第8話 汪麻と六道の神童
一方そのころ。
汪麻も珍しく伏間学園の高等部に来ていた。
それも武道場で
今日は週に一度のレポート提出日で、一週間に自身が学んだ内容を担任の慶四郎に提出する日だ。
事情があればレポートは
汪麻も顔を見せに来て、同じ一年生の3人とも顔を会わせた。
傲慢なところがある汪麻は、いまいち特に意味もなく級友たちと顔を会わせる、という行為に意義を感じず面倒に思っていたが、隼人が『顔を見せに来んか。阿呆』としつこくメッセージをとばしてくるので従った次第だ。
しかしレポートの提出日は、単なるレポートの提出日。
午前中で終わり、あとは各自解散ということになった。
(本当に顔を見せに来ただけではないか)
呆気ないなと思いつつも、即座に帰ろうとする者はおらず、そこかしこで級友たちと談笑している姿が見られる。
「汪麻、午後の予定ある? どうせだから4人でどっかいかない?」
「いや悪いが──」
汪麻が言いかけたところで、尻を蹴られた。
振り返るといたのは以前から見知っていた一つ年上の長谷部隼人だった。
尻に走った衝撃で渋面になりつつ、汪麻は尊大に訊いた。
「なんだ、隼人」
「なんだとはなんだ」
隼人は黒縁のフレームを指で抑えながら、嘆くように言った。
「級友の誘いぐらい付き合う度量の広さを見せんか、バカタレ」
「バカタ……。隼人、お前学園に来てから俺への当たりが強くなってないか?」
「ふん、当然だとも。ここでは俺の方が一年先輩だからな」
隼人は指先で再度眼鏡の位置を正した後、肩をすくめた。
「お前の横柄ぶりを正して真人間にしてやるのは先輩心だ。友人は貴重だぞ。……特に俺たちのような人間はな」
「む……」
確かに同じようなことは、姉の楓華も言っていた。
『姉上。俺は早く姉上のように十王司の名前を広めたい。だから飛び級して大学課程に進んで研究をしたいのです』
『落ち着きなさい、汪麻。志が高く旺盛な貴方の意欲は、私も嬉しいものだわ。でもね、学生時代には、学生時代にしか体験できない色々な想い出があるの。そしてその時に得られる友人というものはね、私たちのような人間にとって、またとない貴重な物なの』
『姉上……』
汪麻にはいまいちわからぬことだが、わからぬのに伝えてくるということは、それらは自分が思っているよりも、得難く大切なものなのだろう。
(姉上や隼人の顔を立てるか)
そのように自らを納得させて、汪麻は弥里たちの方をむいた。
「ああ、いいぞ。今日一日ぐらい」
「じゃ、じゃあ何しようか」
清奈が、胸のロザリオを揺らしながら言う。
そこで、隼人が眼鏡の位置を正しながら汪麻に背をむけ、それでいいとばかりに手を振りながら立ち去って行った。
ぷふっ、とちょっと息を漏らしながら笑ったのが神楽だ。
「汪麻、あんた手がかかる子どもみたいだね」
神楽的にはちょっとからかってやろう、ぐらいの心持ちだっただろうのが、汪麻は別なように解釈した様子で、一人腕組みして目を瞑り、納得した様子でうなずいた。
「それほど俺は皆に期待されているのか……」
「……」
腕組みしてうなずく汪麻に、神楽は呆れ尽くした様子で何も言えない顔をして肩をすくめながらため息を吐いた。
そんな二人にくすりと笑んだ弥里は、他の三人が自分の意見を言わないところを見て、
「それじゃ、みんなのそれぞれの課題を教えてよ」
「私は奉仕活動をしています」
生まれ持った聖性で神聖術系統の道に進む清奈は、ボランティアで己の聖性を高めようという話なのだろう。
が、もちろんそこらの学生のやるレベルのボランティアではない。
「T医大の救急治療に従事して雑用をしていますけど、特に麻酔に興味を持っています」
(ほう、高校生で麻酔をか……)
現代で発展した治療魔法だが、いくつかの難題を解決できずにいる。
まず治癒術といえば、聖性を利用した神聖術系統が鉄板だ。だが聖性は他の理力に比べて失った場合の補充が難しく、専門的な医療従事者では毎日の患者に対応しているとその内に聖性を欠乏させてしまう。
そこで風邪など軽度の治療には、現代科学の薬での治療や、手洗いうがいなどの予防方法、あるいは薬と低位の治癒魔法の組み合わせなどで対処されている。
