第40話 破れた夢

彩葉は柾人が果てると同時に、激しく逝った。

柾人に触れていた手は、その強烈な快感に耐える為に柾人の肩に食い込んだ。


彩葉の爪が、柾人の首の付け根に傷を入れた。


そしてその身体は脱力し、首に回していた腕は解かれた。


柾人はその痛みより、回された腕が離れた事を寂しく思った。


『仮初の時間』は、たった今終わったのだ。


寂しくて、彩葉の息が整うのを待たず、柾人は彩葉の身体の横に自分も横たわった。


そして彩葉の胸に縋り付くように、自分の顔を寄せた。


そんな様子の違う柾人に、彩葉は戸惑う。


「…社長…?」


彩葉に縋り付く柾人を、彩葉は見下ろす。


「…今日…、何か…ありましたか…?」


彩葉の呟きが柾人の耳に届いた。


返事はせずに、柾人は瞼を閉じた。

そして心の中で思う。


『あったよ。これでもう…お前は俺から離れていく』と。


少し休んだら、もう離れなければ。


柾人はそう思いながら、回した腕に少しだけ力を入れた。


相反する動きが矛盾していようとも、柾人はこの残り僅かな時間を手放せない。


そんな柾人の頭を、彩葉はそっと撫でた。


いつもと様子の違う柾人。


思えば最初から、柾人の様子は違った。


だけど、柾人を引き離そうとは思わなかった。


むしろ彩葉も、柾人をこのまま抱き締めていたかった。


まるで幼い子のような様子を見せる柾人を、事情が分からずとも慰めたかった。


彩葉には、柾人が大事な何かを胸に握り締め、肩を竦めて身を固くしている子供の様に見えた。


見つかれば大人に、手にした大事な物を取り上げられてしまう。

だからと言って、必死に説明しても大人はそれを理解してくれずにアッサリと捨ててしまう。

だから言いたい事を口にせずに、身を固くすることでその大事な物を隠し、手放さないように必死になっている。


そんな子供を見て、凄く切なくなった気分だ。


だから簡単に『大丈夫』だとは口に出来なかった。

ただ、そっと柾人の頭を撫で続けた。



◇◇◇◇◇◇



彩葉が慰めるように、柾人の頭を撫でていた。


今までずっと、頭を撫でられるという行為をあまりされた事の無かった柾人は、思った以上の心地良さにそのまま微睡んだ。



そして気付けば、彩葉もまたそのまま眠ってしまったようだ。


小さな寝息が聞こえた。

頬に触れる肌は暖かい。


本当はそのままもう一度微睡み、彩葉に抱き締められたまま眠ってしまいたかった。


そうすればきっと、今までの、どんな時よりも幸せな夢が見れる気がした。


もう少しだけ『仮初の時間』を伸ばせる気さえした。


でも彩葉が起きた時のことを考え、柾人はそろっと身体を起こした。


せめて直ぐに入浴出来るように、支度くらいしておこうと、足音を立てずに部屋を出た。


風呂の支度は、お湯張りボタンを押せば良いだけ。


バスルームに行きボタンを押すと、柾人は再度廊下に出た。


そして寝室に向かい、手前の部屋の前で足を止めた。


そこは、彩葉に入らないで欲しいと言った部屋。


何か貴重品があると言う訳でも無い。


柾人は真ん中の部屋の扉を静かに開けた。


部屋の真ん中に置かれているのは、桐人がイタリアのコンクールで賞を取った作品。


初めて取った賞に出展したチェアだ。


桐人は感謝の意を込めて、柾人にそのチェアを贈った。


扉を開くと、廊下からの光がチェアを照らし、まるでスポットライトのようだ。


柾人は部屋に足を踏み入れた。


そしてチェアを通り過ぎ、部屋の角に置かれた布を被せた小さなチェアの前に立った。


椅子を覆った布を、柾人は剥ぎ取る。


そのチェアは、幼き頃柾人が初めて造ったチェアだ。


身体の小さな祖母が使えたら良いと、小さめに設計されたチェア。


角が無く、丸みを帯びた、凡庸で特徴も無い作品。


有島家具に勤めている修理を請け負う社員に教わり、必死に造った。


出来上がった時の喜びは、とてつもなく大きかった。


祖母に喜んでもらえると嬉しい。

幼い柾人には、そんな期待しか無かった。


自宅から離れて暮らす祖母にそのイスを届けるには、両親に相談するしか無かった。


しかしイスを見た両親からは、使用する意図すら聞かれなかった。

そして小さいイスの、一般的な利便性の無さを説明された。

最後に、この椅子は商品化するに至らないと、厳しい目で見られた。


初めてチェアを制作し、将来、デザインの仕事に就いても良いかもと淡い夢を抱いた柾人を打ちのめす出来事だった。


そして柾人のチェアを見て、桐人が画用紙に真似事でチェアを描いた。


桐人が描いたチェアとて、優れたものでは無かった。


しかし両親は手放しに桐人を褒め称えた。


今なら分かる。


当時の桐人は大変育てにくい子で、柾人は桐人の見本となるべく育てられた。


逆に桐人は褒める所が無く、両親に取ってみれば、やっと桐人が一人で出来た事で褒めてあげれる出来事だったのだ。


自分が蔑ろにされて育った訳ではなかった。


しかし桐人が生まれて以降、柾人は『優れた兄』という枷を嵌められた。


柾人には、がかけられていた。


そのせいか、柾人が両親に抱き締められて可愛がられる事も、頭を撫でられ安らぐ事も記憶に無かった。



この部屋は、柾人の心の中の縮図そのままだった。


真ん中に桐人のチェアが飾られ、部屋の端に隠されるように置いた過去の汚点。



幼き頃より、柾人が望んだ小さな願いすら叶わなかった。


桐人のようにとは言わない。

でももう少しだけ、両親に自分を見て欲しかった。


必死になって、自分を取り繕っている柾人の、本当は寂しいと思っている感情を見抜いて欲しかった。


そして少しだけ、桐人にする様に抱き締めて欲しかっただけ。


もう親を必要とする年齢でもない。


だけどこれから先も、きっと自分の、一番願う想いは叶わない。


柾人は自嘲する様にため息をついた。


その時、部屋の扉がキィッと音を立てた。

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