第4話 入学初日_3

「うーんうーん……人形が……顔のない人形が……うーん……ハッ!」


 汪麻おうまが目覚めたのは、見慣れぬ白い天井だった。


「ゆ、夢……。夢、そうか……」


 よほど怖い夢を見ていたのだろう。

 シーツが湿るほどの大量の汗を噴いていた。

 

「しかしはて……。そうなるとここは……」


 汪麻は見慣れぬ室内を見渡す。

 遮光カーテンに囲まれた清潔そうなベッドや、薬品棚、この部屋の主のための机など、初めて見る部屋なれど、似た風景には覚えがある。


「医務室……。いや保健室か」


 そこまでつぶやいたところで、意識を失う前の記憶がつながった。


「そうだ! 俺はあの暴力女に気絶させられて……!」


 幸い、治療魔法がかけられていたようで、どこも痛いところはないし、痕も残っていないようだ。

 ここは伏間高校の保健室だろう。窓のむこうには無人の校庭が広がっている。

 どれぐらい気を失っていたのかと時計を見れば、11時を過ぎていた。

 スケジュールでは、たしか入学式が終わるころ合いだ。


「な、なんたることだ。俺の学園デビューがまさかこのような幕開けとなるとは……!」


 愕然がくぜんとなる汪麻だが、いやしかし。

 それ以上に気になるのは暴力女もとい、あの女子生徒。

 非暴力のルールを破って殴りかかってきたのは脇に置いておくとして、あの瞬間確かに汪麻は障壁を展開しようとした。

 しかしその術が形を成すことはなく、汪麻が事前に編んでいた魔法幾何法陣も霧散した。

 あの娘が魔法の無効化をしたのだろうか?


(いや……。しかし、あれは自壊だった)


 汪麻が編んでいた魔法幾何学法陣がエラーを吐いて、自壊したのである。

 それに障壁を張ろうとしても反応しなかったのは、魔導端末であるスマホに組み込まれた、人工精霊回路スペルサーキットが作動しなかったからだ。


(スマホの故障か? そういえばスマホは……)


 身に着けた制服のポケットのどこにもない。

 汪麻が慌てると、ベッドの脇の机の上に、汪麻のバッグと一緒に伏せて置かれてあることに気付いた。

 ほっとして手元に引き寄せてタップするが、特に異常はない。

 試しに簡易の魔術を試しても、問題なく動作する。


(あの女……一体何をしたんだ?)


 汪麻には全く理解できない状況だったが、ひとつわかったことがある。

 あの死んだ魚のような目をした普通科の生徒には、二度と関わるまい。

 君子危うきに近寄らず──。華やかな華族社会において、生き残るために必要な処世術だった。

 そこに戸口を開く音が響いた。


「あら、起きたのね」


 白衣に袖を通した妙齢の女性が、汪麻に気付いて微笑む。

 思わず和むような優し気な笑顔を浮かべる女性だった。


「はじめまして。十王司君。この伏間高校の養護教諭の三津久嶋みつくしまよ。頭を殴られたそうだけど、記憶の方は大丈夫? 気持ち悪かったり眩暈めまいはない?」


「あ、はい。痛みの方もなく」


「そう。そのまま休んでいてもいいけど、私としては自分のクラスに行くのをオススメするわ。入学式の日に、クラスの面々と顔を合わせておかないと気まずいものよ」


「あの入学式は──」


「残念ね。もう終わったわ」


「………」


(くそう、あのゴリラ女め……)


「それでは、助言に従い教室に行くことにします」


「そうね。ああ。荷物を確認しておいてね。スマホも含めてあなたのものと思う私物はそこに置いてあるはずだけど、足りないものがあったら後で職員室に聞きに行きなさい」


 汪麻は三津久嶋という養護教諭に礼を言って、保健室を出た。


 汪麻は事前に自分の教室の位置は知っていた。

 横柄で尊大な態度の目立つ汪麻だが、意外なほど細かい物事に対して気を配ることがあり、今回もあらかじめ自分の教室の位置を調べていた。


 特S科は、一年生の普通科や特進科とは違う中央校舎にある。

 この中央校舎には各種特別教室のほかに、三年生の教室や、生徒会室などがある。

 特S科の教室は最上階の三階、空き教室を挟んで生徒会室の二つ隣にあった。


(………)


