第9話 湯屋と居酒屋


 アスファルトは偉大だ。

 町中に舞っている乾いた砂埃が、汗に混ざってザラザラと気持ちが悪い。汚れた羽織と防具はサチに渡してある。


 少し前から見えてはいたが、明らかに炊煙ではない煙がもくもくと立ち上る木造二階建ての前に着いた。煙突は無い、借りている長屋の様に天窓からの排気なのだろう。


 引き戸を開け中に入ると番台が一つ。

 奥にはもう既に裸の男女が見えている。


 ――ん……? 男女……?


「なぁ……混浴なのか?」

「あ? 湯屋と言えば入り込みが当たり前ぇだろ。俺が生きた時代はそうだったが」

「そうなのか……何とも不謹慎な……」


 番台に入浴料を一人十文支払う。

 羽書はがきという、いわゆる一ヶ月フリーパスがある様だが、とりあえず今日はやめておいた。


 板敷の脱衣所で汚れた小袖と袴を脱ぎ捨て、全てをサチに渡した。刀を盗られる訳にはいかない、サチに渡すのが最上のセキュリティだ。

 月丹も腰の大小をボタンに預けて、既に裸だ。


 月丹の身体は、筋肉の上に適度に脂肪が乗っている。盛大に生えた胸毛が男臭さを醸し出している。


 それよりもボタンだ。内気な女性だと思っていたが、何の躊躇いもなく全てを脱ぎ捨て、月丹の横に着いている。

 小ぶりながら形のいい胸。特に目を引くのはキュッと上がった立派な尻だ。月丹は尻好きらしい。

 サチの豊満な乳房を眺めていた月丹と目が合い、お互い苦笑した。性癖を見られたようで、もの凄く恥ずかしい。


 なんと言うか、知り合いの奥さんの裸を見ているような、何とも言えない気持ちになる。


「おいケンヤ、すぐにそいつを隠しな。とんでもないクズ野郎だな。切り落してやろうか」


 サチに言われて目線を落とす。

 剣弥のモノが天を衝くようにいきり立っていた。


「うぉ! 二十年以上不能だったモノが……」

「ガハハ! 元気だな剣弥! ボタンの裸がそんなに良かったか?」


 それを聞いたボタンが頬を染め、モジモジしている。サチは軽蔑の眼差しで剣弥を睨みつけ、いきり立ったモノを思いっきりビンタした。


「あがっ!!」


 折れたかと思うほどの激痛で、床板に倒れ込む。ジンジンと疼くような痛みが薄れるに連れ、徐々に萎んでいった。


 

 洗い場で体の汚れを落とす。石鹸は無く、米ぬかで汚れを落とすようだ。

 三助と呼ばれる黒い布を纏った男たちが、客の背中を流している。女性客の背中も流せるとは何とも羨ましい職業だ。

 月丹を見ると、ボタンに背中を流してもらっている。


「サチ、背中流してくれるか……?」


 先程からの軽蔑の目は変わらないが、無言で背中を流してくれた。

 軽石で背中をガリガリされると思い期待……いや、身構えたが、主人を怪我させる事はしないようだ。


 浴槽に行くには、石榴口ざくろぐちと呼ばれる壁板をくぐって入らなければならない。熱は上に立ち上る、熱気の流出を防ぎ浴槽を冷めにくくする為の工夫らしい。


 四人で浴槽に浸かる。

 顔を綻ばせて口を開け、気持ちよさそうに浸かるのはいつの時代も変わらないものだ。


 身体を拭きながら脱衣所に戻ると、綺麗に磨かれた鏡を見つけた。覗き込むと若返った自分が写っている。昔はハンサムだと女にモテたものだ。

 幼少期に付けた眉尻の傷が無くなっている。戦争従軍中に掠めた左肩の銃創も、綺麗さっぱり無くなっている。本当にこの世界の為に作り直された身体なのだと理解した。


 二階スペースは談話室らしい。

 男達の憩いの場であり、情報収集の場でもあるそうだ。何か聞きたいことがあれば行ってもいいかもしれない。 

 今日は今から飲みに行く、特に用事は無い。


 綺麗な身体で浴衣に袖を通し、履物を草履ぞうりに履き替えて湯屋を後にした。辺りはすっかり暗くなっている。

 

