第34話 キスの温度

告白をしていたのは、彩葉だった筈だ。


そして卑怯な手段を使って、アリシマ・ファニチャーへの入社を確実にした彩葉は、柾人に嫌われているはずだ。


なのに、何故。


目の前の柾人は、今にも崩れそうな切なげな表情を浮かべているのか。


待つとは、何を待てば良いのか。


彩葉には分からない。


「…でも…」


言葉を続けようと、彩葉は声を出した。


それを拒否したくて、柾人は彩葉の頤を掴み、持ち上げた。


そして彩葉の言葉を打ち消すかのように、柾人は唇を重ねた。


「…んっ!!…んんっ…」


突然始まったキス。


それは益々、彩葉を困惑させる。


彩葉の息が上がるほどにキスをした後、柾人の唇が少し離れた。


「…頼む…。…ちゃんと後で聞くから…、触れても…良いか…?」


柾人の中で何が起こったのか。

彩葉には分からない。


それでも柾人は、彩葉にとって大好きで、拒否する事など出来ない相手だ。


「…はい…」


返事をすると、再びキスが再開した。



◇◇◇◇◇


さっき荒々しいキスをした事が嘘に感じるほど、ゆっくり、確認するかのようなキスをする。


躊躇うかのようにゆっくり唇が重なり、優しく啄まれる。


繰り返しされる啄みに、彩葉の息が上がり無意識に口が開く。


柾人は緩慢は動きのまま、己の舌で彩葉の舌に触れた。


舌先が触れると、先を尖らせた舌同士が小さく触れ合った。


時間をかけ、柾人の舌が少しずつ彩葉の口腔内に侵入していく。


その間に、柾人の大きな手は彩葉の頭を撫で、髪を梳く。

頬を撫で、耳に触れ、首筋を撫でた。



待って欲しい。


彩葉にそう告げた。


彩葉はあの日、柾人に一目惚れしたと言った。

そして更に彩葉は、その先に言葉を続けようとした。


その言葉はきっと、柾人を『拒否』する言葉であろうと思った。


今日を境に、彩葉との繋がりが徐々に途絶えていくのだとしたら。


ほんの少しの間、お互いが『好き』であった時間を持ちたくなった。


『仮初の時間』だとしても。


彩葉の中で、少しでも彼女を愛した男として、僅かにでも残れば良い。


柾人は今尚、狡く卑小な自分を捨てきれない。自己憐憫じこれんびんも甚だしい。


だがこの偽りの時間を、彩葉は理解出来なくとも受け入れてくれた。


だから。


このキスで。


柾人の、身を焦がすような恋情の温度が、僅かでも彩葉の唇に移れば良いのに。

そう思った。


この時だけでも良い。


彩葉と出会った日の、柾人の中に芽生えた彩葉への『恋』と、彩葉が言った『一目惚れ』が絡まれば良い。


今だけの、偽りの『徳恋』に縋りつきたい。


だから彩葉の言葉の先を絡め取るように、キスが止められない。


次第に深くなるキスに夢中になっていく。


柾人は彩葉の肩を抱き、その細い腰を自分に密着させる。


そして無抵抗の彩葉の身体を、自分の膝の間に置いた。


体勢を変え、仰向けになった彩葉に覆い被さるかのように、更にキスを深めていく。


「…んっ…ぅ…ん、…く…ふぅ…っ」


彩葉の口から漏れ出る声に、次第に色香が混じる。


舌先から、舌の全てで擦り合わせる程、深く深く舌を絡ませる。


そして舌下、歯列、上顎へと、全てを舌先で触れていく。


それは彩葉の中で、まるで熾火おきびのように快感となって燃え広がる。


消えることの無い熾火が、全てに燃え広がるかのように、彩葉の身体をジワジワと追い詰める。


「…ンーーッ!!」


柾人の腕の中で逃げ場すら与えられず、彩葉は絶頂を示すように、切なげに声を上げた。


ようやく互いの唇が離れた。


柾人は互いの距離を離さないまま、鼻先が触れそうな程近くで、彩葉の頬を撫でた。


彩葉は潤んだ瞳を細め、濡れた唇は今尚身体に残る快感を逃すかのように戦慄かせている。


「…逝った…?」


囁くように聞いてきた柾人の言葉に、彩葉は頬を紅くする。


自分でも、まさかキスだけで逝く日が来るとは思わなかった。


彩葉は思わず、柾人の胸に縋り付くように顔を隠した。


他に逃げ場は無かった。


そして柾人もまた、それ以上の言葉は紡がなかった。


何を言おうにも、現実に引き戻す要因にしかならない気がした。


今は現実など見たくなかった。


その場から逃げるかのように、柾人は腕に納まっている彩葉を抱き上げ、ゆっくりと立ち上がった。


まるで『あの日』のように、彩葉は柾人の腕の中にいる。


劣情のままに、無理矢理彩葉を押さえ込んで抱いたあの日。


柾人の自宅に連れ帰った時、同じように彩葉を抱き上げて、そして寝室に入った。


『あの日の劣情』をやり直すかのように、柾人は彩葉の身体をゆっくりとベッドに置いた。


彩葉を横たえて、柾人は四つん這いの状態で彩葉の唇にもう一度重ねる。


言葉も無く、繰り返されるキス。


あの日とは相反するように、ゆっくりと、掠るように柾人の指が彩葉の肌を滑る。


身に纏う衣服を取り除く行為すら、時間を掛けてゆっくりと行う。


過ぎていく時間を引き伸ばすかのように。



恋焦がれる彼女を、愛しても良いと錯覚したいが為に。

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