第13話 絶と魔法工学の出会い

「……ただいまー……」


 キィ、と音を立てて玄関の扉を開いた絶だが、返事は返ってこなかった。

 汪麻と二人暮らしの部屋。

 鍵がかかっていたので部屋に誰もいないのはわかっていた。


 基本、朝は絶の方がはやく出ることがほとんどだが、帰りは逆転することも珍しくない。


「…………」


 普段通り、表情のない物憂げな顔で、絶は明かりもつけずに廊下を歩き、居間にたどり着くとペタンと座りこんだ。


 救世魔法《勇者》の代償として、ありとあらゆる幸福──つまり人間としての普遍性を失った絶は、自分から何かをしたいという欲求を描くことが乏しい。

 時には勇者であったころそうだったように、体内の理力を整えたり、瞑想して過去の剣術や魔術を思い出したりすることもあるが──こうしてうす暗い部屋にぺたんと座り込んで虚空を見つめ、糸の切れた人形のように身動きしなくなることもままある。


 彼女にとって、この世界はすでに灰色で。

 全てが無味無臭の世界に等しいのだ。


 こうなった時の絶に時間を取り戻すのは、いつも、部屋に戻ってきた汪麻の驚きと不安がないまぜになった、気にかけるような声音だった。


 しかし、今日は違った。


 ピンポーン


「…………?」


 部屋の呼び鈴が鳴る。

 元勇者として超常の感性のある絶は、扉のむこうに配達員が来ている気配をとらえた。

 当たり前のように、応じて配達品を受け取ることぐらいは絶でも知っている。

 汪麻に教わったからでもあるが、スマホに融着された中位精霊スイゼルにより、彼女はこの世界の様々な常識や知識を、ウェブ由来のために若干偏ったものの大体は既に身につけていた。


「……っ! さ、サインをお願いしまーす」


 玄関を開けて応対に出ると、配達員は絶を見た瞬間、その浮世離れした美しさに息をのむ様子を見せたが、すぐに職務を思い出した様子で、絶のサインを受け取ると去っていった。


「汪麻の荷物か……」


 配達票を見て、絶はぽつりとつぶやく。

 それをリビングの目立つところに持っていこうとしたところで、ふとその視線を、部屋の隅のガラス棚に目をやる。

 そこにはすでに汪麻の手によって制作された数体のプラモデルが飾られている。

 今届いてきたのもまた、汪麻宛てのプラモデルらしい。


「こんな人形作り、何が面白いんだろう……?」


 前世の知識も含めて、理解不能な趣味に、絶は不思議そうにつぶやいて、目元にかかった髪の毛を払ってダンボール箱に目線を落した。






「はぁっ、はぁっ、」


 汪麻は息を切らして、マンションの階段を駆け上がった。


「ついつい実験に熱中してしまって、帰るのが遅くなってしまった……!」


 春先にも関わらず、外はすでに薄暗くなっている。

 いつもなら絶がお腹を空かしているころだ。

 あの無気力娘は平然とした顔で、何分も何時間も、壁と睨めっこしてそのまま過ごしてしまうことがある。

 あの娘は「かまわない」と言う。

 だがどうしても汪麻は落ち着かず、それに声をかけ、テレビを見させたり、年頃の娘のようにスマホで動画を見たりなどを、提案してしまう。


(ええい、手のかかる奴め)


 そう思うものの、汪麻の中ですでに少女はただの居候と憎めない存在にまでなっていた。


「絶! 悪いっ、すぐ飯を──」


 玄関の扉を開いて声を上げようとすると、耳に変な水音が響いてきた。


(これは……嗚咽おえつ?)


 鼻をすすりしゃくりあげる音と、あえぐ喉から漏れる苦鳴くめいじみた声。


(なにがあった──!?)


