第12話 汪麻の大学風景

「絶、顔洗え」

「ん」

「絶、朝ごはん」

「ん」

「絶、寝ぐせ」

「ん」

「絶、歯磨き」

「ん」

「絶、お弁当」

「ん」



 すでに恒例行事となった汪麻と絶の朝のやりとり。

 この不毛な争いは、流れに身を任せるままの絶を放り出せない汪麻が敗北する形で終息し、小言も言わなくなり、絶の完全勝利に終わった。

 絶は制服姿にバッグを手に、ダウナーな感じの無表情で玄関前でふりかえりながら言った。


「行ってきます」

「ああ」


 絶を送り出してから、汪麻もようやく自分のことに集中できる。

 特S科である汪麻は、普段は伏間高校ではなく、併設された伏間大学の方の研究室に通っていて、朝は絶より時間に余裕があった。

 見かけによらず緻密な汪麻は、台所を新品そのもののように綺麗に磨き上げる。

 それに満足気に腕を組んでうなずき、身だしなみを整えてから、自分も部屋を出て鍵をかけた。

 大学もやはり徒歩で10分ほど。

 すでに慣れた道である大学のゲートをくぐり、学舎ではなく、グラウンドの方へとむかう。

 汪麻が厄介になっている須藤すどうりんの研究室は、特殊な事情で、グラウンドの方に設置された巨大倉庫の中にある。


(うーむ)


 シャッターの巻き上げられた入口を通ると、まず出迎えるのが──巨大な脚。

 人間で言うのなら巨大な靴底が、視界に飛び込んでくる。

 この倉庫はMAGWSマギウスと呼ばれる、戦車や戦闘機に代わる次世代主力兵器と言われる巨大なロボットのための格納庫なのだ。

 現在鉄の台座の上に仰向けにさせられているのは、教導用に払い下げられた旧式機体『静馬』。

 武装らしい武装はなく、いわゆる汪麻が愛するロボットアニメのプロトタイプ機のような秘められた性能は──おそらくない。

 それでも、実物のそれを見られて自然と汪麻の意気は高揚する。


(やはり……メカはたまらんっ! この鉄錆と塗料、そして油の臭い! ああ、なんでこんなに胸を高揚させるのだろう!)


 メカヲタクの本懐極まれりといった様子で、横手にまわりこみながらも目線が吸い寄せられる。

 と、冷たい声が背後からかけられた。


「バカ汪麻。目つきが気持ち悪い」


 言っている内容は人をコテンパンに罵倒するものでありながら、どこか耳に響く舌っ足らずな甘い声で、内容の割には不快な気分にはならない。

 汪麻は鷹揚に応えた。


「おお、りん。後ろにいたのか」


 声をかけてきたのは、汪麻が師事する須藤すどうりんその人。

 ただし、身長144センチと小柄。

 菱形のチェック柄のセーターに赤のスカート、その上にだぼだぼの白衣を着ていて黒のタイツとローファー。

 どうみても汪麻の年下にしか見えない──というか一つ年下の15歳。

 元々は汪麻と同じ中学に通っていた後輩なのだが、在学中に発表した人工精霊回路の新しい基礎理論が認められ、大学に博士クラスで飛び級したのだ。

 琳は伸ばした右腕に左腕を組みながら、不機嫌そうにそっぽをむきつつ汪麻を罵った。


「呼び捨てにするな、バカ汪麻。ここではあたしの方が上なんだから」


「何を言う。昔は夜も眠れんで『にぃに』と呼びながら人の服をつかんで離さなかったというのに……」


「ばっ……! そそそそれを言うな! む、昔の事なんだから! バカ汪麻!」


 顔を赤面させて琳は地団太を踏み、だれかに聞かれていないか首をめぐらす。

 付近には何人かの作業着姿の人間がいたが、巻き込まれてはたまらないと琳の睨みつけるような視線から顔を逸らした。


 琳は華族の一員ではなく、十王司家が運営する児童養護施設からひきとられた子で、稀有な魔導力と魔法理論への深い理解を見せた。

 十王司家はそんな彼女を見込んで資金援助を行い華族御用達の魔法私立中学に通わせ、琳はそこで抜きんでた実績を見せて大学に飛び級した。

 十王司家が補助したのは福祉活動の一環で彼女に支払い義務はないのだが、すでに取得した特許で得たお金で、十二分な利益を十王司家に還元した、楓華とは種類の違うタイプの才媛だ。

