1st ep.それは、まるでコインの表裏のように ②

    ▲▲▲


 放課後。

 明日までは午前授業で終わるので昼には開放されるのが唯一の救いだ。

 学食はいつも大盛況で大変混雑している。

「今日は何食べよっかな~」

 今日は一人なので適当にカウンターで済むからまだいい。学食は誰かと一緒に来る生徒が多いのでカウンター席よりもテーブル席の方が確保に苦労する。さながら椅子取りゲームだ。

 岳志は今日弁当とのことで、稲本はいつも女子の友達といるので一緒に食べることはない。

 食券機で日替わりA定食の食券を購入した。四百円也。

 今日のA定食はトンカツ、ご飯、味噌汁とサラダだ。

 私立高校だけど学食のレベルは普通の公立高校と同じくらいだ。日替わり定食、カレーライス、麺類、ヘルシーメニューなどなど。値段もお高くつかないのが助かる。

 この学校の学食の一番嬉しい点は、今日みたいな午前中で授業が終わる日でも開いているところだ。学食でお腹を満たして帰宅できる。中には外で食べる人もいるけど、俺はいつもお手軽な学食で済ませている。

「はいよ、A定食」

「あざーす」

 定食を受け取り、空いてるカウンター席に座る。

 箸を取ってサラダに手をつけようとしたところで、

「――隣、いいですか」

 低めのクールな女性の声が遮った。

「はい――って、日下か」

 横を向くと、同じ一年生だけど他クラスの日下寧々くさかねねが立っていた。

「はい、日下ですよー。失礼しまーす」

 日下はB定食が乗ったお盆をカウンターに置いて俺の隣の席に座った。

 声の抑揚よくようがない上に顔の表情もあまり変わらないので感情が読めないが、口調は穏やかなので怖い印象はない。

 さらさらしてそうなナチュラルボブの髪。宝石のように綺麗な瞳。白い肌は芸術作品のように美しくはかなげだ。身長は低めで、縦に平坦な体型だ。

「……今、失礼なこと考えてなかったかな?」

「いいえ滅相もない」


 食事のかたわらで【学生広場】にログインするつもりだったが、スマホをポケットにしまった。

 日下とはちょっとした出来事で顔見知りになったので、会った時はそれなりに会話もする。

 あれからもう二年近く経つのか……。

 そう、あれは一昨年の春先でのことだった――――


    ▲△▲△▲△


「疲れたなー。早く帰ってシャワー浴びたい」

 中学校から家までの道を歩く。

 春先なのに運動を頑張り過ぎた結果、汗をかきまくってしまった。ここまで汗をかくとは思ってもみなかったので替えのシャツも用意していない。シャツやズボンがびっちゃびちゃで気持ちが悪い。

 歩くスピードを速めて自宅へと向かっていると、


「オイオイ姉ちゃん、痛ぇじゃねぇか。どうしてくれんだ?」

「ご、ごめんなさい」


 王道的なやりとりが聞こえてきたので振り返ると、三十代半ばくらいのいかつい男が制服を着た女の子の腕を掴んでいた。

 って、俺と同じ中学の制服じゃん。

「本当にごめんなさい」

「心から悪いと思ってんのか? 全然申し訳なさそうな顔してねぇじゃん」

 男の指摘通り、女子生徒は表情一つ変えず、声にも張りがない。それだけで判断すると本気で謝っていないと捉えられても仕方なかった。

「誠意が足りねーんじゃねぇの? 腕、折れちまったんだけど?」

「い、痛い……です」

 男は女子生徒の腕を掴む手に力を入れて彼女を睨みつける。

 おいおい、たかが女子中学生がぶつかった程度で大の大人の腕が折れるわけないだろ。そもそもあんたは屈強な見た目だし、そう簡単に腕折れたりしないでしょ。

「治療費、出してくれや」

 男は空いてる手で親指と人差し指で丸を作って女子生徒に嫌な笑みを見せる。

「……すみません。お金はありません」

「嘘をくなガキがぁ!」

 男はすごい剣幕で女子生徒を怒鳴る。

 周囲は男の威圧感や見た目もそうだけど、女子生徒の表情に恐怖の色がないためか、誰も助けようとはせずに素通りしてゆく。下手したらただの痴話喧嘩と思われてる可能性すらある。

 だけど俺には分かる。あの子は恐怖に怯えている。それにこのままではあの男に何されるか分かったもんじゃない。そんな状況を指咥えて見てろって? バカ言うな。

「……そうかい。金が出せないなら仕方ねーな」

 やむをえない。俺が一枚噛むしかないか。

 足の速さには自信がある。活用すればなんとかなるかもしれない。

「一緒に来てもらうぞ」

 男が女子生徒を連れていこうと腕を引っ張った時、

「待ってください」

 俺は二人の前に対峙した。

「あ? 誰だお前?」

「見て分かりませんか? この子の同級生です」

 男は俺と女子生徒を同時に見比べている。

 俺が女子生徒をちら見すると、彼女は目に涙を浮かべていた。

 もう大丈夫だ。俺がキミを男から解放すると約束しよう! どーんと任せなさい!

