第46話 幸せな未来

「たいちゃーんっ」


廊下を歩く足音と共に、子供を探す声が響いた。


そこは『有島家』の新しい家だ。


「ママーッ!たいちゃん、椅子のお部屋にいるよー」


彩葉の耳に、唯椛ゆいかの声が届く。


唯椛は四歳になる女の子だ。

そして今、唯椛が見つけてくれたのは、弟でもある大樹たいじゅ


先日一歳を迎えたばかりだ。


「唯ちゃん、ありがとぉ〜。」


『椅子のお部屋』に辿り着くと、唯椛は胸を張って大樹に指を指し、『ココだ』と示す。


そんな唯椛の頭を撫で、感謝を口にすると、えへへーっと嬉しそうに唯椛は笑う。


「唯ちゃん、『桐ちゃん』待ってるから玄関に行って」


彩葉の言葉に、唯椛は元気よく返事をし、すぐに玄関へと向かった。


そんな愛娘の元気な姿を微笑みながら見送ると、彩葉は『椅子のお部屋』にある小さな椅子にしがみつく愛息子、大樹の元へ行く。


「…たいちゃん、危ないよ」


もうすぐよじ登れそうな高さの椅子は、一人がけの、少し小さな椅子。


理由は分からないが、柾人が大事にしている椅子だ。


柾人と結婚して五年。


共に過した中で、以前、柾人が『いつか話す』と言った話に、この椅子が関わるのでは無いかと感じている。


そしてこの椅子を大事にする事で、柾人がひた隠しにしている『傷』を癒す事が出来ているのなら…。


柾人が詳細を話さない以上、憶測でしかない。

しかし彩葉は、この小さな椅子が好きだし、大事にしている。


時折ツヤ出しのワックスまでかける。


その小さな椅子は、彩葉が大事にしているからか、子供達も大好きだ。


時には争い、時には唯椛の膝の上に大樹が乗って座ったりする。


彩葉は、大樹を抱えようと両脇に手を差し込む。

すると椅子から離れるのが嫌だと、大樹は身体を捩った。


「…たいーっ、あ、いた。」


椅子の部屋を、柾人が覗き込むようにしてやってきた。


「たい、行くよ。」


休日以外の昼間に、柾人が家に居ることは殆ど無い。


今日はその珍しい日だ。


大樹は柾人に声を掛けられ、彩葉の元を離れ、ポテポテと歩き、柾人の足にしがみついた。


「…大好きな椅子よりもパパ。そしてその椅子以下のママ…」


大樹に振られた彩葉は、椅子にしがみつきながら呟く。


「何言ってるんだか。普段、俺の方が振られっぱなしなのに。妻と娘と息子に。」


柾人は大樹を抱き上げる。


身長の高い柾人に抱き上げられると、大樹はキャッキャッと楽しそうに笑う。


「…また…ツヤ出し…しようかなぁ。」


彩葉は、しがみついた椅子を撫でながら呟く。


その彩葉を見ながら、柾人は微笑む。


「…その椅子…、俺のなんだ…」


呟く柾人を、彩葉は見上げた。


柾人は、自分の顔を触ってきた大樹を見つめながら話す。


「…処女作ってやつ。まぁ、それ以後は作らなかったが。」


柾人の表情は穏やかだ。



「小柄な祖母の為に作ったんだが、父に作った理由すら聞かれずに、欠点ばかり指摘されて…。...この椅子は、そんな...俺の過去そのものだった...」


話しながら、柾人は大樹を見つめている。

顔をベタベタ触られ、終いには前髪を捕まれている。これでは大樹を見る以外出来ない。


それでも、彩葉は不満だった。


「…それでなくても…、俺は…桐人に劣等感を抱いていたからな…」


ずっと待っていたのに。

柾人が話してくれるのを。


「…両親に…、桐人と同じ様に…甘えたかった。…同じ様に…、甘えて良いと…言われたかった。」


なのに、柾人はかのように話す。


露骨に不満そうな顔をした彩葉は、勢いよく立ち上がる。


そして無言で、柾人の横を通り過ぎようとする。


「…彩葉?」


機嫌が悪くなった彩葉が分からず、柾人は彩葉の腕を掴んだ。


「…どうした?…嫌な…話だったか?」


柾人の肩に抱えられた大樹は、未だに楽しそうだ。


「…ずっと…待ってたのに…」


「…何を?」


状況が掴めない柾人は、彩葉の顔を覗き込む。


露骨に機嫌を悪くする彩葉は、とても珍しかった。


普段、多少怒ったり不貞腐れたりはする。

しかし気持ちを立て直して、直ぐに謝ってくる。


そんな彩葉が、不満を顕にしたままでいる事に驚いた。

しかも話していた事は、柾人にとっても『やっと話せた自分の傷』とも言える内容だった。


「…『いつか話す』…。…その『話』でしょう?」


「…あぁ…」


彩葉は俯き、少し泣きそうな顔ですらある。


「…ずっと聞きたかった。…でも…待ってたのに…。なのに…たいちゃんに話すなんて…」


別に大樹に話した訳では無い。

分かっていた。


でも、今まで話せなかった程の柾人の『傷』の事を一番最初に聞くのは自分だと、彩葉は疑うことなく思っていた。


息子にヤキモチを焼くなんて。

可愛くてたまらないのに。


そんな彩葉を見て、柾人はハハッと破顔した。


「…何で笑うの!?」


怒る彩葉を柾人の片腕が捕まえ、胸に抱き寄せた。


そして耳元で、熱を帯びた声で囁く。


「唯椛と大樹…、桐人に預けたら…。彩葉…、お前を抱く」


脈略の無い話に驚き、彩葉の大好きな声がとんでもない宣言をした事に、耳を押えながら顔を赤くした。


「…どれ程...俺をお前に惚れさせれば気が済むんだか...。...玄関、ロックしたら…すぐだからな。」


そう言うと、柾人は彩葉の返事も聞かずに、抱えた愛息子と愛妻の手を引き玄関へと向かった。

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