第7話 十王司の眠り姫

 伏間高校普通科。

 絶が配属されることとなったクラスである。

 絶の実力は、理外とされる楓華と戦えるほどであるから、特進科以上に進んでも何ら問題ないようにも思えるが、隔世人である絶の魔法学に関する知識は古く、普通科でまずは現代の魔法学を履修するところから……。

 というか、進学クラスとされる特進科は普通科と比べて大幅にスケジュールが過密で、基本は寝て怠惰に過ごしたい絶が拒否反応を示して絶は普通科に通うこととなった。


「絶、顔洗え」

「ん」

「絶、朝ごはん」

「ん」

「絶、寝ぐせ」

「ん」

「絶」

「ん」

「……なんで俺はここまでかいがいしくお前の世話をせにゃならんだ」

「あたしを養うのが、あんたの役目」


 それが至極当然の摂理のように、もそもそとピーマンやベーコンの乗ったピザトースを食しながら、絶が言った。

 当初、家事は分担するという形でまとまった二人の共同生活だが……それは早々に破綻した。

 食事を任せればレシピ通りに作ったのに火加減や味加減を間違え、食えるものができればまだまし。

 消し炭になることも珍しくなく、美食家でもある汪麻が我慢できない代物ばかりで料理は汪麻が担当。

 ならばと部屋の掃除を任せれば、おそらく《勇者》の儀式加護の代償として美的感覚を喪失してしまった絶は、物の配置などがでたらめであり……掃除したのか散らかしたのか、判別のできない有様となるのだった。


「だから言ったのよ。あんたのためだって」


 何故か絶は腰に手を当てて薄い胸を張っていった。


「私は勇者となった代償として、人として当然に備わっている幸福を失った。それは例えば味覚だったり美的感覚だったり金銭感覚だったり。ともかく、私に当たり前のことを求めるのは間違いだわ」


「それを言いながらなぜお前が当たり前のように胸を張るのかだけは理解できないが、理解した」


 内心頭に青筋を浮かべつつも汪麻は納得した。

 絶の尊大な態度に汪麻が忍耐力を発揮して耐えてみせたことを知れば、隼人や弥里など、汪麻と親交のある人間からは意外に映ったかもしれない。


「絶、弁当」

「ん」


 ついにはお手製の弁当まで作る始末。

 まあ汪麻としては元々自分の弁当は手作りするつもりだったし、一人分の弁当を用意するのも二人分用意するのも手間は変わらないというか、食材の余りを消費できることでむしろ楽だったのだが。

 お弁当を押し付けられた絶が、不思議そうに声を上げた。


「あんた、十王司家って、すごく大きな家だったんでしょ。使用人になんでもやってもらったんじゃないの?」


「ああ。使用人頭の笹宮さんはスーパー超人だった。炊事、洗濯、掃除はもちろん、裁縫、しつけ、救護、とにかく家事と言われる家事はなんでもこなす人だった。もちろん笹宮さん意外にも使用人はいる。専用の庭師を雇っていたほどだ」


「こんな家事スキル、どうして身に着けたの。習い事?」


「いや……。なんだろう。笹宮さんは、俺の親代わりみたいな人でな。俺の両親は任務や公務で今なお世界中を飛び回って不在な事が多いし、年の離れた姉は当主を継がされて多忙だったし。……笹宮さんの後ろをついてまわって、仕事があるからと断られた時に、なら仕事を手伝う……と言い張ってな。今思えばそれも笹宮さんにとって手間だったろうが、そうやって学ぶ内に、家事そのものが楽しくなって色々と教え込まれたというか……なんだ」


「ふぅん。ちょっと意外」


「……十王司の者が、使用人に混じって家事をしていると知られると姉上や笹宮さんの立場がないかもしれないな……。このことは隠しておいた方がいいか」


「……。あたしはそんなことないと思うけど。まあ、いいや。行ってくる」


「ああ、気をつけろよ。忘れ物はないな」


「大きなお世話」


 汪麻の気遣いの言葉もどこ吹く風で、絶は玄関を出ていった。

 普通科や特進科と違い、特S科には出席義務はない。

 毎週提出するレポートが一定水準に達していることが評価の対象だ。

 特S科向けに毎回異なる教師がそれぞれの専門分野をテーマに教える授業が開催されていてそちらに出席する生徒もいるが、汪麻は主に伏間学園と私有地を接する国立伏間魔法科大学の研究室に出向いて教わっている。

