第5話 佐久島町奉行


 町奉行所は、町の中心部に近いらしい。


 時折川を跨ぐ広い橋を渡り、民家等の建物が途切れる。柳の木が続く薄暗い道を通る事もあった。夜間、辻斬りが出るとすればこういった道なのだろうと察しがつく。


 こういった道を無くせば良いのだろうが、ここに家を建てて住めなどと言うのも横暴な話だ。

 

「なぁ、サチも刀を持って戦うのか?」

「あ? まぁそういう場に居合わせたら、そうせざるを得んだろ。心配するな、守って貰うほどヤワじゃない」

「そうか、その時は御手並み拝見とするか」


 サチは帯刀していないが、稀に腰に刀を差した女性を見かける。この世界では女性剣士はそう珍しくないのかもしれない。


 

 次第に道幅が広くなり、通りに響く賑やかな声が気分を晴れやかにする。

 ふと前方を見上げて気がついた。

 

「おぉ……城があるぞ」


 道理で大きな町だ、ここは城下町だったらしい。立派な四層の天守が、周りの低い建物を見下すように聳え立っている。

 どうせ聞いてもサチは教えてくれない。色々と知りたい事がある。仕事仲間が出来たら聞いてみよう。


 口入れ屋の男は、ここらで聞けばすぐに分かると言っていた。が、偶然それらしい建物を見つけた。立派な門構えに『町奉行所』の文字がある。二階建てのかなり大きな屋敷だ。

 

「ここだな、オレらの当面の就職先だ」


 サチは無言で半歩後ろを着いてくる。

 門をくぐり、引き戸を開けた。立派すぎる玄関に少し萎縮する。

 

「ごめんください」


 剣弥の声が響いた後、奥で物音が聞こえ小男が小走りで現れた。細身で小袖の裾をたすきでたくしあげている。


「はいはいはい、お待たせしましたね」

「口入れ屋からの紹介状を持参したのだが」


 男は紹介状を見もせずに、喋りながら奥に引っ込んで行った。

 

「はいはいはい、ついてきて下さいね」


 口調からも察する事が出来るが、せっかちな男だ。草鞋を脱ぎ、男を見失わないように綺麗に掃除された板敷きの廊下を進む。


 多くのふすまを見送り、奥まで歩く。一際豪華な襖の前に、一人の男が立っているのが見えた。見るからに厳格な様相の男は肩衣袴かたぎぬばかまを身につけ、腰には大刀小刀を携えている。

 小男が膝を着いて紹介状を手渡した。襖の前の男はそれに目を通し、剣弥達を一瞥した後、襖の前に膝を着いた。

 

百地ももち様、辻番の紹介状を携えた者が参りました」

 

「入れ」


 少し間を置いて、意外にも若い男の声が襖の奥から返ってきた。


「刀を預かる」


 男に刀を手渡し、開いた襖の中へ進む。

 畳敷きの部屋は二十畳も無いだろうか、意外にも質素な部屋に、帳面が多数乗った平机があるばかりだ。 

 一段高くなった場所に、家紋入りの肩衣袴を身につけた、年の頃は三十前後の明らかに身分の高い男が出迎えた。

 前頭部は月代さかやきを剃り上げ、髷を結っている。真っ直ぐな眉の下の目を細め、ジッと剣弥を見据えている。鋭い眼光が全身に突き刺さった。


 どう考えても目上の御方だ。九十年以上生きた剣弥でなくとも、ここは平伏する場面だと日本人なら理解する状況である。

 開け放たれた豪華な襖をくぐると、滑り込むように膝と両手を着き、畳に沈む程に額を落とす。ジャパニーズ・ドゲザのお手本だ。

 小袖の着流しで来てしまった事を心底後悔した。さっきの全身を刺すような視線は、この格好に対する物だったのではなかろうかと、剣弥の額に汗が浮かぶ。


「突然の訪問、誠に恐れ入ります。前原剣弥と申します。こちらは従者のサチでございます。御奉行様に置かれましては御多忙の折り、謁見を賜り誠に恐悦至極。僭越ながら辻番の職務に着くことを所望し馳せ参じましてござりまする」


 時代劇で何となく聞いたような世辞を適当に並べた。合っているのかも分からない。


「おいおい、そんなにへり下らなくても良いって。頭を上げてくれ」


 意外な言葉に、畳に沈んだ頭を恐る恐る上げた。更に意外だったのは、斜め後ろで同じ様に平伏しているサチの姿だった。剣弥に対しての口は悪くとも、場の空気は読むらしい。


「ははっ、失礼致します」


 百地と呼ばれた目の前の男は、にこやかに表情を崩した。さっきの刺すような鋭い視線とは打って変わって、柔和な表情だ。


「そうだよな、俺がかしこまってたらそうなるわな。まぁ足を崩してくれよ」


 これはいわゆる面接なのだろうが、ここで足を崩していいものなのか。何せ剣弥は就職活動をした事が無い身、さっぱり分からない。


「いえ、身なりは悪くとも、目上の御方に対する礼儀は弁えておりまする」


 後悔した身なりを、上手く言い訳してみた。正座を崩すこと無く二人で表を上げる。


「うん、結論から言おう、合格だよ。辻番って仕事は、言わば町民を取り締まったり、揉め事を収めたりする仕事だ。俺の前で横柄な態度を取るような輩は、町民に対して威張り散らすだろうからね。試す様な真似して悪かった」


 何ともサッパリとした気持ちの良い男だ。どうやら面接は合格らしい。


「前原とサチだったかな? 名乗るのが遅れたね。俺は佐久島藩の町奉行『百地ももち 清秀きよひで』だよ」


 と言った。この島は国という事だ。この島の何処かに、国の中枢たる場所があるはずだ。さっき見たあの城は藩主の居城だろう。この世界に来て、さっそく藩の御奉行様と面会している。この縁を無駄にしてはいけない。


「ははっ、身を粉にして働く所存でございますので、何なりとお申しつけください」


 そう言い終えて、もう一度深々と頭を下げた。


「辻番は言わば町の警備隊だ。無法者の相手もしてもらう。命を落とす者も多く、藩の武士だけじゃ手が足りなくてね。口入れ屋で募集してたって訳だ。よろしく頼むよ。仕事の内容や報酬は事務方に聞いてくれ」


 百地はそう言って平机に向き直った。

 部下の男に促され、もう一度深く頭を下げ部屋を後にした。


 無口な部下から刀を受け取り、一礼して入口に向け歩き始めた。


 ――あぁ、緊張した……。


 そう言えば、この世界に来てから会った人は皆、普通に喋っている。時代劇の見すぎかも知れない、これからは普通に喋ろう。


 いきなりあそこまでの偉い人に会うとは思わなかった。脇の下の汗が流れ、小袖を濡らしていた。

 

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