終章(中編) 小武海戦最終決着! 昭和テニスマンが第三形態に進化。カーボネックスが火を噴くぜ!
(小武海戦 続き ゲームカウント五―四 裕リード。次は裕のサーブから)
5 さあ、ついにワンブレークアップしたぞ。コートチェンジでベンチに座り、タオルで汗を拭きながら振り返る。フォアのスライスがよかった。あれで小武海のペースが狂った。やっぱり小武海でも一ゲームでは対応難しいんだな。ここからは、もう、サービスキープに集中だ。それで八―六。あんまりスケベ心を出さないで、目の前のポイントに集中しよう。
一〇ゲームめ。僕は、ボールを二回つきながらコースを考える。そういえば、まだ真正面に打ってなかったな。杏佳は、「ポケットが苦手」だって言ってた。僕は、トスを真上にあげ、背中を反らし、体を起こしながら、肘をボールにぶつけていく。ああ、ボールの継ぎ目が良く見えるな。集中できてる。遅れて来たラケットヘッドがボールを打ち抜き、視界から消える。瞬間、「パンッ!」という炸裂音とともに、ボールが小武海の正面を襲う。小武海は窮屈な姿勢でバックハンドを当ててくる。ああ、やっぱり小武海は返してくるんだな。だけどだんだん慣れてきた。小武海の動きも良く見える。バックにダッシュしている。僕は、サービスライン付近から今小武海が立っていた場所に正確にボレーを送り込む。返ってきたら次で仕留めればいい。だけど、ボレーが良かった。逆サイドに走り出していた小武海はもう戻れなかった。一五―〇。
このゲームは全部真正面にフラットを打ち込んだ。これなら九割方入るから、セカンドもお構いなくフラットだ。ダブルフォルトが一つあったけど、四〇―一五からのリターンを小武海がネットにかけて、サービスキープ。ゲームカウント六―四。
油断したらいけないけれど、このあたりが師匠が言っていた「実力の交差点」なのか。しかも、僕には、今、それを抜けつつある感覚が、確かにある。
すぐサービスチェンジ。次のゲームは「もしブレークできたらよし」くらいの気持ちで臨もう。ファーストからセイバーでプレッシャー掛けることにするか。
小武海もそのあたり分かってて、最初のポイントからサーブは全力でフラットを打ってくるが、当然精度は落ちてくる。長い。僕は「フォルト!」と言いながら、サーブを打ち返してネットにかける。
が、その時、「バチッ!」っていう、不吉な音が響いた。
観客席で、「あ!」って言ってる声が聞こえる。‥‥‥これは参ったな。ハードにスピンかけて打ち合ってたから消耗が早かったのか。ガットにも過度な負荷がかかってたんだろう。
僕は、「ガット切れたので、ラケット替えます」と主審に告げて、ラケットバッグから、レクシスを張った銀色のR22を取り出した。頼んだぞ。もと相棒。
6 裕のガットがまた切れた。レベルの高い選手同士がトップスピンでバンバン打ち合ってるから、すごいテンションがかかってるのは分かるけど、一試合もたないなんてね。こんなことあるんだ。片方は一.三〇㎜にしておけばよかったかな。いやそれより、米山さんからブイコアをもう二本貰うように、裕に言えばよかった。もう遅いけど。
「なんと? あれR22だろ? まさかインハイで見ることになるとは思わなかったなー」って、米山さんが驚いてる。見ている選手たちからは、
「うわ、あの小っちゃい銀色のラケット何? 四角いからヨネックスなんだろうけど。見たことないな」って声が湧いてる。小武海戦を見物に来てた監督さんやコーチなんかのオールドファンからは、
「あれR22だぞ。ナブラチロワが使ってたやつ。懐かしー。いいラケットだったなー。だけど未だにインハイで使うやついるんだ。小武海相手に大丈夫かな?」って声が聞こえてくる。
澄香も、「杏佳さん。あのラケットで大丈夫? なんか随分古いモデルみたいだけど‥‥‥」って聞いてくる。私は、
「うーん、どうだろ。まあ、こないだまで使ってたラケットだから、ある程度は出来ると思うけど、あと二つサービスキープできるかな‥‥‥」って、正直に不安を口にしちゃった。
裕は、デュースコートに戻り、「悪い」って手をあげてから、前傾姿勢で構え、小さなラケットをくるくる回した。おお、なんかかっこいいじゃない。パツパツの昭和ウェアと相まって、様になってるわよ。頑張れ裕。
