終章(前編) 激闘、昭和テニスマン裕vs令和最強小武海! 北の大地で火花を散らす!
終章 激闘、そして覚醒 (小武海戦前編)
一 シェルター内は日陰になっていて、涼しい風が穏やかに吹き抜けていた。
「ここいいな。午後までの拠点にしよう」
「そうね。クラブハウスじゃなくても、ここで十分ね」
「一試合身体動かしたとこだから、糖質補充しとこう。おにぎりとバナナ頂戴」
「はい、鮭でいい? あとお茶もね」
「お、サンキュ」 僕はフィルムを剥いでおにぎりを頬張る。
「そういや、小武海はどうだった?」
「八―〇で一蹴したわよ。力の差がありすぎて、あんまり参考にならなかった。相手の選手も最初から飲まれてた感じね」
「真司が言ってたみたいに、オールラウンダーなの?」
「そうね。ストロークがすごく安定してる。しかも、独特のリズムで、相手も読み切れなくて、いちいち半歩遅れるから、少しずつ追い詰められて、そのうちミスるか、エース取られるか、ネットでやられる感じ。さっきは必要なかったのかも知れないけど、サーブ&ボレーはやってなかった。サーブはあんたほどじゃないけど、やっぱり速い。コースがよければ十分エースになるくらい。だけど無理に全力では打ってなかった。基本はフラットで対角線に打ってくる。もう八割方ファースト入れてくる感じかな」
「速いフラットが八割入るのか。厄介だなー。無理やりセイバーしても精度悪そうだし、かと言って安全に返して繋いでたら、ストローク戦に持ち込まれるしな」
「だから、リターンゲームは、とりあえずファースト返したあと、つなぎ合いにしないで、早めにネットに出ることよ。小武海君、バックの高い球は、『苦手』っていう程じゃなかったけど、攻撃できるほどの球は打ってなかったよ。いちいち下がって、いい高さで打ってた。だから、裕は、トップスピンロブを打てる球が来たら、全部小武海君のバックに集めて、即ネットに詰めること。相手はコートのはるか後ろからパスを打たざるを得ないから、角度もつかないし、時間の余裕もあるわよ。ドロップボレーで走らせてやれ」
「そっか、そこが苦手なら、徹底的に突いていくか。どうせ打ち合ってたら、いつかやられるからな。サーブのリターンはどうだった?」
「すごく上手だったよ。反応速度が速くて、サイズもあるから、大概のサーブなら届いてた。ただ、裕のサーブにどれだけ対応できるかは分からない。それから、真正面のポケットのボールは少し苦手そうだった。身体が大きいから、ポケットに来ると対応が難しいのね。攻撃はできなくて、安全に返してるだけって感じだった。だから、コース迷ったら、正面にフラットをドッカンドッカン打ってればいいと思うよ。裕なら九割くらい入るでしょ?」
「そうか、それは有用な情報だ。ありがとな。だけどあんまり正面続けると、予め一歩バックに寄って、フォアで強打されそうだから、万遍なく散らしていくのが大事だな」
「そうね。裕のサーブが破られて負けたら、それはもうしょうがない。単に現時点では小武海君が上だったってこと。だから、サービスはとにかくキープしていって、どこかで一つブレークするしかない。リターンゲーム四つあるんだから、必ずどこかでチャンスは来る。逃さずにものにしよう」
「そうだな、じゃ、バックの高い球、それとポケット、その二つだけ覚えて試合に臨むか。あー、早く試合やりたいな。どこまで出来るか楽しみだ」 僕はそう言って、バナナの皮を剥いて、「ほいっ」って、半分杏佳にあげた。
二 私が裕と一緒にバナナを食べていたら、あれ? 見覚えのある女子選手が五番コートにやってきた。「REIMEI」のロゴの入った白いウィンドアップ着てる。澄香の試合が始まるんだ。ずいぶん進行速いんだな。澄香は、コートに入る前、こちらを見上げて、胸の前で小さく手を振ってきた。気が付いてたんだな。
