第5話 ガル子、スランプになる

 すでに陽が落ちて始めていた。

 人の気配のない工場跡の空き地で、ボロボロになった鳶色のアーガイル柄のパーカーを着た、銀毛のトイプードルは、キャインキャインと鳴いていた。

「男だろ、これくらい辛抱せい」

 四肢が義足のシュナウザーはベロベロと正太郎の体を舐め回した。舐めた部分が青緑色に発光して傷を癒していく。

「ベロベロされるんならこんな年老いたじじいじゃなくて、もっと若い女の子がいいよ」

「まあまあ、もうちょっとで死んじゃうところだったんだから、贅沢言わない。トムさんの治療は超一級品だよ」

 そう言って黄金色のゴールデンレトリバーは正太郎をなだめる。正太郎の悲鳴が続いていた。

 その少し前にココは残ってた赤い首輪を拾って、冷たくなっていた茶白のラフコリーとともに街の片隅の森まで運んで、一緒に埋葬してやった。

 先に治療を受けた栗毛のトイプードルが座り込んでいた。正太郎に次いで重症だった怪我は回復したものの、ケモ力が明らかに落ちている。

「ガル子ちゃん、早く帰りなさい。今日は疲れただろ」

 そう声を掛けられてもガル子は一歩も動かなかった。

「どうしたの?まだ怪我が痛むのかい。ガル子ちゃん?」

「私、誰かに助けられてばかりだ。ココにも、正太郎にも、あの白眉にも・・・。強くもないのに勇者になって強くなった気がしてただけだった」

 ポロポロとガル子の目から涙がこぼれる。

 どうやら思い違いをしていたようだ。出会う前からフールとも渡り合っていたから、ついつい最前線に立たせるようなことばかりさせてしまっていたが、この子だってまだ勇者になって日が浅い。

「そんなに焦らなくてもいい。きみにはもうケモ力がほとんど残っていない。きみが今日できることは早く帰って眠ることだ」

 赤い空色に黒が混じり、太陽が山影に沈もうとしていた。


 ガル子が家に帰ると飼い主が玄関に立っていた。どこかに出かけていたのだろうか。散歩か買い物か。どちらにしても最近は一人で外を出歩くことは珍しい。

「〇×▽□」

 名前を呼ばれて、ガル子は飼い主の体に身を寄せた。

「ただいま」

 飼い主と家の中へと入った。聞いてほしい話が山ほどある。でもそれよりも今は腹ペコだった。零れるほど山盛りになったドッグフードにがっついた。

 お腹がいっぱいになると、飼い主の寝床へと転がり込む。

「あのね、今日大変だんだよ。ホントにヤバかったんだよ。黒い車のフールがね、赤い車を襲い始めて町中の赤い車が狙われたてたんだ。私はホントはやりたくなったんだけど・・・」

 その間、飼い主は何も言わずに黙って飼い主が身体を撫でてくれる。人間との会話は成立しない。

 犬の寿命よりも人間は長い時を生きる。その分、いろんなことを知っている。

 目の前の四角い画面に映した出されたモノの中から人間の声がする。実際に人間が入っているわけではない。テレビというものだと前にこの家に来た時にイヌ神から教えてもらった。

 相変わらず人間の言葉も文字も分からないが、映像なら眺めているだけでも分かるものもある。

 この形が私たちの住んでいる地域だということは分かった。そこには傘のマークがずらりと並んでいた。雨が降る。渦を巻いた雲がこの地域に向かってきていた。その渦の進路方向はこの地域を直撃する進路を描いていた。