小武海君は、セカンドサーブを安全にスピンで入れてきた。ラケットが変ったので、様子見だろう。その目論見は当たって、裕はバックで返そうとしたけど、ラケットの端っこに当たって、ネットに掛けてしまった。やはり許容性が少ない。きちんと真ん中に当てないと、上手く返らない。
だとすると小武海君はもう無理する必要がない。丁寧にサーブを入れておけば、勝手にミスしてくれる。「これじゃダメだ」って裕がセイバーしてきても、打ち切れなくて置きにいくから、返しのパスが面白いように通る。ゲーム小武海。ゲームカウント六―五。まあ、これはしょうがない。次のサービスキープが大事よ。
裕は、ベンチで汗拭いて、気持ちを落ち着けてる。大丈夫、R22ではスピンもスライスも少し切れが悪くなるけど、返って来るの想定して前に詰めるしかない。
サイドチェンジして、裕はエンドライン上でスっとトスを上げる。真上だ。フラットサーブを正面に打つんだな。ラケットに慣れるまで、それが安全ね。だけど、インパクトの瞬間、なんか「メシャ!」って変な音がして、ボールがネットの下にめりこんだ。何があった?
裕がネットまで行って、小武海君に何か話し掛けてる。え? でもガット切れてないでしょ? 何? あ! なんかラケットが変な形になってる。平行四辺形になってる。今、ラケットのフレームが折れたんだ‥‥‥。そういえば去年もサーブで一本折れたって言ってた。だけどこんな大事なとこで‥‥‥。
裕は折れたR22を持ってラケットバッグのとこに行って覗き込み、だけどなんだか青い顔になって、こっち向いて両手合わせてる。何? どうしたの?
裕がバッグから取り出したのは、小っちゃ! なにそれ。カーボネックスの赤じゃないの! それ見て私と澄香と米山さんは、「ズコーン!」って仰け反っちゃった。あんた、こないだ平和の森で打った後に、入れ替えるの忘れてたのね。何やってんのよ、ほんとに。もう、バカ、ドジ!
それ見て、小武海君が裕に近づいて、え? なんて言ってる?
「いや、お前、それ、いくらなんでもあんまりだろ。誰かのラケット借りて来いよ。俺の貸してやってもいいぞ。こんなんで連勝記録伸ばしても、なんか気持ち悪いからさ」って言ってる。私、澄香を見て、「これ貸して! お願い!」って涙目で頼んじゃった。澄香も頷いて、ラケットを持って立ち上がる。‥‥‥だけど、裕は潔かった。言い訳しなかった。小武海君に笑顔を向けて、
「人のラケットで二ゲームも取らせてくれる相手じゃないだろ。まあ準備不足も実力のうちだしな。このレベルになると二本じゃダメだって、分かってなかった。だから今日は俺が持ってるもので勝負するよ。それにな、お前、カーボネックスをなめるなよ。俺、これでずいぶん練習してきたんだぜ。腰ぬかすなよ」って言って、エンドラインに下がる。
ああ、裕、かっこいいけど、そんなところで男らしさを発揮しなくてもいいのに‥‥‥。
場内はもう騒然となっている。
「うおー。なんかウッドのレギュラーが出て来たぞ。今時あんなのどこに売ってんだ? 小武海相手に正気か?」
「いやー、でもあのラケットすげーかっこいいな。なんかウェアもレトロだし、昭和のテニスマンが令和の最強選手と対戦してるみたいだ。ま、頑張れよー」って声援も飛んでる。
オールドファンからは、「うっわ、今度はカーボネックスだよ。さらに時代が遡ったぞ。なにがどうなってんだ?」
「長身でウッドでサーブ&ボレーって、まるでスタン・スミス(往年の名選手。アディダスのスニーカーの名前にもなっている)だ。エレガントでかっこいいなー」って、昔を懐かしむ声が聞こえてくる。
裕は、カーボネックスを構えて、スッとトスを上げ、再びフラットで小武海君の正面に打ち込む。スピンもスライスもヘナチョコしか打てないから、もうフラットしかないわよね。
でも、主審から「フォルト! ダブルフォルト!」の声が飛ぶ。オーバーだ。重くて柔らかいから、インパクトで面が上を向いてオーバーする。次からもう少し打点前めで、叩き落す感じで。〇―一五。