「あ、澄ちゃん、次ここで試合なんだ」 当然、裕も気付いて、手を振り返してる。
「ま、また澄ちゃんって、あんた‥‥‥」
「はは、もうよせよ。『澄香』なんだから、自然とそうなるだろ? 俺はフラフラしたりしないから、安心しろ。それに今回はたまたまお前の目の前で起きたことだけど、今後、俺がどこで誰と会うかなんてコントロールできないんだから、気にしてたらきりがないだろ」
「うん‥‥‥」
「ま、そういうことだ。お前、こんないい女なんだから、もっと自信もって、どっしり構えてたらいいんだよ」
私、それ聞いて、小っちゃな自分が恥ずかしくて、真っ赤になって、裕から顔背けちゃった。そしたら、それに気づいた裕が、スッと手を伸ばして、そっと私の右手をとって、優しく握ってくれた。私、思わず向き直って、ギュって握り返して、両手で裕の手を包み込んじゃった。
目の前で試合が始まった。澄香のリターンから。
相変わらず、澄香のプレーはエレガントだ。ノースリーブの白いワンピースがコートをステージに舞っているかのようだ。女子では珍しく、フォアもバックも薄い握りのシングルハンドを操って、高速フラットを深く打ち込み、相手が余裕をなくしたところでススっとネットに詰める。ストロークで勝負するつもりはなくて、全てのプレーがネットにつながっている。中でも、バックのスライスが強力。強い逆回転のかかった地を這うような打球。まるでシュテフィ・グラフ(注 往年の名選手。女子史上最強クラス。とても優雅で人気があった)だ。これを打てる女子はまずいないから、初見では対応が難しい。まともに返せるスキルがなければ、為す術なく敗れ去ることになる。
澄香が最初のゲームを簡単にブレークして、次はサーブ。
トスを後頭部にあげて、背中を弓なりに大きく反らす。そこから、一気に身体を起こしながら、全身を鞭のように使ってスピンをかけて打ち出す。ネットのはるか上方を越えたボールは、コーナーで急降下して、また逆方向に大きく跳ねる。もちろん、裕ほどじゃないけど、女子では滅多に見られない、強力なスピンサーブ。相手はコートから追い出されて、バックの高い球を苦し気にリターンさせられる。澄香は、コーナーにボレーを送り込む。あ、でも、返ってきたな。やっぱりロブか。澄香はオープンコートにスマッシュを叩き込んだ。これはすぐ終わるな。
澄香は去年からさらにスケールアップしている。長身と長い手足を活かした、華麗なサーブ&ボレー。相手の技量に関係なく、自分のスキルだけで勝負できる、接点の少ないテニス。
ああ、思い出しちゃった。去年の私と同じだ。来るって分かっていても、コートから追い出されて、ボールに触れない。必死に頑張ってるのに、澄香のペースのまま、どんどんゲームが進んでいく焦燥。圧倒的な才能を目の前にした諦観。そしてどんなに抑えつけても湧き上がってくる羨望と嫉妬。ああ、悔しいけど、眩しいな。澄香には他の誰にもない、生まれ持った華がある。私もこんな選手になりたかったな。
‥‥‥苦しい。息が詰まる。ずっと忘れようとしてたのに、目の前で見せつけられると、やっぱり冷静じゃいられないわよ。ああ、だめだ、もう見ていられない。私、両手で顔を覆って、スースーと大きく息を吐きだしちゃった。
そしたら、あれ? 裕が私の左肩を抱いてる。そういえば、裕はさっきから澄香のこと何にも言ってなかった。すごいな、とか、素敵だな、とか、そんなこと一言も言ってない。裕はそのまま私を引き寄せて、膝の上に横たえて、優しく髪を撫でてくれた。私、目をつぶったまま、静かに涙を流して、裕の膝に置いた手をギュって握りしめちゃった。全部分かってたんだ。裕は優しいな。ああ、どんどん涙が出てきて止まらない。でも、これじゃきっと誤解するわよね。ちゃんと伝えなきゃ。
「ねえ裕」 私は涙声で声を掛ける。
「ん、何だ?」
