第5話 小顔

 いつも作業をしている階と違う階での作業を指示された日。小学生程の背丈の女の人を見つけた。大きなマスクをした小顔には見覚えがある。

「最近、いつもこの階ですか?」

 私は尋ねた。

「ええ」

 視線が交錯して小粒で深い黒色の目が応える。

「そうなんですか。しょっちゅう下の階で一緒になりましたけれど、覚えていますか?」

「ええ」

 両目がへの字に垂れた。

「『早く正確に作業してください』と、責任者によく言われましたよね」

「ええ」

「言ってることが矛盾してるような気もしましたけど。あのリーダー、悪い人ではないですよね」

「ええ」

「最近は下の階の作業量は減っているのでしょうかね」

「ええ」


 熱中症で倒れる早退者が一日一人は必ず出る現場にも、漸く金木犀の微かな香りが迷い込み始めた或る夕刻。一つの作業が一通り終わり、次の指示は脚立を使用しなければならない作業。不図、終わった筈の作業を未だゆっくりと続けている小顔の女性を見て思わず「次の作業に移らなくていいのですか」と訊いてしまった。

 すると「私、背が低いから『このまま作業を続けてください』って言われました」とマスクは呟いた。確かに脚立使うの、しんどそう。否、ムリ。彼女が可哀想。

 殆ど毎週のように顔を合わせていたのに、話を交わしたのはこの時だけ。でも、彼女は『しっかり』とこちらを覚えていた。


「いつもの階と比べて、この階の仕事どうですか」

「面白いです」

「色んな洋服、袋に詰めて入れるの、楽しいですね」

「ええ」

「『これ、素敵な色』って、見とれてしまうこともありますよ、僕なんか」

「ええ」

「人気あるブランド揃っていますからね。この会社、儲かっていること、よくわかりますよ」

「ええ」

 女性は少しマスクを下げた。半開きの厚くて小さなな唇。覗いた歯は白く輝きとてもキレイだった。不図、『もしかして、咥えるの、好き?歯並びの良い前歯数本で、擦り擦りするの得意?』と、人生末期族の崩れかけた妄想が鎌首を擡げかけた。

 『咥えるの、好き?』って?フレンチドッグですよ、どこのお祭りの屋台でも人気の。

 それきり、半開きで厚い小さな唇と素敵な歯の持ち主のその女性とは一度も会っていない。

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