第6話 現代の魔法学

「今の時代では、魔法理論──過去の時代で魔術や神聖術、精霊術や呪術、陰陽術など様々な系統に別れていた魔法的な存在のとらえ方が大きく変わっている。それは科学の発展によるところが大きい」


「かがく、って何」


「うむ。まずはその科学という概念から入るべきだろう──科学は正式には自然科学という。この世の、第一の法則となる自然的な理……。魔力がある者もない者も関係ない、宇宙の第一法則のことだ」


「宇宙の第一法則。仰々しいわね」


「仰々しくはない。ただ当たり前で基本的なことだ。魔法をつかわなければ、人は空気がないと生きていけない。水中では窒息する。これは人間は生きていくためには、空気中に含まれる酸素という物質を肺を通して取り込み続けないといけないからだ。もっと簡単な例で話すと、重たい物を持ち上げるのにはそれ相応の力が必要だろう。火に触れれば熱く、そばに乾いた木などがあれば火は燃え移る。こういった当たり前の法則──つまり、自然的な法則が自然科学だ」


「……けど」


 汪麻の説明を聞いていた絶は、何かを反駁するかのように、感情ののらない声をあげた。


「それらは魔法があれば、覆るわ」


「然り」


 絶の言葉に、手ごたえを感じて汪麻はうなずいた。


「この世の第一法則となる、自然的な法則……それと対になるのが、魔法。すなわち、不自然な法則。それが近世の魔法学の基礎となる考え方だ。魔法は科学では解明できない、様々な事象を再現できる。水の中で人が溺れずに呼吸できることも、手を触れずに物を浮かせることも、何もないところに炎を生み出すものも。魔法はこの世の第一法則が生み出す当たり前の法則を、様々に覆すことができる」


「一つ、疑問があるわ」


「なんだ?」


「魔法は科学……っていうの? それで起こりえる現象を、書き換えることができる……。でも、魔法を科学と分けるのはなぜ? もっと広い視野で見れば、魔法で起こせる現象にも共通の法則性があって、魔法も科学の一分野と考えられるんじゃないの?」


「いい質問だ」


 汪麻は深くうなずいた。

 さすがは勇者だけあって、直感的でなく、現代の学生たちにも理解の難しい難題に、的確についてくる。


「詳しく調べれば魔法にも共通の法則性がある……そういう考えを、今でも唱えている者は大勢いる。だが少なくともこの陽国や、欧亜を含むほとんどの国の学会はこうとらえている。魔法は不自然だと」


「魔法が、不自然……?」


「現代も古代でも変わらない魔法において無視できない要素の一つ。形象というものがあるだろう」


「……求めている用途にあった何かを模すことで、その形質を受け継ぎ、術を補強すること」


「そう。だが模す……という行為は不明瞭ではないか? どこまで似せて、どこから別物とされるのだ? そして年月が経て時代が代われば、形象がもたらす効果も変わる。この不安定さはなぜだ?」


「それは……模す物の霊的価値、霊価によって変わっていて……」


「それだ。古典魔術で必ず出てくる『霊』という言葉。古典魔術は不鮮明な要素について、『霊』というふんわりとした言葉を用いて誤魔化してきた。『霊』、『魂』。古典魔術も現代魔術でも、イメージ的な言葉を用いてしか、魔法のことを説明できない。だが事実として……古き時代から魔術師を輩出してきた家系は、東西関わらず代々素質のある術者を生み出しやすい傾向にあり、古来から引き継がれてきた祭器は強力な魔力を湛え……イメージ、想像。歴史的背景。そういったふんわりしたものが、魔法を語る上で実際に強い力を持つ。そもそも、なぜ科学を……自然科学といい、魔法を不自然というのか。現代ではこう解釈されている。魔法というのは、万物において平等ではないのだ」


「……万物において平等ではない……?」


「そうだ。自然科学の分野においては、条件さえ整えれば、結果は必ず同じものが出力される。しかし不自然な技術、魔法では、その限りではない。実際に俺もお前も、魔術を行使する時は、状況によって様々な変数を加えて術式を構築している。魔法は、常に結果が保障されてはいないんだ」