 その特S科の戸口の前に立って、汪麻はしばし立ち止まった。

 戸口のむこうからほそぼそとした活気が漏れ出ているようで、間違いなく人の気配がする。


(まさか……。あの暴力女がいるなんてことは……)


 いかなる理由によるものかはわからないが、汪麻はあの女子生徒に負かされたのは認めざるを得ない。

 なんらかの違反行為トリックがあったとしても、少なくとも汪麻にはそれを看破できなかった。

 しかし普通科に負けたというのは考えづらい。それよりは、少女が普通科であることを詐称した特進科ないし特S科の人間──という方が汪麻にとってに落ちる。

 少女と再遭遇することを怖れつつも、頭の片隅で、あの女子生徒がいるのでは……と期待している面もあった。

 廊下の窓から覗こうとすると、生憎と擦りガラスでモザイクがかかったようにしか級友たちの姿を判別できない。

 と、汪麻は窓の一つに隙間が空いているのを見つけた。

 その隙間に指を差し込み押し広げると、そっと、室内を見渡した。

 その姿は名家の威厳もへったくれもないただの覗き魔だった。


「……何をしている、汪麻」


「うおっ!?」


 そこに背後から声をかけられて、汪麻は文字通り飛び上がった。

 振り返った先には、いかにも生真面目といった形に髪を整え、黒ぶちのフレームをした眼鏡をかけた男子生徒。

 汪麻も見知った相手だった。


「は、隼人はやとか。驚かすな」


「隼人先輩な。ここでは俺のが一個上だぞ」


「普段から隼人呼びなんだから、かまわんだろう」


「まったく……。相変わらず人の話を聞かん奴め」


 嘆息するように肩を落としたのは、以前から汪麻とも交友のあった長澤ながさわ隼人はやと

 長澤家は現在の国防官房長官をつとめ、十王司家と並ぶ華族の名家である。

 そこで隼人は、生真面目そうな顔をどこか意地悪そうに口の端を歪めて、


「それで? なんでも普通科の生徒に負けたそうだな」


「う"っ。な、なんで知って」


「そりゃお前の噂は音速で駆け巡ったぞ。十王司家の長男が、大見栄を切った挙句に普通科の生徒に負けたってな」


「くっ……! あれは不思議な勝負だった……! あの普通家の生徒、只者じゃないぞ……!」


「………」


 汪麻の言葉に、隼人は笑みを引っ込ませて値踏みするように眺めつつ、眼鏡の位置を正すと、問いかけた。


「お前、あの普通科の女子生徒のこと、何も知らんのか?」


「ん? 知らん。なんだ、有名人なのか?」


「いや。全くもってそういうわけではなく。ただ、噂ではこう聞いている。彼女の名前は十王司じゅうおうじぜつ。お前と同じ十王司の人間だと」


「十王司……絶?」


 隼人の言葉は想像の埒外で、思わず繰り返した後、その意味を理解して汪麻は首をぶんぶんと振り回した。


「知らん! 知らんぞ、そんな女!」


「ふむ……なら史家か?」


 華族の家柄も、兄弟姉妹が増えれば当然血筋が分岐していく。

 中には華族としての役目を放棄して一般庶家となったり、血が遠くなりすぎて規定により華族と認められなくなったりする場合がある。

 そのような華族の遠縁の傍系を史家と呼ぶ。


「たしかに……十王司家の血筋は長いから、把握していない傍系の史家がいてもおかしくないが……。俺が何も知らんとは」


「ふむ。しかしその場を見ていないから俺もわからんのだが、なんで負けたんだ? 理力のパワー負けか? 術式解析によるロジック負けか?」


「いや……それが俺もよくわからん。魔導端末の人工精霊回路が動作しなかったんだ。……ああ、思い出した。そういえば奇妙なことを言っていたな」


「奇妙な事?」


「地水火風の四大の精霊王に拝謁した……とか」


 それを聞いた隼人は鼻で笑った。


「何を馬鹿な。四大精霊王がこの物質界を去ったのは今から600年以上昔だぞ。大ぼらが過ぎる」


「うん……」


「しかし、人工精霊回路が作動しなかったか……。単に謎めいた才能の人間……というのならいいのだが、十王司を名乗っているのも含めて何かのペテンを考えているのでなければいいが……」


 魔法科高校で育成する人材は、ゆくゆくは研究分野や軍事分野において根幹を成すと期待された人材だ。魔法科高校は国の要衝となる教育機関といっても過言ではない。

 世界有数の治安のいい国と言われる陽国でも、万一のこともある。隼人は代々国防を担ってきた長澤家の人間として、その万一のことを考えてしまうのだろう。

 長澤に生れたものの宿痾しゅくあなのだ。


「……学生の身分の俺が考えても仕方ないか。まあその話はいい。とりあえずのついでだ。みんなにお前のことを紹介しておこう」


「別に隼人に紹介してもらわんでも──」


「そのような尊大な態度だから角が立つと言っているのだ。馬鹿たれ」


「馬鹿……!?」


「いいからついてこい」


 汪麻の返事を待たず、隼人は先に行く。

 どちらにしろ、同じ目的地。

 スライド式のドアを開く隼人の背に従うしかない。

 教師が入ってきたのかと思ったのか、戸口を開いて入ってきた二人に、視線が集中した。


(──こうしてみると中々壮観だな)


 ほぼすべてが華族出身かつ、当代の中では英才と言われた者ばかりだ。

 汪麻の顔見知りの者も多い。改めて隼人に紹介されるまでもないと思った理由の一つだが、何かの集まりの時に二、三言、言葉をかわした程度の間柄ばかりで、友人と言えるほどの親しい付き合いの者は皆無だ。


