4th ep.クライマックス、そしてリスタート ⑤

    ▲▲▲


【学生広場】でのあれこれの翌日。

 登校してすぐに稲本が座る席まで向かった。

「おはよう、稲本。励ましのDMありがとな」

 あのDMは俺に力を与えてくれた。直接お礼を言いたかった。

「…………何の話?」

 しかし、稲本は首を傾げて怪訝けげんな表情を向けてきた。

 あれ、おかしいぞ……。

「『リスタートはできるよ』って送ってくれたろ?」

 リスタートといえば稲本。その二つしか結びつかない。

「……送ってないんだけど」

「――送って、ない……?」

 えっ、じゃあこのDMは一体ナンデスカ??

「いやいや! 『N』ってアカウントから送ってくれたじゃん。夏姫なつきの『N』だろ?」

 稲本に例のDMを見せるも、彼女が作る眉間のしわが深くなるだけだった。

「このメッセージ――『N』……ねぇ、これ」

「なんだよ?」

 渋い顔でこちらを睨む稲本の圧がちょっとだけ怖い。

「――――寧々ちゃんじゃないの?」

「えっ」

 日下の下の名前って確か『寧々ねね』だったな。

「……稲本じゃないなら、そうなるのかな」

「それしかないでしょ」

 俺が気の抜けた返事をするなり、稲本は呆れ顔で溜息を一つ。

「ふんっ、色んな人から想ってもらえるアンタは幸せ者ね」

「……本当、恵まれすぎてるよな」

 稲本の言うとおり、どうしようもない日々を送っていたにも関わらず、見放さずにいてくれる人たちがいる俺は果報者に違いない。


 すぐさま教室から出て日下のクラスまで向かった。

「日下は――いた」

 日下は自席で今日の授業で使うのだろう教科書を整理していたが、

「寒川君……!」

 俺の往訪おうほうに気づくなり、椅子から立ち上がり駆け寄ってきた。

「日下――」

「――色々と、本当にごめんなさいっ!」

 らしくない大きな声を出して深く頭を下げてきた。

 周囲の生徒たちが「何事?」「あの二人、どういう関係?」「痴話喧嘩か?」とひそひそ話しながらこちらに視線を送っている。おい、聞こえてるぞ。

「そんなかしこまらなくていいって」

「で、でも……!」

 顔を上げた日下は涙目で唇を噛んでいた。

「お前は裁きも受けたし反省もしてる。これ以上どうこう言うつもりはないよ」

 他の連中がどう感じてるかは別の話。俺個人からは何もないさ。そもそもが俺の選択のまずさで起こった出来事でもあったしな。

「聞きたいことがあるんだけど」

 ズボンのポケットからスマホを取り出して、DMが表示された画面を日下に見せる。

「このDMさ、日下でしょ?」

 俺の言葉を聞いた日下のくりっとした目が見開かれる。

「……気づいて、くれたんだ」

 最初に気づいたのは別の人物とは言わないでおく。俺にだって最低限のデリカシーくらいある。

「ありがとうな。勇気づけられたよ」

 日下は両手を胸に置いて安堵した表情を浮かべている。

「少しは、寒川君に恩返しできたんだ……」

「んな大袈裟な」

 恩とか深く考えていなかったんだが、日下はゆっくりと首を横に振った。

「そんなことない。私にとってあの日は――人生の転機とも言えた日だったんだよ」

 あの日とは……俺が初めて日下に声をかけた、あの日のこと、だよな……。


    ▲△▲△▲△


「どうして助けてくれたの?」

 私なんかを助けたところでメリットなんてないのに……下心?

 私って暗いし、愛想もないんだけどな……。

 寒川君は私の問いに応える形で、一切の淀みもない笑顔を向けてくれた。

「俺の座右の名は全力全霊。やれることには常に全力であれ! 部活も、苦手な勉強も、そして目の前に困ってる人を見かけた時も、ね」

「…………っ!」

 けがれも陰りもない笑顔が、私の心を打ち抜いた。

「それに」

 キラキラとした瞳で私の顔をじっと見てくる。

 な、なに急に……はっ、恥ずかしいよぉ……!

「さっきも言ったけど、せっかく可愛い笑顔を持ってるんだからもっと笑おうぜ。そしたら今よりもっと毎日が楽しくなるからさ。君の魅力に気づく人も増えていくよ」

「~~~~っ」

 自分の顔が真っ赤に染まっていくのがはっきりと分かるくらいに顔が熱い。

 なんでそんな恥ずかしいことを恥ずかし気なく言えるの~!?