 ガル子の視線はその巨大な渦巻を追っていた。

 この部屋にあるモノだってよく分からないことが多い。人間のこと、ケモ力のこと、フールのこと。私、知らないことばっかりだ。誰か教えてくれる人がいたら・・・。

 ふとガル子の頭に人間の言葉を理解する人間が思い浮かんだ。


 背の高い細目の若い男がドアを開けると、玄関先で栗毛のトイプードルが行儀よくお座りをしていた。

 何も見なかったことにしようとドアを閉めようとするところ、前足を挟んでそれを阻止された。

「君、誰?」

「ガル子よ」

「ごめんごめん。僕が勇者にした犬たちもたくさんいるから、君みたいなトイプードルも多くて覚えきれないんだよ。何か用かな?」

 イヌ神は尚もドアを閉めようとするが、ガル子はそれに抗う。

「私、あなたに聞きたいことがあるのよ。ケモ力のこととか、他の勇者のこととか、とにかく中に入れなさいよ」

 うるさいほどワンワンと吠え立てる。吠えまくる。

 その奇妙なやりとりに不審げな視線を送る人たちがアパートの前を通り過ぎていく。

「近所迷惑だ。人に見られるとまずいから早く中に入ってくれ」

 イヌ神は折れた。ガル子は促されるままに部屋へと足を踏み入れた。

 部屋は狭くかった。それに臭かった。床のあちこちに食べ物やゴミが散乱していた。私の住んでいる飼い主の家とは大違いだった。

「よくここがわかったね?誰に聞いたの?」

「あんたがくれたケモ力のせいよ」

 ガル子はイヌ神の匂いを察知していた。

 ケモ力の発動時には嗅覚は何十倍にもなる。別にイヌ神を探していたわけではなくて、たまたま知っている匂いがあるなと思っていたらそれがイヌ神だっただけだった。

「あっそ。で、何?僕に何の用かな」

 イヌ神は明らかに迷惑そうな顔をしていた。

「もっと強くなるには、私どうすればいい?どうすればケモ力をもっとうまく使える?あの白眉よりも強くなれる?」

 ガル子はイヌ神の鼻先まで詰め寄った。

「まーまー、落ち着いて。これでも食べなよ」

 イヌ神は冷蔵庫から犬用チュールを取り出し、ガル子に差し出す。

 こんなもので私はごまかされ・・・、

「何コレ、めちゃくちゃ美味しい♡」

 思わずガル子はイヌ神の手から奪い取り、チュールを平らげた。袋の中身を押し出してペロペロが止められない。

 その様子をイヌ神にじっと見られていた。急に恥ずかしくなり顔が赤くなる。

「前に言ったと思うけど、僕自身がケモ力を使えるわけじゃないから僕はきっかけを与えるだけでそれ以上は何もしてあげられない」

 イヌ神はガル子を抱き上げて、その顔と体をまじまじと見つめる。

「あー思い出した。君はココのところの子だね」

 イヌ神は窓を開けて「ココ」の名前を叫んだ。

 隣の部屋から「さっきからいい加減にしろ」とドンドンと壁を叩かれた。

 すぐに窓から黄金色のゴールデンリトリバーが飛び込んできた。

「ガル子ちゃん?なんでこんなところに・・・。すみません、イヌ神さま。ちゃんと言って聞かせておきますから」

 ココはガル子を咥えて窓から飛び出す。

「邪魔しないで、ココ。そんなことよりケモ力のことを教えなさいよ」

「ココ、その子にケモ力の使い方ちゃんと教えてあげて。勇者、頑張ってね」

 イヌ神はバイバイと手を振る。

「ちょっと待って。私、まだ他にも聞きたいことが・・・」

 ガル子はココに首根っこを銜えられたまま、イヌ神のアパートが小さく遠ざかっていった。


 栗毛のトイプードルと黄金色のゴールデンレトリバーはいつもの原っぱに来ていた。2ヶ月前に二匹が初めて出会ったのもこの場所だった。今日みたいな良く晴れた日だった。

 何度見ても見惚れてしまうほど、きれいな毛並みだとガル子は思った。

「ガル子ちゃん、イヌ神のところは行っちゃいけないよ」

 そんなことは聞いてないし・・・。

「知っての通り、イヌ神さまは勇者にできるチカラを持っている。もっと仲間を増やしてもらわないといけない」

 暇そうに見えたけど・・・。

「それにイヌ神からはその後のきみらの教育はぼくら先輩勇者に任されてる。何も直接イヌ神のところにいくことないじゃないか。まずはぼくに相談してくれたら対処のしようもあるというのに。こんなことされたらぼくの立場がないじゃないか。それにね。フールはますます増え続けてる。今の勇者の数じゃ足りない。このままだと・・・」