「私ね、悲しくて泣いてるんじゃないのよ。私、澄香のおかげで、テニス選手は諦めちゃったけど、代わりにこんな素敵な人に巡り合えて、すごくよかったなあって、嬉しくて泣いてるの。私、裕がいてくれるから、大丈夫だよ」
「はは、そうか。それはよかった。それじゃ、しばらく大人しくしてろ。じきに終わりそうだ」
「うん」 裕が私の肩に手をおいて、さすってくれる。とても暖かい手。この手、絶対離さない。絶対、私だけのものするんだから。
それから一〇分位して、「ゲームセット&マッチバイ 山本さん。スコア八―一」のコールが響き、金網のドアを開けて澄香が出てくる音がした。私はまだ裕の膝枕で寝たふりしてる。
「あれー? なんか杏佳さん、見せつけてくれるじゃないですかー」って笑いながら、澄香が上がってくる。
「澄ちゃんナイスゲーム。調子いいみたいだな」
「ありがとう、裕君。お互い次も頑張ろうね」
そこで私も起き上がって、「ああ、なんかおにぎりとバナナ食べたら眠くなっちゃった。一回戦と二回戦の間って、すごく空くから選手も応援団もだれるわよね」って、さも何事もなかったように二人に話しかける。
澄香が「ほんとですよね」って言って時計を見て、「今一一時か。進行が少し速いようだけど、次はきっと午後三時頃だなー」ってひとりごちる。
裕が、「そんな感じかな。そうすると俺は二時過ぎくらいか。まあ、相手も条件は一緒だから、慌てても仕方ない。気長に待つさ」って言ってる。
三 それから、私と裕は、本読んだり、お昼寝したり、公園内を散歩して展望台から苫小牧の街を眺めたり、駐車場でボレーボレーしたり、とにかくいろんなことをした。なにしろ三時間以上空くから、それこそ車で支笏湖とか行っても十分間に合うのだけど、さすがに会場を大きく離れるのはどうかと思ったので、観光は明日以降に回すことにした。
そうこうしているうちに、ようやくメインの一六番コートで、小武海戦の前の試合が始まった。今午後一時半だ。これは二時前に始まるな。
「前の試合始まった。裕、ストレッチしておこう。あとトイレも行っといた方がいいよ」
「そうだな。そろそろ準備にかかろう。バナナも食べといた方がいいな」 裕はそう答えて、両手を前に下ろして前屈を始めた。
ストレッチ後、私と裕は一六番コートの観覧席に移動した。今、五―二。一〇分位で終わるかも。試合を見てたら、米山さんが上がってきて、「お、杏ちゃんと奈良君。隣で見てていいかな」と言いながら隣に腰を下ろした。ほどなく、「そろそろ試合ですねー」って言いながら、澄香もやってきて私の隣に座り、ラケットバッグを置いた。
スコアが七―三になったところで、小武海君と柳田高校の監督が登場。小武海君は金網のところで試合見ながら、終わるのを待ってる。長身なのに、細い印象はまるでない。脚も腕も鍛えられて、まさにアスリートっていう体型。フィジカルは既に完成されている。
次第に観客も集まってきて、観覧席は一杯になった。やっぱりみんな小武海君の試合は注目してるんだな。だけど、誰も彼が負けるなんて思っていない。「どう勝つか」っていう興味しかない。柳田の監督も、そして小武海君本人もそうだろう。
「!」 裕が震えてる。膝がカタカタしてる。
「裕‥‥‥」
「‥‥‥あいつは、やるな。初めて現物を見たが、はっきりと分かる。あいつは過去一番ヤバい奴だ。こんなのが高校にいたんだな。すげーな」
「大丈夫?」
「ああ、大丈夫、武者震いだ。少ししたら落ち着くだろう」
私は、裕の腰に手を回して、おでこを肩につけて、気を送りながら背中をさすってあげる。
「ふふ、バカね。令和最強なんだから強いに決まってるじゃない。戦ってからビックリするよりずっといいわよ。だけど、あんたもね、私が見てきた中で一番強い選手なんだから。小武海君とどっちが強いのか分かんない位。昭和と令和で最強対決してきなさいよ」
