第10話 組太刀稽古


 仕方なく外に出る。月丹もついてきてくれた。サチとボタンは酒を楽しんでいる、出てくる気配は無い。


 男二人は帯刀している。剣弥は丸腰だが、相手は相当酔っている。大丈夫だろう。


「おぅ、覚悟はいいんだな?」

「お前ら喧嘩してたんじゃないのか? 仲直りしたならワシは戻って飲むが?」

「は? 喧嘩だと? 俺らが楽しく飲んでたらてめぇが絡んできたんじゃねぇか」


 酔っ払い過ぎて記憶をすり替えている。まぁ、相手をするのが一番手っ取り早い。


 男の罵声が響いている。何事かと周りに野次馬が出来た、好都合だ。

 手前の男が刀に手を掛けたのを確認し、一気に距離を詰める。柄の先端を右手で抑えて抜刀を封じ、左手で顎をはね上げ、足を掛けて浮いた体を地面に背中から叩き付けた。

 もう一人は、一瞬の事に事態を飲み込めないでいる。掴んだ腕を引いて関節を決め、仰向けになった男の上に倒れ込ませた。

 上の男の背中に座り、二人を取り押さえる。


 周りの野次馬達は、剣弥が丸腰なのを見ている。刀を持った二人を一瞬で畳んだ剣弥に歓声が上がった。こうなれば剣弥の身は安泰だ。


「月丹、悪いが番所に行って誰か呼んできてくれるか?」

「あぁ、分かった。帰ってきたらまだ飲むぞ」


 管轄の番所は近かったらしく、すぐに辻番二人が駆け付けた。周りの野次馬達が剣弥の潔白を証言してくれたお陰で、何事も無く居酒屋に戻るが出来た。


「何だ剣弥、丸腰でもやるじゃねぇか!」

「まぁ、剣の役に立つかなと古武術もかじったからな。そもそも、あれだけ相手が酔っ払ってれば誰でも結果は同じだろう」


 いざこざは、ほんの三十分程の事だった。酒盛りは再開し、楽しい時間を過ごした。

 ほろ酔いのまま長屋に戻る。月丹達の長屋が二つ隣だった事を知り、交流が更に深まった。



 ◇◇◇



 辻番所勤務をサチと共にこなす日々。

 月丹たちと一緒になる事も多く、互いの流派を教え合う。家は二つ隣だ、組太刀稽古に一日を費やす事もあった。

 組太刀とは、流派の形に沿って打ち込んだり受けたり、間合い等を体得する稽古法だ。


 毎回月丹たちと一緒になる訳ではない。他の同僚達には、暇な時間に自己鍛錬をしようなどという熱心な者はいない。

 

 一人の時は腕立て伏せや懸垂、スクワット等で筋力の増強に時間を費やした。

 筋トレは科学だ、無闇矢鱈に毎日するものでは無い。胸や肩を鍛えた次の日は、背中や脚を鍛えるというように、日を分けて回復させなければならない。完全休養の日も必要だ。肉や卵など、毎食のタンパク質の摂取も欠かさない。 

 ただ、あくまでも刀を振るうための筋肉だ。真剣、木刀、袋竹刀を振り続けた。


「よし、サチ。背中に乗ってくれ」


 腕立て伏せを腕のトレーニングだと思っている者が多いが、実は主に胸のトレーニングだ。上腕三頭筋、つまり二の腕の筋肉等も動員する為、上半身のトレーニングに良い。


 過負荷オーバーロードの原則。

 いつも同じ刺激では筋肉は育たない。サチを背中に乗せて負荷を調整する。

 目指すは力がありつつも速さを損なわないしなやかな筋肉。心配しなくとも、トレーニング器具がない中でボディビルダーの様な大きな筋肉に育つ事はない。



「では、巡回に行ってくる」

「あぁ、気を付けてな」


 無気力な同僚二人に見送られ、サチと共に昼下がりの街中を巡回する。


 建設途中の屋敷があり、大工達が一服しているのが見えた。隅には木の端材が積まれている。


 ――あれは。


「失礼、この端材は頂けるものなのか?」

「ん? 湯屋に持って行って燃やして貰うだけだからな。欲しけりゃ好きにすりゃいい」

 

