第6話 ガル子、遠征する(前)
嵐は昨夜のうちに過ぎ去り、雲の合間に青空が覗いていた。
万物たる植物はその陽の光に照らされて熱を帯び、その身に含んだ水分を大気へと吐き出していく。
人間の村が壊滅したという。
その噂は周辺の勇者の元に届いた。付近の勇者たちが探索に出たが、誰も戻ってこなかった。そこへイヌ神の元へ救援要請が届いた。
「人間たちも動き出していると聞いている。本格的に動き出す前に決着を付けたい」
「私は行かないから」
黄金色のゴールデンレトリバーに栗毛のトイプードルははっきりと言い放った。
「でもさ隣町から応援要請が来てるんなら行かないわけにはいかないだろ」
茜色の水玉柄のレインコートを着た、銀毛のトイプードルは口を尖らせた。興奮を抑えきれず、その尻尾が左右に揺れている。
こいつ、行きたいんだな・・・。
「いいじゃないか。おれたちの新婚旅・・・」
ガル子は正太郎の尻尾に噛み付いた。ぴゅーっと血が出た。
「痛い・・・」
正太郎は涙目になりながら自らの尻尾を労った。
「ちょうどいい機会だから二人とも覚えておくと便利ですよ」
ココはケモ力を発現させる。ココの体は蒼色に発光した。
「私と同じようにやってみてください。まずは出血や怪我している箇所に意識を集中させて」
すると、ココの尻尾の部分だけが蒼く輝き始めた。
「単に光らせるんじゃなく、温かくなるようにイメージしてみてください」
正太郎はココを真似してケモ力を発現させ、尻尾に意識を集中させた。尻尾が温かくなってきた。
「温かくなったら今度は熱くなるようなイメージしてみてください。ここは燃やすくらいのイメージでちょうどいいくらいです」
本当に燃えているのかと思えるほど、尻尾が熱い。すると本当に尻尾の出血が止まった。
「すごい。本当に治ってる」
「あくまで応急処置の止血ですよ。もっと高度な回復は回復師(ヒーラー)に任せてください」
「ヒーラー?」
初めて聞く言葉にガル子は首を傾げる。
「なんじゃ、わしに何か用か?」
何の気配もなく、背後から黒毛に白が混じった初老のシュナウザーが現れた。
「げっ。この前のベロベロじじい」
先日、黒い車のフールと戦った時に体中を舐め回されたことを思い出し、正太郎の背筋に悪寒が走った。
「誰がじじいだ。まだち○こも半人前のひよっこのくせに」
初老のシュナウザーはそう言って、片足をあげて近くの電信柱にマーキングした。確かにモノは正太郎の倍以上のものをぶら下げていた。
で、でかい・・・。
「はいはい、そこ。ケンカしない」
ココは二匹の間に割って入る。
「この方はトムさん。きみたちの大先輩だよ。昔は『鬼神のトム』って通り名で、ホントにすごかったんだから。最前線に立てるヒーラーなんていない。もうフールを200体以上は仕留めてるんじゃないかな」
「300体じゃ。今はサポート専門じゃがな」
前後左右4本ともの足を引きずって歩いていた。
「そんなすごい勇者様がいるのなら私の出番はないわね。じゃあ、私は忙しいから、これで」
ガル子はバイバイとその場から去ろうとすると、ココが背後から、
「新技が上手くいってないんでしょ」
痛いところを突かれて、ぴたりとガル子は足を止めた。