また、一部の高度な術を除いてほぼ全ての治癒術は、肉体の回復に、患者本人の生命エネルギーを引き出して治療する。
肉体の再生とはつまり細胞の再生で、患者自身の内側から引き出さねばいけないものだからだ。
これらは老衰や、体力の衰えた患者への濫用はかえって危険なことを意味する。
特に癌などの悪性の腫瘍では、メスと魔術を用いて切除と縫合、つまり外科手術などの方が治癒魔術よりも一般的で、治癒術は施述後の体力回復に行われることが多い。
麻酔は、それらの外科手術の時に患者の痛みをブロックし、輸血しながら足りない生命力は自身の聖性を貸与して補うなど、患者の
外科などの花形に比べると地味だが、実際の医療現場では重要な位置をしめる役回りである。
通常なら高校生に任せる事ではないが、特S科に選ばれる分、それほど突出しているということだろう。
他の2人も清奈のやっていることの凄みを感じた様子で、感心したようにうなずいている。
「私はコレの稽古」
次に言ったのは
「佐藤先生とも手合わせしてみたけど、本当強いわー。あれで全盛期じゃないって嘘みたい」
「剣術系の
「うん。まぁ六道の技を色々教わっているけど。戦争を経験した爺様たちが興奮しちゃって、あれこれ教えようとしてくるのよね。まあでもメインは剣技で、この一週間は佐藤先生に
「劒道なら僕たちもできるよね? 汪麻」
「ああ。まあ」
汪麻は魔力量の多寡にものを言わせて、同世代ならほぼ負けなしだったが、神楽が六道の神童と言われている噂が本当なら、専門性の違いで土をつけられるだろうと思い少し言葉を濁した。
「後で劒道をやってみるのもいいかもね。で、汪麻は?」
弥里は今度は汪麻の方に話を振ってきた。
「俺は大学の
「須藤琳……って、あの人工精霊工学の麒麟児の?」
「ああ。彼女と新しい人工精霊回路の理論や実践を行っている」
それを聞いて3人とも息を呑んだり、感心したり、顔をほころばせたり。
「すごいね。今の情報化社会、魔法工学の最先端じゃん」
「へぇ、あんたパワー系かと思ったけど、理論派だったのね」
「さすが汪麻君だね。私もがんばらないと」
「ふふん」
汪麻は3人から褒められて、それが当然と言った様子で腕を組んで胸をそびやかすが、照れている様子でもあった。
「で、
「ふふ」
神楽が弥里に話をふると、おもわず男子であることを忘れるような蠱惑的な表情で人差し指を唇に当てると、
「僕の家は呪家だからね。聞かない方がいいんじゃない?」
「最初に話題をふっておいて何を言う」
「ふふ」
汪麻は呆れたが、弥里は微笑んだままで言う気のない様子だ。
様々に体型化されていった術系統の中で、呪家、つまり呪術系は現代ではかなり特殊な立ち位置となっている。
呪術は神秘性や何かを暗示する記号的要素、伝統的な形象など、いうなれば『不自然』な要素で術の大部分を構成する。
現代科学の影響を受けて、他の系統が非合理な部分を次々と削ぎ落としてきたのに対して、呪家は非合理な再現不可性と神秘性を守る特殊な立ち位置だ。
その中には他人には明かしてはいけないこと、また他人にとっても知りたくないようなものも存在する。
汪麻も魔法士のマナー以前のルールとして、弥里の神秘性に深入りしようとはしなかった。
もちろん汪麻以上に常識がある清奈と神楽の2人もそうだ。
話し合ううちに、場をリードする弥里が気を利かせた様子で、話題は神楽が中心となった。
もともと神楽以外の3人は、華族同士の集まりや何やらで、一応顔見知りだ。
神楽がなじめるようにと話を持っていき、彼女の得意分野の劒道で手合わせをしようということになった。
神楽に花を持たせかつ、お互いの実力を知れれば互いの尊重も得られると考えたのだろう。
汪麻なども、
(六道の本家筋を押し退けて長老衆を黙らせるという神童の腕前、たしかに一度対面したいものだ)
などと思っていてまんざらではない。
弥里も汪麻も中学時代に劒道を軽く
清奈だけが観戦専門の応援だ。
慶四郎から許可を得て武道場の鍵を借り、それぞれ男女用に別れた準備室で袴に着替える。
「これを着ると身が引き締まるね」
紺色の袴姿に着替えた弥里が、汪麻に笑顔をむけてくる。
逆に汪麻は目のやり場に困って、弥里の方を注視できず顔を赤くして目を背ける。
(制服を脱ぐと女子にしか見えん!)