 そんなことを言われたのも、家族以外の前でこんなに笑顔になったのもはじめて。さっきみたいに助けてもらったのもはじめて。

 全部が、たまらなく嬉しい。

 この人はどこまでも――初対面の私にたくさんのはじめてをくれる。

 私の恋心に満開の花が咲いた瞬間だった。

 そう。

 これは、私にとってかけがえのない、大切な大切な思い出。

 この日に刻まれた気持ちは一日たりとも色あせたことなどない。

 今の私を形作ってくれているのは、この日の出来事なのだから……。


    ▲▲▲


「寒川君のおかげで、私も笑って、最期の時も『楽しい人生だったよ』って笑って迎えられる人生にしたいと願えるようになった」

「素晴らしい心がけだな」

 前向きな考えは大変素晴らしいの一言に尽きる。

「私を変えたのは、寒川君だよ」

「んな殊勝しゅしょうな真似した覚えはない」

 感じたまま動いてきただけなんだから。

 でもまぁ、日下と接していて俺も楽しい。勉強も教えてくれるしな。

「日下」

「うん?」

 同じ学校の同士、かつ、過ちを犯してしまった同志。

「これからも、よろしくな」

「……こちらこそ」

 言葉でははにかみながらも、彼女の表情は満面の笑みで彩られていた。


    ▲▲▲


「俺さ、テニス再開することにしたよ」

 その日の夕食で、俺は何の前触れもなく宣言した。

 当然、両親は困惑した表情でお互いに顔を見合わせる。

「でも俊哉、あなた肘が痛くてラリーができないって……」

「左腕でもう一度、一からやり直す」

「「「………………」」」

 龍介はしばし感情の読めない顔を向けていたが、やがて口を開いた。

「…………いいんじゃない?」

「……龍介」

「でっかい壁の兄ちゃんがいなくなって安心してた。けど最近気づいたんだ。物足りない。物足りなさを感じていたんだ。兄貴ってでっかい目標がなくなったことの喪失感に、ようやく気持ちと感覚が追いついたんだ」

 それは、今まで語られることがなかった龍介の偽らざる本音。

「兄ちゃんが決意したならさ。応援するよ」

 両親を見やってから俺にも視線を向ける龍介。弟からの援護射撃は心強い。

「二人にも、再チャレンジを認めてほしいんだ」

 両親に向き直り、改めての頼み事。

「何を言っても言い訳にしか聞こえないだろうけど、テニスが嫌で辞めたいと思ったことは一度もなかったんだ。本当に右肘が思うように動かなくなって、痛みで機能しなくて――もう、諦めるしかないって思ってたんだよ」

