第11話 異常者


 月丹たちと居酒屋に来ている。

 サチも酒にハマり、仕事終わりに二人で飲みに出る事も増えた。酒に酔ったサチも可愛い、酒好きの剣弥には大歓迎だ。


「月丹、お前の居合術の指導のお陰で、夜襲に冷静に対処する事が出来た、感謝する」

「なぁに言ってんだ、居合に関しちゃお前ぇに教えた事なんてねぇよ。ちょいと助言しただけだ」


 居合が夜襲等に対する備えだと気付かせてくれたのは月丹だ。しかし、彼は礼を言われるのを好まないらしい。もう一度深く礼をして感謝に代えた。


「ただ、あいつらにワシが辻番所勤務だって誰が伝えたんだ?」

「さぁな、連行した辻番か、奉行所の誰かじゃねぇか?」


 だとすれば、各番所を確認して回ってたようだ。見上げた執念だ、相当プライドの高い奴だったらしい。 


「なぁ、お前ぇと手合わせし続けて思った事があるんだが、闘争心を出さずに立ち会うのは誰かの教えなのか? 真剣勝負じゃねぇからか?」

「……どういう事だ?」


 剣弥は当然、相手に勝つつもりで立ち会っている。月丹の問いの意味が分からなかった。


「袋竹刀で立ち会ったお前ぇから、相手を斬り伏せてやろうって気概が感じられねぇ。確かにお前ぇは強ぇ。だが、何ていうかな……狂気が感じられねぇ」


 そう言われてハッとした。

 確かに剣弥は、生前立ち会ってきた人々を殺してやろうと思った事は無い。真剣勝負の経験が足りないと思ったのはそういう事なんだろう。明確な理由が分かった。

 顎に手をやり、そう考えを纏めた剣弥に更に月丹は持論を語った。


「人を刀で斬り殺すなんざ狂気の沙汰だ。それくらいの異常性を持ってねぇと、この世界に来た奴らにゃ対抗出来ねぇと思うんだよな」

   

 ――異常か。

 

 普通とは違っている様を表す言葉だ。思い起こせば、剣弥は事ある毎にそう言われ続けた。


 

 昭和の初めに生まれ、古い野球ボールを皆で追いかけ回していた。

 速球自慢が投げるストレートを難なく打ち返す。回転するボールの縫い目まで見えていた剣弥には、木刀をバットに持ち替えてボールの芯を捉えることなど造作もない事だった。

 三振する事は無い、打てば殆どがヒットになる。

 

 ――剣弥の動体視力は異常だ。


 友人達は口々にそう言った。


 

 まだ三十代だった父と共に徴兵され、戦争に参加した。陸軍兵士として銃を片手に敵と撃ち合う。非日常の狂った世界に、日に日に精神は削られていった。

 ある日、父が戦死。剣弥は怒り狂って銃弾が飛び交う戦場に単身突撃し、敵の兵士を撃ち殺しまくった。弾が無くなれば銃を振り回し撲殺した。

 狂気を孕み続けた戦時中、奇跡的にも負った傷は左肩を掠めた銃創のみだった。


 ――前原は異常者だ。

 

 陸軍の中でそう口々に囁かれた。



 戦争が終わり、日本中が復興し始めた。

 幸いにも原型を留めていた道場を改修し、道場主として剣を振るい始めた。


 剣がない時に襲われる事もあるだろう。剣術修行の傍ら古武術を修めた。独特の体重移動により、相手の力をそのまま返す。その経験は剣にも大いに役立つものだった。剣術修行と共に様々な武術を修め始める。


 皆が剣を捨てた時代、剣術道場を守り維持するのは難しかった。ある日、友人の話から賭けボクシングの存在を知る。

 戦後、米軍は日本に居座った。彼らが各所で問題を起こす事もしばしばあった。そんな彼らが楽しんでいたのが賭けボクシングだった。

 時折、日本人をリングに上げて甚振いたぶる。勝てばファイトマネーが手に入る。道場の存続の為、そんな趣味の悪い催しに参加する事を決めた。


 薄いグローブを渡された。貧弱な日本人を再起不能にする為だろう。

 だが、剣弥は相手の米兵を1Rでマットに沈めた。古武術の当身をカウンターで返し、顎を打ち抜けば皆白目を剥いて倒れた。

 自分より大きな米兵をことごとく倒すジャパニーズ。剣弥のファイトマネーは盛り上がりと共に跳ね上がった。


 ――He is an abnormal monkey.


 称賛なのか軽蔑なのか、どっちでも良かった。道場を維持して余る程の金を手に入れた。

 英語を喋る事ができる様になったのはこの頃だ。海外の剣士を指導するのに役立っただけではあったが。


 

 平和な世の中で剣は忘れられ、スポーツとしての剣道でしか剣を振るう事が出来ない日々。

 剣弥は防具を付けずに、袴のみで相手と立会い続けた。それでも剣弥から一本取れる者は殆どいなかった。

 戦時中に身に付いた豪胆さ、異常なまでの動体視力。相手の振るう竹刀を弾く事など児戯に等しかった。公式戦と昇段審査以外、防具を付ける事は無かった。


 ――何だあの異常者は……。


 皆が口々にそう噂するのは当然の事だった。

 こうして世間は剣弥の事を、現代剣豪と担ぎ始める。



「戦争経験者だったか。なんだよ、とんでもねぇ狂気をはらんでるじゃねぇか。鉄砲で単身突撃する様な奴ぁ狂ってるぞ」


 戦争中の事は良く覚えている。あの時の敵兵達には、剣弥に対する恐怖心が伝播でんぱしていた。

 鬼の形相で銃を撃ちながら近づき、弾が無くなっても引かず銃を振り回して仲間を撲殺する狂気の男を前にして、敵兵たちは戦意を失い剣弥に背を向けた。


 ――あの時の敵兵達は、武蔵に刀を向けられた時のワシに似ている……。


 米兵達をマットに沈め続けた時もそうだ。

 父を殺した奴らへの復讐心もあり、相手を必要以上に痛めつけた。最後の方には、奴らは剣弥に対峙した瞬間から恐怖を感じていた。


「人は狂気に当てられて威圧されるのか……」

「そうかもな、言葉にすればそういう表現が近いのかもしれん。それを含めて『気魄』と呼ぶのかもな」


 剣弥は異常な程の狂気を孕んでいる。それを表に出す機会が無さすぎた。いつの間にか内に秘めてしまっていたらしい。

 それが月丹の言う闘争心の欠如なのだろう。


「月丹……お前には気付かされてばかりだ。出会えて良かったよ」

「よせよせ、俺ぁ思った事を口に出しただけだ」


 そう言って月丹は、頭を掻きながら徳利を剣弥に突き出した。

 夜更けまで四人で酒を煽った。


 目の前の親友も然り、この世界に招かれた者達は総じて異常者なのだろう。


 そして剣弥や月丹とは毛色の違う異常者が、佐久島の町を恐怖におとしいれる事になる。

 

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