1st ep.それは、まるでコインの表裏のように ①

「ふぁ~あ。ねみー」

 普段の俺はしがない関東かんとう中央ちゅうおう高校こうこうの一年生だ。そこに表も裏もない。

 関東中央高校はスポーツに力を入れている私立高校で、特にテニス部とバドミントン部、陸上部の強豪校だ。

 コースは特別進学コース(通称アドバンス)と総合進学コース(通称スタンダード)がある。俺は後者だ。

 冬季休暇が終わった翌々日、一月十日。

 こんなクッソ寒い中通勤通学とか苦行だわ。早く春になれ。

「今日も学校だりーなー」

「――朝から寝ぼけたこと言ってんじゃないわよ」

 あくびを連発しながら通学路を歩いていると、凛とした声が聴覚を刺激してきた。

 声の方向に視線を送ると、同じ高校のブレザーとスカートを身にまとった女子生徒がいつの間にやら俺の隣を歩いていた。

「おはよ、俊哉」

「いやいや、朝だからこそ寝ぼけてるんじゃん」

「俊哉は朝の挨拶すらできないの?」

「っはぁ~っすー」

「相変わらず態度が悪いわね……」

 女子生徒は苦虫を噛み潰したような顔で睨んできた。

 こいつは稲本夏姫いなもとなつき。家が近所で幼馴染の腐れ縁。同じクラスのクラス委員でもある。

 このように口うるさくて辛抱ならんのだけど、まさか高校まで同じになるとは。いやはや、いつになったらこいつのお小言から解放されるのやら。

 ふわりとしたミディアムの髪が肩ではねている。レイヤーミディという髪型だそうだ。

 目は綺麗な楕円だえんを描いており、鼻口は小さく形がよく、人形みたいだ。

 身長体型は普通だけど、バストはやや大きいように思える。

 と、俺から見てもルックスは可愛いんだが、なぜか男がいた話は聞かない。俺のようなボンクラに構ってないで、もっと高スペックの男とつるんだ方が楽しいだろうに。

 そうだよ。情熱を失った俺なんかよりも、青春に打ち込む輝かしい男といた方が――

「――ちょっと止まって」

「なんだよ?」

 稲本は俺のモノローグをぶった切って、

「ネクタイが緩んでる上に曲がってる。シャキッとしなさい」

 伸びをして、ネクタイを整えてくれた。

 顔が近く、その気になればいとも簡単に綺麗な肌に触れられる距離。

「……サンキュ」

「家を出る前にちゃんと確認しなさいよ」

 俺は小言をのたまう幼馴染に視線だけ向けると、

「――あっ」

 稲本の前髪に手を伸ばして人差し指と親指でほこりを掴んだ。

「ゴミ、ついてたぞ」

「あ、ありがと……」

 掴んだほこりを見せてやると、稲本は顔を赤らめて俺から目を逸らした。

「家を出る前にちゃんと確認しとけよ」

「確認したっつーの! アンタと一緒にしないで! 外でついたのよっ!」

 一瞬だけ微妙な雰囲気になったものの、すぐさまいつもの俺たちに戻った。

 二人並んで学校へと歩く。

「ねぇ」

 しばらく無言で歩いていたが、稲本が沈黙を破ってきた。

「そろそろ、またはじめないの? その、部活動とかさ……」

 稲本は毛先をくるくるといじりながら問いかけてきた。

 強気な彼女らしくない、遠慮がちな口調。

「何度言われてもやるつもりはない。それに、今からはじめたって一年近くの空白はダメージでかいだろ」

 この話題も何回目だろうな。稲本は諦めが悪いのか、何度も何度も蒸し返してくる。俺はそれを何度も何度も突っぱねている。平行線だ。

「それはそうだけど、埋められないわけじゃないじゃない」

「埋めるだけじゃダメだ。埋めて、更に他の部員より上を行けないと挑戦する意味がない」

 未経験が高校二年直前から易々やすやすとはじめられるほど運動部は甘くないし、文化部だってコミュニティが出来上がってるところに、急にボンクラに来られても戸惑うばかりだろう。

