26番ホール きっとまた旅に出る
「美月ちゃん、っとと。水守美月の病室は何号室ですか?」
お見舞いにみえられたご家族で……? もしかしてあなた、大空つばめさん?
「ええっと。はい、そうですけど」
やっぱり! ウチの娘があなたたちのファンなのよ! サインもらってもいいかしら?
え! ズル! わたしもわたしも!
私も。いい?
なぁにやってんのあなたたちィ! ダメに決まってるでしょ!
げ、師長!
仕事をなさい、仕事を!
はぁい。
「あはは、あとでやりますよ? 書くものと書けるものを用意しておいてもらえれば、帰る時に」
ありがとう大空さん! 水守さんの病室は突き当たりの左ね。
「はい、ありがとうございます。……突き当たりの左。突き当たりを左。突き当たりを左。突き当たりと付き合ったりって似てるよね。美月ちゃんとボクは突き当っ——」
「なにをおひとりでブツブツ」
「あ、美月ちゃんだ」
「他の患者さんの迷惑になりますから、お早く中へ」
「へ〜い」
「元気そうでよかった。へぇ、この病院も個室にしてもらえたんだ、それに広!」
「広くても何もできませんよ」
「そりゃそっか。んで? 具合はどう?」
「そうですね、進行状態には特に変化が見られないようです。順調と申しますか、過去の推移のままに悪化しているそうです」
「そっ、か」
「握力はついに半分くらいになってしまいました」
「それであれだけの精度の球が打てたなんてすごいよ」
「どうやら打突に握力はそれほど影響しないようですね。むべなるかな、小学生などはわたくしよりも弱い握力で、わたくしよりも遠くへボールを飛ばすのですから」
「そういうもんか。あ、これお菓子。病院のごはんだけじゃ足りないでしょ?。そうそう、きのうのテレビ見た? ボクたちに金メダル獲れだって。荷が重いよねぇ、無責任に言ってくれちゃってさ」
「ええ、その番組はたぶんわたくしも。体調の快復が間に合うかというよりは、その時まで運動機能が残っているかどうかなのですけれど。どうしましょうね、想像していたよりも早く動かなくなってしまいました。最後に思いっきりゴルフをと願い、限界ギリギリまでできました。もう思い残すことはありません」
「なぁ〜に言っちゃってんだか、やっと日本一だよ。まだ世界一にはなれてない」
「わたくしの運動機能は低下するばかり、今後よくなることがないのはご存じでしょう? 少なくとも、夏の大会以前にもどることは決してないのです。やっと退院できて、もう思い通りに動かせなくなってて、階段から落ちた。もはや致命傷です、こうしてベッドの上で動かずにいて失われる速度たるや。いかがしましょうねオリンピックは。わたくしの代わりになる選手をみつけていただき、そのうえでご参加を願いましょうか。世界一のことは、きっとつばめさんの聞き間違いですよ」
「ねえ、どうして急に早口になったの? それに、あんな鬼気迫る告白しといて聞き間違いなわけないよね。あれはぜったいに世界一だった。どうせすぐに死ぬんなら、せめて世界一になってから死にたいって。あの時そうはっきりと。だからボクもペアゴルフを」
「覚えてらしたんですか。面と向かって再生されると相当に恥ずかしいものですね」
「そう? 普通だよ」
「わたくしが2度目にあなたを見つけたあの日のこと。どれくらい覚えています?」
「忘れるわけがないよ、あんな一生で一度レベルの悲しいことと、うれしいことが同時にあったんだから」
「つばめさんのお父様の隔離と、あなたとわたくしの再会と。今の結果を得てから思えば、あの日の出逢いは神がかっていたと言いますか、悪魔じみていたと言いますか。世界一の夢は破れたのかもしれませんが、おかげで日本一になるのは叶えてくれました。それだけでもじゅうぶん満足です。本当ですよ?」
「美月ちゃんはそうやって納得できるのかもしれないけれど、ボクはまだまだぜんぜん満足なんかしていない! ボクはいつまでも水守美月といっしょにコースを回りたいし、たくさんのデュアルショットを打ちたいんだよ!」
「つばめさん……」
「まだ大丈夫だよ、まだほんの少しなら神様も待っていてくれる」
「そうですね、つばめさんがソロゴルファーに転向されるのならキャディとして」
「美月ちゃん! ゴルファーとして、競技者として横に立ってもらいたいんだよ! ただうしろから指示をくれるだけじゃあなくって!」
「そうできたならどれだけ! わたくしがそう考えなかった時があると思いますか!? いつだって、寝ても覚めても考えるのはそればかり。今日は打てた明日は。それがついにあの日で終わった。あの日から以降は打てない日々の始まりです。つらくないわけがないでしょう!? いいえ、厳密にはがまんできるのです。あなたがわたくし以外の方とペアを組むことが、それ以上にわたくしがあなたと回れないことが耐え難いのです」
「美月ちゃん……」
話は聞かせてもらったよ。
「お父さん!? いつ日本へ!?」
「えっ、あの? 忙しくって年中飛び回っているとかいう? 初めてみた」
それは少し前までの話だよ。今はリモートって冴えたやり方もあるんだ。昔と違って今はもう少しばかり家にいる。逆に美月が部活だ学校行事だと外に出っぱなしで会えないという。フフフ、おかしな家庭だろう?