寝坊助王子ねぼすけおうじを連れてきた。皆、紹介するまでもないだろうが、改まって。新入生の十王司汪麻だ」


「十王司汪麻だ。拝謁はいえつつかまつる」


 隼人の声に従い、半ば反射的に汪麻は古風な名乗りを上げて、セリフとは裏腹に己を誇示するように背筋をそりかえらせて尊大に胸をそびやかせた。


 それを見た女子生徒の一人が、


「普通科の娘に手ひどくやられたって聞いたけど?」


 と、ぼそりと呆れたツッコミを入れたくなるほどの堂々たる佇まいだった。

 胸をそびやかす汪麻に、ざわざわと、18人という少人数クラスながらざわめきが立つ。

 一人も汪麻に声をかける人間がいないと見るや、黒髪の小柄な少年が代表して進み出てきた。

 身長160センチを少し超えたばかりと細身の小柄だが、汪麻も知っている人間で今年で18歳、つまり最高学年である三年生である。


「ようこそ特S科へ、汪麻君。僕は学級委員長の五条ごじょう火槻かつきだよ」


「これは五条家の……」


 五条家。

 究皇の縁戚であり、その歴史は十王司よりも長い。五条火槻はその長男で、性格才能どちらも難なしと言われて、まず家督を継ぐだろうと言われていた。

 汪麻も一目置く数少ない同年代の人間である。


「その様子だともう無事なようだね。手ひどくやられたと……おっと」


 火槻は失言だと口元を抑えた。

 計算でおどけたのか、それとも本当に口をついて出た失言だったのか、どちらとも悟らせない嫌味のない挙措だった。


「とにかく無事だった様子で安心した。これから学友としてよろしく。ささ、一学年生はあちらに集まっているから、まざってきなよ」


「汪麻。くれぐれも粗相のないようにな。友人のいない灰色の三年を送っても俺は知らんぞ」


 苦笑する火槻と、叱咤しったともあざけりともつかない隼人に見送られながら、汪麻は火槻が指示した方向にむかった。

 そこには3人の男女がいた。

 遠目には3人とも娘に見える。だがその内一人は間違いなく男子用の制服を身に着けていたし、汪麻も見知った人物だった。

 つややかな黒髪をかんざしで結い上げ、女性的な色香を漂わせるその少年の名は長谷部はせべ弥里みさと

 名前からして男性かどうかわからない名前だが、それがつまり長谷部家の伝統である。呪家の一族であり女系家族である長谷部家では、男性も女の子のように育てられる習わしがある。