大丈夫だった。裕は分かってた。次のサーブは少し前めにトスを上げて、ゆったりしたフォームから、「ズドーン!」ってフラットを正面に叩き込んだ。十分速い。重そうな球。ああ、でも少しだけ遅いから、小武海君は対応できた。ポケットに来たサーブをバックでコンパクトにブロックしてストレートへ打ち返す。裕は、追いついてクロスにバックボレーを放つが、やはりキレもスピードもない。小武海君はすぐに追いついて、一瞬間を取ってコースの気配を消してから、「シュ」ってショートクロスにパスを放つ。裕は飛びつくも届かず、ボールはサイドライン手前でバウンドした。初めてクロスをパスで抜かれた。小武海君に余裕が出てきた。ブイコアに比べると、スピードもキレも、少し落ちるだけなんだけど、あのハイスピードのバトルに慣れた後では、すごく楽に感じることだろう。〇―三〇。
次のポイントも、小武海君が裕の足元にリターンして、ハーフボレーが返ってきたところをバックでクロスにパッシング。もう流れが完全に変わって、やりたい放題になりつつある。〇―四〇。
もうフラット正面は使わない方がいい。裕は、トスを外側にあげて、スライスサーブの構え。センターの可能性もあるから、小武海君は真ん中から動かない。裕が放ったサーブはスライスしながら、サイドライン際に落ちるが、ああ、キレも角度も足りない。小武海君が悠々追いついて、ドカンとストレートにリターン。裕は一歩も動けず、見送るだけ。ゲーム小武海。ブレークバック。これで六オール。追いつかれた。
サービスチェンジ。あのラケットではファーストをセイバーするのは困難だろう。だけど、やるしかない。ほとんどフラットしか打てないんだから、ラリーになったら必ずやられる。
小武海君がクロスに打ってきたサーブを裕はバックでブロックししつ前に出る。しかしアウト。やはりスピン掛けられない分、オーバーした。一五―〇。
次のサーブもバックにきて、裕はセイバーで前に出るも、小武海君はバックのストレートにパッシングを一閃。三〇―〇。やはりリターンに切れがない。置きにいくだけになっている。
次は、一転してフラットサーブをセンターに。裕は慌てて持ち替えるも、ラケットが弾かれ大きくオーバー。四〇―〇。ああ、もう一方的だ。裕には為す術がない。
「なんだよー。結局小武海勝つのか」
「やっぱり強いな。ショットがキレてるうえに、安定してる」って話してる声が聞こえてくる。
四〇―〇。アドコートから対角線にフラットサーブが放たれ、裕は、あれ? フォアの厚い握りで待ってた。膝を落とした態勢から伸びあがってフラットを打ち抜く。ああ、壁で練習したやつだ。スイングじゃなくて膝でスピンかける打ち方。クロスに打ちだされたボールはオーバーする勢いだったけど、スピンがかかっているので、ライン際でストンと落ち、コーナーに着弾した。小武海君も追いついたけど、ボールの勢いが勝って、当てるだけ。裕はすぐにネットに詰めて、オープンコートにボレーを叩き込んだ。一矢報いた。
会場が、「ウワーッ」って大きく湧く。あんなラケットでよく頑張っている。諦めていない。勇敢なチャレンジャーが丸腰で最強王者に挑んでいる。そういうの観客に伝わるのね。四〇―一五。
だけど、小武海君は次のサーブを思い切りクロスに叩き込み、裕はブロックしたけど、弱弱しくネットに掛けた。安定感のなさは、如何ともしがたい。ゲーム小武海。これで六―七。ついに王手がかかった。
7 コートチェンジ。僕はベンチに座って汗を拭く。
いやー、小武海強いな。余裕もって打った時のショットのキレといったらない。コース全然分からない。気持ちが楽になったんだろう、サーブも全部入れてきやがる。ラケットのせいにしたくはないけど、カーボネックスでは出来ることが限られて、小武海に勝ち切るビジョンが描けない。まあ、でもこれでやるしかない。とにかくサービスキープして、どこかでチャンスを待つほかない。正面打っても返してくるようになったから、ワイドかセンターに打ってエースを狙っていこう。とにかく、なるべくボールに触らせないようにしないと。
時間になり、エンドラインに移動中、外の観客席から「裕、頑張れー!」「裕くーん!」みたいな声援が聞こえる。杏佳と澄ちゃんだな。ありがとな。このゲームで終わるかも知れないけど、まあ最後まで抵抗するよ。
ライン上にボールを二回つきながら考える。エースを取りやすいのはセンターのフラット。だけど、ブイコアよりスピードもキレも劣るから、なんとか拾ってくるかも。だとすると‥‥‥。
僕は、スッとトスを上げる。分からない程度に、ほんの少し外側に。そして、ほとんどフラットのスイングをしながら、少しだけボールの左上をカットする。曲がる分のマージンを取って、センターラインの少し内側を狙って打ち出した。頼むぞ、行けー!