 今ではずいぶんと生意気にツンケンとした娘に育ったが、昔は寂しがり屋で、林間学校や一時十王司家の本家宅で預かっていた時には汪麻を「にぃに」と呼び、妹のようについてまわってきた愛らしい少女だった。

 まあ汪麻としても、この年頃になって「にぃに」と呼ばれてもむず痒いだけなのだが……。


(はてさて、昔はこれほどツンケンしていなかったはずなのだが……まあ思春期に反抗期、難しい年頃か)


 という風に、琳は汪麻の中で希釈されている。

 そもそも、研究室に誘ってきたのは琳の方からだし、本当に嫌われているのなら汪麻にとる態度はまた別だろう。


「え、えぇい! もういい! 今日は午後から予定があるから午前中に成果を見せて。準備ができたら、いつも通り研究室で待っているから」


 須藤琳の専攻は人工精霊工学。

 現代の文明と魔法士を支える人工精霊回路の下地となる技術である。

 他ならぬ自身の研究の成果で、琳はこれ以上同じ路線で研究を続けても頭打ちと感じ、琳は最近の研究をその技術の応用方法へと舵を切った。

 特に大型魔導機への転用を考え──その一つがMAGWSである。

 琳の専攻はあくまでソフトウェアの部分であるが、MAGWSを対象にしているため、ハードの面も副次的なものながら研究していて、この倉庫には整備士となる作業着姿の生徒の出入りも多い。