「……。」


 絶は、まだ汪麻の言葉に納得してないようで、腕を上げて袖を口元付近に寄せながら、何かを考え込んでいるようだった。


「華族。庶家。だからあなた達は、生まれで人を区別しているのね」


「そう。もちろん例外はある。庶家からとんでもない逸材が生まれること、華族でも魔術の扱えない者が生まれること。だから絶対ではないが、しかし傾向として、魔法士は……遺伝子工学上の理由とは別に、華族から優秀な者が生まれやすい。これは歴史が証明した事実だ」


「ちょっと納得できないけど……まあ、現代では……まだやっぱり魔法のこととかよくわかってなくて。科学とは別に区別されているということね」


「ああ。そういう認識でかまわん。納得する必要はない。常識を疑うことこそ賢者というものだ。だが現代ではそういう前提になっているから、それに沿って話さねば、通じる言葉も通じないということだ」


「わかった」


 絶はうなずいてから、腰のポケットからスマホを取り出した。


「ちなみにこれは? 人工精霊回路……スペルサーキットっていうの? それを搭載しているそうだし、魔法なの? 科学なの?」


「どちらでもある。それは魔法と科学の融合、魔導科学の産物だ。不自然も自然も法則は法則。それぞれのいいとこどりを利用すれば、よりできることの幅が増えるというわけだ」


「そう。なるほど。……」


 絶は、スマホをぽちぽち。操作をする。


「これ、自分の手を加えるのは違法なの?」


「うん? 改造をすれば補償対象外になるが……。民間製品だし別に違法になるということはないが──」


「オーバーライド。スイゼル」


 汪麻が言いきらぬ内に、絶が勝手に言葉を発する。

 肉眼視できるほど凝縮した魔力が幾何学魔法陣を作り、青い紋様を映し出す。


 汪麻が止めるいとまはなかった。

 その魔法陣を召喚門ゲートとして、飛び出してきた青い光芒が、絶の手にしたスマホに吸い込まれていった。


「お、お前……。スペルサーキットの上書きだと……!?」


「別に。低位の人工精霊である必要はないんでしょ。こっちの方が強力だし、融通が利くわ」


 絶はスマホを薄い胸板に当てて気怠げに言う。

 今しがた、絶は精霊界の門を開いて自我を持つ中位の精霊を呼び出し、人工精霊回路をのっとった。絶には人工精霊回路の細かな仕組みまでは理解できていないだろうが、使役された精霊が自律的に構造を把握して細かい接続を制御して融着したようだ……と推測は建てられる。


 が、もちろん簡単なことではない。そうでなければ、汪麻とてわざわざ人工精霊など利用しない。


 まずそもそも、異界の精神体である精霊を召喚し使役する行為自体、近年では難しくなっている。精霊たちは何故か、鋼の元素を嫌う性質を持っていた。このため鋳造技術が進むほど、精霊たちは人間社会から距離を置き意思の疎通が難しくなり、遂には銃や火薬が普及した鋼の時代に、四大の精霊王はこの物質世界から去っていった。

 以来、精霊術という分野は大きく衰退した。精霊の加護を得られるのは気まぐれとも言えるほどの寵愛を受けた寵児か、文明社会から隔絶した自然崇拝者ドルイドぐらいだ。

 そして仮に精霊を召喚できたとしても、事は簡単ではない。

 異界の精神体である精霊達は自我を持っている。ただ漂うだけのような存在である人工精霊すら程度は違えど同じで、調律の過程で一部の人工精霊は拒絶反応を示し、利用されることなく送還される。

 絶が呼び出した中位の精霊などは、人工精霊よりはるかに高位の存在で、気まぐれだ。

 異界の精神体といったものの、彼らの精神構造は人間のそれとは全く異なるものなのだ。犬猫をしつけるのともまた次元が異なる。

 当然、苦手となる金属の使われた基盤に融着などしたがらない。

 精霊使いが精霊を使役するといっても、基本的には精霊に強制するのではなく、力を借してくれるよう頼む形がほとんどだ。絶対の命令権を持っているわけではない。

 それは気まぐれな精霊が常に暴走をする可能性を孕んでいるということだ。

 ネットワークでサーキットウェブとつながり、情報媒体として大量の情報を蓄え、そして魔導端末としての役割を持つスマホは、現代の人間にとって必需品となる万能端末だ。

 もし暴走しようものなら、物理的被害から、情報の拡散といった被害、あるいはネットワークにつながるサーキットウェブ広範を破壊する可能性とてある。


「お、お前……。隔世人であるお前には、情報の拡散などと聞いてもその怖さなどわからんだろうが……。悪いことは言わない、その精霊をすぐ送還しなさい。おい聞いているのか?」