「絶!」


 汪麻の全身を焦燥感が支配する。

 靴を乱暴に脱ぎ捨ててリビングに駆けだした。


(絶は……一人か)


 制服姿のまま、テーブルの前にペタンと座る後ろ姿が見える。

 背中を見せていて何をしているのかわからないが、その肩は一目でわかるほどおびただしく震えている。


「絶……! 何があった!?」


 驚きで声をうわずらせながら問いかけ、汪麻は絶の肩をつかんだ。

 振り返った絶は、汪麻が見たことのない表情だった。

 涙で顔をぐちゃぐちゃにして、そして少しの興奮で頬を赤らめていた。


「汪麻……。これ、楽しいよぉ……」


 汪麻には、一瞬何を言っているのかわからなかった。

 ただ、彼女がテーブルに広げているのが何かはわかった。

 エヴァンジュリン弐型の作成途中の模型──。

 蓮司が自分に譲ってくれた、限定品のプラモデルだ。


「楽しい……?」


 聞き間違えでなければ、絶はそう言ったように聞こえた。


「うん……おかしい……。私はもう二度と、こんな感情なんて味わえないはずなのに……。私……。楽しいんだ……」






 いったんプラモデルの制作も中断させて、絶が落ち着くのを待った。

 絶は泣き腫らした顔が余韻を醸しつつ言った。


「たぶん、私にかけられた救世魔法《勇者》には、欠陥があったんだと思う」


「欠陥?」


「うん。私はありとあらゆる幸福を得ることができなくなった──。それが、儀式加護の代償だけど、ありとあらゆる幸福、という定義が難しかったんだと思う」


「……」


「こんな……模型を組み立てて楽しむ、という遊びは、少なくとも私の時代ではなかった。本来ならそれでも、儀式加護の代償として、淘汰とうたされるべきだったんだろうけど……。当時にない概念だから、条件づけに漏れてしまったんだと思う……」


「つまり……絶は模型作りなら、楽しい……面白い……そんな幸福を得ることができる、ということか?」


「たぶん、そういうことだと思う」


 答えた後、絶は付け足した。


「それは本来なら、儀式加護を損なう欠陥だけど……。今となっては、どうでもいい話よね……」


「……泣くほど嬉しかったのか?」


「……わからない。私は《勇者》になると同時に、名前も記憶も失ったから。そもそも、『楽しい』という感情を味わったことがないの。こんな瑞々しくて……時間が忘れるほど熱中する感覚……」


 絶は、表現に悩む様子で繰り返してから、汪麻の顔を見て来た。


「汪麻……私は味わっていいのかな……? こんな感覚……」


 どこか……すがるような、哀願するような口調で絶は汪麻に問いかけた。


「……たわけが」


「……?」


 汪麻は、喉にからむものがあった様子で吐き捨てた。


「よくわからんが、何かをして楽しい、というのは人にとって当たり前の感情だ。それに必要な権利、代償など、あるわけがなかろう」


「……あは」


 絶の苦悩を吹き飛ばし笑うような汪麻の声音に、つられるように絶は笑った。

 白い八重歯を見せながら。


「ごめん。あたし、汪麻の幸せ、うばっちゃった」


 汪麻宛てのプラモデルを、勝手に作ったことを言っているのだった。

 汪麻も蓮司に頼んだ時には、それを自分の手で組み上げることに猛烈ながれを覚えた。

 だが今は──絶のこの表情を見た後は、欠片も惜しいと思わない。


「……かまわんさ。それはお前に譲ろう。好きな時に楽しむといい」


「……うん。ありがとう」


 絶はうなずきながら、ふくらむ期待を隠しきれない様子で、顔を綻ばせた。


「ねぇ、汪麻」


「なんだ?」


「プラモデルっていうのは、これ以外にいっぱいあるんでしょう……?」


「ああ。たくさんあるとも」


「たぶん、だけど……他のでも、同じように……その、楽しめると思うんだ」


「ああ。それで?」


「……今度、一緒にプラモデル、買いに行かない……?」






 先の一件で汪麻は宝条姉妹と知り合った後、彼女たちを絶の友人と認識し、二人に絶に年頃の少女にとって当たり前のこと──。

 特に服を一緒に買いに行き、コーディネートを頼んだ。

 それまでは女性用の服屋に連れて行き、店員の薦めるままに買っていたのだが、絶は自分の装いに無頓着だし、汪麻もそれでいいのかよくわからなかったのだ。

 以来、たまに宝条姉妹は絶を連れだして、ブティックだったり、甘味処だったり、年頃の少女らしい交遊をしているようだ。

 そうして宝条姉妹に選ばれた絶の服だが、絶の好み──服のデザインの好みではなく、戦士として身動きしやすい服──も反映され、結果、可愛らしくも肌の露出が多い服が多い。