 そのため、先に部屋を出る絶を見送る時間の余裕があった。


「はて、絶は学園でうまくやれているだろうか……」


 絶との共同生活がはじまって一週間ほど。

 最初は当主である姉の命令とはいえ、厄介者が転がり込んできた……という認識だったが、十日も寝床を共にすれば愛着も湧くもので、隔世人として言葉通り浮世離れした絶が現代の学園生活に溶け込めているかは心配である。


(今度それとなく聞いてみるか)






「十王司さん! 一目惚れしました! 俺と付き合ってくだ」


「パス」


 通りすがりにカチコチになりながらも差し出した青年の手紙を、絶は中身を読むまでもなくびりりと破くと、無表情で放り捨てた。

 一瞥すらもらえず撃沈した青年はその場で腰砕けになって突っ伏す。

 一方の絶は一切を気にした様子を見せず何事もなかったような表情でずんずん歩く。

 抜けるような白い肌で、アンニュイで物憂げな表情が神秘的な絶は、一目で多くの男子たちの心を射抜いた。

 入学以来衝動的に告白する者の絶えない状況だったが、絶は一切を無視してこのように断っている。


(さすがは十王司だ。俺たちのような有象無象では眼中にない……)


(ならば誰なら釣り合うと言うんだ。顔か? 家柄か? それともやはり魔法士の実力か?)


(十王司の養子らしい……。やはり華族。あるいは理外級の実力が必要なのでは?)


 初日に特S科の汪麻をノしたことといい、この隔世人という可憐な娘は、特S科を除く学園全体の話題の中心だった。

 授業の合間の休憩時間にはその姿を一目拝もうと他クラス他学年の男子が押し寄せるほどで、傾国の美女と多くの者が口にした。

 一方で、絶の多くの奇行も学園全体で大きく広まることとなる。


「私は一生を怠惰に寝て過ごしたい」


 かつて汪麻にそう言ったように、絶は学園でのほとんどの時間を寝て過ごすのである。

 休憩時間はもちろん、授業中にもだ。

 当然、授業中に居眠りをしたということで教師たちの注意を受けるが、絶は『聞いている』と言い張り、ならばと教師が問題を出すと、絶は全てすらすらと答えてしまうのである。

 これはかつて勇者だったころ、旅暮らしの間に絶が身に着けた能力。

 つまり熟睡するのでなく浅い眠りで、すぅすぅと寝息を立てながら、ちゃんと教師の言っていることは脳に届いているのである。

 そもそも勇者である絶は、900年前とはいえ、当時の神秘とされる魔法理論の多くを身に着けていた。

 現代の魔法学では新しい解釈や概念も登場するが、そのほとんどはちょっとした言葉遊びや解釈の違いで、特に難しいことを考えずとも絶の内側で希釈できた。

 そのため本当に、絶は学園で多くの時間寝姿を無防備にさらし、窓際に座っているにも関わらず、廊下側に顔をむけてすぅすぅと無防備な寝顔をさらすことも多く、その神秘的な寝姿と実力に畏敬を込めて、『十王司の眠り姫』として汪麻などよりもよっぽど有名な存在として、学園のほぼ全校生徒の間で知れ渡っていた。

 ただし、その絶も、お昼休みだけは別である。


「では今日の授業はここまで」


 授業を担当する教師が言うより先にパチリと目を覚まし、一秒の狂いもなくチャイムの音が鳴り響いた瞬間にバッグから弁当を取り出すと、はむはむと貪り始めるのである。

 箸でただのタコさんウィンナーにしか見えないそれをつまみ口に放り込むと、その味を噛み締める様にきゅっと目を細めながら咀嚼を繰り返す。その瞬間は年頃の少女が極上のスイーツを味わい喜ぶような愛らしさがある。