 汪麻も暇な時や休憩時間に、隅でくつろいでいたり煙草を吸う学徒に物怖じせずおうへいに声をかけ、生の言葉を聞くこともある。

 たいがいの者は、50歩100歩で汪麻同様、MAGWSあるいはロボやメカに思い入れのある人物で、話が合う。

 少なくとも汪麻のような嗜好の存在にも理解を示してくれる。

 汪麻としては居心地のいい空間だった。


 琳と別れて、倉庫の隅に自分の荷物を置いて、代わりに実験で使う機材を確認する。

 そのように作業していると、遠くから声をかけられた。


「おお! よぉ! 汪麻」


 ここで見知った一人。

 茶色く染めた髪にバンダナを巻き、わざと剃り残した顎髭の男が陽気に声をかけてくる。

 ここに来てから馴染みとなった皆川みながわ蓮司れんじだ。

 気風のいい男で、初対面だと横柄にしか見えない汪麻にも動じず、アニメやMAGWSの話題で盛り上がるのが日常となった。

 作業着姿で声を張り上げよってくる蓮司に、汪麻は目を細めて言った。


「ご機嫌そうだな」


「わかるか!?」


 大柄で年上に見られることの多い汪麻、見た目はともかく、実際の年齢はもちろん蓮司の方が年上だが、そこらへんに無遠慮な汪麻は対等に──傍から見ると尊大に接する。

 それに閉口する者もいるが、蓮司は気にしない様子で初日からタメ口だった。

 蓮司は喜んだ様子で袖まくりをし、力こぶをつくった。



「予約していたエヴァンジュリン弐型の限定キット! 妹にも頼んだ分を含めた2セット、両方ともゲットしたんだぜ!」


「な、なんだと……!? 俺も予約していたのに……!」


「ははーん。やはりそうか。お前の方は抽選に漏れたんだな……」


「ゆ、譲ってくれ! 片方……頼む!」


「いくら払う?」


「ば、ばかもの! 転売ヤーは俺たちの敵だろう!」


「はは、冗談だって。受取先はお前の家にしておいたさ」


「れ、蓮司……! 俺はお前という友を得て幸運だ……!」


「あー……そこまで言われるとちょっと蒸し暑いかも……」


 蓮司はつぶやいてから、少し呆れたように笑った。


「まったく面白いものだな。あの十王司家の息子が、新作プラモの販売にそこまで血道をあげるなんてよぉ」


「言うな、蓮司。見よ。このMAGWSを。俺たちの世代では、俺たちが安室あむろ吉良きらになることも現実にありえるのだ」


「……。いや、そういうことじゃなくて。十王司家の財力なら別に転売ヤーからいくらでも買い放題だろ?」


「俺だって無限に小遣いがあるわけでもない。それに一ファンとして、転売ヤーのお得意様になるなど言語道断だ」


「ははは……。相変わらずおもしれーやつ」


 半ば呆れながら蓮司は口にして、それから何かに気づいたように話題を変えた。


「そういや、お前さんは乗る方パイロットに興味はないのか? 高校卒業後に進路を変えるつもりか?」


「うむ……いや悩んでいる。そもそもパイロットになったとて、結局俺たちの出番は、ないほうがいい。そうだろう?」


「ハハ……。ちげぇねぇや」


「陽国では今のところMAGWSに乗るには士官になるしかない。まあ、土木用にMAGWSが普及する可能性もないではないが……」


 陽国にはすでに数十体のMAGWSが実戦配備されているものの、専守防衛を掲げる陽国では出番がなく、その威力はもっぱら被災地の人命救助や土木工事に活躍している。

 その活躍は現地のメディアで放映されるほどで、悪路な足場をものともせず、二本腕十指にほんじゅっしのマニピュレーターで多彩な道具アタッチメントが使用可能な陽国のMAGWSは災害救助でこれ以上ないほどの活躍を見せている。


「土木用……。労働者レイバーか……。ありえねぇ話じゃないだろうが……。おめぇのことだ、もっと主役を張りたいんだろう?」


「ああ……」


「当ててやろう。お前が人工精霊回路を学んでいる理由。吉良のOS書き換えに憧れたな?」


「わかるか……」


「あれは俺も憧れたさ……」


 2人、余人にはわからぬ通じた物を感じた様子で、余韻に浸る。

 そこに野太い声が割って入った。


「おい蓮司! いつまで油売ってるんだ!」


「あ! 熊さんすみません! ……ってなことで忘れずに受け取れよ! じゃあな!」


 蓮司はそのように言って、立ち去っていた。

 その姿を見送って、汪麻はきびすを返す。


「さて、俺も琳のもとに……」


「バカ汪麻! いつまで待たせるのよ!」


「……今から行く!」


 琳は待ちきれないのか、それとも急ぎの用事があるのか、倉庫の二階部分に伸びた彼女の研究室に続く階段から身を乗り出して、声を張り上げていた。


「あと、そのように身を乗り出すとスカートの中が見えるぞ!」


「!??? ば、バカ汪麻! エッチ! 変態!」


「レギンスを履いていて何を言うか!」


「うるさいうるさいうるさい!」


(まったく……大人しかった反動か? とんだじゃじゃ馬に育ったな)


 昔の内気なころもどうかと思うが、このように口が悪いのもどうかと思う。

 なぜか汪麻以外には、これほどの口の悪さはでないのだが。

 

(まあ俺だけで済むなら、ここは寛容になろう……)


 作業着姿の周囲の生暖かい視線には気づかず。

 汪麻は二階の研究室に続く階段のタラップを登っていった。






「汪麻はブラックでいいよね?」


「ああ……」


 普段の態度は完全な塩対応なのだが、奇妙なことに二人っきりになるとなぜか少し緩和されて修飾子の『バカ』がつく頻度が減る。

 そして頼む前に手ずからコーヒーを淹れてくるのが毎度のことだ。


(来客が来ると毎回そうする習慣があるのか……?)