「おいケンヤ、ここはまた来るよ」 

「え? あぁ、また来よう」


 サチは随分気に入った様子で、湯上りで火照った顔は見た事がないほどに御機嫌だ。



 月丹おすすめの居酒屋はそう遠くなかった。

 中に入ると、男達の賑やかな声が店中に響き渡っている。いつの時代も変わらない風景だ。

 草履を脱ぎ、案内された小上がりの畳敷きに座る。例の如くテーブルなどは無い。風呂上がりには冷たいビールを飲みたいところだが、生憎そんなものは無い。

 

 徳利とっくりに入った日本酒を、お猪口ちょこで頂く。とろりとして甘みがある。が、アルコール度数は低く感じる。決して不味いわけではなく、飲みやすい。


 月丹は勿論、サチもボタンもいける口だ。

 サチはお猪口じゃ足りんと言わんばかりに一献飲み干し、ずいっと剣弥に差し出す。注いでやると直ぐに飲み干す。二人で飲みに来ても良いかもしれない。


 海が近いだけあって、刺身や焼魚が美味い。炙ったイカや干物などのツマミも豊富だ。正直期待していなかったが、これは楽しめそうだ。


「こんなに気の合う奴と出会えるたぁ思わなかった! 懇意に頼むぜ剣弥!」

「あぁ、月丹はこの世界で初めて出来た友だ。こちらこそよろしく頼む」


 そう言って互いに酒を注ぎ合った。

 サチとボタンも隣同士で、美味しい酒とツマミに舌鼓を打っている。


「月丹が斬った同類の名前は覚えてるのか?」

「いや、名乗ることなく斬りかかってきたからな、分からねぇな。お前ぇは? 俺で二人目なんだろ?」

「宮本武蔵だ」


 月丹はお猪口を持ったまま目を見開いた。


「宮本武蔵って……あの二天一流のか?」

「あぁ、片手正眼の武蔵に、ワシは身動き一つ取れんかった。挙句、偽物だと言われて斬られもしなかった」

「なんだと……? お前ぇがか? そこまでなのか」

「気の合う月丹となら切磋琢磨出来る。これからも仕事の傍ら、手合わせ頼めるか? ワシは居合の経験が乏しい。指導もしてもらいたいんだが……」

「あぁ、任せろ! その代わり、切り落としの極意を教えろよ?」

「あぁ、勿論だ!」


 他流派のいい所を取り入れる。辻番で真剣勝負の経験を積む。地道にやっていくのが一番の近道だ。それは九十余年の人生で学んだ事だ。


 皿が割れる音がして振り返った。


「てめぇこの野郎! ふざけてんのか!?」

「ふざけてんのは手前ぇだろうよ。やんのか?」


 ――なんだ、ケンカか?


 酒の席では良くある事だ。剣弥は草履を履き、男二人の間に割って入った。


「おいおい、店に迷惑がかかる。ケンカなら外に出なさい」


 男二人が一斉に剣弥を睨みつけた。


 ――あっ……しまった。


 昼の仕事の延長で仲裁に入ってしまった。月丹は頭を掻きながら、仕方なく草履を履いた。


「何だてめぇは。関係ねぇだろ!」


 その通りだ、本当に関係ない。

 面倒臭い事に頭を突っ込んでしまったと、心底後悔する。ただ、今更引いてくれはしないだろう。


「店と周りに迷惑だと言っている。金を払って外に出た方がいいんじゃないか?」


 正論を投げているつもりだが、酔っ払いには通じない。


「面白ぇ、相手になってやるよ。おう親父、ごっそさん」


 男二人は金を払い、剣弥という共通の敵を前に喧嘩を無かったことにしている。

 剣弥は溜息混じりに男二人と店から出ていった。

  

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