ボールはネットを越え、センターライン際より少し内側に向かって飛ぶ。小武海がバックの厚い握りでブロックに向かっているのが見える。僕は、着地したままの勢いでネットに向かう。
サービスエリア内に着弾したボールを小武海が打ちに行く。だが、ほんのちょっとだけど、そこからボールがスライドした。小武海はフラットの弾道に合わせて、もうラケット面を用意していたから、修正が効かない。ボールはラケットの先をかすめて、抜けて行った。空振り。ノータッチエース。
観客席だけじゃなく、コートを取り囲んだ観衆から、一斉に「いいぞ!」「ナイス、奈良!」と歓声が沸く。僕は笑顔で応えながら、アドコートに移動する。一五―〇。
今度もセンターにフラットを打ちたいが、こっちからだと、小武海から逃げる弾道で打てない。クロスもケアさせたうえでセンターに打ちたい。なので、スっとトスを身体の外側にあげて、でもカットせずにセンターにフラットを打ち抜く。いつものあれだ。小武海はトスみて一瞬バックに寄るものの、弾道を確かめてからフォアに飛びつく。サーブの切れが落ちているので、「見てから動いても大丈夫」という判断だろう。リターンは真ん中に返って来たが、足元に落としてきた。僕はハーフボレーを余儀なくされ、セオリー通り、小武海のバックに深く返した。が、気が付かなかった。小武海がダッシュで前に出てきてた。ネットに詰めながら、バックボレーをオープンコートに打ち抜く。なんというフットワーク、そして展開の速さ。この人ほんとに何でも出来るんだな。一五オール。
デュースコートに移動。さっきセンターでエース取ったから、今度はワイドに打ってネットに詰めるか。僕は、真っすぐトスを上げ、サイドライン際を狙ってボールを叩き落して、そのまま前に出る。しかし、あれ? もう小武海がフォアの厚い握りで待ってる。ドカンとストレートにリターン。僕は一歩も動けず、「あー」って言うだけだ。山張ってきたんだな。自分のサーブはまず落とすことないから、どんどんリスク取って来るんだ。一五―三〇。
どっちかに山張って飛ぶなら、正面だ。返って来るだろうけど、ボレーで勝負だ。僕は、フラットサーブを小武海のポケットめがけて放つ。と思ったら、あれ? 小武海がちょっとバックに寄ってる。正面に山張ってたのか。またまたドカンとフォアのリターンが炸裂。今回は真ん中に来たので、なんとかローボレーでコート中央に返すも、また小武海が詰めてきていた。僕が、左右どちらに来てもいいように構え直したところで、小武海はポンと頭上に向かってフォアボレーを放った。あー、やられた、ロブボレーだ。僕は動くことができず見送るだけ。ボールはコーナーにポンと落ちた。いや、ホントに上手いねー。一五―四〇。
ついに追い詰められたか。マッチポイント。しかも三本。一六番コートの周りが騒然としている。「裕! 一本ずつだよー!」「裕くーん。まだいける! 諦めないで!」って声が聞こえる。ああ、ありがとな。まあやるだけのことはやってみるさ。真司と師匠にもそう約束したしな。
8 ついにマッチポイントがきちゃった。それも三本。裕、どうやってしのぐ?