 汪麻の考えをよそに、琳は何かに気づいたように手を叩く。


「あ、そうだった。駅前の店でケーキ買ってきたんだった。汪麻も食べる? 食べたいよね?」


「いや……。まぁせっかくだから頂くが……」


「ん。ごめん何か言った?」


「…………」


 汪麻が返事を出す前から、備え付けの冷蔵庫からケーキボックスを取り出して、取り皿やフォークをいそいそとセッティングしていく。


(急いでいるのではなかったのだろうか……?)


 そんなことを思ったものの、汪麻の内側ではこの須藤琳という少女を買っている。

 楓華とは分野が違うものの、彼女もまたこの時代の人間にしては特異点的な存在。

 学問における理外アウターなのだ。

 汪麻が忠告せずとも、自分で時間管理ぐらいできるはずだ。


「それでね──」


 琳はケーキをセットすると、滑らかに指をパチンと弾く。

 その魔法的シグナルに反応して、テーブルに置いたスマホがウィンドウを三次元空間に表示させて、有名な魔導科学情報誌を映すと、研究者らしくそれらの話題について話し出した。


 汪麻も華族のエリートとはいえ、あくまでまだ学生だ。

 さすがに、各国の頭脳を集約した研究チームを中心とした他分野の話となると、知識不足な点が多々でてしまう。

 一方、須藤琳は専門外についてもある程度理論がわかるようで、すらすらと言葉を出して研究内容の問題点や、記事に書かれた理論が実現可能で普及した場合の応用の話などを、喜々として話してくる。


「この蘭国の人工筋肉アクチュエーターの研究はね、私も注目しているの。特殊な製法で鍛造した魔導鉄を筋肉の筋みたいによじって束ねてマナを導通させ、その加減によって本物の筋肉のように伸縮させるの。出力的にも問題ないし、構造が人体に似ているから様々な術分野が応用できるようになるの」


「なるほど、形象のモデルから組み直すということか。しかしそうなると霊基そのものの作り変えのようなものだ。既存の魔紋プリントも作り直すものが多いし、付与する人工精霊回路の調律もやりなおしだ」


「その点はおいおいなんとかなるでしょうよ。汪麻と私のエコーリングが実現すればね。むしろ私みたいな新規参入なら、いっそゼロからの方がありがたいぐらいだわ」


「未来を見据えての話だな」


「そうでもないでしょ? もう手ごたえがでてるじゃない。もうこの蘭国の研究チームには連絡してある。お互いの研究成果を出し合って共同研究できれば、MAGWSはまた次のステージに立てる。交渉して説得できる自信はあるの」


「さすがだな、琳」


 かつてひとりだと夜が怖くて眠れないとベッドにもぐりこんできた少女とは思えない見違えた姿に、思わず汪麻の口から感嘆の息が漏れる。


「ほ、褒めても何もでないんだから」


 琳は照れた様子で鼻白む。

 頬の紅潮と動悸を誤魔化すかのように、スマホの電源を切ってテーブルの片づけを始めた。


「それじゃ、糖分も摂取したし。成果を見せてもらうわよ」


「うむ」


 人工精霊回路。

 魔導科学の産物であるこの技術は、開発されてまだ100年も経っていない技術ながら、現代の文明ではなくてはならない存在にまでなった。

 人工に調律した精霊を用いることで、下位の術式などを自動的かつ周期的に発動させることが可能で、術者がいなくても代理として術の行使をしてくれる。

 これによって、術者は煩雑な下位の術式は人工精霊に任せることができ、手間も余分なリソースの消費も省くことができる。

 結果として本人の限界を超えての大規模魔術や複雑な術を行使できるようになった。

 また、魔法を使えない者、魔法学を習っていない者でも、精霊に代行させることで低位の術なら行使可能になる。

 たまに混同されることだが、人工と言っても精霊を一から作っているわけではなく、人間の扱いやすいように調律しているから人工精霊と呼んでいるのであって、素体となる精霊自体は、精霊界から召喚した、自我もないただたゆたうだけの低位の亜霊だ。