「やあ汪麻。災難だったね」


「……ああ、全くだ。あの女子生徒、何者だ」


 汪麻の言葉に、弥里はきょとんとした顔をする。


「それは僕たちが聞こうと思ったんだけど……。なんでもあの普通科の娘、十王司を名乗っているらしいよ」


「知らん。顔も知らなければ俺以外に入学するという話も聞いたことがない」


「だから大見栄切って返り討ちにあったってわけ?」


 どこか面白がるように、含んだ物言いで言ったのは赤毛のショートカットの少女。

 女性的な弥里と対照的に、こちらは活発そうなスポーティな少女だ。汪麻も初めて見る顔である。


「君は……六道の?」


六道りくどう神楽かぐら。知ってたの?」


「名前だけは。六道の傍系に女子の神童が出たとな」


「ふ、ふん。褒めても何もでないわよ」


 汪麻としては外聞で聞いた話を率直に告げただけなのだが、神楽は見るからに照れた様子で鼻白んだ。

 六道家は武家の出身で、代々武技アーツを使用した武術の家系だ。

 その当主が愛人との間に産ませた娘が優秀で、家督争いに食い込んでいるという。

 実力主義の六道家だが女子の当主はしばらく存在せず、界隈を賑わせていた。


「そんな物を差しているからな、噂の六道の娘だと、一目でわかった」


「ふふん。痴漢したら取り締まるわよ?」


 そう言ってひらひらと神楽が手のひらうちわで仰いだのは、紋字の描かれた札で封印された佩刀はいとう

 厳正な審査でのみ所持の認められる攻性魔導端末デバイスだ。これを所持したものは有事の際、警察などの治安維持組織の要請に従い封印を解除し、協力する義務を負う。

 治安のいい陽国では必要性が希薄な上、取得試験も厳しく、この年齢で持っている人間は片手で数えられるほどだろう。


「そして、残るそちらは……」


「お、お久しぶり。十王司君」


 最後に残ったのは、長い黒髪を腰ほどまで伸ばした楚々とした少女。

 小柄で真ん丸な瞳をくりくりと動かす姿は小動物を思わせるが、ブラウスの上でもわかる豊満なバストが何よりも目を引く。

 そのバストの上には、陽国では珍しい銀のロザリオが揺れていた。


「覚えている……かな? 私、神宮司じんぐうじ清奈せいな


「ああ勿論だとも」


「ほ、本当!?」


 汪麻の返答に、過剰ともいえる反応を清奈は示す。

 それに何かを察したらしき神楽が、なんとも言えない顔つきでため息を吐いた。


「勿論覚えているとも。清奈君。君は神宮家の生まれであるが類まれな聖性を持った聖女だとな」


「あ……そういう意味で」


 汪麻の返答が期待したものではなかったのか、清奈は見るからにしおれた様子で胸元のロザリオをいじくる。

 「うん?」と汪麻は何か失言をしたかと訝しんだ様子だが、結局理由はつかなかったのか、気を取り直すようにうなずいた。


「この四人がこれから三年を過ごす学友というわけか。よろしく頼むぞ」


「うん、汪麻。よろしくね」


「よろしくね、じゅうおう……汪麻君!」


「あーはいはい。よろしくね~」


 弥里は朗らかな様子で、清奈は勢い込んで、ただ一人神楽がいかにもお愛想といった様子で気のない声を上げる。

 当面の挨拶が済んだところで、声を上げたのは神楽だった。


「あの十王司の横暴息子が、普通科の娘に負けたんだからもっとしょげているかと思ったけど……なんか尊大さは変わらないってか、いつもはもっとひどい?」


