3rd ep.ターニングポイント ③

 今日も吐く息がはっきり白く見えるくらいに冷え込んでいる。

 図らずもズボンのポケットに手を突っ込んで猫背になってしまう。

「げ……」

 さっさと学校に着いてしまおうと早歩きで向かっていると、前方によく見たシルエットの人物を発見してしまった。

 まさに今最も会うのが気まずい岳志だった。

 彼は非常にゆったりとした足取りで歩いているので、俺の歩行速度ではすぐに追いついてしまう。

 岳志に合わせると遅すぎて我慢できない。とはいえ気づかないフリして追い抜くのも感じ悪いよな。

 どうする!? マジどうする!?

「や、やぁ岳志、おーっす」

 結局、普通に話しかけることにした。

「……俊哉か。おはよう」

 岳志は困惑した表情を向けてきた。

「今日は朝練ないのか」

「陸上部は放課後練習がない日の翌日の朝練も休みなんだよ」

「そういやそうだったな」

 金曜日の放課後の練習が休みの場合は、土日祝を除いた次の日の朝練も休みになるということだ。

 表面上はいつもどおりのありふれた会話。

 けど、お互いに相手への接し方に対して慎重になっている。

 重い雰囲気だからこそ、むしろ言いやすいか。岳志に言いたいことが。

「――岳志。本当に悪かった。自分が上手く行ってないからって、八つ当たりなんかして」

 金曜日に続いて頭を下げた。

「……いや、こちらこそごめんよ。俊哉にはあんな出来事があったのに……」

 あんな出来事というのはテニス部を辞めた話のことだ。

「だとしても、やっていいことの境界を越えちまった」

 俺が岳志にしたことはれっきとした誹謗ひぼう中傷で、イジメで、リンチだ。

「顔を上げてよ、俊哉」

 言われたとおりに顔を上げると、岳志は穏やかな微笑をたたえていた。

「三連休で色々考えたんだ。俊哉の苦悩も知らずにのうのうと部活をやれている自分が、自分への誹謗ひぼう中傷を生み出したのかもってね」

「それは俺が気を遣わせすぎちまったからで……!」

「じゃあ、お互い様でどっちも悪い」

 岳志は笑って俺の胸に拳を軽くぶつけてきた。

「怒って、ないのか?」

「怒るというか悲しくはなったけど、仕方がなかったことなんだよ。色んな因果が重なって起きた不慮の事故だった。やらかした俊哉のことはバカだと思ってるけど」

「YES、俺はバカです」

 俺はこの上なくバカだ。反論の余地など全くない。

 そこまで話すと、岳志は一呼吸入れて真剣な面持ちになった。

「それでも僕は、そんなバカな俊哉を友達だと思ってるから」

「岳志……っ!」

 菩薩ぼさつはここにいたか。岳志が本当に俺を友達だと思ってくれてるか疑心暗鬼に陥っていた自分の顔面をぶん殴ってやりたい。

「それにしても今回の件――」

 岳志は表情を歪めて口に手を当てた。

「事の発端は、僕が【学生広場】を紹介したから……」

「それは違う! 【学生広場】は俺を救ってくれた!」

【学生広場】に救われた部分だってある。あれを知らなかったら、他に趣味もない俺はしかばねのような生活を送っていたことだろう。

「それならよかった」

「あぁ、感謝してる」

 俺の返答を聞いた岳志は安堵あんどの表情を浮かべた。

「これからは『リバー』でのログインを徐々に減らしてフェードアウトする。とはいえ【学生広場】での居場所は失いたくないから『COLD』では続けていきたいと考えてる。でも、もし岳志がその気なら――」