「はは、そうか、ありがと。落ち着いてきた。もう大丈夫だ」って言いながら、裕は無理に笑顔を作って私を見た。
あ、試合終わった。両選手がネットのところで握手してる。
裕が「さあ、終わったな。行って来る」と言って立ち上がり、私と澄香で、「いよいよね。頑張って」と励ました。裕は、スーッと一つ息を吸って、「そうだな。俺は失うものもないし、全力でぶちかましてくる」って力強く応えて、凛々しい表情で階段を降りて行った。
金網の手前で、裕は小武海君に「次試合ですね。宜しくお願い致します」と声を掛け、小武海君も「こちらこそ」みたいなこと言って、笑顔で握手してた。裕があんまり大きいので「おおっ」ってびっくりしてた。小武海君より大きい選手、滅多にいないだろうからね。
だけど、すぐに小武海君からスっと笑顔が消え、目を見開いて裕を見つめ、それから監督を見て、眉根を寄せて不可解な表情を見せた。
やっぱり分かるんだ。(まだ二回戦だろ? 誰なんだ? 強いぞ、こいつ)って。
四 裕VS小武海戦
1 小武海と一緒にコートに入る。僕より一回り小さいが、それでも十分大きい。一八五㎝くらいあるように見える。真っ黒に日焼けした、精悍な面構え。全身が鍛えられていて筋肉質。パワー、スピードとも申し分ないのだろう。
ネットを挟んで軽くストロークを行う。フォアバックともにシングルハンド。ショットのキレがいい。スイングスピードが速い。その分、ギリギリまでボールを引き付けられるから、ストレートかクロスか読みにくい。杏佳が言ってた独特の間合いとはそういうことなのだろう。
とはいえ、僕も、打ち負けることなく、きちんとスピンかけて、あるいはスライスで深く返せている。師匠が言ってた、相手二割減と自分二割増しを考えると、いい勝負なんじゃないかな。小武海もラリーしながら、「こいつやるな」って考えてるかな。
そして、やっぱりサーブがいい。スッと低いトスを上げ、取り立てて身体を反らすわけでもなく、真っすぐ立ったまま、シュッっとコンパクトに打ち抜いてくる。安定した、再現性の高いフォーム。確かにこれなら殆どフォルトしないだろう。だけどかなり速いフラットサーブだ。逆取られたらエースになるな。スピンほどバウンドしないうえに、無回転でボールが重いから、壁を作ってブロックするようにリターンしないとうまく返らないだろう。ファーストをセイバーするのはかなり困難だ。
さあ、試合始まるぞ。小武海のサーブからだ。初球はまず間違いなく、クロスへ、僕のバックにフラットを打ち込んでくるだろう。繋いで我慢比べか、それともしょっぱなからハッタリかますか?
小武海がスッとトスを上げる。その瞬間、僕はバックの構えで、ススっとサービスラインに詰める。「パン!」とサーブがクロスに打ち出され、僕の構えたラケットに向かって来る。僕は、グっとグリップを握り、しっかりブロックしつつ、スピンをかけながらストレートに打ち出し、前に詰める。いいリターンだ。小武海は不意を突かれて一歩も動けない。ボールを見送るだけだ。
が、「アウト!」の声が主審から発せられる。惜しい。ボール一個、サイドラインを割った。サーブに力があって、ちょっとだけ押されたんだろう。一五―〇。
アドコートに移動。さっきのリターン、ギャンブルなのか実力なのか、もう一回バックに打ってみたくなるよな。僕はトスに合わせて、バックの握りでまた前に詰める。が、「バンッ!」って速っ、速い! 本気で打ってきやがった。ラケットが弾かれ、リターンは大きくアウト。このサーブが入ってはセイバーは困難だ。一回戦は本気で打つ必要がなかったんだな。だけど、そうなるとフォルトも増えるから、セカンドは狙い目になるぞ。これで三〇―〇。
デュースコートから、今度はセンターにスピンサーブ。バックで前に詰めてた僕は逆を取られて、もうカットして返すだけ。三球目攻撃を喰らって、やっと追いつくもネットを越えず。四〇―〇。