つばめちゃんとは10年ぶりだから覚えていないかな? 美月の父です。
「いえ、どうも」
ご活躍はかねがね、いつも美月を気にかけてくれてありがとう。あのまん丸の、小山のような子がずいぶんと立派になったものだ。
「もうそんなに太ってなんかないよぅ」
ははは、済まないね。年頃の子だとは分かっていてもついつい余計なことを口にしてしまう。
それはそれとして人を待たせてあってね。実は扉の向こうで盗み聞きしてたんだ。悪かった、この通り。
しかし美月の決心が知れてよかった。そこでおまえにちょうどいい提案があるんだが。
いいかい、心して聞いてほしい。
この世にもし、『たとえ苦しんでも死の直前まで動ける』方法が存在したとしたら。どうする?
「一も二もなく飛びつきます。たとえどんなに苦しくとも」
「美月ちゃん!?」
その方法とは薬なんだ。治療するのではなく、大きく個人差のある一定期間だけ症状を止めてくれる薬があるんだそうだ。しかしひとたび切れたなら、本来進行するはずだったところまで一気に連れもどされる諸刃のつるぎ。
治療に当たらないというのはつまり、そういうことなんだ。
「それでも。以前のように動けるのなら」
どうやら意志は固いようだ。
先生すまない、お待たせした。どうぞ入ってきてください。
「この人が? 待たせてあった人?」
入るなりごめんね、カーテンを閉めさせてもらうよ。光線過敏症なんだ。これをしないでは顔を出すこともできない。
あ、蛍光灯は大丈夫だからそのままで。
「大学……院生の方?」
やあ。初めまして。安心してくれ、こう見えて30は越えてる。でもね、白衣をまとってはいるがこの病院の医師ではないんだ。
「えっと、それでどう安心したらよいのやら」
嘘は言わない主義でね。きちんと真実を伝えて、だけど医療従事者として見てもらいたい気持ちもある。それでこんな、中途半端なことをやっているんだ。まあ細かいところは気にしないでくれたまえ。
しかし。
クライアントであるお父上から驚くとは聞いていたが、まさかいま話題の君たちとはね。先日の活躍は私もテレビで拝見したよ。今日の患者が時の人だとは思いもしなかった。
「白衣を着た、病院関係者ではない方がどのようなご要件で?」
お父上が先ほど言われた通りさ、君を一時的に動けるようにすることができる。
「そこです。父の話にもあったその、一時的にとの限定はなんなのですか。なにがどう治るのかを、詳しく」
乗ってきたね。じゃあ中身の説明といこうか。
いいかい、私が開発したのは飲み薬なんだ。その効能は脳を誤認させ、一時的に痛みを取り払い、あるいはしびれを取り去り、またはノイズで途切れがちな神経との連絡を確かなものとする。
残念ながら内臓系の疾患にはまるで効果がないんだが、運動能力系には絶大な効力を発揮する。これを治験として試してもらえたらと考えているんだ。もちろんご家族からの申し出と、薬効への承諾があってこうしてオファーしている。
どうかな?
「そんな未来を提示されて拒否などできるわけがありません」
「美月ちゃん!?」
「ですがあるのでしょう? あなたがそれほど真剣な顔をなさる理由が。父が窓を向かなければならない理由が」
鋭いね。聞かれなくても話すつもりではいたんだが。これだけは必ず、事前に伝えておかなければならないんだ。
世にある薬にはさまざまな効用をもたらす力があるのは知っているよね。それらは自然のものでない化学物質であるから、主な作用のほかにいろいろと歓迎しない副次的な作用もある。この薬も例外ではなく、脳の分泌物質に働きかけることで思いもしない副反応を生じるんだ。
その作用は人それぞれ。視力であったり記憶力であったり、脳に関連する機能に何かしらの影響が生じる。全身の痛みあるいは痒み、しびれや悪心だったこともある。
「過去の数ある患者の中には、わたくしと同じ症例の方もいらしたでしょう? 意地の悪いあなたは先ほどの例に混ぜた。いずれなのです? わたくしの病気の場合の副作用は」
ははは、初対面なのにひどい言われようだ。
娘がすみません。
いえ、私は患者からの恨みを引きうけるのも仕事のうちと認識していましてね。死に別れた妻との約束なんです。
美月さんと言ったね、君に出るであろう症状は、全身の疼痛なんだ。神経障害性疼痛だよ。歯がしみる程度の人間もいれば、夜も眠れない人間もいる。
君の場合はどうだろうね。飲んでみなければわからない。
「なッ! 歯痛が一番楽な分類……!?」
ゾッとしたかい?