「……そう」

 積み重ねてきたモノが一瞬にして音を立てて崩れるのはもうごめんなんだよ。

 稲本は俺の回答に納得はしていないようだが、それ以上の追求はしてこなかった。

「お前こそ最近どうなんだ?」

 稲本は硬式テニス部に所属している。小学校の頃から続けており、一年生の中での有望株だ。

「私は順調よ」

「そうか」

「今度、試合観に来てよ」

「予定が空いてたらな」

「いっつも暇なくせに」

 憎まれ口を叩き合う。稲本とは仲が悪いわけではない。これが俺たちなりのコミュニケーションだ。

 なんやかんやと雑談を交えながら、二人並んで学校へと向かっていった。


    ▲▲▲


「おはよう、俊哉」

「うーっす、岳志」

 教室に入って自席に着くと、俺の席までやってきたクラスメイトで友人の宮下岳志みやしたたけしと挨拶を交わす。

 ちなみに岳志は【学生広場】のユーザー『宮下』だ。名字そのままをユーザー名にしている。俺の表アカウント『COLD』のフレンドの一人だ。

 痩せ型で眼鏡が似合う知的なイメージが強い。性格も穏やかで地味だけど優しいイイ奴だ。

 高校入学と同時に仲良くなって、【学生広場】の存在を教えてもらってそこから俺のSNS生活がはじまった。いわば『COLD』誕生のきっかけをくれた人物だ。

「今日から授業だね」

「ったく、なんで始業二日目から勉学に励まにゃならんのか」

 この学校に入学した経緯もあって、俺は元々勉強が得意ではない。その代わり勉強ができなくても許される免罪符があったんだが――入学後すぐさま消えてなくなった。

 なので本来であれば勉強を頑張るべきなんだけど、頑張ろうって気にはならない。

「今日明日は午前中で帰れるからまだいいじゃん」

「そうなんだけどさ……」

「なになに、何の話?」

 と、そこに招かれざる客の稲本が混じってきた。

「チッ、呼んでねーだろ……」

 通学中に散々絡んだのにまだお前と喋らないといけないのかよ。

「なにその態度? 感じ悪いわね」

「男同士の会話に出しゃばってくるのが悪い」

「まぁまぁ、せっかくだから三人で話そうよ」

 応戦し合う俺たちを岳志がなだめた。

「宮下君は優しいねー。俊哉も見習いなさい」

「俺と岳志は違う人間であって、それぞれみんないいんだよ」

「宮下君が言うならともかく、アンタが言うなっつーの」

 俺と稲本の小競り合いを苦笑して聞いていた岳志だったが、会話に一区切りついたタイミングで、

「最近【学生広場】で荒らしが増えてる気がしてるんだよね」

 首筋を掻いてしかめっ面を作ると、稲本も頷いた。

「そうよねー。SNS人口が爆発的に増えて、それに比例しておかしな奴も増えたわね」

「お前もSNSで自治活動してないだろうな? 火に油だぞ」

 口うるさいのはリアルだけにしといてくれよ。

「失礼ね。SNS自体やってないわよ」

「さすがスポーツ少女」

「なに、嫌味?」

「別に」

 俺たちのやりとりに「ははは……」と笑った岳志が話を続ける。

「昨日俊哉たちとチャットした後、知らないユーザーからDMが来てさ」

 DM。ダイレクトメッセージ。個人対個人の直でのやりとりのことだ。

「『お前あんまり調子に乗るなよ。充実した生活は長くは続かないぞ』ってメッセージが来てさ」

 面識のない輩からそんなメッセージが来たらいい気はしないよな。

「無視したんだけど薄気味悪くてさぁ」

「追撃が来なければいいわね……」

「しつこかったら俺に言ってくれ。レスバでなんとかしてみせる」

「サンキュ、俊哉」

「アンタはそんなところで正義感出してないで他にもっと力を注ぐべきものがあるでしょ」

「そんなものはない」

 稲本はマジで何を言ってるんだ。

「DMもそうだけど、掲示板でもやたらと噛みついてくる連中がいて治安悪くなったなぁって思うよ」

「ユーザー名こそあれど、所詮は匿名だからな」

 匿名性を得て、よほどのやらかしがない限り自身の個人情報が特定されにくい状況では人々は攻撃的になりやすい。日本人の国民性か生物の本能なのか分からんが。

 相手の顔が見えないから表情が分からないって側面もあるのだろう。

 もっとも、俺も裏アカでは度々掲示板を荒らしたり、クソユーザーとレスバトルを繰り広げたりしている輩なんだが……。

【学生広場】の治安と民度について雑談に花を咲かせていると、

 キーンコーンカーンコーン。

 叩きつけるような高い音が鳴り響いた。チャイムだ。

「おい、なんでチャイムが鳴るんだよ」

「時間だからに決まってるでしょ」

「クソッ、授業を受けるくらいなら稲本と話してた方がマシだ……」

「私との会話は譲歩に譲歩を重ねてはじめて受け入れられるっての!? ホント、失礼しちゃうわ」

 ぷんすかと怒る稲本と彼女をなだめる岳志は自席へと戻っていった。

 ほどなくして担任が教室に入ってきて朝のHRホームルームを済ませた後、授業がはじまった。

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