「知らないのかもしれないけど、温泉の有名なところらしいよ。ガル子ちゃんの飼い主、ひょっとしたらそこにある温泉に行くの、楽しみにしてるんじゃないの?いいのかな、それが行けなくなっても」
ココの言う通り、友達に誘われて時々は温泉に出かけていた。しかしここかどうかまでは分からない。
「だから私は行かないって。それにそんな遠くまで行くなんてムリよ。そんなに長時間、家を空けられない」
隣町に行くだけなら短時間で帰って来れなくもないが、今回の目的地は山奥。聞けば人の車でも1日以上かかるという。ケモ力を使えばもっと短縮できなくもないが・・・。
「それなら問題ない。そのためにトムさんを呼んだんだ。見てもらった方が早い。トムさん、アレ出せる?」
「じゃあこいつでいいか?」
トムは正太郎のことをあごで指す。
「ああ、頼むよ」
トムは四肢を踏ん張り、おえっおえっと体を震わせた。その体は紫色に発光した。
『鏡製模写(コピードール)』
吐しゃ物ではなくその小さな体の口から吐き出したのは、銀毛のトイプードルだった。
「オレ、正太郎」と正太郎もどきは言った。姿形、サイズ感、毛の質感までどこからどう見ても正太郎だった。
「オレ、正太郎」
こればかりを繰り返す。頭はそれほど良くないらしい。何かキモい・・・。
「おれってこれなの?こんな締まりのない顔してないだろ」
「いやいやこんなもんじゃろ。コピーの精度は対象となる個体をセンシング(ベロベロ)した回数に比例する。まあ、お座敷犬の代わりならこれで十分じゃろ。日に日にケモ力を消費して劣化してしまうが、まーこれでも三日は持つじゃろ」
「これで問題ないよね」
問題はなくはないが、断る理由が無くなってしまった。それに新技の方はココの言う通り、行き詰ってしまっている。
「分かった、行くわよ。行けばいいんでしょ」
「それじゃ決まりだね。出発は明後日の早朝ってことで」
「こいつは要らんな。また出してやるから」
トムが正太郎もどきをベロベロと舐めるとドロドロに溶けた。それをトムがムシャムシャと食べ始める。
それを見ていた正太郎とガル子はドン引きして3歩後ずさりした。
遠征当日。
まだ夜が明ける前に集合場所の原っぱにイヌたちが集まっていた。
栗毛のトイプードルは不快感を示していた。
鈍色のスーツを着た目の前の銀毛のトイプードルはまん丸の形に頭が刈られ、足も丸く毛が刈り揃えられていた。身体の毛だけが短い。
「仕方ないだろ。おれの飼い主さまの趣味なんだから」
そう言う正太郎の尻尾は左右に振れていた。
こいつ。気に入ってんじゃん・・・。
「うちにオレの他にトイプードルが2匹がいるからさ。3匹ともお揃いで刈られた」
「えっ、そうなの?」
知らなかった。ガル子はそっちの方に驚いた。
「今更?おれの体には他の兄弟の匂いもいつもしてるだろ」
正太郎はため息をつく。
そう言われてみれば正太郎から似てはいるが、他の犬の匂いがする。
「散歩に行くときも3匹一緒なんだ。外でひとりになれるときはドッグランにいる時くらい。だからひとりで出かけられるのは嬉しい」
正太郎の兄弟には黒と白のトイプードルがいて、近所からは「トイプー三兄弟」と呼ばれていた。
「それまではおれは飼い主を喜ばせるためだけに生きててんだ。それだけの一生だと思っていたのに、まだまだこんなにも広い世界があるって知ることができた。遠くでどこかにひとりで行けるなんて想像もしてなかった」