 精霊というのは、元は多元世界の内の一つ、精霊界に存在するもので、学術上はエネルギー精神体と言われている。

 高次元精神体と言われる天使体、情報浸食体と言われるデーモンに比べればはるかに扱いやすいものの、それでも異界の存在であるため完全な従属は難しく、低位の亜霊を自我がないことをいいことに一方的に調律して工業的に利用しているのが現状だ。

 古の術者で、精霊とは共存するもの、使役ではなく力を貸してくれるもの、という認識の絶が抵抗感のある様子を見せたのは、そこらへんの感性の違いからだ。


 現代の魔法工学の最先端であるMAGWSもまた、この人工精霊回路をふんだんに利用している。

 遺物アーティファクトから霊力を吸い出すオリジン炉というのを動力炉に、パイロットが内側に乗り込むことで霊核とし、全身にプリントした魔紋に血脈のように理力を流しこむことで疑似的な闘気、または術式結界を再現することで強度と出力を補強。

 それら全身の至る所で人工精霊回路が利用され補助調整を行っている。


 昨今の人工精霊回路の改良の動きは、どちらかというと端末の小型化、または小型でありながら高性能な方向にと舵が動きつつある。

 これは世界的にスマホなどの小型端末の普及、魔法学と付随する科学技術の発展で、薄く小型の形態での情報端末が広く民間まで普及しはじめたからだ。

 だが元々巨大なMAGWSは、小型化よりも出力の強大さのほうが優先事項だ。

 人工精霊回路の小型化の動きは、軍事産業でもドローンや小型の偵察兵器、小型の暗殺兵器などで威力を発揮している。

 これらはコストが安く対処の難しさで、現場の兵士たちを辟易とさせているが、MAGWSはそれらの小細工的な兵器を意に介さない正面きってのパワーで敵陣地を破壊、殲滅させることが可能で、次世代型の決戦主力兵器と言われている。

 問題としてはやはり製造や維持などのさまざまコストと、その実働の大義名分──。

 破壊の象徴たる暴力の巨神を用いて相手を圧殺する際の、国際社会での大義名分だった。



 汪麻は、背負ってきたバックパックから、実験のための機材を設置していった。

 中でも目を引くのが、複数存在する一抱えもある透明な円筒形の筒。

 その中に閉じ込められ、バチバチと稲光いなびかりのようなものを爆ぜさせながら弾む球形の物体が、肉眼視できるようにした人工精霊だ。

 通常の魔導端末などに利用される人工精霊はもちろんこんな大きさではなく、小型の金属基盤に融着され電子回路と接続し併用されるのだが、実験用──それも調律用のため、あえてわかりやすく実体化された大型のものを用意した。



 汪麻の発案で、琳と協力して試しているのは、便宜上『エコーリング』と呼んでいる新しい調律方法だ。

 人工精霊の調律は、術者が立ち会って一つ一つ行うもの、あるいは術者の立ち合いを必要とせず、モデルとなる調律済みの人工精霊に他の亜霊の調律を任せるミラーリングと言われる大量生産に適した方法が普及している。

 汪麻たちが試す『エコーリング』とは、後者のミラーリングの応用で、調律を一対一で行うのでなく、一対多で行い、さらにミラーリングでは本来モデル側から一方通行にされるものだが、エコーリングでは双方向の対話形式で行うものだ。


