第5話 同居人の来訪_1

 慶四郎の説教を受けて汪麻が解放されたころには、突然の雨模様で空が曇り雨模様になっていた。


「む……雨の予報はなかったはずだが」


 生憎と傘を持っていない。この季節特有の春時雨で、雨宿りをしていればすぐ止むかと思えたが、汪麻には帰りを急ぎたい事情があった。


(止むを得ん。突っ切るか)


 汪麻の借りたマンションは、伏間学園から徒歩10分圏内。

 走り抜ければ深刻なほどずぶ濡れにはならないはずだ。



 そう意を決して駆けだした汪麻だが、雨足は弱まるどころか激しさを増していった。


(くそう。魔法を使えればな)


 治安のいいとされる陽国だがその理由の一つとして公道での魔法の濫用が禁止されていることにある。

 地脈の交差するレイラインの中心にあり、象徴となる穹皇は世界最古の王朝とされる魔導大国ながら、その使用については保守的な考えを持っているのである。

 ……といっても、それは言うほど厳密なものではない。

 雨を防止する保護魔法ぐらい、見つかっても注意を受ける程度だろうが……変なところで律儀な性格──あるいはプライドの高さ故の潔癖さが、汪麻の場合、己のこととなるとズルを許せない。

 結局、マンションにつくころには全身濡れみずくである。


「ふぅ……」


 マンションの自室の戸口をまたいだ瞬間、汪麻はスマホすら使用することなく念じて、乾燥魔術を使用する。

 皮膚や衣服に一切の影響なしに、水分だけを蒸発させるのは中々の離れ技なのだが、息を吸うようにしてみせた汪麻を見てもその凄さはわからないだろう。


「服は乾いたが……気持ち悪いな。シャワーでも浴びるか」


 そういって、浴室の手前の脱衣所への扉を開ける。

 自分一人で借りた部屋。なんら遠慮はない。

 ──はずだった。


「は?」


 人影があった。

 水を滴らせ、肌に張り付かせて色を透けさせた制服。

 その人影は上着を脱ごうと手をかけたところだったようで、胸元までたくしあげたブラウスの下から、肋骨の浮き出た脇腹をさらしている。

 そして、淡いピンクのブラジャーも。


「………。」


 相手の少女は、無表情で汪麻を見返していた。


「ししししし、失礼したッ!」


 汪麻はピシャン!という音を立てて戸口を閉めると、そのままぐるっと回れ右して脱兎のごとく。


「ななななな、なんで⁉ 部屋を間違えたか!?」


 玄関を出てルームナンバーを確認すると、201号室。

 いや、間違っていない。今朝汪麻が目覚めた汪麻の自室だ。


「な、なんであの乱暴女が!?」


 そう。

 今しがた脱衣所で、死んだ魚のような目で見返してきた少女。

 汪麻を叩きのめした、普通科の生徒に間違いない。

 十王司絶。


「十王司……絶」


 そこで一瞬、思考が電流のように走り、汪麻の中で一つにつながった。

 十王司という名前。

 そして今朝がた、姉からの「預かっていて欲しい」という電話。

 そして、あの少女が自室にいる事実。


「ちょっと」


「のわああああああああ!?」


 入口が開き、水を滴らせた少女──絶がとびだしてきた。

 先ほどの脱ぎかけの裸身が目に焼き付いていた汪麻は、思わず頬を赤くして、手のひらで彼女の体を隠すように遮ったが……どうやら、服は着ているようである。


「ちちち、違うぞ! 不可抗力だ! そ、そもそもここは俺の部屋だ!」


「知っているわよ。十王司汪麻」


「な、なんでお前が俺の部屋にいるんだ!? 俺は知らん! 何も知らんぞ!」


「あの女狐に聞いていないの?」


「女狐!? 誰のことだ!?」


「十王司楓華。アンタの姉なんでしょう?」


「お前、姉上のことが怖くないのかっ……。ともかく、俺は何も知らんぞ!」


 頑とした態度の汪麻だが、絶という少女ははなから聞く耳もたないといった態度で、手を腰に当て、薄い胸をそびやかして、尊大に言った。


「今日から私、あんたに養ってもらうから」


「……はい?」






 とりあえず。

 事情のすり合わせが必要で話し合うにしても、部屋の前の廊下ではご近所迷惑だし外聞も悪い。

 とにかく部屋の中に二人で入ることに。


「あんた、さっき魔術を使ったでしょ」


「あ? ああ、乾燥魔術のことか?」


「この時代、この国では、みだりに魔術を使っちゃいけないんじゃないの?」


「公共の場ではな。私有地であれば問題ない」


「ああ、そう」