「なんだその横暴息子とは」


「あはは、汪麻は勘違いされやすいからね」


 鼻白んだ汪麻に取りなすように弥里が艶やかに笑った。

 しかし神楽は納得いかない様子で唇を突き出す。


「でもこいつ、なんかえらそーじゃん。そりゃ十王司は名家よ。当主の楓華様はこの場の18人でも足元に及ばない理外よ。でもこいつはどう? 大見栄切って普通科に負けたわけじゃん」


「ちょ、ちょっと神楽ちゃん。いくらなんでも言い過ぎだよ……」


 清奈が諫めるように声を上げる。いかんせん、蚊の鳴くような音量で耳をそばだてて聞き取れるかどうかという声だったが。

 一方、言われた方の汪麻はというと、


「この十王司汪麻。負けたことに言い訳はせん」


 と、言いながら何故か胸を張って、神楽をぽかんとさせた。


「俺が負けたのも事実。普通科程度、束になっても負けんと侮ったのも事実。だが……あの普通科、只者ではなかった」


「……同じ十王司家だから?」


「関係ない。そもそも……俺が知らない以上、十文字家の縁者だとは思えん。もちろん、あれほどの才気ある者なら、養子にという親戚が出てもおかしくないが……」


「でも普通科に汪麻が負けたってどういうこと?」


「わからん。俺の人工精霊回路が作動しなかった」


「えぇ……人工精霊回路が作動しなかった? 端末の故障じゃなく?」


「何かの仕掛けがあるのだろうが、俺には看破できなかった」


「……ふぅん」


 汪麻の様子を、腕組みしながら見ていた神楽は何かに納得するように息を吐くと、次の瞬間腕を枕にして椅子に体重を預け、どこか可笑しそうに口の端に笑みを刻んだ。


「なんか兄様たちの話だと、十王司の名を笠に着た性格の悪い奴っていう評判だったけど……なんか思ったより面白そうな奴じゃん。あんた」


「もちろんだとも。この十王司汪麻、姉上には敵わないとしても、また別の形で歴史に名を残す人間だと断言しよう」


「あははは。馬鹿っぽいけど、まあいいわ。嫌な奴から変な奴に格上げして上げる」


「む……。これは恐悦だな」


 汪麻は神楽の言わんとするところをつかめてない風であったが、元々細かく他人からの評判を気にする人間ではなかった。追及もしなければ気にもとめない。

 と、そこへ廊下の方で足音が聞こえた。


「担任の到着だ。新入生ども、席に座れ」


 隼人が声量を絞った声音で叱るように言う。

 汪麻たちはそれぞれの席に散る。

 汪麻が自分の席に腰を下ろすと、横手から声をかけられた。


「よぉ、十王司。二年の藤宮ふじみや克弥かつやだ。よろしくな」


 大柄な体格の男子生徒だ。

 歯を見せて笑った姿はスカっとする男臭い笑顔で、ラグビーや柔道が似合いそうな男だった。

 折しも教師が戸口を開いた瞬間だったため、汪麻は克弥に対して目礼に留める。

 視線を正面の教壇に移動する教師に向ける。

 浅く刈り込んだ髪に白いものが混ざった中年の男性だ。

 すでに老齢に差し掛かっているが、声色は低く落ち着いており、身なりもよく眼差しが鋭い。

 若いころは多くの女性を泣かせていそうな、どこかくすんだ感じが味を出すいぶし銀の男性だった。

 その中年の男性は、一瞥を汪麻に送った後、正面を見据えて声を張った。


「十王司以外にはすでに名乗ったが、改めて。この特S科の担任を務める佐藤さとう慶四郎けいしろうだ。一応この伏間学園の教頭でもある」


(佐藤……。庶家出身か)