アドコートから、今度は対角線にフラットサーブ。三ポイントリードの余裕もあって、全力で打球してきた。フォアでブロックするようにして何とか返すも、リターンは真ん中に。あ! 小武海は前に詰めてた。ファーストボレーをオープンコートに流し込み、ようやく追いついた僕がバックで上げたロブを簡単にスマッシュで決めた。ゲーム小武海。一―〇。
コートトチェンジの時に、タオルで顔の汗を拭く。いやー、これは確かに強いな。一ポイントも取れなかった。技術に隙がない。何でもできて、全てが一流。しかも体幹が安定していてミスがない。こうなると、僕のサーブにプレッシャーがかかって来る。一つでも落としたらヤバい。と、対戦相手は皆がそう思って、自滅していくのだろう。
二ゲームめ。さあ、仕切り直しだ。まずは正攻法から。
僕は、トスを後頭部にあげて、体を反らし、戻しながらボールの左上を思い切り擦り上げ、対角線にスピンサーブを放つ。小武海はコースが分からないから、打ちだされるまでは真ん中にいて、弾道を確かめてすぐフォアに寄るが、想定を上回るバウンドにジャンプしながらリターンを放つ。ハードヒットできず、力なく真ん中に返って来る。僕はそれをオープンコートに力強く押し込んだ。普通なら返ってこないけれど、小武海はすぐにバックに全力で戻り、なんとかロブを上げてくる。高いが短いロブだったので、一旦落としてから、オープンコートにスマッシュを叩き込んだ。
が、なんと小武海がそこにいた! フォアの厚い握りでストレートにカウンターを放ち、ボールはネットを越えて、綺麗にサイドライン際に着弾した。僕は啞然として見送るだけだ。なんという俊足。なんという反応速度。まあ読みが全部当たったラッキーショットではあるけれど、とにかく全て返って来ると思っていないとだめなんだな。〇―一五。勿体ない。今のはプラマイ二ポイントだ。
アドコートに移動し、今度も正攻法で行く。トスを外側にあげて、スライスサーブを放つ。角度がついてライン際に着弾する、かなりいいサーブだった。が、小武海はトスをみてすぐバックに移動し、ボールに追いついて、ダブルハンドを伸ばしてブロック。ストレートにロブ気味に返してくる。いやー、これ返してくるのかよ。しかも嫌なところに。だけど落ち着け、相手はもうコートの遥か外だ。僕はボールに追いついてバックボレーでオープンコートに流し込む。まず返ってこないボレーだけど、さっきのこともあるから、ネット前に詰めて返球を待つ。が、さすがにこれは小武海も諦めた。あれ? ラケット叩いて拍手してる。こっち見てニヤっとしてる。「やるなあ。こいつ」って思ってるのかな。まだまだ余裕だな。一五オール。とりあえずは初ポイント。
デュースコートで、今度はスピンサーブをセンターへ。小武海は、トスでさっきのサーブを想起して思い切りフォアに寄っていたため、慌ててバックで飛びつくも浅いロブになり、僕はコース狙わず真正面に爆撃のようなスマッシュを放ち、ボールは小武海の頭をはるかに超えて、金網上部に着弾した。これで三〇―一五。とにかく接点作っちゃだめだ。
その後、お互い、一つずつポイントを取り合って四〇―三〇。僕のゲームポイントでアドコートへ。僕はまた正攻法でスライスサーブを打ち、前に詰めるも、わずかにサイドアウト。惜しい。セカンドはクロスにスピンだな。小武海はバックの高い球は返すだけって言ってたからな。そう考えつつ、僕が対角線にスピンサーブを放った瞬間、「バチッ!」って音がして、ボールは大きくサービスラインを越えて行った。ああ、ガット切れた。だいぶ使ってきたからなあ。ダブルフォルトで四〇オールか。
僕は、主審に、「ガット切れたのでラケット替えます。サーブはアドコートから打ちます」と断って、ラケットバッグからもう一本のブイコアを取り出す。まだガットは新品同様だから、この試合は大丈夫だろう。