さっきから小武海君は全部山張って、全部当たってる。小武海君の頭にないサーブを打ちたい。およそカーボネックスでは打てないだろう、あのサーブを。
裕はボールを二回ポンポンついてから、トスをスっと後頭部にあげて膝を折り身体を沈めた。やっぱり打つんだ。だけどハードに擦るとフレームに当たるよ。擦りながら押すんだよ。裕は弓なりに反らせた身体を戻しながら、身体全体でボールを擦り、対角線上に打ち出した。ああ、いい。これはいいサーブ。ボールはネットを越え、コーナーに向かって急激に落下する。小武海君が慌ててフォアに寄って下がる。が、「フォルト!」の声が響く。ああ、オーバー。やはりスピンの掛かりが悪い。落ち切らない。でも、小さいけどちゃんと真ん中に当たってる。だんだんラケットを手の内に入れてきた?
さあセカンドサーブ。一本でもミスったら、その時点でゲームオーバー。私もう、怖くて見ていられない。けど、見なくちゃ。コーチなんだもんね。澄香と一緒に両手握って神様にお祈りする。
安全を取るなら真ん中にフラット打ってボレー勝負だ。だけど、裕は、再びトスを後頭部にあげて体を反らせる。小武海君がそれみて一歩フォアに寄る。裕が打ち出したのはその逆、センター。オーバーが怖いのでスピード抑えめだけど、ちゃんとスピンがかかって、バウンドしてから逆方向に跳ねている。小武海君は一瞬逆取られたので、慌ててバックで対応するも、充分な態勢で打てず、真ん中低めにリターンしてきただけ。裕はそれをバック深くにファーストボレー。でも、やっぱりスピードがないから、小武海君はすぐに追いついて、一瞬ストレートに視線を送って牽制する。裕がつられてスッとストレートに寄った瞬間、クロスに「シュ」っとスピンをかけた短いパスが放たれた。やられたか?
しかし‥‥‥裕のもフェイントだった。一瞬ストレートに寄ったと見せて、すぐにクロスに飛んでいた。だけどパスも極上。ネット超えてからキュって落下する。裕は必死にフォアボレーの腕を伸ばす。届け、届いて、届いた! しかも、ドロップボレー。ボールは小さく弧を描き、あれ? 大丈夫かな。越えろ! 越えて! ああネットを越えて小武海君のコートに落下した。
その瞬間、コートの周りから、「ウォー!」って、地鳴りのような歓声が沸き上がった。
「おー、奈良! すげーな、お前!」
「奈良、頑張れ! もう一本返せ!」ってあちこちから声が飛ぶ。トップ選手同士の高いスキルの応酬に皆が見入っている。裕は、ちょっと手を上げて声援に応え、アドコートに移動する。小武海君も、(まいったぜ。やるなー)って感じの笑顔で手を叩き、裕にサムアップしてる。私と澄香は、上向いて深く息を吐きだすだけで、もう声も出せない。
三〇―四〇。さあ、あと二本返そう。なんとかスピンサーブが打てることが分かったから、クロスにスピンがいいか? やはり、裕はトスを後頭部にあげて、クロスにスピンサーブを放ち、すぐさまネットに詰める。ボールはコーナーに着弾して、さらに大きく跳ね上がる。小武海君は今回は山を張っていなかったので、ボールに追いついたものの、ハードヒットはできず、裕の足元に安全に返すだけ。裕はサービスライン付近でバックのローボレーをオープンコート深くに送り込む。一発では決まらないけど、いいボレー。小武海君は必死にコートを横断して追いつくがパスを放つことまではできず、薄い握りで高いロブを上げた。
裕はロブに合わせてボールを目で追いつつ後退する。私は、思わず、「裕、出るよ! ウォッチ! いっぺん落とせ!」って叫んじゃった。裕もそのつもりで、ボール見ながらエンドラインまで下がって、一度弾ませた。ああ、惜しい、アウトじゃなかった。ラインぎりぎりだった。ボールは高く跳ね、裕はグラウンドスマッシュの構えに入るけど、この距離だと一発でエースを取るのは難しい。小武海君は態勢を立て直して、裕のスマッシュを待つ。裕は、サーブの八割位の力で、安全にバックめがけてスマッシュを打ち出した。
そしたら、あれ? もうそこで待ってる。分かってたんだ。確かに安全を取ったらあそこに打つわよね。小武海君は、フォアに回り込んで、ウィニングショットを打ちにかかる。ストレート、逆クロス、どっち? これはもう山張ってどっちかに飛ぶしかない。