正太郎は言葉を繋いだ。
「おれ、勇者になって良かったよ」
正太郎の尻尾は激しく振れていた。
「正太郎。それ、死亡フラグだからそんなこと言うの、止めなよ」
その間に初老のミニチュアシュナウザーは、ガル子もどきを口から吐き出した。
「ワタシ、ガル子」ガル子もどきは言う。
ベロベロの回数が少ないのか、先に出来た正太郎もどきに並べて比べると明らかに出来が悪い。締まりがない顔、姿勢をしている。「オレ、正太郎」「ワタシ、ガル子」を繰り返す。
本当に大丈夫か・・・、これ。
正太郎はガル子もどきをまじまじと見つめ、
「トムさん、後でオレにくれ」とトムに耳打ちする。
それを耳にしたガル子が「キモい」と正太郎の尾に噛み付く。
「調査も含めて敵の実態がわからないうちは無理しちゃダメですよ」
目的の村へと向かう黄金色のゴールデンレトリバーは後続に呼びかけた。青色に発光してブースト状態を保ったまま、暗い山中の月明りが照らす山道を駆け抜ける。その後にイヌたちが続く。土を蹴る足音だけが静かに響いていた。
夜のうちに移動して夜明けを待って村に入る予定だった。
「ココ、そいつら役に立つの?」
背は黒、腹は白、白眉のチワワが上目線で言った。
そのすぐ後ろには漆黒のドーベルマン、その後に少し距離が空いて銀毛のトイプードル、栗毛のトイプードルが続いていた。
「なんだよ、偉そうに。何であいつらと一緒に行かなきゃならないんだよ」
正太郎の小さなつぶやきをココは聞き逃さなかった。
「言ったでしょう。今回は敵の得体が知れないですからこちらも出来る限りのベストメンバーで臨みます。これで勝てなければ我々の手には負えないということです。分かりやすいでしょ」
「手に負えないって、それって死んじゃうじゃ・・・」
「大丈夫ですよ。敵わないと思ったら死んじゃう前に逃げればいいんですから」
それを聞いた正太郎はハハハと力なく笑う。
「おい、おまえら。私の足を引っ張るなよ」
リイフが後ろを走る正太郎とガル子にわざとらしく視線を送る。
「ケンカ売ってんのか、このヤロウ」
正太郎がスピードをあげて、リイフの隣に並んでガルガルと威嚇する。
最後尾を走るガル子は辺りにふと違和感を覚えた。
何者の匂いも音もしない。でも本来あるべき、匂いや音がそこに無い。何かおかしい。まるで意図して消されているような・・・。
「ココ!!」
ガル子は叫んだ。
ココはその声に反応して身体を翻した。鼻先数センチのところを何かが掠めた。地面に黒い円盤のようなものが突き刺さっていた。
「これってもしかしておれたち囲まれてる?」
正太郎は周囲を見渡すが、敵の姿は捉えられない。
「そうみたいだね」
ココは周辺の気配を探る。森が深い。木々に囲まれて枝葉が風に揺れる。辺りにフールの匂いが無い。
「オレたちの邪魔をするな。帰れ。そうすれば手を出さない」
オスのイヌの低い声が辺りに響いた。声は木霊して四方から聞こえる。正確な位置が分からなかった。
この察知されにくい場所に待ち伏せされていたとココは考えた。なりたてのフールは別にして、成熟したフールは自我を無くし、ひたすら破壊衝動に囚われる。そのために言葉を発することができない。会話が成立するフールはこれまで一度も確認されていない。
敵は本当にフールなのか?