 造作の美しい中性的な顔で、アンニュイな眼差しは、ショートパンツなども似合う。

 部屋で共に過ごす場合も、キャミソール姿など、無防備で目のやり場に困る姿をしていることも多かったが、また別に、汪麻をドキドキとさせる服だった。


(これは、デートではない)


 汪麻もわかっている。

 仮に彼女がいたとしても、別にプラモデルを買いに連れて行きたいとは思わない。

 あくまで一人の時間で楽しむ趣味であり、それを伴侶と楽しむのはまた別の話だ。

 ただ……あの人間らしい表情を欠落させた絶が、あれほどの感動。

 普通の人間にとって些末な幸せが、彼女にとってどれほど得難く貴重で、砂塵の中に見えたオアシスのように貴重で儚いものだとわかったから。

 姉の楓華から絶を預かった身として、プラモデルの一体や二体、買い与えることをいとわない。

 だからこれはデートではない。

 

 しかし──傍から見ては、デートそのものだ。


 汪麻も絶とは比べるくもないが、陽国人には珍しい金髪で大柄な体格、その顔も、尊大さを滲ませながらも整っていると言ってよく、共に陽国人にしては背の高い二人。

 途方もなく目立つ。

 途中の駅で、大通りで。

 かつてないほどの視線が突き刺さってきた。

 しかもだ。

 絶は、汪麻に腕をがっしりと絡ませていわゆる恋人握りまでしている。

 本人はスマホの画面に釘付けとなっており、どうやら待ちきれない様子で、スマホでプラモデルを一つ一つ確認して、どれを買うかに思考を巡らせ、楽しんでいる様子だ。

 それに夢中で、かつてないほど隙だらけで、道案内や足取りは汪麻に完全に任せているのだ。

 まさしく『人が変わった』と表現していい。


(か、可愛い……。い、いや、動揺するな、十王司汪麻……。この娘はあの残念美人……。突然人に殴りかかる横暴娘、絶なのだ)


 ちなみに──。

 汪麻は模型作りだけでなく、ロボットという概念そのものが好きで、例えばアニメで印象的な立ち居振る舞いをした名シーンの記憶や、設定資料に目を通さなければ知れないロボットが作られるに至った裏設定など、とにかくロボットと名のつくものの歴史的背景、すべてを堪能して味わう筋金入りのヲタクだ。

 だから、絶に渾身で選りすぐりのロボットアニメを見せたが──


「……つまらない。こんなのを見て何が楽しいの?」


 と、絶は死んだ魚を見るような目で切り捨てたばかりか。


「この機体がこんな動きをしているのはおかしい。呪的回路らしい装飾に欠けていて、こんな動きをしていれば関節が千切れ飛んで中身のパイロットも耐えられない。非現実的な御伽噺おとぎばなしだわ」