「おーほっほっほ。ただのタコさんウインナーで何をそんなに喜んでいるのかしら?」


「む。出たな」


 華美な笑い声を立てたのは、同クラスの宝条キアラ。後ろにはその妹で隣のクラスの宝条香奈もいる。

 入学初日、汪麻と絶の初顔合わせのきっかけとなった、成金だのなんだの、特進科の男子にちょっかいをかけられていた二人である。

 それぞれ再婚した片親の連れ子で、そのために同学年の姉妹である。そして血のつながりはない。

 容姿も全然違っていて、特にキアラは大陸人の母の血を色濃く受け継ぎ、麦穂のような金髪を編み込み、陽国の平均から逸脱したバストとヒップで、とにかく派手な印象である。

 妹の方の香奈はどこかおどおどとした少女で同性の絶とも長い間目を合わせることのできない恥ずかしがり屋だが、顔立ちは愛らしく、バストのサイズは姉を超える。

 入学して数日経ってから、絶はこの2人の姉妹にお昼時を囲まれることとなっていた。

 絶の中ではたゆんたゆん姉妹と呼んでいる。

 実際、貧相な絶の前で、二人のそれは重力のままにたゆんたゆん揺れるのである。


「今日はなんのよう?」


「あなたが一人寂しくお昼をとっているようだから、つきそってあげているのよ」


「あ、そ」


 絶は興味ない様子で、弁当の中の総菜を口に含んで、また幸せそうに目をすぼめる。


「……本当に美味しいんですか? そんなに喜ぶほど」


 興味を持って声をかけたのは妹の方の香奈。

 普段はただの姉の付き添いということで、自分から話題をふることは珍しいのだが、どんなことがあっても無表情の絶がこの食事の時だけは幸せそうに目をすぼめるので、興味を持った様子だ。

 ちなみに絶が食しているのは、もちろん今朝汪麻が渡した彼お手製の弁当である。

 ただ、可愛らしい花柄のお弁当箱なので、キアラも美香も勝手に絶が自分で自作した弁当を味わって自画自賛しているのだと思っている。

 まかり間違っても、横柄さを隠そうともしない汪麻が、こんな可愛らしい弁当箱にせっせとかいがいしく食材を乗せている姿は想像できない。


「あげないわよ」


 絶はひしと弁当箱を腕で隠し、香奈の視界から遮った。


「あ、あはは。すっごく美味しいんですねー」


 香奈は誤魔化すように笑い、話題を打ち切ろうとしたが、その隙に横手からはしが伸びてくる。


「ダメ」


 キアラが伸ばしてきた箸を、さすが勇者とこの程度で言っていいのか、絶が箸で受け止める。


「固い事言わないでよ。私の弁当箱のおかずを一品とっていいから」


 そういうキアラの弁当箱は、お重を思わせる落ち着いた和式模様の箱。

 宝条家は没落しかけていたものの、華族の家柄。

 品格だけは保とうと、むしろ積極的にこういう一見格式ありそうな伝統を大事にしていた様子だ。

 蓋を開ければ、献立はそこらの庶民と大差ない。同じ塩アジでもちょっと食材が豪勢なぐらいだ。

 2人の弁当は母の絹恵が作っており、没落しかかっていた彼女たちは食事も質素で元々の料理のレパートリーも少ない。そこに八島君雄が婿入りして経済状況は変わったものの、元々の健啖家が変わる訳でもなく、従来の絹恵の味を二人は味わっている様子だ。


 彼女たちの弁当箱を見て、絶はフ……と冷笑した。

 それがと、キアラ、香奈二人の怒りの琴線に触れた。

 華族の地位を求めた八島君雄が、没落しかけた宝条の娘を金で買い婿養子として転がり込んだ──と魔法士界隈で勝手に広まる噂だが、どうやら真実は異なり、宝条絹恵と八島君雄は愛しあっての結婚らしい。

 そのためか、両親と血の繋がっていない二人の姉妹、それぞれ家族愛が深い様子。

 母お手製の弁当箱を冷笑され、普段大人しい香奈ですら笑顔を浮かべながら頬を引きつらせていた。


「では、交換しましょうか」


「ヤダって言ったでしょう?」


「私の分もあげます。2対1ですよ?」


「量が増えてもかわらないわ」


「つまり怖いんですね、負けるのが」


 笑顔でこういうところが香奈の怖いところである。


「か、香奈?」


 姉のキアラもちょっと引いている。


「……」


 箸を口の中に入れ、もぐもぐとさせながら思案した絶は、売られた喧嘩を買った様子で弁当箱を2人に差し出す。


「そんなに言うなら試してみれば?」


 絶はそう言って、弁当箱を自分の机の上に置くと立ち上がった。

 2人の姉妹は、改めて絶の食べていた弁当箱をのぞきこむ。

 まじまじとのぞきこむと、ありふれた弁当総菜のレパートリーに見えて、しかし確実に違うことに気づく。


「こうして見ると……思ったより手が込んでいますね。絶さんの弁当……」


「これ……春巻き? 冷凍食品でなく?」


 ただのベーコン巻きに見えたものがアスパラと複数の野菜が混ざっていたり、出し撒き卵におそらくホウレン草らしきものが刻んであったり、忙しい朝の弁当という割には手が込んでいる。