裕、ストレートに飛べ! 裕もストレートに飛んだ。そして小武海君のショットは‥‥‥ストレート! なんとか裕はラケットを伸ばし、スライスで返すが、浅くなる。それを小武海君はバックにアプローチして前に詰め、パスコースを限定する。
裕は、コンチネンタルでボールを追うけど、ここはもう、あれしかない。だめかも知れないけど、打つしかない。裕はボールに近づいた刹那、グリップを厚く握り替えて伏せ、ラケットを垂直に下から上に振り上げた。トップスピンロブ。
私は、もう怖くて見ていられず、目をつぶった。
その直後、「カシーン!」ってフレームに当った音がして、澄香と米山さんと、見ていた観客全員から、「あっ!」って悲鳴が湧いた。
私がおそるおそる目を開くと、裕と小武海君が空を見上げて、その視線のはるか先を遠ざかっていくボールが見えた。
ああ、シーンがスローモーションになる‥‥‥。
‥‥‥嫌、待って、だめ、出ないで。お願い、行かないで‥‥‥。
でも‥‥‥黄色いボールは、私と裕が過ごした四カ月の時間と、二人の見果てぬ夢を乗せたまま、ゆっくりと金網を越えて、そのまま消えて行った‥‥‥。
ゲームセット&マッチバイ 柳田高校小武海明 スコア八―六
審判のコールと同時に、会場全体が「ウォー!」と沸き立ち、観客席の全員が立ち上がって拍手を送る。
「ナイスゲーム! すごい勝負だった。二人ともよく頑張った!」
「奈良ー! かっこよかったぞー! 胸を張れー!」っていうような声があちこちから飛んでる。澄香も、両手で顔覆ってフルフルしてる。
‥‥‥ああ、私、今すぐ裕のところに行きたい! 行って抱きしめてあげたい。
私は、もう抑え切れずに、観客席を駆け下り、金網のドアを開けて走り出す。
後ろから澄香が、「あ! 杏佳さん、サンダル!」って叫んでるのが聞こえる。
裕! 裕! すごく頑張った! 諦めなかった。健気だった。
9 あー、やっぱりカーボネックスじゃトップスピンロブだめだったよ。まあ、パス打ってもドロップボレー食らってお終いだったろうから、あれしかなかったよな。
小武海、お前、ホントに強かった。容赦なかった。最後四ゲーム連取された。現時点では一歩及ばなかった。そう思いながら、笑顔で握手しにネットに向かって歩き出したら、後ろから「ドンッ!」って、いてーな、誰だよ、何だよ? と思って見たら、
「あ! 杏佳、お前サンダルで何やってんだ?」
「うー、裕、頑張った。裕好きー。うー」とか言ってしがみついて泣いてる。
「あー、握手がまだなのに、小武海に悪いだろ。マナー違反だぞ」
「うー。裕。うー」
ああ、こりゃだめだ。仕方ないので、僕は、杏佳をズルズル引きずって、小武海が待っているネットまで歩いて行った。小武海がニヤニヤしながら待ってる。
「奈良。その美人誰?」
「ええと、俺のコーチ。この一カ月、お前に勝つためだけに心血注いでたんで、感極まったらしい。勘弁してやってくれ」って謝ってるのに、杏佳は、
「小武海君! よくも私の裕に勝ってくれたわね! イーだ! ベーだ!」って、キーキー言ってる。お前やめろよー。
「うわー、気の強い姉ちゃんだなー。まあ、確かに、今日はラッキーもあったしな。公式記録はこれで六八連勝だけど、俺の中では引き分けだ。またやろう。お前と試合やってると俺も伸びそうな気がする。実際、今日は、バックのライジングが自在に打てるようになったぜ」
「あー、やっぱりお前あれ苦手だったのか。途中から打ち出したからおかしいなー、って思ってたんだよ」
「お前とやってて、必要に迫られて打ってたら、ちゃんと返るようになった。やっぱり高いレベルの実戦は練習と全然違うな」
「俺もそうだ。今日はお前に引っ張られてずいぶん上手くなったぜ。また機会があったらやろうな。俺はこれで終戦だけど、このあとも頑張れよ」
「ああ、この後はぐっと楽になりそうだけどな。頑張るよ。お前の顔と名前は忘れないからな。あとその美人コーチも」
そう言い合って、僕と小武海は顔の前でガッチリと手を握り、肩を叩きあった後、笑顔で観衆に手を振って応えた。
さて、一旦引き上げるか。って、まだくっついてるのかお前。