「?」
黒髪を結い上げ、中世的な面立ちで、愛嬌と妖艶さを併せ持つ魔性の笑み。
華族の集まりでは、着物姿でやってきて微笑み、一部の人間の情緒を破壊してきた。
無防備に袴の襟首から覗く鎖骨やうなじが、色香を醸すのである。
そんな汪麻の様子に、弥里もすぐに理解した様子で、意地の悪い笑みを浮かべるとずいっと汪麻の体にしがみついて、背伸びし、背の高い汪麻の耳元まで口を寄せると、
(神聖な武道場で、エッチなことはダメだからね?)
と囁くような甘い声で言う。
「ば、バカタレ! そんなふらちなことを考えるものか!」
「アッハッハ! 汪麻は反応がおもしろくて、神楽がからかいたがるのもわかるものだね」
(またそう笑う姿が女人のそれにしか見えぬではないか……)
このままでは弥里にペースを握られるだけだと思い、汪麻はぎゅっと弥里の腕をつかんでひっぱっていった。
「ほら! 神楽を待たすな!」
「うわぁ……汪麻強引……ってか力強……」
細身の弥里は、同性にも関わらず膂力の優れた汪麻に、ちょっと驚いている様子だ。
更衣室代わりの準備室を出て武道場に戻ると、すでに神楽は面もつけて、武道場の中心で座禅を組んでいた。
「…………」
弥里を連れてずんずんと進んでいた汪麻は、一瞬、足を止めた。
神楽の空気が変わっている。
いつもあっけらかんと、サバサバしているとも、お茶らけているとも言える砕けた物言いの神楽だが、今は別人のように澄んだ視線で、気持ちを落ち着かせている。
汪麻の目でも、神楽を中心に、澄んだ理力が充溢しているのがわかった。
「……ああ。二人とも、もう着替え終わった?」
神楽はそう言って、こちらを見て来た。
やはりいつもと違い、どこか茫洋としているようにも見える、澄んだ視線と物言いだ。
「はやく準備しなよ。どちらからでもいいから」
(六道の血が……この武道場という儀式場に呼応して、霊基と共鳴しているのか)
「汪麻、僕が先にいくね」
汪麻の後ろから弥里が声を上げて、鎧垂を身に着けだした。
劒道部員の鎧を借りる許可は慶四郎から得ている。
小柄な弥里では、女子の中では長身の神楽とほとんど身長が変わらない。
汪麻も面以外の鎧を身に着けて、清奈の隣に腰を下ろした。
「お、汪麻君。……弥里くんは、劒道強いの?」
「いやわからぬ……。だが基本的に真っ向勝負となりやすい劒道で、呪家の術は有効とはいいがたい……苦手な分野だと思うが……」
その内に礼をした双方が、竹刀を正眼に構える。
すぐに打ちかかるか、と思ったが、弥里も神楽も互いに間合いを測る様子で、スリ足で距離をつめたり、円運動を描きつつ距離を開けたりしている。
魔法の使用を禁止した剣道と違い、劒道ではいくつかの魔法の行使を認められている。
が、いわゆる攻撃性のある魔法の使用は認められていない。剣道同様、基本的には竹刀による打突でしか有効と見なさない。
加えて、身に着けた防具は一種の魔術
単なる打突では急所に当たらない限り有効と見なさず、闘気が十分にのった
絶の出身である西洋と、遠く距離の隔てたこの極東の島国では、武技の普及とその改良の流れは一部違うものの、この情報化社会にいたっては結局ほぼ同じ結論にいたった。
武技とは武術で行う魔術。
そしてそれは一種の儀式だ。
魔術的な意味合いを加味することで、派手で複雑な予備動作を含む、その代わり威力の高い武技が黎明期にはまず編み出された。
しかし武技が普及すると共に、そういった派手な動きは逆に隙となり、玄人同士になれば、相手の武技の予備動作から相手の剣筋を見てカウンターを放つ、ということが当たり前になった。
そうなると今度は自然、できるだけ隙の少ない、ノーモーションで可能とする武技が開発される。
一撃の薙ぎ、一撃の突き。
それが武技として昇華されていったのだ。
今ではこれら一部拍子の武技が基本技として広く普及し、劒道においても有効とされる。
二部拍子や三部拍子程度ならばたまに見かけるが、かつて源流の時代に見られたような複雑な工程を挟む武技は、競技で見かけることはめったにない。
というか、威力が大きすぎて危険なのもある。
実際にこうして身に着けた防具は魔術外装として高い防御力を備えたものだ。
有効打があった場合は魔力波でシグナルを発する判定装置の役目もあり、安全性には注意が払われているが、どうしても競技用のもののため、防御力も言ってしまえば常識の範疇に収まってしまう。
仮にかつての《勇者》が放っていた奥義級の一撃を受ければ、もちろんひとたまりもない。
弥里も神楽も、共に武技を打つ機会を測っているはずだ。
先に仕掛けたのは神楽だった。
(──
