある。あの有名なお奉行様が、罪人に対して桜吹雪のモンモンを見せつけるあの場所だ。


 この広い屋敷内に剣術道場が備えられている。佐久島城の敷地内には更に大きな道場があるらしいが、ここも十分広い。板敷きの大広間は何十畳あるのだろうか、20人程が既に集まっていた。剣弥達四人の事は既に聞いているのだろう。睨み付けてくる者が殆どだ。


「おいおい、数日前までただの辻番だった奴に、何を教わる事があるんだぁ!?」

 

 一人の男の怒声を皮切りに、皆が口々に罵声を浴びせてくる。ものすごく気まずいが、一礼して挨拶に代える。一言発せば火に油を注ぐかもしれない。彼らの言い分もごもっともだ。


 案内を終えたと連絡がいったのだろうか、百地と酒井が来ると与力達の表情が一変し、皆が頭を下げた。二人とも小袖に袴のみの平服で、腰に刀は差していない。


「前原と辻、その従者だ。皆、当然理解してると思うけど、うちは実力主義だよ。彼らは俺が頼み込んで剣術指南役を受けてくれたんだ。そんな目を彼らに向けるなら、君らの実力を見せつけてやればいい」


 百地のその声で、先程いの一番に怒声を浴びせてきた男がズイッと前に出た。


「ワシに行かせてくださいや。どれ程の腕前か、楽しみですなぁ!」


 ガタイのいい男は、分かり易い敵意と共に大きく見開いた目を剣弥に向けた。右手には木刀を持っている。


「木刀で宜しいので? 袋竹刀も持参しているが?」

「なんだぁ? 木刀じゃ都合が悪いってかぁ? 剣術指南役様ともあろう者がよォ!」


 相当に自信と自尊心の高い男なのだろう。百地を見ると、楽しそうな顔で成り行きを見守っている。

 さっき百地は、ここは実力主義だと言った。普通は年功序列なのだろうが、確かに前に立つ男は若い。これだけ出しゃばって周りが何も言わないという事は、与力の中でも立場が上なのだろうと推測できる。この男を打ち負かせば皆の見る目は変わるだろう。手っ取り早い。

 そして何より、藩の手練てだれと手合わせできる。好都合だ。


「分かりました。では何処からでもどうぞ」


 息を荒げた男の顔面に木刀を向け、正眼に構える。

 相手は天高く木刀を突き上げ、上段に構えた。気性の荒らさから見て取れるが、構えも攻撃的だ。


 息を細く吐き、男を睨みつけた。月丹をも後退させた気魄を目の前の男に浴びせる。

 徐々に近づくと、男の顔には明らかな狼狽の色が見えた。男はあれ程の啖呵をきった手前、引くことは出来ないのだろう。そのまま木刀を振り下ろした。

 それを鋭く切り落とし、右小手を打つ。 

 道場内に木を弾く乾いた音が鳴り響き、落ちた木刀が板敷きの床を鳴らした。右手を抑えてうずくまった男は、額に汗を浮かべたまま顔を上げることが出来ないでいる。


「次の方、前へ」


 静かにそう言うと、後ろに控える与力達はたじろいだ。

 周りを見渡した後、意を決して前に出た男は木刀を顔の横に立て、八相に構える。

 剣弥はそのまま正眼の構えだ。


 あえてその場から動かずに相手の出方を伺う。男は堪らず前に出てくるが、手を出せないでいる。八相から正眼に移行し、木刀の先を合わせてきた。

 それを好機と相手の木刀を上から弾き、体勢を崩してガラ空きの肩を突いた。腹や胸、喉などを突けば最悪命に関わる。軽く肩を突いただけでも男は床でのたうち回っている。


 次々に掛かってくる男達を打ち負かし、七人が床に伏せた時には誰も動かなくなった。静かに木刀を下ろし、皆に向けて提案を投げかける。


「ワシは、百地様に皆の剣術指南を頼まれただけの男です。後ろの三人はワシと実力はさほど変わらない。袋竹刀での稽古をおすすめするが、いかがですか?」


 剣弥がそう言い終えると、百地が手を叩きながら前に進み出た。


「な? こいつ強いだろ? の配下は強くなけりゃいけない、それが俺の持論だよ。強くなるには剣術修行が一番の近道だと思ってる。例の辻斬りを野放しにしてるこの状態、お前らの怠慢もあると思わないか? 同心達の指導はどうしたよ? そこまで俺が言わなけりゃ分からないなんて事は無いよな……?」


 百地は今までのにこやかな顔を一変させ、ゾッとする程の冷酷な目を配下に向けると、与力達の顔は青ざめた。百地の二面性を目の当たりにした剣弥達にも緊張が走る。

 それに、あの方? 当然四人には誰の事か知る由もない。

 

 百地は板敷きに転がった木刀を拾い上げ、嬉しそうにしごいた。


「強くなるってのはいい事だ。上を見ればキリはないけど、足下の虫ケラなんて見る価値も無い。なぁ、お前らの事だよ……」


 場の空気が張り詰める。

 剣弥が打ち負かした男達さえも痛みを堪えて立ち上がり、手を震わせて起立している。


 百地はそのまま木刀を上段に構え、剣弥の正面に立ちはだかった。

 

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