第29話 卑小

社長室で柾人と彩葉の揉め事に遭遇した三上は、その後、すぐに仕事を切り上げた。


時間的にもあと少しで業務終了時刻だった事を良いことに、無言の柾人を引き連れて退社した。


そして二人は馴染みの店でもある、BAR“累“にやって来ていた。


「オープン前に悪いね〜、オーナー」


バーテンでもある、BAR“累“のオーナー萩本るいに三上は目を合わせ声を掛ける。


「もうすぐオープンですし、構いませんよ。桐人、今日来る予定だったんですけど、もしかしてトラブルです?」


「…ん〜…、後で来るかも?ちょっと桐人もで…。悪いね〜、逢引の邪魔をして」


実はオーナーの累は、現在桐人と友人以上になりつつあった。あと少しで恋人になる辺りであろうか。


累と桐人は特別公言している訳ではなかったが、三上の言葉に、オーナーである萩本は一瞬何かを考えたようだったが、すぐに笑顔を見せた。


「分かりました。では、柾人さんと三上さんは何を飲まれます?」


オーナーの問いに、三上は「…ザ・マッカラン」と笑顔で言う。


高級ウイスキーの銘柄の一つでもある『マッカラン』。

その言葉に柾人はチラリと三上を見るが、逆に三上はケロッとしており、笑顔を見せる。


“迷惑料“として仕方ないかと、柾人も小さく溜息をつく。


「まだ誰もいないし、カウンターで良いか。」


「オープンまでに終わりそうなお話なんですか?」


オーナーは時計をチラリと見ながら二人に話しかける。

時計は18時15分を示している。


BAR“累“の営業時間は19時からとなっている。


「余裕。単なる“色恋沙汰“だし」


「…違う。」


笑う三上に、柾人は弱々しくながらも否定する。

チェアに腰掛けた2人の目の前に、静かに茶色の箱が置かれた。


「…本日入荷…“ザ・マッカラン レアカスク“」


笑顔で言うオーナーに、柾人は動きを停めた。

“プライベートで迷惑を掛けた“お礼の品としては高額だ。


しかしこのお礼の品は、オーナーのお礼としても売上貢献として使える。

時間外に来店し、店内を使われる『迷惑料』だ。


「…それでお願いします。ボトルで。…残りは三上、持って帰ってくれ」


柾人の言葉に、三上は驚いた顔を見せる。流石にボトルで注文させる気は無かったようだ。


「気前良いな。」


だ」


「そりゃどうも。じゃ、せっかくだしするかな」


そう言うと、箱を開封するマスターを見ながら二人は話し始めた。




◇◇◇◇◇



柾人は、先程の事の流れを三上に簡単に説明した。


元々、彩葉はデザイナー志望のはずだった事。

誰でも仲良くなる訳では無い桐人が、彩葉とは険悪になる訳でもなく仲良くしている事。

業務上の支障は出てはいないが、征人との“職場での不仲“な状況は彩葉に心理的負担が大きいのでは無いかと考えた事。


そういった経緯で、彩葉に『デザイン部』へ異動してはどうか?と持ち掛けた事。


簡単に掻い摘んで話した柾人の隣で、三上は俯き、後頭部に手を置きながら深いため息を吐いた。


「…いい大人ですし、余計な世話と思って何もしなかったんですけど…“友人“として話しても良いですかね?」


三上の言葉に、柾人は『どうぞ』と促す。

柾人は間違った事はしていないつもりだ。


彩葉の為には良い事だと信じて、だから彩葉に尋ねたのだ。


まさか泣かれるとは思っていなかったが。


「…そもそもさ、るのに、なんでぎこちなくなってるんだ?」


三上の言葉に、柾人は“やはりバレていたか“と再確認した。

逆に三上は、そんな柾人の反応を見て、再度深いため息をつく。


「…そういう仲ってのはさ、二人の雰囲気で感じ取れてしまうものだから。…で?セフレ解消の為にデザイン部に移動させたい訳?」


三上の言葉に、柾人は「そういう意味での移動では無い」と呟く。

タイミング良く、目の前に置かれたブランデーを煽る。


「だろうな。…惚れてる女だもんな。」


三上も目の前に置かれたブランデーを口にする。

「…やっぱ旨いわ」と呟く三上を、柾人は見た。


「…別に庭木さんはお前をはないだろ?…むしろ…」


「…いや…、もう…」


修復も出来ないほどに嫌われているはずだ。

柾人は口に出さずに思った。


嫌われるだけの事をしてきた。


そんな柾人の様子を見て、またしても三上は溜息をつく。


「…色んな女が世の中にはいるが、少なくとも庭木さんは“遊び“で寝る事は出来ないタイプだろ。その時点で、多少は好意はあると見ても良いだろうが。」


呆れるように呟きながら、三上は考えた。


彩葉の、あのワザとらしい程にぎこちなくなる態度は、柾人を意識しすぎての事だろう。

年齢を考えれば、もう少しスレていても良いだろうにとは思うが。


柾人は三上の言葉に応えない。