 汪麻の言葉を聞くなり、絶もまた呼吸するように息を止めて、濡れそぼった全身が乾いていく。

 それは汪麻の目をしても、思わず感嘆するような美しい術式だった。


「と、とりあえず茶でも淹れよう」


「ん」


 沈黙に耐えかね、そんなことを言いつつ先導する。

 汪麻が借りたのは1LDKの部屋だ。高校生の一人暮らしにしてはスペースに余裕のある優良な物件だが、十王司家という家柄を考えれば落ち着いた佇まいと言える。

 はて……。俺はなぜこの不法侵入者的な少女をもてなすことになっているのだろう。

 そんなことを考えつつ、汪麻がすごすごとお茶を淹れていると、絶はきょろきょろと興味深げに部屋を見渡すと、興味が惹かれたのか、歩き出した。

 それに気づいた汪麻が、大声を上げた。


「待て! それに触るな!」


「……?」


 今までで一番の汪麻の剣幕に、絶が伸ばしかけた手をひっこめる。

 絶が手を伸ばしたのは、ガラス棚に飾られた、プラモデルの一体だった。二足歩行の人型を模したそれは、とあるロボットアニメの主人公機である。

 実はというと、これが汪麻が一人暮らしの部屋を借りた大きな理由である。

 彼はメカヲタクなのである。二足歩行に関わらずホバー、キャタピラ、果ては美少女型まで。ありとあらゆるロボアニメを網羅し、ついにはコレクション欲を抑えきれず、高校進学を期に一人暮らしと言いつつ模型作りにまで手を伸ばした。

 十王司家は別段、こういった趣味に対して厳しいわけではないのだが……そこは汪麻の見栄というか自尊心で言い出せず、もっともらしい理由を立てて一人暮らしを始めたのだった。

 絶は触ることは諦めたのか、ぼうっとした視線でガラス棚に並んだメカ達を眺める。

 その表情は、出会った時から変わらぬ物憂げな視線で、こういっては何だが絵になる。

 場違いながら汪麻は、とあるアニメの一場面のヒロインを想起した。

 絶にまじまじと己の趣味を見られることに気恥ずかしさを感じ、汪麻は咳ばらいをしつつ、注意を引こうと声をあげた。


「茶が入ったぞ。そこへ座れ」


「ん」


 汪麻の声に応じて、絶は居間の中央にあるテーブルの反対側に腰を下ろす。

 傾国の美女のような儚げな容姿をしているのに、どかっとあぐらをかくように座りこむ姿は堂に入っていて、スカートのスソからのぞく素足がなまめかしい。


「まず事情を聞かせてくれ。姉上はなんと言って、お前を寄こしたんだ」


「知らない。ただあんたが私を養ってくれるって」


「や、養うってなんだ?」


 まさか姉上は自分に内緒で許嫁いいなづけでも作っていたのだろうか。

 そんな汪麻の逡巡に気付いた様子もなく、絶と名乗った少女は茫洋とした表情で、


「ただあんたが私の世話をしてくれるって」


「……何か、証明できるものは」


「……。あぁ」


 ワンテンポ遅れて、何か思い出したように絶が声をあげた。

 それから学生カバンを手元に引き寄せ、中をごそごそと漁ると、取り出したのは一通の便箋。


「あの女狐から」


「……」


 今時印字でもなく、ボールペンでもなく、墨に筆。

 それで格式ばった旧字調で書かれている。間違いなく楓華の字。それも当主としての下辞げじ

 文章はあえてまわりくどく書かれているが、要約すると、


『十王司家当主として命じる。保護したこの隔世人かくりよびと、絶の世話をして、よく面倒を見ること』


 という風な内容だった。


(あ、姉上……!)


 我が姉上ながら、ここまで何を考えているかわからないと思ったのは初めてだ。


(単に保護した隔世人の世話を見るなら、系列施設や、あるいは俺でなく本家宅で面倒を見るのが筋だろうに。いったいどういう了見だ……。ん?)


 よく見ると、仄かに魔力の残滓がある。

 十王司家で密文書をやりとりする時に使用する、魔術暗号だ。


「何かまだあるのか……?」


 パスキーとなる定型鍵呪で暗号化を解くと、裏面に光の文字が浮かび上がってきた。


『この者、勇者である』


「? 訳がわからん」


 楓華の言っている意味がわからず、汪麻が首を振ると、絶が覗き込んできた。

 絶は文面を見ると、顎に手を添えてうなずいた。


「そのままの意味よ」


「だから、どういう意味だ」


「そのままの意味。私は《勇者》。900年前に魔王を封印した勇者。それが私よ」


 そういって、絶は無表情でダブルピースをした。

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