恵まれた体格に優れた動体視力を持つ汪麻でも思わず
弥里はよく反応した。
体を後ろにそよがせて身を引くと、足は同時に左右を入れ替える。
後ろにそらした顔面の横を神楽の突きが薙ぐと同時、逆に踏み込んで面を打つ。
弥里が繰り出したのは、陽国が義務教育で普遍的に教える一分拍子の武技《
「いや、フェイントだ」
あの神楽の突きのスピード。
それに惑わされそうになるが、あれは武技ではない。
劒道においては、有効判定にしかならない純粋な刺突だ。
そのため武技使用の硬直はなく、即座に動ける。
タンッ
神楽の足が武道場の床を蹴る。
呪力を込められたその足さばきは、いはゆる縮地。
瞬間移動にも等しい速度で弥里の側面にまわりこみ、弥里の《裂堕》を空振りさせる。
一拍の間の後、《裂堕》を振り下ろして上体が泳いだままの弥里の胴にむかって、神楽は横薙ぎの一分拍子武技《
パァンと、音が響いた。
「わっ……」
隣の清奈が声を上げる。
見事な一本。にも見えたが──。
「この甘い匂い……」
汪麻が知覚すると同時、胴を薙がれたはずの弥里の体が、霧のように掻き消えた。
「えっ」
「幻術だ」
脳に作用して錯覚を引き起こす幻術系統は、副作用として本来の意図とはまた別の五感の異常を引き超す場合がある。
武道場に立ち込めた甘い匂い。あれは幻術の傾向だ。
汪麻たちには掻き消えたように見えた弥里は、いつの間にか神楽の背後に回っていた。
そして完全に死角から、竹刀を振り下ろす。
この時、汪麻はこれで試合が決まるかと思った。
呪家の長谷部家の名に恥じない、見事な幻術だった。
だが──
神楽は初めからそこにいるとわかっていたかのように、振り向くと同時に
《
この武技の特徴は、威力はともかくその振り抜きの速度を、術的加護でアシストし加速させることだ。
先に剣を振り下ろそうとした弥里よりも早く、ぐるんと振り返った神楽の一撃が、弥里の肩から
汪麻も清奈も。
弥里も神楽も全員。
競技用の魔術外装として鎧垂が持つ、有効打を認めた場合のシグナルの波動を感じた。
「いやぁ、まいった、まいった。居場所バレてたかな?」
面を取り去りつつ、弥里が汗を飛ばしながら溌剌した顔で言った。
上気した顔は、普段以上に色艶がある。
「うーん? なんとなく?」
「なんとなくかぁ」
面をつけたまま、竹刀を肩に担いだ神楽は言う。
理論を突き詰めたところで、結局、現場の中ではこういった勘。
不合理な感性が勝負を決める。
「それじゃ、汪麻、交代」
「あ、ああ」
脱いだ面を脇に抱え、汗をしたらせながら弥里が差し出した手をつい手にとり、それを支えにしながら汪麻は立ち上がる。
面をつけて、竹刀を拾う。
「では
「うん。がんばれ。汪麻」
「汪麻くん、がんばって!」
(人に応援されるのは案外悪いものではないな……)
珍しい経験に汪麻は感慨を浮かべながら、武道場の中央、神楽のむかいに進み出る。
「では相頼もう」
「はいはい、相頼まれました」
おちゃらけた様子で神楽は笑って、でも目だけは静かな闘気を湛えていて、二人腰を沈めて
そして立ち上がって、竹刀の先端を叩き合わせると、それぞれ構えに移る。
「へぇ……」
即座にとった汪麻の構えを見て、神楽は目線を鋭くした。
汪麻は下段の構えをとった。普段横柄さを滲ませた彼の姿とは似つかわしくない、防御の形である。
(俺は上背がある。逆に言えば、足元がおろそかになりやすい)
と汪麻なりに思うところがあったからだが、それは神楽には挑発に映った。
「ふぅん。
「…………?」
汪麻は神楽の言葉の意味などわかっていない様子で、軽く訝しむだけだった。
下段の構えは竹刀を下げることで、下段から胴への攻撃は広く守れる一方、一番の急所となる面を守るには遠い。
汪麻にとっては、身長差のある分、面への打ちかかりは相対的に神楽からも距離があるという考えに基づいていたのだが、振り上げ、振り下ろす、という単純な動作で打ちやすい面は、劒道においてももっとも守りが重要とされる場所だ。
剣を下段に構え、面を無防備に晒した汪麻の姿は、専門家の神楽には挑発のようにも映ったのだ。
汪麻の構えを見て取った神楽は、構えを正眼から上段へと構え直す。
こちらは汪麻と真逆の攻めの構え。がら空きとなる面を打ちやすく、代わりに胴から下をさらした姿だ。
「
今度先に打ちかかったのも神楽だった。
それも開幕から武技──。
先ほど弥里が打ったのと同じ、上段からの打ちおろし、《烈堕》だ。
汪麻は下がりつつ、下段に構えた剣をすりあげ、剣を横にして受け止める──。
竹刀を握った手に、ずん、という衝撃が走った。
(重い──っ!)