「お前。もういいだろ。帰り支度しないと、次の試合があるんだよ」
「うー、絶対離さないんだから」
僕は、「あー、もう。しょうがないな」って言いながら、ラケットをバッグに仕舞い、「コート内でヒールサンダルはご法度だろ。ちょっとお前、手を離せ」って言ってからラケットバッグをしょって、「それっ」って杏佳をお姫様抱っこで持ち上げ、そのまま出口に向かった。
周りで見ている観衆から、「おおーっ!」っとどよめきが起こる。そしたら、杏佳が「ふふ」って言いながら僕の首に手を回して、ギュっと抱きついてきた。観衆のどよめきは、やがてパチパチという拍手に変わり、同時にあちこちから「ピュー」って口笛が飛んだ。ああ、恥ずかしい、早くコート外に出たいよー。
コートの出口では、澄ちゃんがドアを開けて待っててくれた。僕は観客席の最前列に杏佳を下ろして、「それじゃ、またな」って行こうとしたら、「ちょっと! どこ行くの? 私いやよ!」って言うので、「負け審だよ。負けた方はまだお勤めがあるんだから、ここで大人しくしてろ」って言ったら、「あ、そうだった。ごめん」って、下向いてシュンと反省していた。
10 裕は、審判しにコートに戻っていった。澄香は、「あ! 私ももう試合だ。急がなくっちゃ。杏佳さん、米山さん、また後で」って言って、パタパタ走って行った。 私は米山さんと一緒に腰かけて、次の試合をボーっと見てる。
「惜しかったね。いい試合だった。勝負に勝って試合に負けた、って感じかな」
「そうでしたね。ラケットに限界がある中で、よくやりました」
「ブイコア四本あったら、勝ってたかもね」
「そうかも知れませんけど、『たられば』を言い出したらきりがないですからね」
「それにしてもカーボネックスには驚いたなー。オールドファンが大喜びしてたぞ」
「まったく、ドジなんですよ。自慢したくてこないだ練習に持ってきて、そのまんまになってたんでしょう」
「ははは、そうか。やっぱり杏ちゃんがちゃんと見てあげてないとだめなんだな」
「ほんとですよ。私も今日は反省しきりです。まあ、そういうとこも可愛いんですけどね」
「しかし、彼も飄々(ひょうひょう)としてるなあ。あんな激戦の末に敗れたのに、悔しい素振りも見せない」
「まあ、もともとそういう感じなんですけど‥‥‥多分、今日は確かめられて安心したからじゃないですかね。現時点でも既に小武海君と同等って。そして、自分の到達点はまだまだ先だって分かってるからでしょう」
「そうだな。焦ることないさ。だけど奈良君はテニス続けるのかな」
「どうでしょうね。インハイ終わったらゆっくり考えるって言ってました」
「続けないと勿体ないな。どこまで伸びるか想像もつかない逸材だ。今日だって、小武海君と一緒に限界を伸ばしあってた。二人ともサポートしてあげたいな」
米山さんはそう言った後、私に向き直って、
「‥‥‥杏ちゃん、これまで若い選手にこんなこと言ったことないんだけどさ、彼は、ちゃんと育てれば、日本史上最強の選手に、世界トップの選手になれる可能性が、本当にあると思ってる。特にウィンブルドンには適性があると思う。説得してくれ、頼んだぞ」って、真顔で話し掛けてきた。
「えー? そこまでですかー? じゃ、ちゃんと伝えておきますよ。あとは本人の判断次第ですけど」
と、そうしてたら、本部から大会役員の人が私を呼びに来て、クラブハウスに連れて行かれ、お小言を頂戴することになった。そりゃ、乱入してサンダルでコートを走ったらだめよね。
私は、正直に全部話をして、とても反省していることを伝えたら、割とすぐに、っていうか、笑って許してくれた。「今後気を付けなさい」という程度で済んだ。
******
戻ってみると、米山さんはもういなかった。
裕はまだ審判やってる。私は観客席に座って待つ。
‥‥‥ああ、本当に終わったんだな。
二人で夢中で駆け抜けて来たけど、私と裕の夏は、今、幕を閉じたんだな。
(すごく楽しかったな‥‥‥)って気持ちと裏腹に、私は眼を閉じて、静かに涙を流し続けた。
~ 終章 中編 終わり ~
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