僕は改めて、アドコートに立って、小武海に手を挙げて「悪い」ってやってから、ボールを二回ついた。てか、今、小武海もブレークポイントなんだな。嫌だな。最初のサービスゲーム落としたら、後が辛そうだ。‥‥‥なんてこと考えてても腕が縮こまるだけだから、全力で打球しよう。僕は、トスをまた体をの外側に挙げた。小武海がバックに走るのが見える。僕は反らした身体を戻しながら肘をボールにぶつけにいき、ボールの左上を擦らずに、フラットでセンターに打ち抜いた。七割の力でいい、とにかく入れるんだ。打球はハーフスピードでネットを越え、オーバーするかなと思ったら、あまり勢いがないので、サービスライン内に落ちて、センターに抜けていった。小武海は一瞬追おうとするも、距離がありすぎて、すぐに諦めた。ゲーム奈良。一ゲームオール。
ああ、なんとかキープしたけど、息も絶え絶えって感じ。まあ仕方ない。相手は高校無双の男だ。師匠の教え通り、この展開でなんとかくっついて行こう。今のサーブでスライスはまたリセットされたし。
2 裕がなんとかサービスをキープして、これで一オール。際どかった。
コートチェンジせずに、すぐに三ゲームめが始まる。裕はファーストではセイバーせず、安全に深く返してストローク戦を挑む。だけどラリーは小武海君がさすがに上手い。最後までコースを隠して、切れのいいショットを左右に散らしてくる。裕は次第に追い込まれて、ミスるか、ネットを取られて次々とポイントを失う。あっという間に四〇―〇。つけ入る隙がない。
アドコートからのサーブ、小武海君はまたフラットサーブを対角線に打ってくる。返ってきても、どうせストローク戦で優位に立てるという考えなのか、一発でエースを取るようなサーブは打たない。裕は、フォアで小武海君のバックにリターンして後ろに下がる。フラットの低く長い弾道だったので、小武海君はバウンドを合わせて、安全に真ん中に深く返してきた。
今だ! 裕、あれ使えるわよ。裕と私の考えは一致し、裕は厚いバックの握りでボールを擦り上げ、トップスピンロブを小武海君のバック深くに打ち出す。今日初めて打つショット。小武海君は弾道見て、後ろに下がるけれど、裕のロブはもっとずっと強力だ。大きく高くバックに跳ねてくるボールに、スピンでは対処できず、小武海君は頭の上からスライスでカットすることを余儀なくされる。返球は真ん中に浅く返り、裕はネット際にドロップボレーを落とす。小武海君は必死に追うが届かず、コート上をシャーってスライドしながらラケット叩いて悔しがった。
今のはいい展開だった。できるときは全部これで行こう。ストロークが少しでも甘くなると、この展開に持っていくって、小武海君に突きつけた。少しずつ心の余裕を奪いたい。
次のデュースコートのサーブも対角線にフラット。裕は勝負を掛けてセイバーで前に出る。リターンが真ん中に行くが、カウンターになったのと、偶然ポケットに行ったことで、充分な態勢で打球出来ず、勢いのない返球を裕が簡単にボレーで決める。あれ、いつのまにか四〇―三〇だ。
アドコートから、小武海君は、本日初めて、フラットサーブをセンターに打ち抜く。だけどオーバーしてフォルト。ファーストを全力で打たないとセイバーされるって分かったからだろうけど、そうするとフォルトが増えてくる。さあ、セカンドはねらい目よ。小武海君はスピンサーブを裕のフォアに入れてきた。裕は、サービスライン付近からスピンで小武海君のバックにハードヒットして前に詰める。だけど小武海君は予期してた感じで、既に片手バックを構えて待ってた。カウンターでストレートにパッシング。裕は飛びつくも、ボールはラケットの先を通過した。ああ、さすがだ。一ポイントのリードを使ってリスクを取って来る。
ゲーム小武海。これで二―一。だけど、裕は、少しずつ自分のテニスができるようになってきた?