汪麻が過去試合したどの相手よりも重い一撃だ。
もちろん、神楽は女子だ。単なる腕力ではない。
術的なブースト、体内を脈々と流れる闘気を張り巡らせて、打ち降ろした一撃だ。
おそらく、何千、何万と繰り返してきて呼吸するのに等しいぐらいに馴染ませた一撃だろう。
汪麻が、《
(どうよ)
面の隙間越しに見える神楽の瞳からは、勝気な光が見えた。
実力をわからせるために、あえて正面からそれとわかる一撃を打ってみせたのだ。
(これが六道の神童、か)
神楽の攻めは《烈堕》の一撃だけでなく、そこから苛烈に、二打、三打と続く。
武技ではなく、牽制の通常打だったが、隙を見せた瞬間に鋭い剣閃を閃かせて武技を放ってくると、肌で凄みを感じた。
4合目で、竹刀と竹刀が十字に打ち合い、鍔迫り合いとなる。
(ぬっ──!)
(こいつ──!)
汪麻も神楽も、同時に相手に驚嘆した。
汪麻はその恵まれた体格と脈々と流れる魔力の多寡で、同世代では負けなしの実力を誇っていた。
一方、武技に優れた六道で神童と言われた神楽は、例え女性の身でも、こと闘気を含んだ鍔迫り合いで自分と張り合う同世代と遭遇したことはなかった。
いや、徐々に汪麻が推し負けているようで、完全に拮抗したわけではない。
だが明確に隙が生まれるほど、明暗を分ける差ではなかった。
鍔迫り合いの状況、致命的に体勢が崩れる前に、汪麻は剣を弾いて後方に距離を取る。
そして構えを変えた。
竹刀を上段に構え直したのである。
(
神楽は踏み込みを
同じ上段でも、面の上に斜めに剣を構える神楽とは違う。
汪麻の型は、面の横で竹刀を握り、ほぼ垂直に構えた形。
『二太刀要らず』とも言われ一撃に特化した、蜻蛉と言われる超攻撃的な型だ。
(面白いじゃん)
今度は神楽は攻め手を譲り、構えを上段から正眼へと移す。
(なら見せてよ、その剣筋──)
今度は神楽からは攻めなかった。
『二太刀要らず』と言われるその型。
それをかわされた後、二太刀目以降の剣筋も修めているかどうか──。
「キィエェェェイ!」
汪麻の喉から猿の叫びにも聞こえる奇声が迸り、竹刀が振り下ろされる。
膂力を込めた一撃。
正面から受け止めるのは悪手だと感じて、神楽は竹刀で受け流しつつ、身体を横にして流す。
そのまま隙があるならば反撃するか、といった動きだったが、汪麻は受け流されることを予期していた様子で、足運びをして、追撃を放つ。
横薙ぎの武技、《襲爪》の亜流だ。
(受け止めるのはまずい──)
汪麻の理力は、神楽がこれまで相対してきた者たちとは違う。
それを本能で察した神楽は、上体を逸らせて横薙ぎをかわす。
顎先を、風を巻きながら汪麻の竹刀が滑った。
しかし武技の前後には、どうしても硬直が起こる。
神楽の反撃のターンだ。
神楽が放ったのは、上段の打ち下ろし、《烈堕》。
劒道においてもっともポピュラーで、神楽が何千、何万と繰り返してきた一撃。
「!」
汪麻もその一撃の威力を受ける前から察した様子だ。
武技硬直の間を、咄嗟に地面を蹴って下がることで神楽の《烈堕》をかわしたが、おかげで体勢が大きく乱れた。
(これで終い!)