 ココの小言は止まる気配がない。

「わかったから。もうイヌ神さまのところには行かないから」

 ココはにっこり微笑んだ。

「約束だよ」

 そういうココの目は笑ってはいなかった。ガル子は身震いした。

「ココ。私、近距離攻撃しかできないから相手に近付かないといけない。遠距離攻撃ができるチカラが欲しい。私はどうすればいい?」

 逆に今度はガル子に真剣な眼差しでココは見つめられる。

 昨日、死にかけたばかりだというのに1日でガル子の身体の傷はすっかり回復していた。ケモ力も元に戻っていた。

 よほど飼い主に愛されているのか。いや、この子の方が飼い主を愛しているのか。

「ガル子ちゃん、前にも言ったけど、チカラを使うにはケモ力が要る。まずこれが全ての基本だよ。もう知っていると思うけど、ケモ力を使うとぼくらの体は発光する」

 たしかに覚えがある。

「赤、青、黄、緑、橙、紫、この色が実は重要なんだ。イヌによってチカラの溜まり易い、溜まり難いがあるし、この色によって使えるチカラの相性がある」

 ん?チカラの愛称?愛鳥?

「例えばガル子ちゃんのエナジードレインもぼくにも使えなくはないけど」

 ココの体は緑色に発光した。ガル子からケモ力を吸い取ろうと首元に噛みついた。

 ガル子にはエネルギーを取られている脱力感はない。逆にココのケモ力の方がむしろ減っている気がする。

「こんな具合に緑はぼくとの相性はよろしくない。ぼくにはガル子ちゃんほどうまく吸収できないし、燃費も悪い。色々と試してみるといいと思うけど、ガル子ちゃんと相性がいい色があるかもしれない」

 そんなことを意識して使ったことなんて一度もない。最初から緑だったからそういうものだと思っていた。

「それからもう一つ」

 ココは話を続ける。

「さっきのは種類の話だったけど、使うチカラにはレベルがあって今、3段階まで確認されている」

 ん?ラベル?モデル?

「まずは初期のレベルはブースト1と言って自分の内側に作用する。これで身体能力が上がる。ガル子ちゃんも体の奥の方が熱くなるのを感じるだろう。普通なら登れないところへ高くジャンプが出来たり、人の車よりも速く走れたりする」

 確かに覚えがある。

 ココの体が青い発光した。ココは大きく息を吸いこんだ。

『青白い炎(インブレス)』

 ココは口から青白い炎を勢いよく吐き出した。地面を這うように炎が広がった。少しも熱くなかった。

「これがブースト2。チカラが自分の外側に発現できるようになる。フールだけがこの炎で浄化される。ぼくだって最初から何もかもうまくできたわけじゃない。今の形になるまでに半年以上かかったんだから」

 ココの視線に合わせて炎は燃え広がる。ココの意思に従って燃え続けた。

「まだきみたちはここまでしかケモ力を使えていない。実はもうひとつ上の段階がある」

 ココの体を発光する光が更に青さを増した。

『青白い飛鳥(バルバトス)』

 青い炎は鳥の姿に変えた。辺りを包む空気が一変した。熱がじりじりと伝わってくる。呼吸するたび胸の奥の方が熱くなる。鳥は羽ばたいて浮かんでいた雲に向かって飛び立った。辺り一面を覆いつくす青色の爆炎をあげた。一瞬で雲が跡形もなく消し飛んだ。