 できない状態にさえなっていなければ、今でも続けられていた。自信を持ってそう言える。

 だからこそ、自分の矛盾に気がついた。

 今は、まだ「できない状態」ではないじゃないか。左で再挑戦することはできる。

 気づくのが遅すぎた分、遅れを取り戻すべくがむしゃらに心身をいじめ抜かなければならない。

 当然、故障しないように調整は必要になるが――

 やらないと――やりきらないと。

「……私たちも、俊哉のことちゃんと理解しようとしていなくてごめんなさい」

「お前も色々悩んでいたのにな。味方になってやれずにすまなかったな」

 二人は座ったまま頭を下げてきた。

「もう一度、やり直してみせるから。俺のテニスを応援してくれたことを失敗だった、後悔したと思わせないように再挑戦するから、見ててくれ」

 ならばこっちも誠意を持って対応しなければならない。それが今まで両親の期待を裏切り続けてふてくされていた俺がすべき使命なのだから。

「私たちこそ、もう一度本気で応援させてちょうだい」

「今更こんなことを伝える資格がないのは重々承知しているが……やり直すと決めたからには一から徹底的にやるんだぞ」

 両親の言葉を受け、俺は何度も頷いた。

 この日、本当の意味での家族団欒だんらんが戻ってきた夕飯の食卓であった。


「――兄ちゃん」

 夕飯を済ませて二階への階段を登り終えた直後、背後から龍介が声をかけてきた。

「僕さ、兄ちゃんのことが疎ましかった」

「唐突な兄貴嫌い暴露かよ」

 せっかく一家の絆的なやつが戻ったと思ったのに、こりゃ家庭崩壊待ったなしだわ。

「なんかキラキラしてて、テニスのホープって祭り上げられてさ。鼻についてた。いくら頑張ってもどんどん突き放されてくし、雲の上の存在に思えた」

「そりゃどーもすんませんね……」

 出る杭は打たれる的なアレね。腑に落ちないけど仕方ないね。

「――でも、兄ちゃんだって人間なんだよね」

「むしろ今まで人外だと思われてたのか?」

 それはたいそう心外なんですけど。

「かつての兄ちゃんも疎ましかったけど、くすぶってた兄ちゃんはもっと嫌いだった」

「嫌い嫌いのオンパレードかよ。俺どんだけ嫌われてるんだよ」

 お互い笑い合う。龍介が本気で俺を嫌っているわけじゃないのは分かる。

「楽しみにしてるんだ。兄ちゃんがどこまで、いつ俺に追いついてくるか」

 俺のツッコミを無視して笑う龍介。

「そして――考えたくはないけれど、追い抜いていくのか」

 龍介の笑顔に苦味が混ざり、俺から視線を逸らす。

「そう簡単に追い抜かれたりはしないけどね」

「当たり前だろうに」

 龍介の才能も努力も一番近くで見て理解しているからこそ、こいつの実力まで辿り着くには相当な時間、苦労が必要になると覚悟している。

「やってやるさ。お前を目標に、お前と、いただきの舞台で勝負できるところまでのし上がってやるよ」

 昔は俺が追いかけられる側だったが、今は龍介の背中を追いかける立場になった。お前の背中を捕まえられるように、やるべきこと、やれることをやるのみだ。

「うん、ちょっとだけ期待して待ってるよ」

 ちょっとだけかよ。ったく、可愛げのない弟だな。

 と心中でぼやきつつも、俺も、龍介も。

 お互いの顔には笑みが浮かんでいた。


    ▲▲▲


 意識がはっきりとしない世界。

 意識だけじゃない、視界すらも曖昧で形として成立していない謎の空間。

 ここは、夢の中なのか――?


『よう、俊哉』


 ――――

 頭の中に直接響いてくる謎の声。姿形はどこにもない。

「『リバー』、か」

 だが直感で分かった。これは『リバー』の声なのだと。


 リバー :『おいっす~』


 ちょっとおちゃらけた喋り方。やんちゃなイメージが色濃い。

 更に、


 COLD:『最後の挨拶に来たよ』


「『COLD』」

 今度は丁寧な印象を受ける声が脳に話しかけてきた。


 COLD:『これからの人生で迷った時は思い出してほしい。悪の道に

      堕ちてしまう前に、「COLD」ってヤツの存在を。そいつは俊哉が

      なりたいと願っている人格。でもね。俊哉の中には最初からこの人格は

      宿っているんだ』


『COLD』――俺のメインアカウントとして世話になったな。平常時はこのアカウントで色んなユーザーと交友を深めてきた。

 ごく普通のユーザー。リアルでもこんな俺でありたかった。だからこそ生み出した幻影。


 リバー :『それでも、どうしても潰れそうな時、嫌な目から耐えられそうに

      ない時は、かつての「リバー」みたく、相手をボコボコにしてやれば

      いいさ。もちろん、想像の世界での話な』


『リバー』――裏アカとして暗躍させてもらったな。思えば、俺の素の闇の部分を曝け出せたのはこのアカウントだったからこそだ。

 当然いいことではない。規約違反であるし、悪さも散々してきた。償いの意味も込めて、これからは真っ当に生きないと。


 COLD:『これからは真っ当に毎日を駆け抜けていかないとね。――今日まで

      色々あったけれど、なんだかんだで楽しかった』


「こっちこそ、お前たちとともにいられて楽しかったぜ。ありがとう」


 リバー :『俺が言えた話じゃないけれど、これからはもう一度真面目に学校生活

      を送れよ。褒められないこともたくさんしてきたけど、悪くない時間

      だったぜ。――じゃあな』


「――あぁ。あばよ……!」


 今のは別れの挨拶じゃない。

 俺たちは、三人で一人の人間だから。

 二人とも俺とは別の人格だと思い込んできたけれど、みんな俺そのものだったんだ。

 分離させていた俺が持つ別の部分が再び一つに戻るだけのこと。

 だから、お別れではない。

 人格を使い分けることはなくなるけれど、これからも『COLD』と『リバー』の心は俺の中に宿り続けてゆくのだ。


 おぼろげな意識がだんだんと覚醒していくのを感じる。


 ……………………。

 ………………。

 …………。


    ▲▲▲


「夢、か……」

 気がつけばレースカーテンの向こうから光が差し込んでいた。

 奴らとの最後の会話ははっきりと覚えている。

「ありがとな……『COLD』、『リバー』。お前たちのおかげで前を向き直ることができたよ」

 最後に三人で話せて本当に良かった。

 いくらSNSという空間に入り浸っても、それすらも俺の人生ではリアルの世界だったんだ。

 これからはSNSの繋がりが絶たれようとも、リアルで繋がりを保ち続けていけるから。

 けれどもSNSを否定するつもりは毛頭ない。SNSを心の拠り所とする人々もいる。かつての俺のように。

 使い方さえ誤らなければ人生に彩を与えるツールともなる。


 よし。

 目が覚めたことだし、ダラダラ過ごすわけにはいかないぞ。


「――さ、頑張るぞ」


 俺から「頑張る」って言葉が再び出てくる日が来ようとは。

 これも、たくさんの人たちのおかげだ。

 まずは苦手な朝と戦って勝ってやるさ。

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