 と、辛口で魔導科学的考証批判を次から次へとしてくる始末。

 言ってしまうと、汪麻の一番嫌いなタイプのロボアニメへの批評の仕方だ。

 あくまで絶の儀式の代償への抜け穴は、模型を工作するという限定的部分にしか、適用されないらしい。


 普段、汪麻はプラモデルの購入を通販で済ますことが多いが、折角なので、都内でも有名な秋葉原の専門店に行くことにした。

 汪麻も直接足を運ぶのは初めてだ。


 販売中止された数万円もする限定品。

 主役機はもちろん、ちょっとニッチな人気を誇る脇役的なメカも。

 新作も、古すぎて箱がよじれたヴィンテージものも。

 とにかく、これ以上の品揃えはない、という店だ。


 その店に足を踏み入れた二人に、最初は店内の客などから無遠慮な視線が突き刺さった。

 地毛なのだが、金髪に引き締まった体格で長身の汪麻。

 それにしだれかかるように腕を組んだ絶。

 傍目からは、こういったヲタク趣味に縁が無さそうな陽キャカップルで、冷やかしに来たのだと思われたのだろう。


 だが──。


「うお! これは販売中止されたザ・グンブルの初期ロット生産……! なんと渋い品だ……!」


「汪麻! 汪麻! これとこれ! これ! これも作ってみたい!」


 2人、喜々とはしゃいで騒ぎ立てるものだから、周囲が唖然とした視線を見せてくる。


「まあ、待て絶……。模型作りとはそう急いて遊び尽くすものではない……。とりあえず予算は2万円以内で……」


「えー? じゃあこれは?」


 絶の選ぶ基準は色々あったが、『限定品』、古い『ヴィンテージ品』、『主役機などの有名な機体』が多い傾向だ。

 絶はアニメの設定など知らないはずだが、自然的感性でただのプラモデルの呪的効果、長い歴史や希少性、そして人気などの霊的加護をつかんで選んでいる様子だ。

 2人、あーでもない、こーでもない、と話していると、店員を示すエプロンを着た中年の男性が話しかけて来た。


「はは、見ない顔だね。学生さんかい?」


「あ……すいません。騒いでしまって。御迷惑でしたか」


 汪麻が恐縮とした態度──目上で初対面の人には意外とこういう態度もとったりする──を見せると、店員の男性は闊達かったつに笑った。


「いやいや、構わないとも。見たところお嬢さんは模型初心者みたいだね。何か気になることがあったら話かけてきてよ。あ、僕は店長の柏崎かしわざきね」


「はい。……ところでこの『インパクトフリーグス決戦仕様』は値段が書いていませんが……」


「ああ……。ごめん、それは友人の遺族から預かった非売品でね。展示用なんだ」


「いえ、わかりますとも。俺たちファンにとって国宝級のしろものですから」


 汪麻と柏崎は馬があう様子で、それぞれ会話に盛り上がる。

 自分を置いて柏崎との話に没頭する汪麻に、絶は一瞬むくれた顔をするが、ならばとひとり店内を歩き回る。

 決して広いとは言えない店内に、所狭しと商品が置かれている中、ふと気配を感じ、絶は視線を上に上げた。


「これ……」


 それを目に止めて、死んだ魚のような目だった絶の表情に光が灯る。


「汪麻!」


 店中に轟くような声を上げて汪麻を呼び、跳ねまわるような機敏な動きで他の客を驚かせながら店内を駆け、柏崎と話していた汪麻にすがりついて、その腕を抱き寄せながら来た道を指さす。


「決めた! あれ! あれ買って!」


「お……。そんなお気に入りが決まったか?」


「はは、何だい? おじさんも気になるなぁ。どれのことだい?」


 柏崎も連れて、絶がひっぱるままについていく。


「あれ!」


 絶が指さした物は、他の商品とは違い、普通の視点では視界に入らない棚の高いところに展示してあった。


「まさか……」


「はは……、あれかぁ……」


 汪麻は表情を曇らせ、柏崎は苦笑を浮かべた。

 絶が指さしたのは、他のプラモデルと比べて3倍ほどの大きさがあった。

 それは陽国では最も有名なロボアニメシリーズのひとつで登場する機体であり──。

 ロボであってロボでない。

 1/144というスケールでありながら、完成品は1mを超えるサイズで、その大部分はロボではなく、ロボが身に着けたバックパック──拡張兵装で、もはや本体であるロボットが埋もれる始末。

 『幻の撃墜王』ガトウ・コウラギが乗った、試作三号機追加兵装付き『天意無法』バージョン。

 陽国の大手プラモデルメーカーで市販されたプラモデルシリーズの中でも、を誇る一体だ。


「……わかっとらん!」


 一喝するように腕組みをしてうなったのは、汪麻だ。

 くどくどと説法のように説く。


「確かに……『天意無法』は、ロボ好きなら憧れる一体だ……! だがプラモデルとなれば話は別! 模型作り初心者がはじめてであれに手を出すなど言語道断! 剣術素人がいきなり真剣を握るようなものだ! 模型とはまずは手ごろな通常サイズから手を出すもので……」