「これがブースト3だよ。威力は格段にあがる。ブースト2もある程度、発現できるチカラの形が決まっちゃってるけど、もっと好きに自分なりのアレンジができるって感じかな」

 雲の水蒸気が凝縮されて、空から大量の雨が降って来た。

 ガル子の体を雨粒が打つ。ココはブルブルと体を震わせて雨粒を飛ばした。

「とはいえ、これは言うほど簡単じゃない。ケモ力も格段に消費する。それだけのケモ力が無ければ使えない。自分に溜まりやすいケモ力と自分と相性の合うケモ力を見つけるのがいいと思うよ」

 ココはふらつきながら言った。

「ブースト3か・・・」

 ガル子はびしょびしょに濡れたまま、雨が振り続ける青い空を見上げる。


 いつもの原っぱで杏子色のストライプ柄のトレーナーを着た、銀毛のトイプードルはドキドキしていた。

 その視線の先の陽だまりに栗毛のトイプードルが座っていた。その尻尾はピンと立ち左右に揺れていた。イヌは嬉しい時や興奮した時にそうなる。

「な、なんだよ、ガル子話って?」

 過去にもこんな風にガル子から呼び出されたことが一度だけある。「勇者にならない?」と誘われた時だった。

「正太郎・・・私」

「どうしたの、ガル子?」

 何も言わずにガル子は顔を近づけてくる。目が潤んでいて、正太郎はドキリとした。口と口がくっつきそうな距離まで近づいて、ガル子は正太郎の首元に噛みついた。

『エナジードレイン』

 正太郎のケモ力がガル子の中に吸われていく。

「助かった・・・。私もう限界、ケモ力を使い過ぎて空っぽだったの」

 ケモ力を吸われてクラクラと正太郎は意識が遠退いたが、 甘い匂いを吸い込み、正太郎の目はすっかりハートマークになっていた。

「おれのケモ力ならいくらでも吸っていいから何でも協力するよ」

「本当に何でも協力してくれるの?」

「うんうん」

「じゃあ、ここに立って。じっとして動かないでね」

 ガル子は正太郎を指定の位置に立たせる。

「ん??」

 ど、どういうこと?