「よし、始めて」


「わかった」


 試験段階の2人の『エコーリング』は、まだ完全な無人化ができておらず、術者の同伴と制御が必要な段階だ。

 汪麻がスマホのスペルサーキットを起動して、調律を補助する。

 三体の円筒形の筒。

 このうち二体がモデルで、残り一体の亜霊が調律対象だ。

 その三体を汪麻は園児の親のように注意深く見守る。


 エコーリングの最大の特徴は、それぞれの精霊をデータバンクにつないで、ビッグデータを保持させていることだ。

 どのようなデータを用いるかにもよるが、そのビッグデータを用いることでモデルの人工精霊は様々な情報を保持し、相手からの問いかけに対してビッグデータを参照して返信する。

 そうした双方向の対話を超高速で繰り返すことで、結果として自我を持たないはずの亜霊に、自身の内側で精査した返答を返す自律性、言うなれば疑似的な自我が生まれる。

 そうして生まれた人工精霊は、モデル側との対話の中で己の芯となる歴史的背景を獲得し、それが魔術の秘術的要素を補強して、通常のミラーリングで調律された人工精霊に比べてはるかに上の存在として昇華される。

 今のところの欠点、そして課題は、そうして自我を獲得することで、通常のミラーリングによる調律に比べて、拒絶反応を示したり、使役に適さない自我に芽生えたりして調律そのものが失敗に終わる確率が格段に増えることだが、二人の理論が外れていなければ、精霊をただの部品でなく、対話可能なパートナーまで昇格させることも可能と見ている。


 汪麻の制御の中で、三体の亜霊は目まぐるしい速度で高速に対話する。

 円筒形の筒の中で暴れるように跳ねまわっていた人工精霊たちは、やがて動きが落ち着いていき、話に耳を傾けるように静止し、ゆるやかに膨張と収縮を繰り返すようになった。

 その状況を1時間ほど繰り返して──。


「成功ね。汪麻」


「ふぅ……」


 まるで園児たちの会話を見守るように、つきっきりで亜霊たちの対話を見守り、時に制御していた汪麻が疲弊した様子で息を吐いた。

 実験は成功して、調律対象の亜霊は心なしか輝きがひとまわり強くなり、暴れ散らす様子もなく、ふわふわと浮遊しながら、時折頭を振るように左右に収縮を繰り返すだけだ。


「金属部品融着への拒絶反応もなし。制御を離れて暴れまわるような様子もない。どこに出しても恥ずかしくない大人しい子ね」


「思ったよりすんなりいったな……」


「汪麻なら──けふん。……私がついているんだからこんなものよ。問題はこれから。他の研究チームやスポンサーを満足させるためにたくさんの応用試験を突破しないといけないんだから」


 琳も上機嫌な様子だ。

 汪麻は、調律の終えた人工精霊を筒越しに撫でた後、言った。


「じゃあ、こいつを帰してやらないとな」


「そうね」


 琳は相槌を返してから、それから思慮して言った。


「ねぇ汪麻。その子に名前をつけてあげたら?」


「名前?」


「今回の実験で汪麻が補助してその子に疑似的な自我……の種を与えたわ。精霊界がどうなっているかはまだよくわかっていないけど、もし……もしかしたらだけど、その子が中位やより高位の精霊として昇格するかもしれない。召還者として、その子に名前をつけたら、その助けになるかも」


「ふぅむ……。そうか……。しかし名前とな……」


「なんかオタッキーなメカの名前はやめてよ」


「……。そ、そんなことは考えておらんさ。名前……名前……。ああむずかしい。こういうものは直感だ──。飛鳥あすか。そう飛鳥あすかだ」


「その心は?」


「低位の亜霊から昇格できるようにと俺からの祝いだ。飛ぶ鳥の、明日の香りの──。え、ええい笑うな」


「バカ汪麻なりに考えたんでしょ。いいんじゃない」


 琳はふん、と鼻を鳴らしてすました顔をしつつ言った。


「さ、それじゃ実験を続けるわよ」


「ん……? 午後から予定があるんじゃ……」


「そんなのパスよパス。ほらバカ汪麻。ぐずぐずしないの」


「お、おう?」


 汪麻は戸惑いつつも、自分に不都合なことはないと思い、琳との共同実験に集中した。

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