第3話 邂逅


 道は勿論アスファルトなどではないが、石が取り除かれて歩くのに苦は無い。道幅もある程度広く、時折人とすれ違う。

 照りつける日差しの割には過ごしやすい陽気だ。道端には土筆つくしが生えている、季節は春か。

 

「サチ、ここはどこなんだ?」

「あ? 仮想現実の世界だって言っただろ」

「いや、そうではなく、地名のことだ」

「あぁ、架空の島国だよ」


 架空の島、どこまでもゲームだ。

 確かに剣豪達がこの世界に一同に会している。有利不利が無いのはいい事だが。


「サチはどこまで助言してくれるんだ?」

「この世界に関することなら教えてやる。それがアタシの仕事だ」

「では、今からどこに行けば良い?」

「知らん、それはお前が決めな」

「何か無いのか! どこそこで何が行われるとかそういう情報は!」

「知らんと言ってるだろ、しつこいヤツだ。その為に周りに人がいるんだろ」

「せめて地図は?」

「ほらよ」

「……あるのなら最初からくれ」


 本当にこいつは素っ気ない。

 だが……それがいい。


「とりあえず町に行くか、刀を売れば宿には泊まれそうだ」


 受け取った地図を広げる。オーストラリアの様な横に広い島国だ。

 いや、この形は四国ではないだろうか。だが、まず現在地が分からない。


「今は何処なんだ?」

「ここだ、南北に行くと集落がある」


 サチが指差したのは島の東部だ。四国で言うところの徳島県あたりか。


「町の名は?」

「大きな町で言えば、北の『佐久島さくしま』だな。更に北に行けば坂松さかまつ、南の方には遠いが渡佐とさがある。架空の地名だ、実在した町じゃない。こういう町や村が点々としている。分かり易いだろ?」


 高松と徳島と土佐。

 やはり四国を元にしているらしい。


「なぁ、この島のモデルは四国だろう? 大昔の剣豪達は四国に行ったことが無い者もいるはずだ。知ってるワシらに有利に働かないか?」

「お前が地名を知っててどう有利なんだ? そもそも架空の島だって言っただろう。皆地図を持ってるし、アタシみたいなのがそれぞれに付いてるんだ」

 

 まぁ、言われてみればそうかと思い直す。


 南は農村や漁村らしい。まずは大きな町に行きたい。北の佐久島を目指す事にした。徒歩で三時間程らしい。

 どこまで歩いても続く緑豊かな風景、遠く右側には時折海が見える。思えばこんな自然の中を歩くのも何十年ぶりだろう。都会のビルの合間を歩くのに慣れてしまっていた剣弥にとって、目に映る長閑な風景は幼少期の思い出そのものだった。


 前から男女が歩いてくるのが見える。

 前を歩く男と目が合った瞬間。


 ――キィィィーン


 何かが共鳴する様な音が脳内に響いた。

 いや、音ではない。耳鳴りに近いがそうではない。


 ――何だこれは……。


 目の前で立ち止まった男は、剣弥と背格好は変わらない。濃紺色の小袖を着流し、腰には大刀小刀を帯びている。

 ボサボサの髪を旋毛つむじあたりで束ね、無精髭が薄っすら見える。

 両手を帯に差し込み、人を見下すような目をこちらに向けている。


「なぁ、今のは何だ? 同類って事か?」

「ええ、そうね。分かりやすいでしょ?」


 男の問いに、半歩後ろに立つスラッと背の高い切れ長の目の女がそう答えた。


「同類さんよぉ、俺は宮本みやもと 武蔵むさしってんだ」


 宮本武蔵。

 日本で一番有名な剣豪と言っても過言ではない。


 ――いきなりこんな大物と出会うとは……。


 剣弥は口を開けたまま、言葉を発せないでいる。


「あぁ? 人様の顔見たままだんまりかよ、気に食わねぇな。おい、斬っていいんだな?」

「えぇ、お好きになさって」


 そう言って武蔵は、左手を帯に突っ込んだまま刀を抜いてダラリと下ろした。


「失礼……前原剣弥と言う。あまりにも有名な剣客に会って言葉を失った。手合わせとあらば……」


 この世界に来たのは、剣豪達と真剣勝負をする為だ。目の前にいるのは超有名剣豪、相手に不足は無い。


 ――やってやろう……ワシの全てをぶつけてやる。

 

 刀を抜き、正眼に構えた。


 武蔵は左手を帯に差したまま右脚を少し前に出し、片手正眼に構えた。にやけ顔でこちらを睨みつけている。

 

 ――何なんだこの気魄きはくは……ここまでの差があるのか……。


 あまりの威圧感に腰が引ける。

 すると武蔵の表情が一変し、舌打ちをした。


「何だよ……まで混ざってんのか? 斬る価値もねぇ、興醒きょうざめだ」


 刀の峰を肩に乗せ、そのまま歩き出した。


「おぅ、行くぞ」


 二人が横を歩き去る。

 剣弥は正眼の構えのまま動く事も出来ないでいる。蛇に睨まれた蛙……いや、そんなものではない。


 ――虎の前のねずみ……。


「おい……ケンヤ。大丈夫か?」


 サチのその言葉で刀を落とし、膝から崩れ落ちた。久しぶりに息をした思いだ。呼吸と脈が乱れている。


 ――助かった……。


 情けない事に、正直な思いはそれだった。

 何も出来ずに斬られていた。ただ対峙しただけでそれ程の差を感じた。額から脇、背中まで、全身が汗で濡れている。


 

 剣弥は現代剣豪などと担ぎ上げられ、山の頂上にいると思っていた。しかし、その山は余りにも低すぎた。


 この世界には、富士のいただきから他の山々を見下ろしていた男達が来ている。

 武蔵も間違いなくその一人だ。


 ふと、サチのいる西の方向を見て気が付いた。


「なぁサチ、あれは富士山か……?」

「あぁ、あれは『霞富士かすみふじ』だね。この島で一番高い山だよ」


 遠くに霞んで見える富士山に似た山。

 この島の中心に位置し、どこからでも霞んで見える事から付いた名らしい。どの山よりも圧倒的に高い。


 ――あの山の頂にはまだ誰もいない。


 剣術天下一と言われた男達の栄光も過去の話。一度は富士の頂きに立った男でも、この世界では皆が山裾からのスタートだ。


 偽物と言われたのは実力不足という事だ。九十余年の人生で得た知識や技術を一から磨き直す。


 ――ワシを今生かした事を後悔させてやる……待っていろ宮本武蔵。

 

 晴れた空に遠く聳える霞富士。 

 目指すはあの山の頂きだ。

 

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