 正太郎の疑問が解けないまま、ガル子の体が青白く発光する。

『青白い炎(インブレス)』

 ガル子は青白い炎を口から出した。

 その火は勢いよく辺りに燃え広がり、正太郎の尻尾に引火した。

「あちちちぃぃ。お、おれの尻尾が・・・」

 慌てて正太郎は尻についた炎を地面にこすり付けて消す。

 辺りに燃え広がった青白い炎は数秒も経たないうちに鎮火してしまっていた。

 これじゃダメだ。

 もう朝からガル子は何回も繰り返していたが、威力も持続性もココには遠く及ばなかった。何よりケモ力の消耗が激しすぎる。

 ガル子のケモ力は空っぽになり、正太郎の首筋に再び噛み付いた。

「また・・・あっ」

 思わず正太郎は声が出た。

 ガル子は意識を尻尾に集中させた。尾が伸びて鎗の形になる。ガル子の全身の毛が黄色く発行する。

『壱尾槍』

 正太郎から吸ったケモ力なんだから、これなら相性は悪くないはず。

「それってもしかしておれの?」

 最初こそ勢いが良かったが、ガル子の体から遠ざかるほど失速していく。3mも離れないうちに勢いを無くし、地に落ちた。

 これじゃ使い物にならない。ココが言ったように自分と合わないのだろうか。真似するだけで精一杯なのに、こんなのじゃ全然ダメだ・・・。

「すごいじゃないか、ガル子。真似しようとしてもなかなかできるもんじゃないよ」

 正太郎もガル子を真似して『グリーンフィル』を発現させて体の色が薄緑色に変わる。しかし体の色が変わっただけでケモ力を吸い取るまでの力はない。

「それにしてもうれしいな。ガル子とお揃いなんて。ペアルックみたいだね」

 正太郎は体を摺り寄せる。どさくさに紛れて、正太郎はガル子の尻尾に壱尾槍を絡ませる。

 それにイラっとしたガル子は、正太郎の足に壱尾鎗を落とした。正太郎の絶叫が辺りに木霊した。

「正太郎、まだまだ付き合ってもらうからね」

 あとは実践で試してみるしかない。


 疾走していく黒い影を縹色のタータンチェック柄のシャツを着た銀毛のトイプードルが追いかけていた。

 牽制で放った雷猿の光に驚いてフールは逃げ出していた。 強さとすれば下の中というとこだろうか。追いつけないほどの速さでもない。

 指示通りに正太郎が追い込むその先には栗毛のトイプードルが待ち構えていた。

「ガル子、そっちに行ったー」

 正太郎が雷猿を出して、フールを更に追い立てる。

 ガル子の体が朱色を帯びた。

『七式マシンガン』

 ガル子は口からマシンガンを撃ち出す。連射するが、全く当たらない。固定できないので狙いがブレてしまう。しかも近づいてくるフールは右へ左へと動く。

 反動で顎が外れそう。こんなのどうやって当てるの?こうなりゃ、下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる。

 ガル子は出鱈目に乱射した。フールに当たったが、ペチッと乾いた音がして弾かれた。フールには全く効いていない。

 逃げていたフールが急に向きを変えて、ガル子の目の前までフールが大口を開けて迫る。

『壱尾槍』

 後ろから追いついてきた正太郎はフールを一撃で串刺しにしていた。フールの黒い影は跡形も無く霧散した。

「ガル子にはやっぱり遠距離は向いていないんじゃ・・・」

 正太郎の言葉を最後まで待たず、ガル子はその首元に噛み付いた。

 本日4度目の『エナジードレイン』で正太郎はぐったりとする。

「ごめん、ガル子。もう限界かも・・・。あとは頑張って」

 正太郎はフラフラとした足取りで家路につく。

 白眉のチカラは数を打つと一発一発の威力が落ちる。逆に一発一発の威力を高めようとすると的に当たらない。近距離なら外しようもないけど、それだとエネジードレインの方が攻撃力がある。

 ケモ力が回復したガル子の体は再び朱色に発光した。


 その夜、風が強くなっていた。

 自分の家に帰ると栗毛のトイプードルは飼い主の膝の上に飛び乗った。

 私ももう限界・・・。

 飼い主の手が伸び、ガル子の腹部を撫でた。疲れ果てたガル子の全身を快感が駆け抜けていく。

「あ゛ぁ」

 イヌの手足では肝心なところに届かなかったり、十分に力が入らなかったりするのに、まさにこいつは魔法の手。しかも自分が掻いて欲しいところを言わずとも察して掻いてくれる。

 かといって人間であれば誰でもいいわけではない。先日も道を歩いている時に人間の子どもに囲まれてベタベタと触られた。数字で見えるわけではないが、逆にケモ力が下がった気がした。

「●◇×○▢△」

 飼い主が何か言葉を発した。しかし相変わらずガル子には飼い主の言葉は分からない。

 お手、おかわり、待てとも違う。

 こうなったら表情を見て察するしかない。

 過去に一度だけガル子にも人間の言葉が聞き取れたことがあった。


 1年ほど前、それは今は亡き、もう一人の飼い主が長い間、家を留守にしてしばらくぶりに帰って来た頃だった。

「▢ ×○△○◆」

 言葉を発した人間が匂いでそれがもう一人の飼い主だと分かるが、ガル子が知っているかつての飼い主とは見た目は別人になっていた。頭の毛も眉毛も無く、髭も無くなっていた。おまけに奇妙な音がするモノが体中に取り付けられていた。ずっと横になったままでベッドから立ち上がることは無かった。

