3rd ep.ターニングポイント ⑤

    ▲▲▲


 一旦話を切った稲本は注文したホットラテを一口飲んだ。

「私は右腕を壊してテニスプレーヤーとして一度死んだわ」

「え――――」

 稲本が右腕を――初耳だぞ。

 そういえば、この前稲本の練習風景を見た岳志が「左腕から放たれるサーブとスマッシュは強烈」とか言ってたっけ。見間違えじゃなかったんだな。

 俺たちがいた中学はマンモス校で生徒数が多く、稲本と同じクラスになったことがなかった。

 更に中学時代の俺はとにかくテニステニスの毎日で、女子テニス部の動向まで追いかけてなかった。言い訳になるけど、稲本の右肩のことは寝耳に水だった。


    ▲△▲△▲△


 私は俊哉に誘われたテニスが楽しくて続けてたわ。最初は下手でなかなか上達しなかったけれど、努力が実を結んだって実感できたら楽しくて仕方なくて、それだけを糧にずっと続けてきた。

 その矢先――中学二年生の冬に強いスマッシュを打った際に右肩に激痛が走って病院に行ったわ。

「これは――肩の骨と筋肉を同時にやってしまっているね」

 そこで医師から告げられたのは非情な現実だった。

「安静にしていれば数週間で日常生活が送れる程度には回復するだろう。だけど、今後スポーツでは絶対に右肩を酷使しちゃだめだよ。後遺症が残ってしまうからね」

「そう、ですか……」

「無念だとは思うけど仕方がないんだ。まぁ体育の授業程度の運動なら大丈夫だと思うよ」

 仕方がない、かぁ……。

 私のテニス人生にあっさり幕を下ろされた瞬間だった。

 せっかくここまで頑張ってきたのに、終わりは一瞬なのね。

 ――でもここで、俊哉からもらった言葉がよみがえってきたの。


『やる気さえ失わなきゃ何度だって再起――立ち上がれるし、やり直せるんだ! 足掻くことに意味がある! 意味がない努力は存在しないさ!』


 どうして数年も前の言葉が脳裏によみがえってきたのかしら。

 ――いや。この言葉で私はどれほど救われたことか。

 気づいたら男子テニスコートまで来て俊哉のプレーを見ていた。ただがむしゃらにボールに食らいつく姿。ボールを獲物のように狙い、追い続けるギラついた瞳。泥臭くカッコつかないけれど、私にテニスを諦めさせなくするには充分だった。

 俊哉の言葉がなかったら、私はとうにテニスを諦めていた。

 そうよ。俊哉があれだけ頑張っているのだから。

 今回だってこのまま黙って自分だけ諦められますかってんだ。

「右肩が故障しても、まだ左肩があるんだから……!」

 私のテニス人生はまだ終わっちゃいない。左でリスタートしてやるんだ!


