第7話 辻月丹
辻 月丹。
江戸時代中期の剣客で、無外流の流祖だ。
老けているのか若いのか、見た目の年齢は全く分からない。剣弥と同じくこの世界に招かれた存在。月丹とは仕事仲間になる間柄だ。敵意は全く感じられない。
「ワシは前原 剣弥という、よろしく頼む」
武蔵の時と同じ轍は踏まない。すぐに名乗り、一礼した。
「剣弥か! 月丹って呼んでくれよ!」
声を上げて笑いながら、剣弥の隣に並び肩を叩いた。馴れ馴れしい男だ。
「あのぉ……」
月丹の後ろに隠れていた女は、両手を腹あたりで組み、モジモジしている。厳つい額の鉢金が全く似合わない、内気な少女という印象を受ける。下がり眉毛で潤んだ垂れ目、背の低い控えめな女性だ。当然、月丹の好みなのだろう。
「んあぁ、こいつぁ俺の相棒だ。牡丹って呼んでる。ゲッタンにボタン、響きが良いだろ?」
いちいちガハハと耳元で煩く笑うが、嫌いではない。気のいい男だ。
「こっちも紹介しとかないとな。サチだ、口は悪いが悪意は無い。よろしく頼む」
「よろしく」
サチは腕組みを崩し、右手を上げて挨拶した。剣弥以外にはキツく当たらないのかもしれない。
「しかし、辻番所に辻月丹か……狙ったのか?」
「ガハハ! 本当だな、たまたまだ!」
月丹に仕事の内容を聞く。
基本はこの番所に詰め、たまに二人づつで周囲を巡回する。町中に点々としている各番所ごとに、担当範囲がある程度決まっているらしく、慣れるまでは地図が手放せない。食事等の休憩は、交代で適当に取ればいいという。
「まぁ、何も無けりゃ気楽な仕事だな」
「夜には辻斬りが出たりしないのか?」
「あぁ、夕暮れ時にゃ稀に出るらしいな。俺もまだ今日で二回目だ。当然会ったことはねぇが、同僚達も何人か殺されてるらしい」
頻度は低いが出るらしい、積極的に巡回しよう。
「おう、ボタン! 俺ぁ剣弥と巡回してくるからよ、留守番頼むわ!」
「はい……お気を付けて」
ボタンは深く腰を折り、主人を見送る。サチは小上がりの畳に脚を組んで座ったまま、剣弥に向かって無愛想に手を振った。
この世界に来て、離れて行動するのは初めてだ。
――サチの態度は寂しいの裏返しなのか? 何なんだこの気持ちは……。
今までずっと一緒にいたのに、素っ気ない態度が、剣弥のM心を掻き乱す。
月丹と並んで町を巡回する。
春の爽やかな陽気が心地良い。町民の挨拶に大声で返す隣の明るい男の笑い声が、大昔の友との思い出を彷彿とさせる。
晩年こんなに笑って喋った事があっただろうか。明るい男だ。
「そういや、同類に出会ったのは初めてか?」
「いや、二人目だ。サチから聞いてなかったから何かと思ったな」
「だろ? 俺も最初は何事かと思った。町を移動中に真剣突き付けられて、そういう事かと理解したぜ」
月丹はもう同類を斬っているらしい。
好戦的な相手に当たればすぐに勝負か。実に分かり易い世界だ。
「俺ぁ同類と喋るのは初めてだからな、まぁよろしく頼むよ! しかし、また剣に生きられるとはな。ボタンが何言ってるかは分からなかったがな」
月丹はガサツだが気が合いそうだ。
自分の流派を立ち上げて後世に伝えた程の剣豪だ。こういった出会いは大事にしなければならない。是非手合わせを願いたい。
「ワシがこの仕事に就いた理由は、辻斬りの様な輩と真剣勝負をして腕を磨く為だ。その経験が乏しいからな」
「そうか、俺も生まれた時にゃもう戦の世じゃ無かったからな、俺にもさほど経験がある訳じゃねぇ」
剣術は兵法の一部に過ぎない。人を殺める
「俺がこの仕事を選んだのはよ、辻番ってのは武士の仕事だ。こんな仕事するって事は、武術に精通してる。番所に詰める暇な時間で、同僚達と剣術修行が出来るんじゃねぇかって思ったんだ。ただ、見込みは外れたがな。奴らにそんな気概はねぇ」
こういう世界だ、聞いたことも無い流派、歴史に埋もれてしまった流派と手合せ出来る事もあるかもしれない。
「お前ぇ、番所に袋竹刀があるのに気付いたか? 入口横に立て掛けてあるんだが、ありゃ俺が置いてるもんだ」
袋竹刀とは、割いた竹を筒状に縫い合わせた革袋に入れた物を言う。振り抜けば当然コブは出来るしアザも作るが、木刀の様に命に関わるものでは無い。剣道の様な防具を着けずに手合せするのが普通だ。
「なるほどな。ワシが死んだ時の心残りは、真剣勝負で果てる事だった。だが、死にたい訳ではない。剣に生きた人生の集大成を命に乗せて剣を振るう、その為なら死んでも構わないという事だ」
隣を歩く月丹は、大きく頷いて聞いている。
「ただ幸いにもワシらは、その実力を更に伸ばす事が出来る世界にいる。ワシはもっと強くなる為に、真剣勝負の経験を積むことばかりを考えていた……月丹の言う通り、他流派や強者との仕合経験を積むのが、この世界で実力を伸ばす近道なのかも知れんな。その延長上に真剣勝負があるんだろう」
月丹は下を向いてフフっと声を漏らした。そして、剣弥の肩を二度叩いて組んだ。
「お前ぇとは話が合いそうだ! なぁ、暇があったら袋竹刀で手合せしねぇか? この仕事は同じ奴と回る事が多いらしいからよ」
「あぁ、ワシからも是非お願いしたい」
巡回しながら、地図を頼りに道案内をしたり、喧嘩の仲裁、酔っ払いの保護等、やっている事は本当に交番の警察官の様な仕事だ。
特に大きな事件や事故に遭遇することも無く、番所に戻った。
「おう、朝飯に団子買ってきたぞ!」
「あっ……おかえりなさい」
ボタンはすぐに立ち上がり、水出しの茶を湯呑みに注いだ。丁寧に盆に載せて配って回る。
サチは団子と茶を受け取り、右手を上げて礼に代える。横柄な態度だが二人は全く意に介さない。
団子をお茶で流し込みながら談笑する。
サチも時折笑顔を見せる。初めて見る笑顔に胸がキュンとする。剣弥の視線に気付いたサチは、少し頬を膨らまし睨みつけた。
――かっ……可愛い……。何だこの気持ちは……まさかこれが、曾孫の剣太郎が持っていた漫画で見た、ツンデレと言うやつなのか!?
あの手この手で剣弥の心をくすぐってくる。
剣弥は可愛い相棒に心を奪われている。
「さぁて剣弥! 外に出るぞ!」
「おっ……おう!」
月丹の声に剣弥は意識を引き戻され、二人で刀を相棒に預ける。月丹が入口付近に立てかけてある布袋を掴み、外に出た。
すぐ隣の土地は番所より少し広いくらいの空地だ。遺体の安置や、乱暴狼藉を働いた輩を捕縛し、一時的に拘留しておく等のスペースらしい。
犯罪者には屋根など要らない、近代日本では考えられない事である。
月丹は布袋から二本の袋竹刀を取り出し、一本を剣弥に向けて投げ渡した。
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