 食事させたり排泄物の処理をしたりするが、飼い主が日に日に生気が無くなっていくのは明らかだった。 ガル子はベッドにあがって飼い主の近くで身体を丸くする。

 大丈夫かな。

 飼い主は独りぼっちだった私に居場所をくれた。いつもご飯を用意してくれた。たまにだけど美味しい肉を分けてくれた。晴れでも雨でも、私を散歩に連れて行ってくれた。たまにだけど赤い車で遠い場所にも連れて行ってくれた。毎日、頭を撫でてくれた。痒い所を撫でてくれた。ずっと一緒に暮らしてきた。それなのに、こんな時に私は何ひとつ返すことができない。

 カーテンの隙間から暗かった部屋に西日が射し込んでくる。飼い主に取り付けられたモノが途切れることなく一定のリズムで無機質な音を刻んでいた。

「〇×▽□」

 飼い主が私の名を呼ばれ、私はその枕元に立つ。

 体調が優れないのか、顔色が悪い。

 飼い主の手が伸び、私の頭を撫でる。

 ああ、やっぱり私はこの人の手が、この匂いが、このごつごつとした手が、この人のことが大好きだ。

「あいつのことを頼む」

 その時、飼い主の声を初めて聞いた。

 ガル子の頭を撫でていた手が力無く落ちた。

 突然、飼い主に取り付けられたモノから今まで聞いたことが無い耳障りな音が部屋に鳴り響いた。

 それから知らない大勢の人がやってきて飼い主をどこかへ連れて行った。

「ダメ。その人を連れて行かないで」

 ガル子は必死に吠えたが、誰も聞いてはくれなかった。

 それがもう一人の飼い主を見た最期になった。何日かして飼い主の写真が飾られ、微かに飼い主の匂いが小さな壺の中が置かれていた。


 ガル子のすぐそばで飼い主が寝息を立てている。

 おやすみの意味だったのかな?

 最近、ガル子には気になることがあった。飼い主が外に出ていない。フールのせいだろうか、年齢のせいだろうか。ガル子にはもう一人の飼い主が段々と弱っていく姿と記憶が重なった。

 あの時、私は確かに頼まれた。

 今の私にできることはこれしかない。飼い主が少しでも安心して外出できるように、私がもっと頑張らないといけない。そのためにももっともっと強くならなくてはいけない。


 何日か前に見た予報通りの嵐がやってきていた。

 横殴りの雨が栗毛のトイプードルの体を濡らした。しかも足を踏ん張っていないと吹き飛ばされそうになるほど風が強い。

 雨のせいで鼻が利かない。目の前の風に舞う不規則な空き缶に狙いを定める。中には地面から離れて舞う缶もあった。その数は全部で10個。

 プルプルと身体を振って雨粒を飛ばした。意識を集中させるとガル子の体は薄緑色に発光した。小さな竜巻がいくつも発生した。その一つ一つが薄緑色に発光して宙に浮いていた。

 ガル子の意志で狙いを定めた空き缶へと向かっていく。その半分が当たりその半分が外れた。空き缶には無数の穴が空いていた。

 こんなんじゃまだまだダメだ。

「すごいじゃない。ガル子ちゃん、いい線いってるんじゃないの」

 いつの間にか黄金色のゴールデンレトリバーが背後に立っていた。その体には薄いバリアのようなものに包まれて雨粒を弾いていた。毛は全く濡れていない。雨風のせいで匂いにも音にも気づかなかった。

「でも熱心なのはいいことだけど、焦る必要はないよ。こんな日まで根詰めてもやらなくても時には環境を変えることも大切だよ」

「ココ、私に何の用?はっきり言ったら」

 ガル子はイラついていた。

「ガル子ちゃん、山登りは好きかい?」

 ココの口元こそ笑っているが、その目は少しも笑っていなかった。

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