第13話 百地の要求


 お猪口の酒を口に運びながら、御膳の食事をつまむ。美しく盛り付けられた刺身、魚と煮付けた大根や鯛飯。それ以外の料理名は分からないが美味い。明らかに庶民が食す物では無いが、突然の呼び出しの緊張からか食を楽しめていない。いつもの居酒屋の方が美味く感じる程だ。


 百地はいつも通りの柔和な表情で、世間話をしながら隣の着物の女性に酒を注がせている。

 無口な部下は黙々と食を進めている。


「おいおい、緊張がここまで伝わってくるぞ? そうじゃないのはサチだけだ。美味いか?」


 サチはその言葉に、口角を上げて二度首を上下させて答えた。百地はそれを見て顔を綻ばせた。


「前原、辻。呼び出された意図が分からないって顔だね?」

「えぇ……緊張のため味がよく分かりません」


 月丹も剣弥に同意し、苦笑した。


「ハハッ、正直な奴だな。まぁそうだろうね、分かったよ。結論から言おう」


 四人はお猪口を膳に置き、百地に向き直った。百地は一献飲み干した後、口を開いた。


「お前らを辻番にしておくのは勿体ない。仕官する気は無いか? 俺の下で働いて欲しい」

「えっ……」

 

 思ってもみない事に、剣弥は声を漏らした。

 百地は隣の女性にお猪口を差し出しながら話を進めた。

 

「辻番の同僚達を見て分かるだろう? 奴らは無気力で向上心が無い。俺は別に出世欲の無い者に無理して向上心を持てとは言わない。ただ、お前達は違うだろう? 勤務中も剣術稽古をしてるって噂が俺まで届いてるからね」


 終始にこやかにそう言ってのけた。剣弥と月丹は突然の申し出に口を開けないでいる。


「ここの与力にならないか? 屋敷も用意する。悪い話じゃないだろ?」


 末端のアルバイトが社員に登用された上、いきなり管理職に就く様な事、破格の待遇だ。


「百地様から直々のお誘い、恐悦至極に存じます。ただ……誠に恐れながら、私とサチは廻国修行かいこくしゅぎょうの身、この佐久島の町に長く留まるつもりは御座いません。折角のお誘いをお断りするのは心苦しい……この町にいる間は、このまま辻番勤務につかせては頂けませんでしょうか!」


 そう言って平伏した。サチも剣弥に続いた。

 横で静かに月丹が口を開く。


「百地様、俺らも前原と同じく廻国修行者だ。折角のお誘いだが、受けるわけにはいかねぇんです。ただ、ここにいる間は下でしっかり働かせて貰います。だから……何卒ご理解を」


 月丹達も平伏して頭を下げた。


「そうかぁ……そう言われて無理矢理仕えさせる訳にもいかないなぁ……まぁ顔を上げてよ。腹いせに何かしようとは思わないからさ」


 恐る恐る四人で表を上げる。

 百地の顔は残念そうだ。まさかこのような高待遇を断られるとは思わなかったのだろう。ただ、彼の言葉には嘘は無さそうだ。断ったからと言って、何か不利益を被ることも無いだろう。


「でも、俺の誘いを断っといて他の奴の下に付くのはやめてくれよ?」

「勿論です」

「よし、じゃあこの話は終わりだ。じゃんじゃん飲んでくれ!」


 百地は隣の女に酒の追加を命じ、剣弥達は脚を崩した。

 百地もその部下もかなりの酒好きだ。四人の酒も進む。無口な男は酒井と言うらしかった。酒好きが姓にも表れている。彼は内与力うちよりきと呼ばれ、百地の秘書のような家臣らしい。


「耳に入っているだろうが、例の辻斬りの事だ。目撃者の話によると、どうやら男二人組らしい。夕暮れ時のこと故、顔までは分からんかったという話だが」


 剣弥と月丹は、例の辻斬りを同類だと考えていた。剣弥達は勿論、武蔵も月丹が切った男も女の相棒を連れていた。

 酒井の話によれば男二人組だと言う、剣弥達の予想は外れたらしい。


「うん、 未だ目撃者が命からがら逃げ帰った一人だけだからね、でも男二人組なのは間違いなさそうだ。背の高い男と小柄の男、どちらも細身だったらしいよ」

「では、見廻りは今まで通り二人組で更に強化すべきですね」


「その事なんだけど」と百地はスルメを片手に話し始めた。


「お前達も分かってるだろうけど、辻番達に例の辻斬りに勝てるような奴らはいない。町民達の自身番なんて論外だ。だから、明日から彼らには夕暮れ時の見廻りを控える様に通達を出したんだ」


 ――見廻りを無くす……?


 夕暮れ時は、周りは何とか見えるが顔までは分からない。辻斬りが一番多い時間帯だ。確かに被害は大きく減るだろう、随分思い切った考えだ。


「ですが……それが町中に噂されれば、辻斬りが横行するのでは……?」

「いや、そうでは無い。辻番や自身番に見廻りをさせないだけだ。与力や同心の中でも腕に覚えがある者達を見廻りに回すという事だ」


 なるほど、ここ三ヶ月の辻番勤務で十分感じている。下級武士達に剣の腕が立つ者は殆どいない。

 無駄な被害を出さない為にも腕に覚えがある者を巡回に回す。それだと剣弥達は番所に缶詰めということだ。


「まさか断られるとは思わなかったから今言うけど、剣術指南役を引き受けてくれないか? お前らさえ良ければ巡回にも参加して欲しいと思うんだけど、どう?」


 百地の配下に付く訳ではなく、臨時の剣術指南役として働いて欲しいと言う。与力達と手合せ出来るという事だ。今まで通り巡回しながら真剣勝負の経験も積める。

 願ってもない事だ。月丹と目を合わせるが、異論は無さそうだ。

 

「もちろん、私共で良ければ是非」

「本当に? これまで断られたらどうしようかと思った。じゃ、明日はゆっくり休んで、明後日からよろしく頼むよ」


 百地は気のいい男だ。家臣の酒井も仕事熱心で信頼出来る。剣弥達はアルバイトから、何故か社員を指導する立場になった。何とも奇妙な縁ではあるが、与えられた仕事は全うしよう。


 例の辻斬りに当たる確率は低いだろう。ただ、その確率を上げるためにも積極的に巡回に参加しなければならない。


 突然開かれた酒宴を存分に楽しみ、奉行所を後にした。明後日から奉行所内の部屋を準備してくれるらしい。通勤は近い方が良い、有難く使わせて頂こう。


 四人で長屋に向け歩く。

 新月に近く曇り空の夜は真っ暗だ。提灯がないと何も見えない。


「奴らは辺りが暗くなり始める夕暮れ時に出るんだろ? 今はお休み中だろうな」

「こんなに暗い夜に、提灯も持たずに動くのは無理だ。しかし、同類って線は間違いないと思ったんだがな。まぁ、まだ分からないが」

「目撃者が一人だけって言ってたな。とりあえず明日はゆっくり休もうや」


 住み慣れた長屋に着き、身体を拭く。

 サチの乳房を眺め、罵声を浴びせられるのはいつもの事だ。

 今度触ってみよう。殴られるだろうか。

 

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