第11話 露見する同居生活_3

 ちょっとした軽食パーティを堪能した弥里たちに宝条姉妹。


「食べ過ぎちゃった。これ夕飯入らないかも……」


 そんなことを言いながら、満足した様子で、汪麻の部屋を後にした。

 絶の横でエプロン姿でそれを見送った汪麻は、肩ひじに入っていた力を抜いて、憔悴しょうすいした様子で絶に言った。


「……絶。軽々しく部屋に友人を招かないでくれ。誤解を生む。せめて俺に知らせてくれ」


「わかったわ」


「さて後片付けをせねばな……」


 汪麻がすごすごと部屋へと戻る。


「手伝い、要る?」


「いらん。お前が手伝うと雑用が増える」


 珍しく絶の方から手伝いを申し出たものの、生憎と《勇者》の儀式加護の代償で、絶は家事全般に向いてない。

 それを知っていたから、汪麻は絶の言葉を断った。


「……」


 絶は何か思うところがある様子で、その茫洋とした視線で汪麻の姿を追った。


 汪麻は弥里たちが立ち去った後の片づけを続ける。

 それがある程度片付いた時だった。

 背中から、柔らかくて暖かな感触が、のしかかるように抱き着いてきた。

 後ろから絶が抱き着いてきたのだ。


「絶……?」


 体を包む柔らかな感触と暖かさに、汪麻は狼狽する。

 汪麻は絶の行動の意図がわからず、不思議そうに声をかける。

 絶は己の胸を汪麻に押し付けながら、誘うように囁く声で言った。


「……しないの?」


「……何をだ?」


「……普通の男女ならすること」


 絶は言いながら手のひらを動かして、汪麻の大胸筋、腹斜筋、腹筋、と這わせて、その下にまで伸ばそうとする。

 汪麻はその手をつかんで止めた。


「俺たちは普通の男女ではないだろう?」


「でも、わかりやすくて、説明しやすいでしょう?」


「余計に複雑になるだけだ」


「私じゃ気持ちよくなれない? マグロだから」


「……そういうことを言っているわけじゃない」


 内心、汪麻は絶に一目惚れに近い感情を覚えていた。

 それは同居をはじめて、その残念美人ぶりを見ても、欠片も衰えていない。

 だから年頃の男子らしい欲求を覚えていて、絶の言葉は魅惑的な誘惑だが、己を律した。


「今の時代は、貞操は軽々しく捨てるものじゃない」


「……見栄張って」


 絶は茫洋とした表情のまま、汪麻から身を離した。


「理解不能だわ」


「何が?」


 うつむきながら言う絶に、汪麻は訊ねた。


「あなたも、あの女狐も。日常? 普通の人生? そんなことをあたしにさせて、何の意味があるの?」


「………」


「私は、あの世界最大の秘術を織りなす儀式触媒の残りカス。もう役目を終えたものだわ。その亡骸なきがらが、ただ一人の人間として人生を全うして、何の意味があるのかしら?」


「そんな哲学的な問いは、お前だけに特別なものじゃない」


 汪麻はそう言うと、絶の肩を掴んで、振り向かせた。


「俺も君も。その生まれた意義を問いながら、答えを探しながら、生きる。それが人生なのだろう」


「……あんたはわかっていない」


 絶はうつむいて、前髪で表情を隠した。


「この灰色の世界が、どれだけ空虚で、無価値なことか」


 確かにそうなのだろう。

 初対面の時から死んだ魚のような目をした少女。

 それは過去の儀式加護の代償として、失われた感情と幸福のせいだ。

 果たしてその生がどれほどの苦痛を伴うものなのか、汪麻には想像だにできない。

 だが──。


「でも君は、今日大勢の人を笑わせた。俺の友人たちも、お前の同級生のあの姉妹も。お前には無価値にしか映らなかったとしても、俺たちには全員、学生時代の思い出として、長く残り続けるだろう」


 その点では彼女の生は、行動は、価値がある。

 すでに亡骸であろうと、彼女の存在は多くの者の記憶に刻まれるのだ。


「……いい時代ね」


 絶はぽつりと言った。


「あたしみたいな危険因子、そのまま野放しにして生かせる時代なんて」


 つぶやいた絶は、指を伸ばして汪麻の服の裾をつかんだ。


「本当は、あんたに抱いて欲しかった……。あたしが、そう思ったの」


「…………」


「そうすれば、あんたにとってあたしは無価値じゃないって安心できるから。この共生関係も、姉の命令だからという理由じゃなくて、あんた自身があたしを求めている。それが不純な動機でもかまわない。あたしは、それが安心できるって思ったの」


「絶」


「わかっている」


「絶?」


「今……あたしは、あんたに大事にされているってわかって……自分でも意外だけど、安心しているの」


「絶……」


「厄介者の事故物件だけど、あたしはあんたに出会えてよかったと思うわ」


 絶はそう言うと、最後に汪麻の体温を感じるように首筋に手を回して抱擁すると、頬に接吻をした。


「この怠惰な夢が、末永く続きますように」


 絶はそのように意味深なことを言って、汪麻の体から身を離し、戸口を開けて、隣の部屋へと移動していった。


「え、ええい。人をからかいおって」


 汪麻は内側から脈打つ動悸と、年頃の青少年らしい劣情を抑え込んで、悶々としながらも絶のことを意識の外に追いやった。

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