第8話 無外流剣術


 目の前の髭面は、玩具を与えられた子供のように嬉しそうな顔で袋竹刀を振っている。


 さぁ、有名剣豪のお手並み拝見だ。

 右足を前に両手で竹刀を垂らす。下段の構えだ。重心を少し後ろに置き、相手の出方を伺う。


 月丹は反対に右足を下げ、右脇に構えた。さっきまでのにやけ顔が豹変した。

 眼光鋭く、太眉が吊り上がる。刺すように剣弥の目を睨みつけている。一気に空気が張り詰めた。

 初日に、武蔵バケモノの異常な気魄を体験しているのが良かった。真剣と袋竹刀の違いは勿論あるが、臆する事は無い。


 摺り足で近付いてくる月丹。気魄に押されぬよう、負けじと前に出る。月丹が右足を前に出し、正眼に移行した。竹刀の先端が触れるほどに互いが近付く。

 フゥっと息を細く出し呼吸を整え、正眼に移行し、先端を重ね小競り合う。

 再度下段に移行したその瞬間、鋭い真向斬りが剣弥を襲った。


 咄嗟に右足で地を蹴って身体を捻り、ギリギリで躱した。

 

 ――好機!

 

 しかし体勢を崩すかと思った月丹は、直ぐに竹刀を引き正眼に戻した。


 ――大した体幹の強さだ……。


 互いに間合いを詰め、竹刀が先程より近い位置で重なる。ズイッと竹刀を突き出すが、さすがに乗ってはこない。

 再度竹刀を少し上げた直後、月丹が両膝を折り、竹刀を引いたかと思えば、流れる様に突きを繰り出してきた。

 二本の竹刀の衝突音の後、月丹は前のめりに体勢を崩し、剣弥の竹刀が右小手を強く打った。

 月丹の手から竹刀が落ちる。


「クッソ! 見事な切り落としだ……」

「フゥ……背中が汗でぐっしょりだ……流石だな月丹」


 前原一刀流 切り落とし

 

 相手の技の起こりに合わせて弾く。一刀流の基本であり、至高の技だ。

 現代剣道の切り落としは、ほぼ相打ちになる。切り落とし面と呼ぶが、一刀流が使うそれとは異なる。真剣勝負で相打ちになる様な技は使えない。技に合わせて滑り込ませると言うよりは、弾くという表現が正しい。

 

「俺の流派は『初太刀で勝負を決する剣』だ。まさかあの真向斬りが躱されるとはな……完敗だ」

「いやぁ……たまたま下段に移行したのが良かった。二本目の突きには肝を冷やしたよ。もっと手合せしたい」


 気づけばサチとボタンが横で見ていた。

 ボタンが湯呑みを用意している。番所の壁沿いの長椅子に二人で腰掛け、茶を啜る。


「剣弥は一刀流だったか。いや、中条流か?」

「一刀斎先生の流れを汲んでいる。無外流は居合を使うのだろう?」


 月丹は眉根を寄せて、剣弥の顔を覗き込んだ。


「おいおい、俺の流派なんぞお前ぇに言ったか?」

「あぁいや、ワシが生きた時代は、月丹が生まれた徳川の世から四百年近く後だ。だからあんたの流派は知っている。無外流は居合術として後世に伝わっているんだ」


 それを聞いて月丹は顔をしかめた。


「居合だと……? 確かに居合術は師事を受けた。だが無外流の真髄はそこじゃねぇ」

 

 剣弥の記憶が正しければ、無外流はどうやら失伝しているらしかった。口伝や残った書物を元に再現された流派だと聞いた事があった。


「そうなのか……あんまり聞きたくは無かった話だが、まぁ俺にゃ関係の無い話ではあるな」

「徳川の世の後にも戦は多々あったからな、書物が燃えるなりで無くなることもあったんだろう」


 無外流は、居合の稽古が主流だと聞いている。

 先人が試行錯誤した形を模倣し、巻藁まきわら等で試し斬りをしているのをよく見た。あれも剣術には違いないだろうが、無外流居合という一つの競技だと考える。


 全ての流派は、流祖から後世に伝わるにつれ、伝言ゲームの様に少しづつ変わっていく物なのだろう。

 書物に残したところで、受け手が変われば解釈も変わる。全ての技術を完璧に模倣するのは難しく、それぞれが工夫して弟子に伝える。

 そうして代々受け継がれたのが、剣弥が生きた時代の『剣術』だ。


「なるほどなぁ、そうかも知れんな。俺らの時代でも失伝した流派があった。それは口伝のみで伝わってはいたが、全くの別物だった可能性の方が高そうだな」


「月丹は居合をどう考える?」


 月丹は剣弥の質問に改めて背筋を伸ばし、腕組みをして自分の考えを述べ始めた。


「俺ぁ、居合は護身術だと思ってる。突然斬り掛かってくるやからを、素早く抜刀して斬り伏せる。居合の形を反復する事で、瞬時に反応出来るよう備えるってことだ。互いが抜刀して対峙する『仕合』とは、別で考えねぇとな」


 近代社会で帯刀して歩く事は無い。武器で襲われる事も、普通に生活していればまず無い。

 辻斬りに会えば居合の技術が必要になる。居合の形の修練は積んできたが、何に備えるかを理解するとしないとでは大違いだ。

 そんな機会が無いから思いもしなかった。


「慧眼を得た心地がするな。ありがとう、居合を疎かにするところだった」


 月丹は打たれた右手を擦った後、袋竹刀を持って立ち上がった。


「よぉし! もういっちょ立ち会うか! ボタン、サチと一緒に見回り行ってこい!」


 言われてサチとボタンは二人で見回りに出掛けた。番所にいなくて大丈夫なのだろうか。まぁ、隣にいるから声をかけて貰えれば良いのだが。


 昼飯と、町民がトラブルを持ってくる以外は月丹と手合せをして過ごした。革製ではあるが、胴と小手を装備している。頭には鉢金だ。打たれれば当然痛いが、無いよりマシだ。

 何度立ち会っただろうか、剣弥が勝ち越した。


 日が沈みかけている。番所の中の小上がりに座って汗を拭っていると、交代が来た。


「おぅ、ご苦労さん!」

「ちょっと早かったか。で、なんでお前らそんなに汗まみれなんだよ」

 

 月丹はガハハと笑って剣弥を見た。


「いやな、いい稽古相手が見つかってなぁ! お前ぇも暇な時間は有効に使わねぇとな!」

「へぇ……熱心なこって」


 次々に他の三人も到着し、暮れ六つの鐘が鳴り響いた。およそ午後六時、腹も減ったが汗だくだ。湯を浴びたい。


「初日勤務終了だ。帰るかサチ」

「おう、二人とも今から飲みに行かねぇか?」


 突然の誘いに足が止まる。なるほど、仕事終わりの一杯か。久しく楽しんでいない感覚だ。


「いいねぇ、ワシも酒は好きだ。行くか! その前に湯屋で汗流さないか?」

「確かにそうだな……今日は汗だくだ。よし、まずは湯屋に行くか!」


 剣弥と月丹の後ろを相棒二人が従い、広い通りを湯屋目指して歩みを進める。

 横を歩く髭面は、話しながら時折肩を叩いてくる。立ち会いで打たれたアザを直撃し、痛みで時折顔が歪んだ。

 

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