「ヤダ。あれが欲しい!」


「ダメだ!」


「欲しい!」


「ダメだ!」


 2人、激しい口論になる。


「あはは……2人とも……そうカッカしないでね? 他のお客さんにも迷惑だから……」


 柏崎が、なんとかなだめようとするが、焼け石に水。

 頑固な2人の平行線な言い合いが続くと、絶が考えを変えた様子で、言う。


「本当に……ダメ?」


「……ああ!」


「汪麻の意地悪……」


 そのようなことを言うと、アンニュイな両の目を潤ませ──。


「……えぐっ、ひっく……」


「ぜ、絶?」

「絶ちゃん?」


「うわわぁあぁあぁぁああん! 汪麻のばかぁああぁぁぁああぁぁ!」


 と、店中に木霊するように、嗚咽を上げて泣き喚きだした。


「ぜ、絶、落ち着け!」


「いやだぁあぁああぁぁ! 欲しいよぉおぉぉぉおぉ! 買ってよぉおおぉぉぉ!」


「ぐ、ぐぅっ!?」


 年頃の娘が、まるで園児の娘のように泣き喚く姿に、汪麻は混乱状態に陥った。

 周囲の客から、絶対零度の視線が突き刺さる。

 冷や汗を浮かべた汪麻が、生ぬるい汗をだらだらとかく。

 柏崎は困った顔で、だからといって立場上、汪麻に『買って上げなよ』とも言えず、困った風に目じりを下げた。

 汪麻が折れるのにさして時間はかからなかった。


「うああぁあああぁぁああん!」


「わ、わかった、買ってやるから! 買ってやるとも! だからお願いだから、泣き止んでくれ!」


「本当……?」


 汪麻の言葉に絶はすすり泣きながら、上目遣いで見てくる。

 日頃の振る舞いを忘れて、思わず庇護欲のくすぐる表情だった。


「あ、ああ。だからもう泣くな」


「やったね!」


「ん?」


 絶は次の瞬間には泣き姿をピタリと止め、ぴょーんと飛んで、高いところにある大きな『天意無法』の箱を両手でつかんで着地すると柏崎に突き出し。


「これ、買います!」


「はいはい。毎度あり」


 柏崎が、笑いをこらえながらレジへと絶を連れて行った。


「な、泣き真似、だと……?」


 一人取り残された汪麻が、愕然とつぶやいた。






「私は仮にも元勇者よ? 筋肉の一房一房の制御なんてできて当然。もちろん表情筋もね」


 絶はそう言うと、普段のマグロのような表情からは想像できない満面の笑みや、かなしんだような沈鬱な表情、王子様のような大人びた流し目や、おちゃめなウインク。

 そこらの女優や芸人も顔負けの多彩な顔芸を披露する。

 元々の美形もあいまって、芸能界に乗り込めば一大ムーブメントを起こせそうな演技力だった。

 絶は一抱えもある試作三号機『天意無法』バージョンが入った箱を抱きしめるようにして、普段はアンニュイに見える表情を今は上機嫌に目元を緩めている。

 本気で嬉しがっている様子だ。


(くそう……俺もまだ手を出したことは無いのに……)


 汪麻もいつか手を出したいと思いつつこらえていた作品で、思うところがあったが、しかし。

 絶がこれほど喜んでいるのなら、悪い気がしないのも事実だ。

 そうして二人は自分たちのマンションの部屋へと戻ったのだった。


 絶は当然といった様子で、早速、普段汪麻が模型作りに利用している折りたたみ式のテーブルを広げて、『天意無法』作りを始める。

 テーブルを占領されているので、汪麻はアニメ鑑賞を始めた。

 最初の時がそうだったように絶は嗚咽に咽び泣くか……?

 と心配する部分があったが、顔に喜色を浮かべながら時折「はふぅ~~」だの「ふんふん♪」だの、幸せそうなため息や鼻歌を歌う程度で済んだ。


 しかし30分ほどだろうか。

 まだ全体のほんの一部分しかできてないのに、絶は広げた模型を、パーツがなくならないよう丁寧に分別して、片付け始めた。


「なんだ。もう満足したのか?」


 汪麻が問いかけると、


「……全然」


 と、絶は複雑そうな顔で言った。

 そして普段のアンニュイな顔に戻る。


「本当は……一気に完成まで行きたいけど。……たぶん……私にも、飽きる、という感覚があると思うんだ」


 その言葉で、汪麻も絶の言わんとすることはわかった。

 模型作り。

 主に男性の趣味で、女子のモデラーはいないわけではないが、少数だ。

 もちろん、絶がそういう嗜好の人間である可能性はある。

 それでもプラモデルはやはり、間口の狭い趣味だ。


 今の絶は、砂漠で干からびかけた中、濁った泥水の水たまりを見つけたような状態だ。

 腹を壊す危険性があろうと、委細構わず喉を潤せるものなら、なんでもとびつくが──


 最初の方こそ楽しみはすれ、いずれ『飽きる』可能性はある。

 その時、絶は模型作りに代わる喜びを見いだせるのだろうか?