三上は知らないが、そんな小さな好意を掻き消す程の事をしたと柾人は思っているからだ。


「…って言うか、お前が普通に口説いたら、結構な数の女が簡単に堕ちそうなんだけどなぁ。」


ボヤくように呟く三上は、美味いと何度も言いながらつまみに出されたピスタチオとカシューナッツを交互に食べる。


そして柾人をチラリとみる。

そこには「…口説く…?」と呟いている柾人がいた。


「…は?…ちょっと待って。…惚れた女は口説くだろ?…え?」


三上の言葉に、柾人は初めて気付いたとばかりの様子を見せる。


「…お前、女を口説いた事無いとか…言わないよな?」


三上の言葉に応えない柾人に、三上は「…マジか…」と額に手を当て天を仰ぐ。


「…俺なんか久美と付き合う時“土下座“までしたのに…」


「…土下座したんですか…?」


三上の言葉に、マスターが面白そうに反応する。


「したよ〜。久美が俺の女になってくれるなら土下座くらい〜。ってか、ウチの久美さんと俺の立ち位置はそれで良いの。」


三上は恥ずかしがることも無く笑って答える。


「それより柾人、お前だよ。…じゃあ口説き落とすことも無く下半身だけ使ってるのかよ。」


随分とあけすけな物言いに、柾人はウイスキーを口に含むことで応えない。


「…自分の事になるとトコトン不器用だな。…他人に本音で関わってこなかった弊害だよなぁ。」


柾人につられるように、三上もまたウイスキーをくちにする。

美味い酒はいくらでも飲めるなとマスターに話しかけながら、三上は二杯目を頼む。


「惚れた女は口説き落として自分のモノにする。それにはプライドや体裁なんかはとっぱらって、本音でぶつかるしかないだろう?」


「…本音…か…」


柾人は呟きながら、改めて今までの自分について考える。


誰かに素の自分をさらけ出す事など、今までどれほどあっただろうか。


幼い頃を除き、ある程度成長してからはなかったのでは無いだろうか。


人当たりの良い笑顔を見せ、寧ろ己の感情すら誤魔化した。


何時しかそれは自分の中で当たり前のようになった。


罵られようと、揶揄されようと、笑顔でいればイラつきすら感じなくなった。

誰かの感情にも、自分の感情にも、何も感じない。


「…なんて言うか…“不感症”だよな。…完璧主義も程々にしないとダメって言うことだな。」


三上は柾人を“完璧主義”と評した。その言葉に“あぁ、俺は完璧主義だったのか”と改めて考えた。


自分を良く見せるために、今まで必死になってやってきた事は、言葉にするとそうなるのかと。


「…で、その鉄面皮が通用しないのが、庭木さんって訳だ。…お前…“逃げて”いいのか?」


柾人は三上の言葉に応えない。


逃げるも何も、もうどうしようも無い。

彩葉に対しては、悪手ばかりとってしまった。


三上が言うように、自分の感情に“不感症”で自覚する事もなく、八つ当たりをしていたのだ。


「本当の自分を知られるのが怖い、小心者のクセにプライドは高いお前は、大人の余裕を持った男に“擬態”する事ばかりに執着してきた訳だ。」


「…小心者で?プライドが高くて?本当は余裕なんかひと欠けらも無い“卑小な男”だと言いたい訳か?」


三上の言いぶりに、柾人は流石に笑いが出てきた。

しかしその通りだなと、情けないながらも自覚する。


自らを分析する為に、過去を振り返った事などなかった。正直、今が初めてだと思う。


会社の上の者としては、上手に出来ているとは思う。

しかしプライベートでは、“擬態”して他人と接しては分かり合えないのだ。


「…ま、言ったら“心のED”だな。…嫌な言葉だな…“勃起不全“…」


自分で発言しておきながら、三上はリアルな“勃起不全”を想像したのだろう。

自らの身体を抱き締めるように身を縮こませ、震える真似をする。


「…言われたのは俺なんだが?」


「…俺は心も身体もだし」


三上は自慢げに、柾人を見て笑う。


三上は愛妻の久美を溺愛している。

尻に敷かれて、愛妻にへつらっている様にも見えるが、そこは三上が言うように、二人は二人のがあるのだろう。


三上が『自分達はで良いのだ』と言う事が出来るのは、二人がしっかり心を通わせて、二人の関係を作り上げる事が出来ているのだろう。


「ま、そのご立派な下半身ばっか使わないで、偽った自分をとっぱらって情熱的に口説け。」


不意に、三上は柾人の頭を軽くポンポンと叩く。


幼い頃によくされていた事だ。


「…どうも…。ありがとう、三上“お兄ちゃん“?」


同じく、頭をポンポンされていた頃の呼び方で柾人が三上を呼ぶと、三上は吹き出すように笑った。

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