 大工達に断りを入れ、端材の山を漁る。

 やはり本赤樫ほんあかがしだ。木刀の素材に良い。太さも長さも丁度いい物を見つけ、持ち帰った。

 

 早速午後から削りの作業に入る。家屋のために使う木材だ、しっかりと乾燥している。

 仕事を終え、長屋でも削った。木刀の為に切り出したのかという程の木材だったため、夜には削り終わり、昼に買ったヤスリで仕上げる。


 思いのほか上手く仕上がった。

 明日は休みだ、早速朝から振ろう。



 ◇◇◇

 


 明朝、木桶の水で顔を洗い浴衣のまま草履で外に出る。長屋近くの開けた場所が、いつもの稽古場だ。

 昨日削り終えた本赤樫の木刀を持って、正眼に構える。振ってみると今までの木刀よりも手に馴染み、しっくりくる。


 振り返ると、サチが今まで使っていた木刀を振っていた。


「ん? そう言えばサチも剣を使うと言っていたな」


 いつも剣弥と月丹の組太刀をボタンと一緒に見ていた。稽古の相手にならないものかと声を掛ける。


「なぁ、組太刀の相手してくれないか?」

「あ? 構わないよ」


 互いに向かい合い、試しに基本の一ツ勝をサチに打ち込んでみる。サチの受けは完璧だった。まるでもう一人の自分と打ち合っている様な感覚を覚えた。


「おい、完璧だな……」

「当たり前だ。お前が出来る事はアタシにも出来る」


 ――どういう事だ……?

 

 剣弥の表情を見て言葉を続けた。


「アタシはケンヤの知識や技術で出来上がってるって事だ。お前がこれから蓄積した事も、アタシに還元される。まぁ、お前より強くなるなんて事はないけどね」


「お前はワシのコピーという事か?」

「まぁ、そういう事だね」


 という事は、組太刀の相手としてこの上ない。月丹から教わった事をいつでも反復出来るという事だ。


「そういう事は早く言ってくれ!」

「知りたいなら聞きな。アタシは余計な事は喋らないよ」

「思いもしないだろそんな事!」

「剣を使うとは言ったぞ?」


 まぁ、言い合っても仕方ない。

 いい稽古相手が出来た、素晴らしい事だ。



 ◇◇◇

 


 辻番の仕事、月丹との稽古、サチとの稽古に日々の筋トレ。充実した日々を過ごす。


 ある夜番の日。

 月が明るく、提灯ちょうちんが無くても前が見えそうな夜だった。


 いつも決まったルートでの巡回中。

 広い橋に差し掛かり渡り終えた時、街路樹の裏から斬り掛かる影。草鞋の摺る音に反復した居合の形が染み付いた身体が反応する。素早く抜刀し、影を斬り伏せた。

 その後ろから斬りかかってくる男の袈裟斬りを捌くと、体勢を崩した男は前のめりに倒れ込んだ。

 冷たい切っ先を男の首元に付けると、静かに両手を上げた。


「だから俺は嫌だって言ったんだよ……降参だ、殺さないでくれ」


 静かに振り向く男の顔を、落として燃えた提灯の炎が照らす。居酒屋で番所に突き出した二人組のうちの一人だった。


「こいつはあの時の連れか?」


 脇で息絶えている男を一瞥し、問いかける。


「あぁ……こいつが、あんたに復讐するから手を貸せって……」

「そうか、お前を殺す事は無いから安心しろ。ただ、奉行所に行く事にはなるぞ」


 肩を落とした男を番所まで連行する。

 サチには死体の移動を頼んだ。刀の回収はもちろん忘れない。


 番所横の空き地に捕らえた男を縛り付け、むしろを被せた死体を安置している。

 奉行所に連絡し、朝を待った。


 月丹と共に磨いた居合の技術が役に立った夜だった。備えていれば冷静に対処が出来る。

 稽古は必ず己を強くする。真剣を使った実戦もあり、剣弥は自分の成長を実感していた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る