残念ながら痛み止めは処方できない。なぜなら過去にそれが原因としか考えられない薬効不全があったからね。副作用に耐えてもらう約束は服薬とセットだと考えてほしい。
しかしどうにも耐えられない時は飲んでくれ、それが原因で精神を病んでは意味がないからね。
「なるほどですね、弱音をはけば本来の効果が得られないと」
その理解で正しい。
肝心の痛みの種類だが、神経を刺激するはずだからかなり苦しむと思う。最初にムズムズと痒みが。次いでピリピリとした痛みへと。どこまで強くなるかはわからないが、それが最高潮に達したあと徐々に弱くなってくる。時間をかけて無痛へと至り、限定寛解の時間が訪れる。12時の鐘が鳴るまでのね。
「そんな! そんな薬が? そんな劇薬になんの効果が!?」
動けるようになる。
「ほへ?」
動けるようになるんだ、元の通りに。
今は関節の可動範囲が減り、反応が鈍く、スピードが遅くなり、思い描いた通りの方へ動かせない。それが元の健康だった状態にまで戻るんだ。
いいかい。いまが坂の途中、薬が効かなくなった後が坂の下だとする。この薬は坂の下までの道のりを、坂の上の高さを維持したまま平らにするんだ。
すなわち、坂の下に到達するまでの期間だけ本来の運動能力を発揮できる。そして薬の効力が切れたとき、たったの1日で魔法は解け、一気に坂の下に到達する。
それは必ずだ、この薬は病気がもつ運命と切り離すためのものではない。まだ治験の段階、いや、正直に言えば国の認可など下りる未来のない薬なんだ。
「未来のない!? 薬!?」
だってそうだろう? 薬の効きは限定的だ。一度は夢を見させてすぐに根こそぎ奪い去る。ある人はこう表現した、時限装置付きの毒薬、とね。
ある日突然爆発するんだ。そして本来のあるべき惨状へと至る。
繰り返しになるが、これは認可された薬じゃない。そんな悲劇を生むだけの薬をどうして、国が認めると思う?
「そんなのって……」
だから言ったろ、残酷な夢を見せるだけの薬なんだ。
ただし健康な状態を持続させる方法もあるにはある。効かなくなった時点ですぐに2錠めを飲むことだ。ところが人間の体とは精巧にできていて、この化学物質を邪魔者だと認識するらしい。すぐに免疫を獲得して排除にかかる。だから2錠めは効力が1錠めの半分の期間しか続かない。1錠めの効力が切れる原因もそれ、免疫の作用。
3錠めはさらにその半分の時間、4錠めはさらに半分、と推移する。最初に効力が切れたのが1年だったなら、次々服用した際の持続期間は合計しておよそ2年足らず。1ヶ月だった人はおよそ2ヶ月足らず。
稀に長い人もいてね、私の妻になってくれた人は5年で、9年と少し元気ですごしてくれた。とにかく、必ず訪れる、薬が効かなくなる瞬間からは誰も逃れられない。
「でも、動けるようになる」
今、すごい色して目が光ったよ。人は見かけによらないと言うが、君は実に強いお人だ。君のお父上がそう評価したように、判断力も資格もあるらしい。君は未成年だが、副作用に耐えて薬を服用する覚悟がある。
受け取りたまえ。これが君にとっての、オリンピックへの切符になる。
「これが」
そう。
今は世界でたったのこれだけしかない。この10錠をひとまず渡しておくよ。最初の効力切れが1年未満の人ならそれで足りる。それ以上効くようなら連絡を、採血のついでに追加を渡すようにしてる。
「でもでもでも、ちょっと待って? その計算でいくのなら、1錠2錠増えたところで? だって365日、182日、91日、45日、22日、11日、6日、3日、2日、1日……。たとえ長くなっても1日2日しか変わりないんじゃあ……」
計算が早いね。
大空さんだったかな。たとえ長くなるのが1日であったとしてもね、動ける身でありたいと願わない人はいないよ。最後の1週間、最後の1日を望まぬ者はいない。なんならその半分の12時間だって。星の数ほど見てきた私が言うんだ、例外はない。
さ、スポーツ選手の君の場合は1秒でも早く飲んだほうがいい。運動能力が落ちはじめてから服用したのではリハビリに割く時間が長くなる。判断をもたついて延びる1日の恩恵を受けるのは、動かずに過ごして筋力が落ちた君なんだ。
人は1週間寝て過ごしただけで貧血で立てなくなる。1ヶ月ギプスで固めた腕は、一度満足に曲がらないまでに至る。明日よりも今日飲まなきゃ。
カウントダウンを止めるべきは今。
だよね?