 ちょっとした創作和風といってもいいレベルだ。


「どれを食べるか……迷うわね……」


「二人とも全部一品ずつ食べていいわ。代わりに私も二人から一品ずつもらうわね」


 絶はそう言うと悩む二人の背後にまわりこみ、しゅぱぱぱぱっと、はたから見れば明らかに異様な箸さばきで二人の弁当と口を往復させごっくんと水か何かのように食道に送り込む。

 2人の姉妹はそんな絶に気づかない様子で、言われたとおり絶の弁当を一品ずつ食していく。


「あ、おいしい」


「あ……これ隠し味になにか……醤油? を使っていますね……」


「この香味野菜なにかしら……」


 2人とも、ひとつ食する度にうなる。


「たしかに……中々の出来ですね……」


 全部の料理を一つずつ食した香奈は、観念したようにつぶやいた。

 横のキアラも、腕組みしてうなずいている。


「……うん。ここはひとつ負けを認めましょう……」


 2人の母の絹恵が作った弁当も唯一無二の味で、2人の舌が慣れ親しんだ味だ。

 素直に敗北は認めたくはないが、少なくも余人であれば全員が絶の弁当に評を入れるだろう。

 だが言ってしまえばそれまで。

 絹江と絶の料理の路線は同じで、ありふれた食材で美味しく何よりも栄養バランスや健康に気をつかった料理だ。

 そのために味に派手さはない。

 贅沢な食材を使い、蟹や鮮魚に高級肉などを使った料理に比べれば、地味なものだ。

 あの絶がこの弁当だけには表情を変えるほどの凄みは、2人にはわからなかった。


「まだわかっていないようね」


 絶はそう言うとキアラの背後に回り、肩に手を置くと、親指を肩甲骨のあたりにぐいっと押し込んだ。


「な、なんですの……? あいっ♡」


 一瞬キアラの口から不意に喘ぎ声のようなものがもれ、全身をびくびくとふるわせる。目線が泳ぎ、一瞬意識を失うかのようにぐるんと瞳がとんだ。


「ちょ、ちょっとなにするんですの!?」


 自分の見せた痴態に恥ずかしがった様子でキアラが体を抱きしめながら絶から距離をとるが、絶は全く気にせず妹の香奈の方にまわりこむ。

 喘ぐ姉の姿を見た香奈は怖がっている様子で身を退こうとするが、絶は逃さなかった。


「わ、私にもするんですか……? あへぇあ!?」


 香奈は姉を超える反応を見せて、びくびくっと体を震わせた後、ぱたりと机に倒れ込む。


「ちょ、ちょっと香奈!?」


「だ、大丈夫です姉さん……ちょっと一瞬……痺れのようなものを感じただけで……」


 キアラが慌てた声を上げるものの、香奈は押された肩のあたりを抑えながら、身を起こす。

 絶の行動に、キアラは憤慨した様子で声を上げた。


「絶さん!? どういうことですの!?」


「二人の滞っていた生脈を整えた。内腑からの気の充溢を感じなさい」


「セイミャク…? ナイフ……?」


 2人は絶の言葉がわからぬ様子だ。

 絶は自らの鳩尾みぞおちのあたりを抑える。


「この辺りに意識を集中して。そこに集中した後、全身に脈が行きわたるようなイメージ」


「……?」


 2人とも困惑した様子だったが、目を閉じた絶にならって目を閉じて意識を集中する。

 効果は如実に表れた。


「わぁ……体がぽかぽかしてきました!」


「それだけじゃない……体をめぐる理力の流れがよくなった気がする……。アチョー!」


 キアラは突然奇声を発すると、絶にむかって正拳突きを放った。

 絶は涼しい表情で無言で手の平で受け止める。

 キアラの奇襲も一切気にしない様子で、淡々と言った。


「理力の流れ。特に闘気がよくめぐるのを感じたでしょう?」


 表情はいつもの無表情ながら、どこか薄い胸をそびやかすような態度で絶は言った。


「あの料理の数々は菜彩宝色。あえてわかりやすく言うなら、薬膳や精進料理のように、元々は体内の生脈を整え病を打ち消し、体内の理力の流れをよくすることが目的の料理なの。その役目としては短い時間で作ったものとは思えないほど合理的で、さらに美味しい。残念ながらあなた達にはわからなかったようだけどね」


「う……。今回は絶さんに完敗ですね……」


「すごいわね……。これレシピ真似したらうちのシェフでも作れるかしら……」


「あ、それいいですね。絶さん、私たちに料理のレシピ教えてくれませんか?」


「いいわよ」


 絶は気安く言った後、続けてこのようなことを言った。


「それなら放課後、うちに来なさい」

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