「そんな気は更々ないから安心してよ」

 そんな気というのは、俺が二重でアカウントを持ってる件だ。

 園田さんや金子もそうだったけど、みんな普通に黙っててくれてるんだな。感謝しかない。

 あ、でも一人見逃してくれなさそうな頭の固い奴がいたな……あっちも近々話をつけないとな。

「ただ、俊哉が他の人からチクられたりハメられたりしても一切助けないからね」

 岳志は自身の首に両手を回してけらけらと笑った。

 当然だ。己の愚行ぐこうがきっかけで起きた出来事に対して誰かに泣きつくような真似は許されない。特に俺が直接危害を加えた岳志相手ならなおのこと。

「僕は草葉の陰からひっそりと俊哉のSNS生活を応援してるよ」

「死んだみたいな言い方やめろ」

 まるで俺が殺したみたいじゃないか。勝手に人生引退しないでくれよ。

「もちろん、チャットとかのやりとりはこれまでどおりしよう」

「おう、ありがとな」

 と、ここで岳志は顎に手を当てて考える仕草を作った。

「そういえば『タク』は『リバー』の正体が分かったと言ってたよね」

「あぁ、『リバー』宛てに直接DMが来たよ」

「そうだったんだ。『タク』すごいな……」

 岳志が感心している『タク』だが、恐らく岳志は正体を知らない。園田さんは俺の件を当面黙っててくれると言ってたし、俺の方もむやみに『タク』の正体を明かす必要もなかろう。

 亀裂が入り、壊れかけた友情を修復できた俺たちは揃って学校へと向かった。


    ▲▲▲


 放課後。

 俺は日下と二人、図書室にいる。

 文芸部は休みとのことで、日下が勉強を教えてくれることになったのだ。

「あっ、そこで使う公式が違う」

「おっと、マジか――うーん、何の公式を使えば解けるんだ……?」

 首を傾げてうなると日下が数学の教科書をめくって指を差す。

「これはね、このページの公式を使うと解けるよー」

「な、なるほど」

 さすがはアドバンスコースの才女だ。瞬時にどの公式を当てはめて問題を解くか判断している。

 それはいいんだけど、隣り合わせで座ってるので距離が近い。時々肩と肩が触れ合って……これ以上考えるのはよそう。

「おいおい、眺めるなら俺の顔なんかじゃなくてノートにしてくれよ」

「えー。別にいいじゃん、減るもんじゃないし」

 なぜか日下は度々俺の顔を凝視してくる。人間観察か?

「俺の神経がすり減るんだが……」

「寒川君……」

 日下は神妙な面持ちでノートと俺を交互に見てから俺の名を呼んだ。

「お、おう」

 なんだ? 何か言いたいことでもあるのか? 日下からただならぬ雰囲気を感じるんだが――

「そこ、計算間違えてるよー」

「おおっ!? しまった!」

 ケアレスミスを指摘されただけだった。

 テスト本番じゃなくてよかったわ。こんなしょっぱいミスで減点とかマジ勘弁。

 落ち着いて計算をして、っと――

「日下は俺の幼馴染女と違って優しく教えてくれるからいいな」

「幼馴染の女の子……?」

 日下は幼馴染の部分に反応した。

「そ。俺と同じクラスの稲本夏姫って女なんだけど」

「ふ、ふーん……稲本さんとは仲はいいの?」

 うーん、日下が妙にそわそわしてるような?

「悪くはないけど、いつも口喧嘩ばっかだよ。几帳面なクラス委員で口うるさいったらないよ。委員長キャラ色が強いよ」

「そっか……」

 日下は小さな声でつぶやいた。

 結局、今日は稲本と口を利かなかった。

 俺が岳志と喋っててもアイツはこちらに絡みに来なかったし、俺も話すタイミングを伺ってたんだが、稲本はずっと友達と一緒にいたのでアクションを起こせなかった。

(アイツもちょくちょくこっちを見てた気はするんだけどなぁ)

 これもしかしなくても自意識過剰ってやつ? 岳志に言ったら鼻で笑われる事案?

「ねぇ、寒川君」

「おう」

「最近何かあった?」

 日下は大きな瞳で俺の目を見つめてきた。

「な、なんだ急に」

「なんか疲れた顔してる」

 澄んだ瞳を凝視できず、つい視線を逸らした。

「……なんでもないよ」

 さて、問題の続きに取りかかろうか。

「――私じゃ、そんなに頼りない?」

「え?」

 日下は俺が動かしたシャーペンを握って動作を阻んできた。

「言わなかった? 私は寒川君の力になりたいの。私じゃ何もできないかもしれないけれど、話を聞くくらいはできるよ。それで寒川君の心が少しでもすーっとするなら本望だよ」

「日下……」

 そう言ってもらえると、しらばっくれて黙っているのも気が引ける。

 それに日下なら信頼できる。

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