「フールの分際で私に指図すんな」
リイフの体毛が赤く発光する。
「待て、リイフ」
ココの制止も効かず、リイフは前に出た。
『七式・マシンガン』
声のした方向へリイフはマシンガンを乱射した。ガル子たちは身を伏せた。弾丸は正太郎の尾の毛を掠めた。
周りの木々に当たるか、ほとんどの弾が闇夜の中へ消えていった。手応えは無かった。
出鱈目に打った一発が何かに当たった音が返ってきた。木や岩とは違った。その方向へ一気にリイフが畳みかけて連射する。
カンカンカンカン。甲高い音がした。
次の瞬間、跳ね返ったマシンガンの弾がリイフに向かってくる。
「跳ね返された?」
リイフは地を蹴って空中に逃げた。が、そこを狙われていた。突如現れたリイフの体の十倍以上もある大きな前足が伸びて振り払われる。躱せないと察してリイフは身構えた。そこへテトが体を入れ替えてリイフをかばった。
「テト!!」
鈍い音がした。テトは吹き飛ばされて木々をなぎ倒しながら森の中に消えた。
その足の主が姿を現し咆哮した。咆哮の勢いで体が吹き飛ばされそうになる。周りの木々の高さを超えていた。正確に言えば、頭や体はそのままの大きさで前足、後ろ足だけが異常に大きい。
「こいつ、よくも」
リイフは全身の毛を逆立てた。レーザーを口から出そうと手足だけ大きい的に狙いを定めた。
「リイフ、気を付けろ。敵は一匹だけじゃない」
ココの声が届いた直後、顎下から衝撃を受けた。レーザーの銃口を出していた口が無理矢理に閉じられる。血の味が口の中に広がった。
リイフは下を向いたが、そこには敵の姿はなく上からの気配に変わった。頭上から地面に叩きつけられて、そのまま動けなくなった。
ガル子の頭上を黒い円盤が回転しながら浮かんでいた。距離を取ろうとしてもずっと追いかけてくる。向かってきた円盤をガル子は体を捻って躱す。その一つだけではなかった。ガル子が躱した違う方向からもう一つが向かってくる。
正太郎の放った壱尾鎗がそれを弾いた。
「大丈夫か、ガル子」
それでフラフラと勢いを無くしバランスがブレた円盤をガル子はそれを捉えて噛み砕いた。
ガル子と正太郎の頭の上を浮遊する黒い円盤は増えていた。その数は全部で6つ。
リイフのマシンガンを弾いたフール、テトを弾き飛ばした巨体のフール、リイフを倒した動きの素早いフール、この黒い円盤を使うフール、全部で4匹。それに姿は見えないが最初に声を出したこいつらを統率しているフールも入れると5匹になる。
ココは巨体のフールに向かって炎を口から吐いた。青い炎が辺り一面に広がっていく。
森は一切燃えてはいない。巨体のフールに炎が届く前に、間に割って入ったフールの盾が炎をはじき返していた。
「みんな、いったん退くよ。リイフ、いつまでそこで寝たふりしている気だい?」
「ちっ。油断させたところをやってやるつもりだったのに・・・」
リイフは目を開くと勢いよく立ち上がった。
後ろに退きながら正太郎が壱尾鎗で黒い円盤を弾いていた。
「さすがに6つはキツイ・・・」
急に軌道が変わった。黒い円盤同士がぶつかって軌道が変則的になる。そのひとつが壱尾鎗をすり抜けて正太郎の懐に飛び込んでくる。
ガル子がとっさに間に入り正太郎を庇った。円盤はガル子の前足の肉を抉り血が滴り落ちた。傷が深い。このままでは走るのに支障がある。
「逃げて。正太郎」
「バカ野郎。おまえを置いていけるか」
「私はこの足じゃ逃げられない。このままじゃ二人ともやられる」
「別におれはいいぜ。最後まで付きやってやる」
上空には6つの円盤が再び集結していた。
その時、テトが正太郎を背後から咥えて、そのままその場から離れた。
「何すんだ、このやろう。離せ。ガル子も助けろ」
「無理だ。今はおまえ一匹救うのが最適だ」
「だったらおれじゃなくてガル子を助けろ」
暴れる正太郎をテトは離さなかった。
「ダメだ。生き延びる確率が高い方を救う。諦めろ」
「ガル子ぉーーー」
遠ざかる正太郎の声を背中に浴びながらガル子は覚悟を決めた。前足は血が止まらない。
「こうなったら仕方ない。まだ完成してないけど・・・」
ガル子の発光が色濃くなった。薄緑色から鮮やかな緑色に変わる。
慣れない技の発動に集中して背後から接近する気配に気づかなかった。背後から不意打ちされてガル子の意識が飛んだ。
茶斑のビーグルが倒れたガル子を覗き込むようにそばに立った。
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