 佐藤は陽国でありふれた家名。

 汪麻も全ての華族の姓を把握しているわけではないが、ありふれた姓故に逆説的に華族ではないとわかる。


「この特S科に入ることのできた君たちであれば、すでに高等学校で修める範囲のほとんどを修めていることになる。よって君たちは、自らの専門にあった系統を選択し、それにあった学習を自主的に行うことになる。もちろん、私たち教員にできる範囲のことであれば手伝うが、君たちは教師から教わるという立場から、自ら未開拓の分野を学んでいくという姿勢が重要になる。この学園で学ぶ三年を、どうか有意義なものとして欲しい」


 慶四郎はそのような切り口から話に入って、それから実際の特S科のカリキュラムについて説明しだした。

 概ねを省くと、特S科に必修となる科目はない。各自の生徒が自分の裁量で自学を行う。

 が、生徒たちは学習内容をレポートにまとめて提出することを義務付けられている。

 学園は監督責任としてそれを精査し、サボっていれば注意から追試、最悪進級できなくなるか、特S科から除籍されて特進科や普通科への移籍となる。

 また期末テストの代わりとして、自分の学習内容を、他の特S科の他生徒の前でスピーチする場が設けられている。ライバルとなる他の学友たちの前なので、無様な姿はさらせない。

 ここまで聞いて自学なら魔法科高校に通う必要もないのでは、と思うだろうが、その通り。

 別に魔法科高校をすっ飛ばしてそのまま就職したり、魔法科大学に飛び級する例もある。

 だが華族でも教育方針は様々で、同年代の人間たちと同じ学び舎で学習させたいという意見も根強く、そういう家庭の受け皿として特S科はあるのだった。

 かくいう汪麻はというと、元々自信家であるから、即座に大学課程に進んでゆくゆくは自分の研究室を持ちたい、と野心的に考えていたが、当主であり姉の楓華から待ったがかかり、半ば強制で伏間高校に通うこととなった。

 紫宸殿近衛長官という国の中枢も中枢の仕事、実の姉ながらわからぬところの多い姉である。


(三年、退屈でないといいが)


 そのように、慶四郎の言葉を聞き流している時だった。


「十王司」


「……はい。なんですか」


「早速モメ事を起こしたそうだな。お前にも言い分はあるだろうが、俺たち魔法士は分別をもたねばならん。それが力ある者の責任であり、その責任に背いたものは巡り巡って身を亡ぼす。かつての魔殊人のようにな。この後、少し居残れ。話がある」


「……わかりました」


 汪麻は渋面になり、表情に不機嫌さがありありと浮かんでいたが、口答えすることなくうなずいた。

 と、そこで状況にそぐわぬ伸びやかな声が響いた。

 神楽だ。

 無邪気を装って陽気な声を上げる。


「せんせー。先生は、汪麻君をノした普通科の生徒のこと、知りませんか?」


「ああ、あの女子生徒か。十王司の人間だし、汪麻の方が詳しいんじゃないか」


「汪麻君も知らないそうです」


「そうか? 戸籍上は叔父君の養子ということになっているが」


「……叔父上? 太船たいぜん叔父の?」


「そうだ。聞いていないのか?」


「俺は何も……」


(太船叔父が俺に内緒で? 二心ある方ではないはずだが)


「そうか? まあ特殊な身の上であることは俺も聞いているが……」


「特殊?」


「ああ。話してかまわんだろう」


 慶四郎はどこか思慮した様子で、もったいぶっていった。


「彼女の名前は十王司絶。隔世人かくりよびとだ」

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