「ええ。すぐにも」
実にいい目だ、私の奥さんだった人によく似てる。
じゃあそろそろおいとまするよ。白衣を着ちゃあいるが、私はこの病院の医師ではないからね。見つかったら大変だ。それどころか医師免許すら持ってない。
そんな人間の言を信じて、君は手にしたその薬を飲むことができるかい?
「もちろんです」
グレイトスコット!
最初の1錠はいつも、見届けるようにしているんだ。フリだけして捨てられてはかなわないからね。
本当にありがとう、君の勇気に敬意を。ではお大事に、私は次の患者のもとへと赴くよ。
じゃあたぶん今生の別れだね。左様なら、よい余生を。
「はい。ありがとうございました先生」
「え? 白衣を脱いじゃうの?」
ん? そりゃそうさ、だって今日の仕事は終わったじゃないか。それに白衣さえ脱げば揉め事は起こらないからね。処世術さ。
「だったら白衣さえ着なければ揉め事は起こらないんじゃ?」
君は鋭いね。これは私の戦闘服なんだよ。それにこの顔じゃ医師だって信じてもらうのが難しい、だろう?
「すっごい童顔だもんね。あなたは嘘つきだけど救世主なんだ。そうやって人助けをして回ってる」
いやいや、そんな上等なものじゃなくって。
ただずっと人体実験をして回ってるマッドサイエンティストなんだ。この薬が完璧に作用する、万能薬化してくれる免疫を作る人を探しているだけでね。
この薬も前はもっともっと効力が短くて。私の奥さんだった人がその身で、今の効力になるまで薬効を引き上げてくれたんだ。
「じゃあもしかして……?」
そう。その薬は私の奥さんだった人の、血液だったものからできている。今こうしている間も少しずつ少しずつ培養されていて、新たな薬が作られている。だからもし水守さんが完全寛解して、体内で万能薬化させることがあったなら。私に連絡をくれ、いつだって、どこからだって瞬時に駆けつけるから。
「ほぉら、やっぱりいい人だ」
違うって、そんなんじゃないから!
さ、さいならぁ!
「さいなら、だって。いつの時代のひと?」
「ふふふ、おもしろいかたを見つけたんですね」
ん、まあね。
世界中を飛び回っていると不思議といろんな話が飛びこんでくるものなんだ。不治の病に侵されている娘を励ますことのできる薬の情報なんかが、ね。
「お父さんっ!」
すまない美月、こんなことしか。
「ううん、ありがとう!」
「いい雰囲気のとこ邪魔しちゃあれだから、じゃあまた来るね!」
「つばめさん! 明日ならたぶんまだかゆみと闘っているころなので、明日! もう一度!」
「わかった、ボクも実は言わなきゃならないことがあって。じゃあまた明日!」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「実はもういっかと思ってたんだけど。明日って言われちゃったから。やっぱりきちゃった」
「なにか打ち明けたそうにしていましたものね」
「ぎっくう! ほんとに!? ほんとにそんな顔してた!?」
「ふふふ、ええ。それで? きのうの来訪の主目的はなんでしたの?」
「それなんだけどね、実は……お金を貸して!」
「っとと? ええ、かまいませんが。おいくらくらい必要なんです?」
「えっとね……30万円、ほど?」
「ずいぶんな高額! わたくしのお年玉と貯金を合わせれば、どうにかそれくらいはありそうですが」
「やった! ありがとう、バイトして返すから」
「大人になってからでいいですよ。それよりも、理由はもちろん聞かせていただけるんでしょう?」
「もちろんだよ! あのね————」
「そんなことが」
「どうせ日本にいたってまだクラブは振れないからね。このままただ骨がくっつくのを待つよりはマシだと思えるから。だからちょっとだけ行ってくる。あの日に告げられた言葉を確かめるのはたぶん今なんだ。だから今は。行ってきます」
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