「いや、男子と女子で制服違うんだから分かるわけねーだろ。俺はこの辺の出身違うし」

「確かにそうでした」

 さも当然のように自分の物差しで語ってしまった。反省。

「テメェ、茶々入れに来たなら消え失せろ!」

 男はものすごい剣幕で俺の腕を掴んできたので、

「アイタタタタッ!? 腕の骨が折れましたよぉ! 治療費払ってください!」

 大袈裟に腕を庇って大声で腕の痛みをアピールした。もちろん折れてなどいないが。

「ハァ!? こんな程度で野郎の骨が折れるわけねぇだろ!」

「……言いましたね」

「あん?」

「なら、お兄さんの腕も折れてないですよね?」

 先ほど折れたと豪語していた男の腕を掴んでみせる。

「このくらいで折れるほどヤワじゃないですもんね。お兄さん鍛えてそうですし、ガタイもいいから尚更です」

 男は俺の手を振りほどいてこちらを睨んでくる。

「……生意気なクソガキだな。予定が変わった。テメェをボコらねぇといけねぇな」

 女子生徒の腕から手を離して、標的を俺に切り替えた。

 よしよし、思惑通り。この手の血の気の多いタイプは挑発すれば女子生徒を解放させることくらい容易く想定できたよ!

「……果たして俺に指一本触れられますかね」

「さっき触れただろうが」

 そういう意味じゃないんだけどまぁいいか。

「捕まえられるもんなら捕まえてみろクソデブ男が!」

 俺は男から背を向けて走り出した。

「待てゴルァ! 地の果てまで追いかけてやる!」

 うわっ、アイツ小太りの割に走るの速いな。いわゆる動けるデブか。

 ちと手を抜いてたが、全力で走るしかないな。

 その後、数分の追いかけっこを経て男を撒くことに成功した。

「余裕だと思ったけど、案外速くて苦戦したわ……」

 予想外の強敵だったけど、目的が果たせればそれでいい。

 その間に女子生徒はその場から逃げおおせてくれたことだろう。

 それに同じ中学の子だった。もしかしたら、またいつか会えるかもな。


 リアル鬼ごっこを決行した翌日。

「……あ、あの」

 校門をくぐろうとしたところで、女子生徒から声をかけられた。

「昨日は、ありがとうございました」

 女子生徒は俺に大きく頭を下げた。

「……あぁ、昨日の」

 まさかの翌日に再会を果たしてしまった。

「わざわざ、校門で待っててくれたんですか?」

「どうしてもお礼が言いたくて」

「そんな大したことじゃないですよ」

「いえっ! あなたは私の恩人ですから!」

 女子生徒は昨日に引き続き無表情だけど、声にはわずかながらに力が込められている。

「私、三年二組の日下寧々って言います」

「俺も三年だよ。五組の寒川俊哉。同じ学年だったんだね」

 俺たちが通う中学校は所謂いわゆるマンモス校というやつで、一学年三百人ほどの規模を誇る。クラスも一学年につき八クラスほどあるので同じ学年でも顔と名前が一致しないばかりか、見た覚えすらない生徒も多い。

 そのため、俺たちは今までお互いを認識していなかったのだ。

「じゃあ、お互いタメ口でいいねー」

 女子生徒はふわりと柔らかな微笑を浮かべてタメ口になった。

「日下、ちゃんと笑えるんだな」

「なにそれ?」

「昨日もそうだったけどさ、表情や声のトーンがほとんど変わらないからクールな人なんだと思ってさ」

「こういう顔だから仕方ないよ。ちゃんと喜怒哀楽の感情はあるから安心して」

「まぁ、顔は可愛いと思うよ」

「…………え」

「え?」

 日下の顔がボッと真っ赤に染まった。

 あっ……俺ってば自然と口説くような台詞を……お恥ずかしい。

 日下はやらかした俺以上に恥ずかしいらしく、真っ赤な顔のまま俯いてしまった。

 その後も色々と語り合い、俺と日下は友達になったのであった。


    ▲▲▲


 縁とは不思議なものだと感じると同時に、あの頃はなにもかもが楽しかったなぁ。自身が充実してるからこそ、躊躇ちゅうちょなくあの場で日下を助けようと思い至れたんだろうな。

「もしもーし、寒川君?」

 回想に浸っていた俺を日下の声が現実世界に引き戻した。

「おぅ、生きてるぞ」

「もしかして、あの日のことを思い出してたの?」

 鋭いな。

「あぁ」

「あの時、寒川君がヒーローに見えたなぁ。あっ、今もだけどねー」

 日下ははにかんで補足した。

「誰もが私を見捨てる中、闇へと引っ張られていく私を寒川君だけが救ってくれた」

 噛みしめるように、大切な思い出を包み込むように語る。

「その恩は忘れてないよ。忘れるなんてできない。だから今度は、寒川君が困った時は私が絶対に力になるから」

「そうか。ありがとよ」

 拳を握って無表情で息巻く日下に愛想笑いを浮かべた。

 けど、俺が人生で一番困ったイベントはもう過ぎてしまったんだよ。あの件を日下に相談しても解決しなかった。

 だからその気持ちだけ受け取っておくよ。

「この後はどうする? 俺は帰るけど」

「私は部活なんだー」

「そうか。じゃあ、またな」

「うん、また」

 日下は文芸部とのこと。詩や小説を書いているらしい。

 岳志といい、稲本といい、日下も。

 みんな頑張ってるんだなぁ。

「……とっとと帰ろ」

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