やっぱりそうだ。四ゲームめは、割と楽にキープできた。
さっきのゲームで、裕が同じトスからワイドにもセンターにも打てることが分かったので、小武海君はどちらかに寄れず、真ん中で構えざるを得なくなった。いかに反応速度に優れていると言っても、それでは追いつくので精一杯。逆襲することは困難だ。裕は、基本、正攻法でワイドにサーブを放ち、ボレーで勝負。時々エースをねらってセンターを打ち抜く、というセオリーでポイントを取った。甘くなったスピンサーブでリターンエースを一つ喰らったけれど、リターンミスも二つ取り、最後は四〇―一五から、センターへのフラットサーブでエースを決めた。思わず観衆がどよめく、小武海君がピクリともできない、閃光のようなサーブだった。
これで二ゲームオール。私、笑顔で澄香とハイタッチしちゃった。裕が、少しずつ小武海君のレベルに適応しつつある。
3 その後、僕と小武海はサービスをキープしあってゲームカウント三オール。そして小武海のサーブ。ああ、なんか息苦しいな。さっきからじりじりした展開が続いている。サービスキープは出来るけど、どうしても小武海のサーブが破れない。お互い、一つ落とすと致命傷になるから、もう必死だ。ただ、僕も、ファーストをセイバーできずストローク戦になっても、なんとかついていけるようになってきた。バックのスライスも効果的だと分かった。小武海レベルでも、あの低く滑るボールは、どうしてもハードヒットできずに我慢して繋ぐことになる。そうなると、小武海のバックにトップスピンロブを放つチャンスだ。
だけど小武海は小武海で、きちんと対応してきた。僕が厚いグリップにすると、ロブが来るのが分かるので、ススっと落下地点近くまで詰めて、ライジングでポポンと返してくる。カウンターになるので、僕はネットに詰めることが出来ない。なんだよ、ライジング打てるんじゃないか。いままで必要なかったから打たなかったんだな。それと、ロブが長い時には、ライジングにすらせずに、直接ボレーで返してきた。時には、そのままネットに詰めてくる。これは考えたことなかった。さすがだ。小武海も、この試合の中で、いろいろ工夫して、スキルを身に付けつつあるのかも知れない。
ああ、結局またキープされた。ゲームカウント三―四でコートチェンジ。ベンチに座って汗を拭きながら考える。どうしたらいい? バックの深いところに押し込めるためには、何をする?
まだ考えがまとまらない。だけど、もう時間だ。次のゲーム集中。キープを続けている限り、負けることはないんだ。
4 裕が三―四からのサービスをキープして、四オールになった。臆せず、渾身のサーブをバンバン打ち込んで、小武海君に攻撃の糸口を与えない。返ってきてもボレーが安定しているから、そうそう破られることはないだろう。
裕は、もう相手が小武海君だとか、高校無敗の王者だとか、そんなことは忘れてる。一人の手ごわい相手、くらいにしか思っていない。ストロークだって、小武海君とそれほど遜色なく打ち合ってる。やっぱり師匠が言ってたとおりだ。小武海君が裕の力を引き出してるんだな。
さあ、でも、問題はリターンゲーム。どこかで一つ破らないと勝利はない。小武海君は、バックのトップスピンロブを対策してきた。ライジングで返すようになってきた。あれをされると、前に出られず、ストロークの精度で劣る裕には苦しい。繋ぎ合っているうちに、どこかでミスが出てしまう。だから、ライジングで打たせたらだめ。裕、考えて。
九ゲームめが始まった。小武海君は、鋭いスライスサーブを裕のバックに入れてくる。フラットよりスライドしてバウンドも低いから、セイバーしにくいサーブ。裕は仕方なく、小武海君のバックに深く返す。小武海君はオープンコートに三球目攻撃。裕も予測して戻ってて、そこで、あれ? 初めて見た、フォアの薄い握りでスライスを掛けてバックに返す。ボールは低くネットを越えて、コーナー深く侵入して、スっと滑る。小武海君は予期してなかったから、腰を落として、安全にフラットで合わせるだけ。ボールは真ん中に緩く返り、裕は厚い握りのバックハンドを構える。一度センターに戻りかけた小武海君がロブを予測して、スっとバックに体重移動したその刹那、
