第33話 すれ違い

柾人の自宅のインターホンが鳴った。


彩葉が時間を取って欲しいと電話を掛けてきてから、おおよそ30分。


これ程までに、その時が来るのが落ち着かないとは思わなかった。


月曜日までは決別は無いと思っていた事が繰り上がったのだ。


覚悟をするには短い時間だった。


インターホンに出ると『庭木です』と声が聞こえてきた。


彩葉の声も、普段より幾分固く聞こえる。


「入って来い。玄関のロックも開けておくからそのまま入ってくれ」


そう言うと、インターホンの受話器を置いた。


玄関に向かい、ロックを解除する。

そして框の真ん中にスリッパを置く。


こうやって、再び自宅に彩葉がくる日が来るとは思わなかった。


しかしそれも今日で最後かもしれない。


考え事をしていると、再びインターホンの音が鳴った。


玄関を振り返ると、扉がゆっくり開いた。


「...あ、あの...失礼します」


恐る恐る扉が開かれた。その遠慮がちに開かれた扉の向こうには、姿勢を低くした彩葉がいた。


「何でそんなコソコソしているんだ?...どうぞ?」


身を小さくした彩葉は、正しくコソコソ入ろうとしているように見えた。


「...いや、自宅でもないのに家主が招き入れる訳でもなく、自ら他人の家の玄関を開けるって...あまり経験が無くて...コソコソしてた訳ではないんです」


言われてみれば、まぁ確かにそうかもしれないと思った。


「家主が良いって言ってるんだから気にしなくて良いよ。入って来て。」


柾人はそう言うと、彩葉が框に足を上げるのを見送って、玄関をロックした。



◇◇◇◇◇◇


「…お時間を取って頂き、ありがとうございます」


リビングのソファに2人で座り、隣りに座った柾人に身体を向けると、彩葉は頭を下げながら柾人に詫びた。


淹れたてのコーヒーを口にした柾人は、そのカップをテーブルに置く。


「…いや、本当ならば俺から声を掛けなければいけなかった。…誤解させたままだったからな」


彩葉と視線を合わさないまま、柾人は彩葉に謝った。


彩葉はまだ、柾人が彩葉に対して『仕事に役に立っていない』と思っている所で話が止まっていたのだ。


キチンと話をしなければいけなかった。


「…今回の話は、別にお前が仕事に対して失敗をしたとか…そう言う話が起因してのことでは無い。」


今度は彩葉に視線をやり、誤解のないように説明する。


「…そうですか。…ありがとうございます。でも…デザイン部への異動とはどうしてなのでしょうか?」


「…元々…お前はデザイナーを目指していた者だろう?…少なくとも現場に入ればその目標に1歩は近付く。そして学ぶことも出来るだろう」


柾人は彩葉の様子を見ながら言う。


口にした理由も本当に思った事だ。

今はまだ現場にいる者とは実力がかけ離れていたとしても、学ぶことが出来ればその実力も身に付けることが出来るはずだ。


「…それに『デザイン部』の全ての人間がデザインを行っている訳でもない。…例えば『桐人』の側で、桐人を手助けする人間も必要な事だ。」


柾人は両膝に肘を置き、両手を合わせて握り締める。


嘘は言っていない。


きっとそうする事で、彩葉は望んだ仕事が出来るのだと信じている。


自分の心がついていかないだけだ。


次第に柾人の視線は下がり、遂には俯いてしまう。


「…社長。お心遣い…ありがとうございます。」


彩葉もまた、今から柾人に問い質したい事を口にすると、もう柾人の傍に居る事は出来なくなるのではないかと、身を固くする。


「…でも私は…、もうデザインをする事を辞めた人間です。…むしろ…、社長の側で…」


彩葉の言葉に、柾人はソロリと頭を上げた。


「…私は…社長と初めて会った時…、一目惚れしたんです…」


彩葉の言葉に、柾人の思考力は奪われた。


「…入社の手順は…その…、少々良くなかったかも知れませんが…。でも社長の側で働きたいと思った事は間違いじゃありません。」


惚けそうになりながら、柾人は頭の中で彩葉の言葉を理解しようと考える。


今、彩葉は『出会った時に一目惚れした』と言った。


そして、あの出会った日の、柾人の感情もまた、言葉にすれば『一目惚れ』だった。


絶望で真っ暗になった世界に、ほんの少しだけ小さな火が灯された。柾人はそんな感覚に陥る。


それでも、もう覆せない程の過ちを犯したとは思っている。


ただ、少し救われた。


「…でも私は…っ!!」


彩葉の語尾が強くなる。


その言葉を、もう少し。


もう少しだけ遅らせたくて、柾人は彩葉の唇に自身の指の平で覆う。


触れるか触れないか。


だけどそれにより、彩葉の言葉が発せられるのが止まった。


「…少し…。もう少しだけ…待ってくれ…」


疚しくて、柾人は彩葉から視線を逸らしながら言う。


「…後で…。後で…ちゃんと…聞くから…」


どうせ今日で、彩葉を触れる事など出来なくなるのなら。


ほんの少しだけ、小さな過去の夢を見たいと思った。


顔を上げた、切なげな表情の柾人を見て、彩葉は息を呑んだ。

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