「聞いていない」


 絶は律儀に答えながら、ひたすらスマホをぽちぽち。


「スイゼルはいい子よ。そんなことはしないわ」


「そうは言ってもだな……」


 汪麻が頭に手を当てて説得の言葉を考えていると、スマホをポチポチしていた絶が、「あ」という声を唐突にあげた。


「やば、捕まった」


「捕まった? ……何がやばいんだ?」


 嫌な予感を覚えながら汪麻が訊ねると、絶はスマホから顔を上げて汪麻を振り仰いだ。

 その表情はあくまで淡々としていて、限りなく無表情だ。


「ペンタゴンって知ってる?」


「ペンタゴン? いったいどの……」


「アクセスしようとしたら。なんかセキュリティっていうの? に見つかった」


「おまっ!? それペンタゴンはペンタゴンでも、亜国の国防総省じゃないのか!?」


「大丈夫、居場所まではバレてない。これをこうして……。これでよし」


「なにがヨシ! だ!? おま、俺と姉上の努力を……!」


「大丈夫、撒いた。なんか、私以外にも色んなのが入ろうとしているみたいだから、混ざってみたんだけど……。固いわね。大丈夫、他のになすりつけてきたから、私たちのことはバレていない」


「ペンタゴンは日夜様々なハッカーに挑戦されていると聞くが……。ともかくお前のやったことは不正アクセス、違法だ! 今回は目を瞑るが二度としないように!」


「したら?」


「……。」


 挑戦的な絶の物言いに、ぐぐぬと汪麻は言葉に詰まる。

 が。


「飯抜きだ」


「!?」


「二日間」


「二日!?」


 表情こそ動かないが、甲高い声がその端正な喉から漏れる。

 表情こそないが……元々がアンニュイな物憂げな顔なので、ひどく苦悩しているように見える。


「……わかったわ。ただの学生なら、あんなことする必要ないだろうし。……一応、言っておくけど。正当防衛なら、私はするわよ」


「それは……まあ……」


 汪麻は上の空だ。もしかして、と思ったが、これほど飯の話が絶に効くとは思わなかった。


「……そんなにうまかったのか。笹宮さん直伝の魔訶魔訶チャーハン」


「……儀式の代償で私はご飯で感動することはないわよ……。でも米を炒めた単純な料理なのに。菜彩宝食さいさいほうしょくで。……胆念たんねんのこもった、ただ食すだけで体内の生脈せいみゃくの整う不思議な料理だったわ。……目覚めてから、この時代の豊かさには驚いたけど。それでもあれほどの料理に出会えるとは思えなかった」


「ふふふ。笹宮さんの凄さがわかったか」


「……。その笹宮ってのに教われば、誰でもその料理を作れるようになるの?」


「まさか。レシピをなぞるだけではこの味を再現することはできない。俺が笹宮さんの味を再現するまでどれほど苦労したか……」


「……。それ、すごいのは。……」


 絶は何か言いかけたが、複雑そうな表情で口元を隠し、言葉を飲み込んだ。

 気をとりなおすように「えふん」と咳払いすると、腰に手を当てつつ言った。


「まあ、わかったわ。私もなんとかこの時代に馴染むようにする。このスマホと、サーキットウェブっていうの? 便利だから活用させてもらうわ」


「ああ。だが老婆心ながら言うが、ウェブ上の情報は嘘も五万とある。鵜呑みにするかは気を付けたほうがいい」


「このスイゼルはあなたが思っている以上に優秀なのよ。私も馬鹿じゃない」


「……だといいが」


 とにかくこの絶という少女、凄まじい少女だというのはわかるのだが……

 それが安心になるどころか、妙に汪麻の心痛をくすぐるところがあり、これからの学生生活になんとも言い難い不安を覚える汪麻だった。

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