「シッ!」っていう声とともに裕の渾身のバックハンドがクロスに放たれ、コーナーを抉(えぐ)って金網に着弾した。小武海君は完全に逆を突かれて見送るだけ。裕、お見事。そうか、別にバックのロブにこだわる必要ないんだ。相手がそこだけケアしてるなら、リスク取ってクロスでエース狙ってもいいんだ。よく考えたわね。
こうなると、組み立ての自由度が出てくる。小武海君は、トップスピンロブが上がりそうになっても、バックに寄れないから、ライジングできずにコートの後方から無理やりパッシングを打つことになる。裕は届く範囲なら、すべてドロップボレーだ。小武海君の体力も少しずつ削りたい。
とはいえ、さっき身に着けたばかりのフォアのスライス、どうしても安定はしない。低く遠くまで飛ぶのでネットやオーバーの危険は常にある。なので、裕にもミスが出て、お互い何ポイントか取り合ったんだけど、最初のエースが効いてた。カウント四〇オール。ついに来たわよ。今日初めてのブレークポイント。
裕、ここ集中しよう。
小武海君はデュースコートを選択。どうせ、対角線にスライスサーブだろう。裕はもう隠そうともせず、バックの握りでサービスライン付近に詰め、プレッシャーをかける。小武海君がスッとトスを上げる。あ! 真っすぐ上だ。これはセンターにフラットだ! 裕、戻れ、握りフォアに! ハイスピードのサーブがセンターラインをかすめて飛んでくる。裕は薄い握りで必死に食らいつく。あ、当たった。だけどボールは力なくネットを越えただけ。小武海君が詰めてくる。
が、「フォルト!」の声が主審から飛ぶ。小武海君が、ネットに手を置いて、着弾点をじっと見つめる。裕も着弾点まで行って、じっとボール跡を見つめ、「これだな。小武海、出たぜ。二㎝」って、指で二㎝くらいのマークを作った。小武海君は、それ見て、「そうか。じゃ、しょうがない。惜しかった」とだけ言って、潔くエンドラインに戻って行った。
さあ、仕切り直してセカンドサーブ。だけどこうなるとプレシャーが掛かるのは小武海君の方だ。終盤に差し掛かるところで、ワンブレークダウンは大きい。
裕は再び、バックの握りで、もうサービスライン上にまで詰めている。バック以外にフラットが来たら、きっともう取れない。
小武海君が、ボールを二回ついて、スッとトスを上げる。あ! また真上だ。フラットだ! ギャンブルに出た! センターケア! 裕が握り替える間もなく、小武海君の全力のサーブがさっきと同じコースを襲う。裕がラケットを伸ばして飛ぶ。とにかく当たればいい。当たって!
‥‥‥だけどボールはネットを越えてこなかった。白いコードに「パシーン!」って当たり、大きく上に跳ねる。小武海君が、思わず「入れー!」って叫ぶ。真上に跳ねたボールが落ちてきて、再びコードに当たって跳ね、そして‥‥‥小武海君のコートにポトリと落ちた。
ダブルフォルト。ゲーム裕 五―四。ついに試合が動いた。
この勝負所でプレッシャーに打ち勝ったのは裕だった。
ああ、もう私、心臓が口から飛び出しそう。さっき喜びあった澄香も、米山さんも、言葉をなくしてじっとコートを見つめるばかりだ。
一六番コートの周りに人が集まり始めた。一〇〇人くらいいる? 小武海君が競ってるのが珍しいんだな。
「おい、小武海、負けるかもよ。残りお互い全キープで八―六だもんな」
「だいいち、あの相手誰よ? あんなのいた? エントリー№4って、ノーシードじゃんか。なんであんなすげーの?」
「東京の奈良裕だって。全然無名の選手だな。ノーシードなんだから、東京をぎりぎりで通過したんだろう。なんでかさっぱり分からん」
「小武海、高校無敗で終わると思ったけどな。連勝は六七でストップか?」
「まあ、八ゲームマッチだからな。どこかで負けることもあるだろ。何にせよ、貴重なシーンを見られるかもな」
見ている観客たちも、だんだん理解し始めている。
まだ二回戦だけど、全くの無名選手だけど、目の前の二人が、高校最強の座をかけて戦っている、と。
~ 終章 前編 終わり ~
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