神楽は明確に隙を見つけて、必殺のつもりで竹刀に己の闘気を充溢させた。
一般的に、武技の使用後にはわずかな硬直があるが、あらかじめ闘気を十分に練り、事前に流れるように動きを想定し気を練ることで、二つの武技を繋げ、本来存在する武技と武技の間の硬直をキャンセルすることもできる。
そのキャンセル技で神楽が放ったのは、単発横薙ぎ《襲爪》。
急所を狙わなくてもいい。泳ぐ小手に打ち込めばそれで四肢欠損判定。
ルール上、神楽の勝ちだ。
「
自然と神楽の喉から威勢が迸り、剣が鋭角的に弧を描いた。
神楽は勝ちを確信した。
スゥ……
──しかし、神楽が襲爪を放つ前。
汪麻は息を吸い込み、身体を捻っていた。
そして体内に脈々と流れる理力の流れを変え、呼吸を編み、錬成する。
(嘘、でしょ)
それをかぎとって、神楽は瞠目するが、すでに放った武技の動きを緩めることはできない。
(三部拍子武技……《
今の時代では、時代遅れとしてあまり使われない、予備動作の多い武技。
これらは単純に威力があるだけではない。
技によっては隙の多い振り抜きを埋めるように、『発生保証』と言われる加護があるものもある。
界隈によってスーパーアーマーだのハイパーアーマーだの言われることもあるが、武技を放つ予備動作に魔法的加護がつき、少々の障害を受けても中断されず動作を振り切ることができる。
(読まれて、いた)
予備動作の多い三部拍子武技を、相手の動きを見てから放つのでは間に合わない。
神楽が《襲爪》を放つことを、技の予備動作が始まる前から読んでいたのだ。
神楽の横薙ぎ、《襲爪》は、汪麻にとって予備動作でしかない、剣の斬り上げによって弾かれる。『発生保証』の加護を受けて、汪麻の斬り上げの方が威力に勝ったのだ。
汪麻はそこから振り抜いた剣を肩に担ぎ、そして一直線に縦に振り下ろす。
「チェストー!」
(間に合わない、《水鏡》──)
汪麻の裂帛の気合と、神楽の悪寒が同時に駆ける。
咄嗟に神楽は竹刀で防御型の武技を放つが、ただでさえ理力の多寡に勝る汪麻、それも三部拍子武技。
受け止めた竹刀を握った腕ごと叩き折れそうな威力で竹刀が打ち下ろされ、神楽の肩を打った。
「がっ──!」
痛みらしい痛みは魔術外装の防御性能でなかったが、試合の勝敗を告げるシグナルが武道場に
眩暈のようなものを覚えて、神楽は膝をついた。
「ふぅ……。なんとかなるものであったな」
神楽が瞳を震わせていると、面を脱いだ汪麻がいつもの尊大な物言いで言った。
「いやはや六道の神童か……。邪流で虚をつけば、俺程度でもなんとかなるようだったな」
それは汪麻なりに、神楽のことをリスペクトしたつもりの発言だったが、神楽にはやはり挑発のように映り、
「三本勝負!」
と彼女に三本の指を立てさせた。
「三本の内二本とった方が勝ち! 今度は油断しないから!」
と神楽の負けん気を触発した様子で、「ん?」と汪麻を怪訝気味にうならせた。
思案する様子の汪麻だったが、すぐに己の内で
「ハッハッハ。六道の神童の手の内を見られるなら願ってもない。存分にかかってこいとも」
結局その後。
本気を出した神楽が二本連取してとり、勝ちをもぎ取ったものの、それで汪麻は萎縮することはなく、あくまで鷹揚とした物腰で、
「いやはや……六道もこれは拾い物だな……」
と一人尊大に納得している様子。
(なんなのよこいつ~~~~~!)
と神楽をヤキモキさせた。
(ヤな奴! ヤな奴! ヤな奴! ヤな奴!)
と、脳裏で呪詛のように繰り返す。
そんな二人の様子を見て、清奈と弥里が顔を合せ、呆れた様子で乾いた笑いを上げた。
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