第24話 儚い夢の跡

目の前に彼女がいた。


手触りの良い、サラサラした髪。



少し緩まったポニーテールが揺れていた。

その髪の束に触れたくて、そっと手を伸ばした。


指の間をすり抜ける髪は、心地好い感触を与えた。


彼女が、触れられた髪を自分で触れながら振り返る。


微笑んだその顔が可愛いと思った。


身体が此方に向き直る前に、後ろから抱き締める。

すると彼女は身体を捩りながら、可愛い顔で此方を見上げた。


微笑んだ、優しいその顔が可愛くて。愛しくて。


笑みを浮かべたその唇に、自分も微笑んだ唇で重ねる。


彼女の僅かな体臭が心地好い。


向き直った彼女の両腕が自分の背中に回り、服をギュッと掴む感触が分かった。


受け入れられている事に悦びを感じた。


互いに薄らと開いた唇。


そろりと舌を入れれば、直ぐに迎え入れられ、口付けは深まる。


一度唇を離すと、見上げてくる彼女は目元を赤らめ、また微笑んだ。


離れられない。離したくない。

胸を締め付ける愛おしさを分かって欲しくて、その小さな唇を啄むようにキスを繰り返す。


あまり繰り返していたからか、微笑んだ彼女は困ったように身体を捻り、背中を向けようとした。


それに切なさを覚え、それでも自分は彼女に受け入れられ、微笑んで貰えている事に喜ぶ。


そして手触りの良い髪を避け、その細い首に唇を寄せた。


綺麗なうなじを小さく吸う。


あぁ。




「『…好きだ…』」





そう呟いたのは、夢か現か。


でも『夢』だったとしても、今、その温もりは腕の中にあった。


夢の中で夢中にさせた、匂いも、肌触りも。

今、腕の中で感じることが出来る。


幸せな『夢』だった。


でもそれは『現実』でもあると疑わなかった。


目の前には、自分の顔をくすぐる細く手触りの良い髪があった。


顔を埋めれば、より彼女の匂いを感じれた。


そして『夢』のように、寝ぼけたままその綺麗なうなじに唇を寄せ、瞼を閉じたまま小さくキスをする。



「…んっ」


身じろいだ彼女の動きで、髪が動いた。


薄らと瞼をあけ、その細い首を見た。


流れ落ちた髪の毛の隙間から見えたのは、激しく噛み付き、細く白い首を傷付けた歯型。


その歯型の周りは所々鬱血している。

そしてその周りにいくつもの鬱血。



それを視界に入れ、柾人は身体をビクッと震わせた。



『目が覚めた』。


あぁ、だった。


そう思った。


そうしてゆっくりと、柾人は身体を起こした。


背中を向けて眠っているのは、昨日、自分が散々犯した、自分を嫌っている秘書だ。



柾人はため息をついた。


なんて夢を見ているのか。


昨夜は、体力の限界まで彩葉を抱き潰した。


『もう無理だ』と訴え続ける彩葉を手放さず、何度も何度も繰り返し抱いた。


コッチが現実だ。


自分の弟である桐人のことが好きで、征人の事は嫌っている。


夢で見た『笑顔』は、まるで初めて出会った時の様だった。


もう笑顔。



ひたすら自分を誤魔化し、その渇望を隠してきた筈なのに。


自覚したとして、どうする事も出来ないのに。


それでも尚、本当は。


ただ。


あの笑顔が自分に向けられる事を望んだ。


忘れたフリをしていた。

自分が何よりも大事にしている仕事で、彩葉を思い出して『Semperシリーズ』を作った。


あれは。


自分と彩葉が共に過ごす事を思い浮かべて作ったモノだ。


もう再会することは無いと、そう思いながら。

それでも思い出す彩葉を想って。


再会して、彩葉が同じように、きっとこんなに拗れる事は無かった。


でももう、今更だ。


現実は、権力を笠に肉体関係を迫り、挙句の果てに犯した。



あぁ、夢など見たくなかった。


どうしたって自覚を促されるではないか。

あんな夢を見た後では。


彩葉が欲しくて欲しくて堪らなかった。


あの夢のように、優しく彩葉に触れて愛おしみたかった。

自分を受け入れて欲しかった。


なのに上手くいかなかったからと、癇癪を起こした様なものだ。


もう取り戻せない『夢』は、柾人に重くのしかかった。

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