 また、灰色の世界に戻るのではないか?


 絶はそれを恐れて、模型作りという趣味を、少しづつ月日を懸けて味わうことに、決めたのだろう。


「ごめん……。このテーブル。この子が完成するまで使わせて」


「ああ、構わんとも。隅に置いて置けば、邪魔にはならん」


 汪麻は鷹揚に言うと、テーブルを隅の方に移動させた絶が、ぺたりと汪麻の隣に腰を下ろした。


「ねぇ、汪麻」


「ん? どうかしたか?」


「確か前言ってたよね? MAGWSの制作に携わっているって」


「あ、ああ……。主にソフトウェアの方だがな」


 最先端の次期主力兵器と言われるMAGWSには、ありとあらゆる分野の魔法工学の技術が使われているが、大まかに区別されてハードウェアとソフトウェアに別れる。

 ハードウェアとは、実際のMAGWSを構成する物質部分。

 全身を構成する金属部品や樹脂、その製造と組み立て、材料となる金属や樹脂素材の製造技術など、実体的な部分がハードウェアだ。

 一方、ソフトウェアとは肉眼で確認できるわかりやすい要素ではなく、人工精霊回路の調律だったり、全体に張り巡らせた魔術回路の設計や魔紋プリント──

 見た目にでるものではないが、魔法工学の産物上、切っては切り離せない全体のデザイン設計などを含んだのがソフトウェアだ。


「あたしも、MAGWSを作ってみたい」


「…………」


 汪麻も、予想できない言葉ではなかった。

 むしろ、自分から提案しようかとも、悩んだ言葉だった。

 模型の組み立てで幸福を味わえられるなら、それすなわちMAGWSの組み立てでも幸福を味わえる可能性が高い。

 だが……MAGWSは兵器だ。

 それは《勇者》という大業を果たし、その役目から解き放たれて、一生を寝て過ごしたいと言った少女を、再び鉄錆と血の臭いの薫る戦場へと呼び戻す行為だ。

 元勇者である絶であれば──。現代の魔法学を飛躍的に発展させる可能性がある。

 しかしその才能が、兵器産業の分野で発揮されるのが果たしていいのかどうか……。

 汪麻は測り兼ねていた。

 汪麻は、迂遠な言葉を吐いた。


「俺も学生として、教えを乞い手伝いさせてもらっている立場だ。俺からは気軽に了承できない話だ」


「でも口利きぐらいはできるでしょう」


「待った……。姉上に聞く」


 汪麻は答えて、絶に聞かれないように、部屋の外まで出て風音結界を敷き、姉の楓華に電話した。



『構わないわよ?』


 電話に出た楓華はかるい調子で言った。


『うちの国が専守防衛だからといって、軍事産業をないがしろにしていい訳ではないわ。威力行使できないにしても、他より優れた武力があれば色々と圧力うりかたをかえてこの世界を平和にできるもの。電話を絶に交代して。あとは私に任せてくれればいいわ。絶の説得と、彼女が大学の研究室に出入りできるよう、働きかけるわ』


(やはり、姉上は頼りになる)


 汪麻は胸中で呟いて部屋に戻ると、絶にスマホを渡した。


 楓華と絶の話はスムーズに進んでいるようで、絶の判を押したような相槌がリズムよく聞こえてくる。


 さほど時間がかからずに絶がスマホを返してきて、その時にはすでに通話は切れていた。


「どうなった?」


「今まで通り、高校の方には通えって。そっちで授業を受けるなら、放課後や土日に大学の研究室にいっても構わないって話だわ。もちろん、そこではそっちの責任者……須藤琳っていうの? その指示に従うって条件つきでね」


「ほ、ほう。そうか」


 予想よりもスムーズな話の展開である。

 汪麻は気楽な様子で、絶に笑いかけた。


「よかったではないか」


「ん」


 ちなみに絶は『真面目に授業を受ける』と言ったが、あくまで『彼女なりの真面目』であり、今まで通り高校の授業は寝て過ごすつもりである。


 そしてこの時汪麻は、さほど考えもせずに絶を祝ったが。

 大学生活まで彼女の面倒を見て、気の休まる時が無いことに、後々後悔することになる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る