    ▲▲▲


「そうして今に至るわ」

「……左腕プレーヤーとして再起できたのか」

 俺が知りもしなかったところで稲本は戦い、復活してたんだ。

 かつての俺の言葉をり所にして、信じ続けて……。

 相当血のにじむ努力をしてきたに違いない。

 稲本……お前は本当に大した奴だよ。俺なんかよりもよっぽど素晴らしい逸材だ。

 それを知らずに俺はあの時稲本に対して再起を図ろうとすることに意味はない、無駄だと吐き捨ててしまった。

 それどころか、かつて稲本にクサいこと言った当の本人がいともあっさり諦めてりゃ世話ないわな……。

「悪かった。かつてお前を励ますために再起について弁を垂れた張本人が否定しちまってたんだな」

 俺が謝ると、稲本は目を細めて苦笑した。

「アンタからアレを聞いた時はすごく胸が痛んだわ」

「涙が溢れてしまうほどにな」

「だから泣いてないっつってんでしょ!?」

 そこは本当素直じゃないな。頑固な奴だよ。泣くことの何がいけないってんだ。

「使う肩を変えて、やり直すどころか進歩し続ける稲本はマジですげぇや」

 肘がおかしくなった時の俺には到底考え至らなかった選択だわ。

 稲本は諦めなかったばかりか、中高で全国大会寸前まで勝ち進む実績を叩き出した。再起どころじゃない。進化を続けている。

 なのに俺ときたら……。

「何を言ってるのよ。全部アンタのおかげよ」

「俺の……」

「アンタがあの時私を暑苦しく励ましてくれなかったら、今頃私はテニスやってなかったわ」

「暑苦しくは余計じゃね?」

 そうか。

 あの時の俺の言葉は俺自身が信条にできていなかったけど、稲本が頑張れる活力にはなれてたんだ。稲本の心に響いていたんだ。

 稲本は自身の右肩を撫でる。

「アンタは宮下君を攻撃してようやく事の重大さが分かったようだし、実際に宮下君を傷つけたわ。けどね」

 優しい微笑みを作って続ける。

「宮下君はアンタに感謝してるって言ってたわ」

「岳志が俺に?」

 日々くっちゃべってるだけで感謝されるようなことをした覚えはないぞ。

「自分は部活ができなくなったのに、いつも僕の部活の話を聞いてくれたり、励ましてくれたりしてとっても救われてるんだって」

 そういや俺の方から岳志に何度も陸上の調子を聞いてるな。

「アンタの経緯があるから宮下君も自分から部活の話はしなかったのに、アンタの方から振ってくれる。それは俊哉が良い奴だからだって」

「岳志……」

 岳志には羨ましい気持ちもあったけど、今思えば応援したい想いもあったんだ。俺の分まで頑張ってほしい。悔いなく燃え尽きてほしい。何の障害も受けずに。

「さすが友達ね。彼はアンタの良い部分も悪い部分も知ってるのよ」

 稲本に言われるまで全く思いもしなかった。

「今回の件でアンタは多方面に迷惑はかけたけど、これまでアンタに救われた人だっていることも分かってほしいのよ。宮下君も、事情は分からないけどきっと寧々ちゃんも」

 稲本はそこまで話すと俺の目を見る。

「……そして、私もね」

 彼女は自身の胸に手を当てて目を伏せた。

「そ、そうか。稲本が俺に救われたのか。いつも口うるさく怒られてただけだから、これっぽっちも気づかなかったよ」

 俺が視線を逸らして乾いた笑みを浮かべると、ビクッと反応した稲本がじっと見つめてきた。

「――私が腐れ縁の幼馴染で口うるさいクラス委員というだけで、俊哉にあれこれ言ってきたと思ってるの……?」

 稲本の瞳は潤んでいる。潤んでいるが、この前泣いた時とは毛色がまるで違う。

 彼女らしくない、しおらしい反応。

 な、なんだよ。調子狂うじゃねーか……。

「私にとって俊哉はその――特別なの」

「特、別……?」

 特別というワードにドキッとしてしまう。

「私の人生に多大な影響を与えてくれた男の子が俊哉なのよ。だからずっと特別。これからもずっとずっと……特別よ」

 頬を染めて小声ながらに「特別」を強調してくる。

 おいおい、こんなのまるで――

「ア、アンタは寧々ちゃんとも親密みたいだけど、私の方がアンタのこと理解してあげてるってこと、肝にめいじておいてよね! 何年来の付き合いだと思ってるのよっ!」

 告白みたいじゃないか――と思った瞬間、稲本はなぜか日下を引き合いに出して俺の顔にビシッと指を差してきた。

「どっちも違う人間でそれぞれ違う良い部分があるだろ」

「けど、私は寧々ちゃんに負けたくないの!」

 稲本はそこまでまくしたてたところで正気に戻ったのか、顔を真っ赤にして咳払いした。

「と、とにかく。アンタに再起を図る気があるなら、今後どうするか考えることね。【学生広場】も、高校生活もね」

 稲本は俺のために色々と考えてくれていたんだな……。単なるお人よしのお節介委員長キャラじゃなかった。

 岳志も稲本も日下も園田さんも――ここまで思ってくれる人たちがいるんだ。俺だって黙って何も動かないわけにはいかない。

「あぁ。俺なりの答えを見つけ出してみせる」

「ま、期待しないで待っとくわ」

 俺の回答を聞いた稲本は満足げに頷いた。

「――それはそれとして、SNS規約を守らない人間には制裁を加えないといけないわね……!」

「ん? なんて言った?」

「なんでもないわ」

 小声で独り言を言ってた気がするが、はぐらかされてしまった。

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